第11話 蓮見さんと買い物4

 蓮見さんが姿を見せたのはそれから10分後のこと。

 腹を空かして待つ俺の元に、彼女はのうのうとやって来た。


 なんと、お土産付きで——。


「何してるんですか」

「ふぁにって、ふぃればふぁかるでひょ(何って、見ればわかるでしょ)」

「いや、わからないから聞いてるんですよ」


 もごもごしている口。

 そして片手には、一瞬目を疑うような丸い物体。

 箱舟のような容器の中に、それはもう綺麗に整列している。


「それたこ焼きですよね」

「ふぉうふぁけお(そうだけど)」

「何でたこ焼き食ってんですか」

「ふぁんふぇっふぇ、おなふぁすふぃふぁふぁふぁ(何でって、お腹空いたから)」


 ハムスターのようにたこ焼きを咀嚼しながら、蓮見さんは悪びれる素振りを見せることなく、俺の質問に答えている。


 てか口に物入れたまましゃべるなよ。

 あんたもう大人だろ。そのくらいはちゃんとしてくれ。


「とりあえず、それ飲み込んでください」

「うぅん」


 俺が少し厳格な口調でそう言うと、蓮見さんは口につめていた物を素直に「ごっくん」と飲み込んだ。

 これでようやく口の中が空になったかと思いきや――。


「ふわぁぁ」


 とか幸せの吐息を漏らしたりなんかして。

 更に口元についていたマヨネーズを舌でペロッとすくったりなんかして。

 極め付けには「キミも食べる?」なんて優しさを見せたりなんかして。


 ――本当に一発しめてやろうかなこの人。


 とは思ったが、人の好意には素直に甘えるのも大人な対応というもの。

 俺は蓮見さんをキリッと睨みつつも、差し出されたたこ焼きに手を伸ばした。


「あ、まって。それだと手汚れる」

「いや、いいですよこれくらい」

「だめ」


 手掴みで食べようとしたが、すぐさま蓮見さんに止められた。


 別に少し手が汚れるくらいどうってことないが。

 まあ確かに言われてみれば、今のは少し行儀が悪かったように思える。


 が、しかしだ——。


 にしても今のはちょっと意外だった。

 あの蓮見さんが、そんなことを気にしてくれるなんて。

 意外過ぎて睨んでたの忘れて普通に驚いちゃったよ。


「あの、それじゃ何か使えるものありますかね。箸とか」


 すかさず俺は、使ってない小道具がないかを尋ねてみた。

 すると蓮見さんは、手に持っていた爪楊枝を掲げると、


「いい、私が食べさせる」


 と、耳を疑うような発言を一つ。


 ——ん? 今なんと?


 あまりにも斜め上すぎたため、俺がすぐさま理解できるわけもなく。

 聞き間違いだろうか? などと思っている頃には、もうすでに俺の口元付近までたこ焼きが運ばれて来ていた。


「あの……蓮見さん」

「ほら、早く食べて」

「え、あ、いや……それはちょっと……」


 戸惑う俺に構う様子もなく、蓮見さんはグイグイたこ焼きを近づけてくる。

 その表情を見る限り、俺をからかっているわけでもなさそうだ。


 ——素でやってるのかこれ?


 だとしたら相当な曲者くせものだぞこの人。

 普通女性にこんなことされたら、別に気がなくてもドキドキしちゃうじゃないか。男心わかってないだろ絶対。


 というかその爪楊枝。

 さっきまであなたが使っていたものですよね?

 だとしたらその……間接キスになってしまうんですけど。

 その辺に関しては何も思わないんですかね?


 なんて、俺がくだらないことを考えていると——。


「何してるの。早くして」


 こっちの気を知る由もない蓮見さんは、少しご立腹のようだった。

 何か口に入れているわけでもないのに、頬がたこ焼きのように膨らんでいる。

 どうやらこれは素直に食べた方が良さそうだ。


「そ、それじゃ……いただきます」

「熱いからふぅふぅして」

「ふ、ふぅぅ……」


 俺は蓮見さんに言われるがまま、たこ焼きに向かって息を吹きかける。

 が、今の状況を考えれば、全くそれどころではなかった。


 ——一体周りにはどう見えてるんだろう。


 なんて考えようものなら、俺の羞恥心がもたない。

 だからこそ俺はひたすらに無心を貫き続けた。

 己の意識を殺したかのような堅い堅い無心を。


「口開けて」


 そう言われて間もなく、俺は抵抗することなく口を開けた。

 無心を貫いているとはいえ、目を開けることは叶わない。

 ほんの一瞬でも油断すれば、俺は堕ちてしまいそうだった。


「入らない。もっと開いて」


 その声を頼りに俺はさらに大きく口を開く。


 今どんな状況なのだろう。

 たこ焼きはどこまで迫っているのだろう。


 そんなことを考えている最中。

 俺の舌の上に一筋の熱が走った。

 

「熱っ……」

「だからふぅふぅしてって言った」


 恐る恐る目を開ける。

 すると目の前では、蓮見さんが上目遣いで俺のことを見つめていた。


「どう美味しい?」


 小首を傾げ、俺に味の感想を求めてくる。


「お、おいひぃふぇふ(お、美味しいです)」

「そ、ならいい」


 俺が一言そう言うと、蓮見さんはそっと口元から手を引いた。

 そして再びたこ焼きに手を伸ばし、それを今度は自分の口へと運ぶ。


「うん、おいひ」


 満足そうに微笑む彼女に、俺は自然と意識を盗られた。

 一体彼女は何を思って、こんなことをしたのだろう。

 そう考え始めれば、浮かび上がるのは疑問ばかり。


 まだ口の中にたこ焼きが残っているが、その味すらもわからない。

 わからないが、なぜか不思議と悪い気はしなかった。


 めちゃくちゃ恥ずかしかったはずなのに。

 めちゃくちゃ嫌がってたはずなのに。

 どうしてか俺の心は、それを拒んではいなかった。


「はい、もう一つ」


 そんな中差し出された二つ目のたこ焼き。

 先ほどまでの俺だったら、間違いなくそれを退けていただろう。


 でも——。


「すみません。いただきます」


 そう一言呟いて、素直に口を開いたのはなぜだろう。

 全く同じ食べ方なのに、あまり恥ずかしくなかったのはなぜだろう。

 疑問ばかりが頭に浮かび、それを新たな疑問が包み込む。


 気づけば口の中のたこ焼きは、綺麗さっぱり喉の奥へ。

 絶対美味しいはずなのに、その味すらもわからないまま。

 結局俺の心には、底知れぬ疑問だけが残されたのだった。

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