第2話 見知らぬ美人と上京2

 東京駅内を彷徨い続けること1時間。

 ちょっと疲れてしまった俺は、実家の母ちゃんに電話することにした。

 一人暮らしとは。


「もしもし母ちゃん」

『幸太郎かい。何、どうしたの』


 電話の向こうからは数時間ぶりの母ちゃんの声が。

 そのどこか懐かしく心休まるような声を聞いて、俺はちょっと泣きそうになってしまった。


 ところで、一人暮らしとは。


「えっと、さっき東京駅に着いたんだけど」

『は? あんたまだ東京駅にいたの? 予定ではもうとっくにアパートに着いている頃でしょ?』

「いやー……まあ色々あって……」


 迷子なんて言えない。

 口が裂けても絶対に。


『まさか、あんた迷ったりなんてしてないでしょうね』

「ま、ま、まっさかね……ははっ……」


 ちゃんとバレてました。

 母ちゃんおそるべし。


『はぁ……呆れた。これだからあんたはダメなのさ』

「はい……よく理解しております……」

『ただでさえ方向音痴なんだから、駅員さんに聞かないとダメでしょう』

「はい……おっしゃる通りです……」


 高スペックの主張が強すぎて忘れていたが、俺は方向音痴でした。

 初めての東京駅で自分の勘に頼るとかただのアホだ。俺。


『とりあえず近くの駅員さん見つけて道聞きな』

「はい……わかりました……」

『それじゃ気をつけて。わからないことがあったらまずは聞く! いい?』

「はい……」


 そうして俺は母ちゃんとの電話を終えた。

 スマホの画面に浮かぶ通話終了の文字を見ると、なんだか心が寂しい。


 果たして、一人暮らしとは。


「と、とりあえず……駅員さんに聞いてみるか」


 高スペックな俺が開始早々他人の力を借りるなど、正直恥ずかしい限りではあるが、今必要なのは羞恥心などではなく、正しい経路の確保。

 現在俺がいる場所は、おそらく新幹線の改札口近くなので、先ほどの親切な駅員さんに目標とする電車の場所を聞くことにしよう。


 そう決心した俺は、すっかり見慣れた道をたどった。

 目指すは、先ほど駅員さんが立っていた場所。

 次はちゃんと乗りたい電車の場所を聞くとしよう。


 ところでところで、一人暮らしとは——。



 * * *



 俺が東京駅に到着したのは午後1時過ぎ。

 俺が東京駅を脱出したのは午後3時過ぎ。


 先ほど母ちゃんに電話したのは午後2時頃だから、なんだかうまく計算が合わないような気がするが、まあおそらくは気のせいだろう。


 道を聞こうと思った駅員さんがいなくなってたから結局道は聞けず。

 仕方ないから他の駅員さんを探そうと歩き回ってたらさらに迷子に。

 なんてのはおそらく気のせい……ということにしておこう。


 とりあえずだ。

 東京駅にここまで苦しめられるとは思っていなかったが、一応無事にアパートの最寄駅へと到着することはできた。


 現在はスマホの地図機能を行使しながら、着実に目的のアパートへと向かっている最中で、ようやくそれらしい住宅街に差し掛かったところだ。


 そもそも初めから駅の案内地図を見ていれば、迷うことはなかったような気もするが、今更そんな後悔をしても遅い。


 ちなみに俺は方向音痴だが地図は読める。

 高スペックゆえの才能といえよう。


「えっと、ここがこれだから……こっちか」


 交差点に差し掛かったところで、俺は地図通り左へと曲がった。

 ここは都心から少し離れた場所のため、ビルなどの障害物がなく見晴らしがいい。

 これなら迷子になる心配もないだろう。


「あと50メートルか。ようやくだな」


 スマホに映る赤点が目前に迫り、自然と歩くペースも上がる。

 ガラガラ響くキャリーバックの音がよく目立っているので、東京ながらもすごく静かで住みやすい場所だと思う。


 その上駅やスーパーからはそう遠くない場所にあるので、なかなかいい物件を借りることができたのかもしれない。

 家賃も言うほど高くはないし、ちょっと得した気分だ。


「ここだな」


 足を止めた俺の前には『フェアリーダイヤモンド』の看板。

 そしてその背後には、落ち着いた色合いの立派な建物。


 写真でしか見たことなかったのでわからなかったが、こうして実物を生で見てみると結構いい感じである。

 壁の質感はオシャレだし、何よりも余計な物がなくてスッキリしているのがいい。


 ——というか『フェアリーダイヤモンド』って何。


「ま、まあ、名前はなんでもいいか」


 ちょっと頭が悪そうな名前だなとか思いつつも、俺は前もって渡されていた部屋の鍵を肩にかけていたポーチから取り出した。


 部屋番号は201号室。

 2階建てのアパートの上の階、一番奥の部屋らしい。


「さ、さすがに疲れたな……」


 上京のために必要とはいえ、今となってはこのキャリーバックも憎たらしいほど重さを感じてしまう。

 俺は元々あまり運動が得意な方ではないので、これだけ長い間、しかも重い荷物を抱えたまま身体を動かすのはかなりきつい。


「とりあえず、部屋に入ったら少し休むか」


 そう思いつつ俺は、手に持っていた鍵を鍵穴へと差し込んだ。

 そしてゆっくりと左に回してみたがそれらしい音は聞こえない。

 なので今度は右に半回転させてみる。


『ガチャ』


 どうやらこのドアは右で開錠らしい。

 音がなったことを確認し、俺は右手でドアノブを引いた。


『ガゴン』


 低く鈍い音が鳴り響く。

 ドアが開かない。


「ん、さっき開いたよな」


 不審に思った俺は、再度鍵を鍵穴に差し込み、迷わず右回転させてみる。

 しかしそれらしい音は鳴らず、聞こえてくるのは「スカッスカッ」という乾いた音だけ。


 それならばと俺は左へと半回転させてみる。

 すると今度は『ガチャ』と鍵が開いたであろう音が聞こえてきた。


「開いたのか?」


 全く訳がわからないが、とりあえずドアノブに手をかけた。

 そしてゆっくりと引いてみると——。


「あ、開いた……」


 ドアが開いた。開いたのだが……。


「待てよ待てよ……つまり……」


 一回めの『ガチャ』でドアは開かなかった。

 だが二回目の『ガチャ』でドアは開いた。


 つまり俺は最初の『ガチャ』でドアを閉めたということになる。

 ドアを閉められるのはドアが開いている状態からのみ。

 そんなの高スペックじゃなくてもわかることだ。


 ——じゃあこのドアの最初の状態は……?


 一回目の『ガチャ』で閉まり、二回目の『ガチャ』で開いた。

 つまりこのドアは、開きっぱなしだったということにならないか?


 いや、落ち着け幸太郎。

 いくら空き部屋だからといって鍵を閉めないでおく訳がないだろう。


 おそらく最初の『ガチャ』は入居した時の合図。

 東京の貸家ならどこでも同じ仕様になっているんだ。


「ふっ、俺としたことが、少し動揺しちまったぜ」


 俺は少し疲れてただけ。

 慣れない都会の街に気圧されてしまっていたのだろう。

 まあそんな都会にも、高スペックな俺ならばすぐに慣れてしまうだろう……が……な……?

 

「……ふぇ?」


 ドアを開けた俺の視線の先には、謎の黒いパンプスが一組。

 そして玄関を上がったすぐ先には、床が見えないほどに溢れた大量のゴミ袋。

 さらに右手にあるキッチンの流し台には、盛りに盛られた食器の数々。


「なんだ……これ……」


 意味がわからない。てかわかる訳ない。

 ここは俺が今日から新しく住む部屋だぞ。

 なんでいかにも『誰かが住んでますよ』みたいな状態になっているんだ。


 しかもかなり悲惨だし、匂いもきつい。

 顔の周りには謎のコバエが寄ってくるし、汚すぎだろこれ。


「一体誰がこんなこ——」


 いや待てよ。

 常識的に考えれば今の状況はありえない。

 今日から入居するはずなのに誰かが住んでいる形跡があるなんて。


 てか見ればわかるな普通。

 こんな汚い部屋が俺の部屋のはずがない。

 おそらく入る場所を間違えてしまったんだ。


 そうだそうだ。

 そうに違いない。


 俺としたことがまったく。

 天才でもたまにはこういうことがあったりするん——。


『201号室』

「うん、やっぱりここ俺の部屋だよね」


 一度外に出て確認したが、やっぱりここは俺の部屋。

 地図に表示されている赤点も、現在地とぴったり重なっている。

 てか部屋の中身がどうこう言う前に、鍵開けれた時点で間違いない。


「ドユコト。コレ」


 もう俺の頭はパッパラパー。

 状況がつかめなすぎて脳みそスポンジ状態。

 ならばとりあえず、もう一度だけ中を確認してみよう。


 そう思った俺は、再びドアを開き部屋の中へ。


「うん、ちゃんと汚い」

 

 ちゃんと汚かった。

 しっかり汚かった。

 抜かりなく汚かった。


 どうやったらここまで汚くできるんだよ。

 この部屋そろそろドキュメンタリーの取材くるぞ。


「はぁ……」


 さてどうしたものでしょう。

 ここは一度不動産会社に確認の電話を入れるべきか。

 それともとりあえず中に上がってみるべきか。


 普段の俺だったら間違いなく前者を選ぶのだろう。

 しかし今の俺は頭がパッパラパーだ。

 そんな状態で冷静な判断ができるわけもなく——。


「とりあえず上がってみるか」


 キャリーバックを玄関に残し、俺は好奇心だけで足を進めた。

 盛られたゴミの山をかき分け、宙を舞うコバエたちを手で払い、突き当たりにあるドアの前へとたどり着く。


「ん、何か聞こえる」


 するとドアの向こう側から何やら音が聞こえてくる。

 しかもその音は一種類だけでなく『バチーン!』とか『バゴーン!』とか、様々なレパートリーがあった。


「誰かいるのか?」


 もうここまできた俺に恐怖心やなんかがあるわけもなく。

 迷いもなくドアに手をかけると、その扉をゆっくりと開いた。


『カチカチカチカチカチ』


 奇妙な音がドアの隙間から聞こえてきたかと思えば、そのくらい部屋の中から少しばかりの光が漏れだしてくる。

 しかし俺は怯まず、ドアを開ける手を進めた。


『バチーン! バゴーン!』


 ドアを半分ほど開いたところで、ようやくその光がテレビからのものだということがわかった。


 こんな暗闇でテレビなんてとか思ったが、今はそんなことどうでもいい。

 それよりもまずは、この部屋の中身を確認をしなくては。


 そう決心した俺は、半端だった扉を一気に開いた。

 そしてその先の光景を目に焼き付けるように凝視した。


 凝視……した……。

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