4-2

 「結局、殺人事件だったってことしか分からんかったー、ってことっしょ?」

 ハンバーガーをパクつきながら、花巻が助手席で声を上げた。

 「でもさ、おかしくね?そんな大層な事件なら、逆に世間に公表して注意を促すみたいな?そういうスタンスじゃないん?反抗令出すとか、マルミヤイミフなんだけど?」 

 「反抗ではなく、緘口令です。確かに非公開捜査は基本ですが、それは捜査内容の情報漏洩を防ぐためであって、事件そのものを隠しながらの捜査というのはあまり聞きません。何か、公にできない要素が絡んでいるのでしょう」

 楠木がナゲットをつまみながら答えた。

 高坂神社を辞した後、とりあえず小腹を満たしながら状況整理をしようと、テイクアウトしたファーストフードを車内で食べているところだった。

 壱姫はあまりお腹は減っていないとのことで、バニラシェイクだけを飲んでいる。ストローの飲み口を手で隠しながらの、上品な飲み方だった。さりげなく自然にやっているので、とりすました感はなく嫌味な感じはしないが、花巻が冗談半分にお嬢様と揶揄するのも分からなくもない。

 「そもそも、そんなことが可能なのか?連続殺人事件っぽいんだろ?被害者の家族たちが黙ったって、色々噂とかになるんじゃねーのか?俺はそういう方面にアンテナ張ってないから知らないが、少なくとも、犯罪系のスクープ追っている記者とかが嗅ぎ付たり、目撃者やら遠い関係者からネットとかで拡散されそうなもんだが……」

 「僕もそこは気になっています。人の口に戸は立てられませんからね。しかし、実際その手の話を最近聞いた覚えがありません。どうにもきな臭い予感がします」

 「つーか、クスクス、いつも思うけど、ナゲットだけ大量に買い過ぎじゃね?それ、6個入りで4箱?」

 密かにそれは俺も気になっていた。楠木は意外にもナゲットが大好物らしく、その食べるスピードもかなり速い。いつぞや、フライドチキン食べ放題でかなりの量をハイスピードで次々と平らげる輩がいたが、あのナゲット版が楠木だった。休むことなく口の中に放り込まれるナゲットが、あっという間に消えてゆく。

 飲み込んでいるわけでもなく、しっかりと口が動いているので噛んではいるのは間違いないが、咀嚼速度が尋常じゃないのだろう。他の食事は普通の速度だったので、ナゲットに関してだけは何か特別な事情があるのだろうか。

 「これは一月に一度だけ、僕が僕自身に許している贅沢なので許してください。というか、君はもう知っているはずでしょう?お二方には少し見苦しいかもしれません。しかし、申し訳ありませんが、どうにもこのナゲットに目がなくてですね。しかも、こう、貪るように食べるのがなぜか好きでして……あまり趣味がいいものでもないので、たまにしかやらないのですが、今日はまぁ、抑えきれずにがっついてしまっています」

 どういう経緯でそんな食べ方と好みになったのか多少興味はあるが、人それぞれ好物はあって然るべきなので、恥ずかしそうに恐縮するほどのことではないと思われる。

 「いやぁ、知ってたけどさー、毎回どうだかねーって思うよ、それ。まぁ、真面目すぎるクスクスにも悪癖アリって感じで、人間臭くて逆にアリかもしんないけど。あと、あきるパイセン、一人で牛丼って!めっちゃ肉臭いんですけどー?」

 「今日はハンバーガーの気分じゃなかったんだから、しょうがないだろ。香りはすまん、窓を開ける」

 「まぁ、別にいいんだけどさ、わざわざ違う店から持ち帰りとか、マジウケルわー」

 確かに俺は一人、牛丼を買いに別行動をして買ってきたが、非難される謂れはない。いや、まぁ、確かに香りは少しファーストフードものとは別格なのでアレだが、つゆだくにはしていないし、一応ささやかな気配りはしている。ファーストフード店の近くに牛丼屋があったので、面倒もなく、食べたいものを食べるのが道理だ。持ち帰り前提ならアリだろう。

 何よりパンをパクつくより、こう、ガツガツと飯を掻っ込みたい気分だったのだ。仕方ない。

 車はとあるスーパーの駐車場の中に停車中だった。窓を開けても、それほどうるさくはない。

 「とりま、事件の方はクスクスが探り入れるとして、ゴースト彼女来てたんでしょ?そっち方面は何か進展あったん?」

 「進展というか、まぁ、何かしら関係はしてそうだったな。狛犬のあだ名みたいなのも知ってたようだし……」

 「ククとムム、でしたか。当てずっぽうで引き当てられる名前ではありませんよね。でも、弐姫さんは澪さんを知らなかったはずなんですよね?」

 壱姫が少し首を傾げて言う。

 「元々記憶がないから確かじゃないが、少なくとも澪の存在自体を覚えてなかったからな……神社に来て何か思い出したという可能性はあるが……」

 「それより、やっぱ澪=弐姫説の方が確率高いんじゃね?」

 「その場合、逆になぜ自分のことを弐姫だと名乗ったのか、という疑問があります。澪さんの方に弐姫さんの存在を知っていたという前提条件も必要になりますが、それを裏付けるものは現時点では皆無です」

 楠木も弐姫に関してはお手上げのようだった。存在自体が冗談みたいに非常識なので、通常の思考回路では手に余る部分が多いのだろう。

 弐姫の正体は果たして、弐姫なのか澪なのか。

 どちらかであることは確かだろうが、その二者択一の決め手がなかった。記憶喪失とその言動、未だ不明なことが多すぎる。

 何にせよ、一つだけ分かっているのは、その答えを出せるのはおそらく俺だということだ。まともに弐姫と会話をしてその姿を確認できるのが俺しかいない以上、他の誰かに肩代わりはできない。

 「まぁ、そっちはやっぱあきるパイセン頑張れって感じしかないやねー」

 「どう頑張ればいいのか分からんが、当然やるだけはやるさ」

 俺は牛丼を平らげると、香りがこれ以上拡散しないようにプラスチックの容器を素早く閉じて、ビニール袋で更に覆う。ついでに買ってきた缶コーヒーを飲んで口の中を潤し、軽食終了だ。牛丼が軽食の範疇に入るかどうかは人によるだろうが、細かいことは気にしない。

 「けどさー、思ったんだけど、どこぞのガイド役とかって仕事しなさすぎじゃね?マジもう少し働けって感じ?なんか調査部とかもあるんしょ?なのに関与しないとかドヤ顔決めてさ、なんか納得いかねーって思うんだけど。少なくとも、調べるってことは無関心ってわけでもないじゃん?」

 確かにちょわについては、俺も思うところがある。例の資料についても、わざわざこちらへなぜ知らせたのか、真意がつかめない。

 「その点に関しては、おそらく仮転生体の形態というか、ヴァリエーションの調査であって、個々の事情には関与しないということでしょう。しかしそれでも、転生体というシステムがどのくらい昔から続いていたのかは定かではないですが、今この時点でも不明な点が多いように見受けられることは、僕としても違和感を覚えます」

 「確かにな。それこそ人類始まってからずっとやってきたってんなら、ナレッジベースが相当あるはずだよな」

 「なれっじべーす?それはどういうものですか?」

 壱姫が聞き慣れない言葉だったのか、尋ねてくる。IT業界ではよく使う用語でも、学生には分からないようだ。

 だが、花巻はそれ系に強いだけあって知っていた。

 「知識のナレッジ、そのデータベースってことだやね。パソコンとかでウィンドウズだと修正プログラムとか、KBなんちゃらって番号ついてるっしょ?あれはKnowledgeBaseの略だよん」

 「花巻君、その説明は前提条件としてパソコン関係に詳しくないと成り立ちません」

 「えっ、そマ?」

 「ええと、簡単に言うとそうですね、葉上さんはFAQは分かりますか?」

 「あっ、はい。よくある質問とか、ホームページ上で載っているものですよね?」

 「そうです、それです。FrequentlyAskedQuestionsの略ですね。要するに、何事にも対策マニュアルがあって、こういう場合はこう対処する、みたいな指示書が存在すると思ってください。その蓄積されたノウハウや対応方法がまとまったものがナレッジベースと呼ばれているものです」

 楠木が分かりやすくまとめてくれたので、俺も追従する。

 「つまり、転生体に関してもイレギュラーな存在が出てきたら、過去の例とかを参照してこういう対応をしてみろ的なものが、色々あるんじゃないかってことだな」

 「ああ、なるほどです。長くやっていれば過去の事例なども沢山あはるずで、模範回答にできるということですか」

 「んだ、んだ」

 花巻が満足げに頷くが、お前は説明しきれてないからな、と心の中で突っ込んでおく。

 「とはいえ、それをいくら考えても答えは出ないだろうし、向こうが情報開示しない限りどうしようもない」

 「んー、なんか手はないのん?呼び出して弱み見つけて脅すとかさ」

 考え方が物騒すぎだ。だいたい、布に弱みがあるのだろうか。ハサミでも持って対峙すれば弱気になるとか、ちょっと想像してみたが、まったく効果はなさそうだった。

 「馬鹿なことを言うのはやめなさい。と、そういえば君は徹夜明けに近いんでしたね。妙なテンションなのはそのせいでしたか。今日はもうお開きにしましょう。葉上さんも巻き込んでしまって申し訳ありません」

 「いえ、今日来たのは私の意志ですから、お気になさらないでください」

 聞けば、壱姫は花巻に呼ばれて学校を早退扱いで抜け出してきたらしい。今更ながら、今日は平日だと気づく。無職だとどうにも、曜日の感覚が鈍くなってしまう。それは自由という意味で悪くはないはずなのだが、世間一般ではやはり曜日による日常の変化は絶大なので、あまり無視した生活を送るわけにもいかない。

 ともあれ、今日はそのまま解散となった。 




 翌日、いつもなら朝から騒がしい弐姫の姿はそこになかった。

 俺は色々と考えながらもだらだらと午前中を部屋で過ごしてから、気になっていることを確かめるために午後は外出することにした。

 何となく俺の心は晴れていなかったが、そんなことお構いなしに快晴の天気だった。そろそろ日差しへがより強くなってくる季節だった。相変わらず、世界はこっちの都合に合わせてはくれない。

 途中の自販機で炭酸ジュースを買うと、いつぞやの公園に足を踏み入れた。

 特に用があってここへ来たわけじゃなかった。ただ、ちょっとした予感めいたものはあったのかもしれない。自然と足が向かった。そういう感じだ。インドア派な人間にしては珍しい。

 平日の人もまばらな公園を散策していると、果たしてそこに弐姫がいた。

 小さな池を見つめながら、空中に浮いていた。

 空を飛びながらぼーっとしているという表現もアレだが、心なしかいつもより色素が薄い気がした。非常識な存在である弐姫の場合、文字通り体が透けていくという現象があり得るので、本当に薄く感じられたということだ。

 それが何を意味するのか。感情がそのまま存在感の厚みとして表現されていると考えるなら、悩んでいる、とかその辺の理由だろう。確証はないが、そんな気はする。いや、その理屈だと俺の場合、常に存在感が希薄で悩みまくっている人になるまいか……不毛な思考だ、やめよう。今は弐姫だ。

 「……こんなところで何してんだ?」

 池の手前の木製の手すりに寄りかかりながら、俺は弐姫に声をかける。

 「ん……?」

 弐姫は最初、こちらに注意を向けたように思えたが、そのまま素通りしてまた池の水面に視線を移した。

 反応も大分悪い。やはり心ここにあらず、といった様子だった。もう一度声をかけるかどうか少し迷う。誰にでも一人になりたいときはある。だが、弐姫はその例に当てはまるのだろうか。誰にも見えず、話しかけてもその声は届かない。何にも触れられず、気づかれることもない。デフォルトが既に一人だ。

 俺しか認識できないのだから、やはり俺が気にかけてやるしかない。そう思い直した。まったく面倒なことだ。

 「おい――」

 「んん?ってあきるくん?」

 今度は割と普通の反応が返ってきた。目の焦点が合ったように、弐姫が俺を認識していつもの笑顔を浮かべる。身体の色素も戻ってきた。ある意味、状態が分かりやすい。

 「ああ。んで、何してんだ、こんなところで?」

 もう一度尋ねてみる。

 「ほぇ?あれー、わたし、何してんだろー?んんー?」

 特に自覚していなかったらしい。無意識にふらふらとここに来たってところか。やはり精神状態が不安定に思えた。それでも、俺は踏み込むべきだと思った。時間が解決してくれることはあるかもしれないが、それだけに頼ってもろくなことにならないことは多々ある。

 今は、進むべき時だ。

 「少し休んでみて……何か思い出したこととか、あったのか?」

 俺は炭酸をチビチビと飲みながら疑問を声に出した。

 「それがねー……」

 弐姫はそこで大きく伸びをすると、ふわりと俺の方に高度を落としてきた。

 「よく分からないんだよねー。思い出したってほど鮮明な何かは思い浮かばないんだけど、こう、何か来たなーっていう感覚はあって、なんてゆーか、ぼんやりとした映像がちょっと見えたり?でも、それを強く思い出そうとするとまったく見えなくなっちゃって……誰かに嫌がらせされてるみたいだよ。まったく、ちゃんと思い出させて欲しいもんさね、ぷんすかぷん」

 「つまり、何か思い出せそうな気はするし、そういう記憶があることは確かそうだけど、はっきりとは思い出せないみたいな感じか?」

 「うーん、そうなのかな?自分で言ってることも、あきるくんの要約も、なんだか結局よく分からないよねー、にっしっし」

 確かに曖昧模糊とした表現だが、そこであきらめて欲しくはない。

 「要するに、まだ思い出せることはないって話か」

 「うむ、そうであります。びしっ!」

 そこだけ勢いよく敬礼するな、と思ったがこのノリを崩したくない。空元気かもしれないが、いつもの調子が戻ってきてるならその方が良い気がしたからだ。

 「それにしても、よく私がここにいるって分かったね?あっ、やっぱりあきるくん、わたしのストーカー!?」

 「アホか。やっぱりってなんだ、既成事実のように言うな。まるで見当違いだろうがよ」

 「いやいや、ほら、まだ私たちの関係性って謎なわけでしょ?そういう可能性もなきにしもあらずー的な?」

 「いや、ねーよ。他人をストーキングとか、生まれてこの方したこともされたこともねー」

 「でも、分からないよー。そこだけ記憶を失くしてるとか、わたしが記憶喪失なんだから、あきるくんにだってその可能性はあるんじゃないかな?人類皆公平の理念だね」

 そんな可能性はないと思いたい。部分的に記憶を失っているとか怖すぎるだろう。だいたい、そんな公平さはいらん。

 「ここに来たのは……何となくだ。お前を初めて見た場所だしな……」

 「ああ、そういえばここで私たち会ったんだよねー。いきなりパンツ見られてさー、あきるくんのえっちー!んー、でもでも、あれー?それって何か意味があるのかな?」

 「お前のパンツを見せつけられたことがか?」

 「見せつけてないよっ!?あきるくんが勝手に見たんでしょっ!?っていうか、そうじゃないよ。この場所だよ、ここで会ったことに意味があるのかなーって」

 「ああ。そう言えば……」

 確かにそれは考えたこともなかった。俺自身は特に、この公園の常連というわけじゃない。家の近くではあるが、それほど足繁く通っていた場所ではないし、通勤途中にあるわけでもなし、公園に特別な思い入れ等もなかった。

 あの日もたまたま、気が向いて足を運んだだけだった。

 「俺は本当に偶然だが、お前の方は何でこの公園にいたんだ?」

 「むむむ?わたしだって多分偶然じゃないかな?あの頃はただ、人が多い方にとか、逆に少ない方にーみたいに、適当に誰かが気づかないかなーって飛び回ってただけだもん」

 「じゃあ、やっぱたまたまか」

 「うーん、それで片づけていいのかなー?何か運命的なものがこの公園にあるかも、だよ?」

 「いや……どうだろうってか、ないな」

 俺は少しだけ考えてみたがやはり否定した。運命なんてものは信じていない。あらゆることには意味があると宣う文言やセリフはよく見るが、実際、そんなことはないと思う。そう思いたい者が、そう信じているだけな気がする。都合よく解釈する際に、その方がまとまりがいいという理由で肯定されていることが多いように感じる。穿った見方かもしれないが、結局物事をどう受け取るかという姿勢に過ぎない。

 「むー、あきるくんは否定的だなー?でもでも、ここに意味があるって前提で調べてみたら、案外何か分かるかもよー?」 

 弐姫は何やらその閃きが気に入ったのか、やたらと食い下がってくる。けれど、根拠がありそうには思えない。単なるノリだろう。俺には到底その線はないように思えた。どう考えても、この公園に関して俺に含むことはなにもない。

 「それは多分ないな。俺たちがこの場所で会ったことに特に意味はない。お互い、何の執着もここにないだろ?まったくの偶然だろうよ」

 「むふー。随分きっぱり言うなー、何か根拠でもあるの?」

 「根拠なんてないが、意味なんて後から勝手に人が付けるもんの方が多い。意味があると思いたがってるだけで、実際はどうでもいいことだったりするしな。よく生きてる意味とか、このために生きていたんだって言うやついるけどさ、あれって結局自分がそう信じたいだけなんじゃねーかって思う。まぁ、それでそいつがハッピーになれるならそれでいいとは思うけどな」

 「うーん、それって要するにどういうこと?」

 「だから、どういことでもないってことだ。意味は自分で後から勝手につけなって話」

 「うーん、うーん?」

 弐姫はしきりに首を振ってうなり始めた。言いたいことが伝わらなかったのだろうか。まぁ、特に大事なことでもないただの見解の一つだから、理解されなくてもかまわないが。

 俺が缶ジュースの最後の一口を飲み干したところで、急に背中に弐姫の感触があった。

 「あん?何だ?」

 「うーん、きっとこういうことなんじゃないかなーって」

 「だから、何が?」

 後ろから抱きつかれた格好だった。弐姫の両腕が俺の首を回り込み、胸の膨らみが背中に感じられた。こいつ、結構ボリュームがあったのか、などど今更思う。

 映画などでは見たことがあるが、実際に異性にされたのは初めてだったので、妙にこそばゆい感覚だった。何より、意図が不明だ。

 「わたしがあきるくんを見つけて、あきるくんがわたしを見つけた場所記念?」

 「なんだそりゃ?」

 「だから、そういう特別なことが起こる公園だったって意味なんだよー」

 分かるような、分からないような主張だったが、弐姫の声に張りが戻ってきたので否定はしないでおく。それで本人の気分が向上するなら、それはそれでいいことだ。弐姫なりのこの場所への解答なのだろう。その解釈が、俺とまったく違っていても問題はない。

 次いで、ぼそっと弐姫が耳元で呟く。

 「……わたしが誰かなんて分からないけど、あきるくんが知ってるわたしに変わりはないよね……?」

 「……そうだな。俺が知ってるお前は、記憶がなくても、たとえ戻ったとしても、お前以外の何者でもないな」

 「うん、そうだよね。あきるくんがちゃんとわたしだって分かってくれたら、それでいいかなーって」

 それだと何だか俺の責任が重大みたいであまりよろしくないとも思ったが、ここでそれを口に出すのも野暮な気がした。代わりに小言を投げてやる。

 「……どうでもいいが、お前、そうして俺に引っ付いてると疲れてまた眠くなるぞ?」

 「んー、今日はそれもありじゃないかなー」

 「……そうか」

 いろいろと聞こうと思っていたことや、言おうと思っていたことがあったはずだったが、その時はただ、そうして何も言わずにいることが自然だと感じた。

 公園に届く喧騒はほとんどなく、鳥の鳴き声や池の水面を乱す風の音、木々の葉が風に揺れてひっそりと立てるざわめき、そういった自然の音色だけがその場に微かに響いていた。

 どのくらいそうしていたのか、やがて弐姫はすっと消えていった。お互い言葉は交わさなかったが、どこか心地よい時間がだったように思う。

 何も変わっていないようで、何かが変わったように感じていた。

 多分、その時間はお互いに必要なことだったんじゃないだろうか。

 「さて……と」

 俺は手すりに手をつき、もたれていた体を離そうとして違和感に気づいた。

 べちゃりと湿った感覚が手から伝わってきたからだ。

 「うげっ」

 明らかに鳥の糞が手についていた。最悪な場所に手を置いたらしい。

 いや、これも運がついてきたと思えば……むしろ、このままの方がいいんじゃなかろうか。そんなポジティブシンキングを発揮しようとしたものの、

 「いや、ねーな……」

 どうにも最後が締まらないのは相変わらずだと思いながら、俺はトイレを探してその場を後にした。

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