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 傍目からは独り言としか思えないやりとりは、実に30分ほど続いた。

 あまり声に出してしゃべるということがない俺は……おい、そこ、ぼっちとか言うな、単に話す機会がないだけだ、いや、確かに相手がいないという意味では正しいけれど、それは自ら積極的にそうしないだけであって……いや、話がズレているな、戻そう。要するに、いつも以上に声に出すという行為を長時間続けたため、喉が相当渇いて水分が大分必要だったということだ。

 常に他人と無駄に話し続けている、むしろ、そうしないと存在意義がないと言わんばかりにピーチクパーチクさえずっているような女子高生には、この感覚は死ぬまで分からないだろう。必要最低限しかしゃべらない人間というのは、いざ長話をしようとすると途中で声が枯れる。カラオケで久々に熱唱しようとしたら、思ったよりも声が出なかったというのに近い。それが、ただ普通にしゃべるときに起こり得るというだけだ。

 歌手がボイストレーニングをしているのは伊達じゃない。人間の声を出すという行為にも、いわばしゃべり不足とも言うべき状態が存在する。毎日欠かさず、ある程度の練度が必要だ。そうでなければ、運動不足の人間がリハビリをするように、声を出して話すことにも、段階的措置が必要になってくるわけだ。

 などと、まぁ、そんなどうでもいいことはさておき。

 ちょわへの質問とその答えをまとめる必要があった。

 情報整理というのは言うほど簡単なことではなく、特に未知の領域であればあるほど、疑問が芋づる式に増えたりしてなかなかにハードな作業だ。

 俺一人では途中で投げ出して後回しにしていたことがあっただろうが、今回は頼もしい味方、クソマジメガネ君がいる。というか、いい加減、この呼び方も飽きてきた気がする。とりあえず、通常モードの楠木に戻そうと思う。

 「少しばかり輪郭が見えてきた気がします。一旦、情報を整理しましょうか」

 まさしくそうして欲しい時に、タイミング良くそこに言及できる人間というのは、やはり頭が良い証左だろう。楠木は正しく、俺の意図を理解してくれていたようだ。無駄にメガネのフレームを調整するルーティンな仕草も、今はキリッとして格好よく見えたりする――かもしれない。

 「質問は以上か?それは帰還する」

 ちょわはまたしても、こちらの返答を聞くまでもなく消え去った。去り際の潔さと速さは、人間には到底真似できない。一切の躊躇がないからな。他人への配慮や礼儀などそこには微塵もなかった。さすが、自称無機物。

 弐姫はと言えば、途中から寝ていた。うん、幽霊的存在が寝るとかあるのかと言われそうだが、実際、宙に浮いたまま船を漕いでいた。いや、通常は座った状態で、上半身が無意識に倒れないように持ち直す所作をして、そう表すわけだが……無重力状態でのそれは、一種の痙攣に近い不気味さがあった。よくは分からないが、一応身体を直立させようという意思が働くらしく、身体が傾ぐたびにそれをさせまいという動作に見える。それを全身が行っているので、奇妙な不安定感を正す手ブレ補正みたいになっているのが不気味なところだ。

 起きていたところで、現時点ではあまり有用ではない気がするので、放っておくに限る。張本人がそんなことでいいのかという疑問はあるが、深く考えてはいけない。

 「ああ、そうしよう。とはいえ、時間をかけたわりには、あまり決定的なもんはなかったように思えるけどな」

 「初めから過度の期待はしていません。断片的な情報から何か推測できるくらいの心づもりだったので、その意味では収穫はありました」

 「そうなのか?」

 「はい。とりあえず、列挙してみましたので、確認して頂けますか」

 楠木はそう言って、ノートパソコンの画面をこちらに見せてきた。先ほどから何か熱心に打ち込んでいたのは、質疑応答のメモをまとめていたようだ。

 そこには箇条書きで以下のようなQ&Aが並んでいた。


 Q.弐姫さんが現実でこのS市に戻ってきたのは、記憶に関連するものがこの付近にあるためか?

 A.断定不可能。ただし、仮転生体は動物的帰巣本能により現実世界へ戻るため、無意識下で選別された可能性は高い。


 Q.記憶を取り戻した場合、その真偽は本人以外に分かるのか?

 A.転生管理官に嘘は通じないため、虚偽の申告はできない。偽物だった場合は判別可能。


 Q.弐姫さんが亡くなった時期に関して、直近ではなくもっと過去である可能性はあるのか?

 A.ない。仮転生体は死後、速やかに申請待ち状態に移行する。例外はあるが、L555-2473168263477においては否定。


 Q.仮転生体の服装は、どういった基準で精製されているのか?

 A.着衣に限らず、外見的特徴の形成は、本人の意思が反映されると推測されるが、観測側の影響も加味されると考えられている。それ側は関心がないので詳細は不明。


 Q.以前にも記憶喪失者の転生体がいたと思うが、記憶を取り戻して解決した場合の具体的な方法はどういったものか?

 A.一般的な解決策としては存在しない。個々の案件に関しては、事例はあるが開示許可は出ていないため返答不可。


 Q.調査担当の妖精に資料確認した結果が、今の開示不許可という判断か?(事前の資料請求に関連して)

 A.別件。そちらは多少資料提供可能。(後に別途記載)


 Q.仮転生体に関して案内役である妖精が存在するということは、積極的介入の余地もあるのではないか?

 A.可能性の有無であれば有。


 Q.積極的介入の事例は?何か条件があるのか?

 A.禁則につき、返答不可。


 Q.今回の秋留氏のように、現実の人間が介在する例は今までもあったか?

 A.前例はある。


 Q.その前例では具体的にどのような役割を担ったのか?

 A.禁則につき、返答不可。


 Q.秋留氏は転生体である弐姫さんに触れることができるようだが、転生体が現実に干渉できないという特性に矛盾している。なぜか?

 A.不明。稀にそういう事例はある。いずれの時も特務調査部が調査する。それは関与する立場にない。


 Q.特務調査部とは何か?

 A.イレギュラーなケースを調査する部署。厳密には違うが、そちらに理解しやすいような便宜上の名。前述の資料の提供元でもある。


 Q.転生体と現実の人間が物理的に接触することで、現実の人間側に悪影響等はあるのか?

 A.ないと推測されている。保証もない。


 Q.転生体である弐姫さんが疲れるといった症状で意識が飛ぶような現象が見られるのは、正常なことなのか?何か影響はあるのか?

 A.仮転生体は精神的存在であるため、自我の維持に精神エネルギーが必要。現実への物理的接触等でそのエネルギーが減少していると推測。その回復に、人間で言うところの睡眠の代替として、精神凍結とも言うべき休息行為があるので正常。


 Q.記憶喪失者が期限内に記憶を取り戻せないと消去されるらしいが、その原因が本人の過失ではない場合、厳しすぎる裁定ではないか?

 A.転生体の状態にそれ側は関与しない。従って、自責他責は考慮に値しない。

  

 Q.そもそも、転生管理官を束ねる団体というものはどういった立場の、いかなる組織なのか?

 A.禁則につき、返答不可。


 Q.禁則があるのなら、こうして人間に質疑応答している時点で不許可なのではないか?

 A.お助けマン(秋留氏)の特殊性を考慮して、特例としての例外措置。


 Q.例外措置には第三者(楠木や花巻)が含まれているのか?

 A.伝播する枝も含めて、最終的には関連する記憶を消去するので問題ない。


 Q.記憶消去の技術があるのか?それは部分的に消せるということか?関与した日数分すべての記憶が消えるのか?

 A.禁則につき、返答不可。消去に関しては、すべての記憶ではなく関連するものだけなので、実生活に影響はないと判断する。


 かなり分かりやすくまとめられていた。昔、授業のノートの取り方で頭の良さが分かるという典型的な例を見たことがあるが、間違いなくこれは優秀の部類だろう。

 けれど、やはり内容にこれといって収穫があるようには思えなかった。情報規制がないのかと思っていたが、ちゃっかりと禁則とやらは存在していたことが判明したことは一つの発見ではあるが。

 自分の身体への影響などまったく考えてもいなかったので、そのことに思い当たって少し蒼くなっていたのだが、一応安心できる返答が良かったくらいか。保証はないと断言されているが見なかったことにする。

 あと、記憶消去とか言う恐ろしい事実が発覚した。楠木が言っていた別の手段とやらは、予想以上に危険そうな答えだった。

 部分的に記憶を消し去るとか何だその技術。怖すぎるだろ。というか、そんな記憶操作が可能なら、逆に弐姫の記憶をどうにかできないのか。できないんだろうな、あるいはしないのか……

 ちょわの無機質な態度を見る限り、転生体への情状酌量的な概念が皆無みたいだしな。機械的に処理をしている感じがありありと窺えた。

 「何か足りない点や、気づいた点がありますか?」

 一通り見終えた俺を確認したのか、相変わらず的確な間で声をかけてくる楠木。

 「いや、綺麗にまとまっていると思う。けど、結局分かったのは、後で自分の記憶が消されるらしい恐ろしい事実と、俺の特異性は未だ謎だってことだけだな」

 「前例があることは認めても、内容は禁則の一点張りでしたね。後に記憶消去を公言していながら、部分的に情報開示しないという矛盾が少し気になります」

 「言われてみれば確かに……部分部分で妙に緩かったり厳しかったりで、一貫性がないかもな」

 「はい。管理体制と規則が徹底されていない可能性があるかもしれません。ただ、その辺の組織的な所を推察しても、今回の弐姫さん自身の問題解決には関係はなさそうなので、問題は本人に絞るべきかと」

 正論だった。

 どうにもちょわの組織的ところにフォーカスしてしまう傾向が少なからずあった。知的好奇心のせいだろうか。少なくとも、今回の質問でそのアプローチから探れることはなさそうだ。

 「んー、絞ってみても、分かったのはこの付近に弐姫が現われたのは、やっぱり何か土地的に関係してたかもしれないっていうとこぐらいか」

 「帰巣本能とはどうにも曖昧な表現でしたが、否定されなかっただけ僥倖と言うべきなのでしょう。現在進行形の照合作業が無駄ではないようで安心できます」

 「だな。曖昧と言えば、ちょわ自身がやっぱり不可解な役どころだよな。疑問に答える存在と言いながら、決定的なことは濁すし、それ以上の何かをするわけでもなしで、中途半端なガイドにしか思えん」

 「属している組織が謎ですが、ある意味、その組織の政治的アピールにも思えます。最低限の対応保障はしています、というような……」

 「政治的アピールか、確かにそう言われると、投げっぱなしじゃありませんっていうポーズだけは取ってるようにも思えるな。けど、それって誰に対するアピールなんだ?」

 「分かりません。自分で言及しながら申し訳ないですが、そもそも死後の転生待機状態の世界がどんな状況か不明なので、考えるだけ無駄ですね」

 「それもそうだな……」

 死後の世界にも複数の団体やら組織やらの派閥争いなんてものがあるとか、考えたくもない。あの世も世俗まみれで、格差社会なんて救いがなさすぎる。いや、そもそも死んでからまた何か始まるなんてことは、面倒で疲れるとしか思えない。

 「実は一番気になったのは、弐姫さんの外見的特徴への言及ですが、これに関してもあまり考えても仕方ないというか、ここを疑うと何も立ち行かなくなる気がするので、前提条件として固定したいですね……」

 そこは俺も気にはなっていた。ちょわの説明では、弐姫の容姿そのものが本人の意思が反映され、観測者の視点の影響もあるとのことだが、ここが崩れると身も蓋もない。俺が見ている弐姫の容姿が幻だった場合、すべてはお手上げだ。こっちの記憶に弐姫に関連するものがない以上、観測者側の影響はないはずだし、あっち側に関しては、本人の意思といわれても記憶喪失の人間の意思とはどういうことになるのか。

 ちょわの認識が俺と弐姫でまったく違うように、弐姫の外見にズレがある可能性は、それこそ考えたらキリがない問題ではある。

 「同意するわ。無視できない問題ではあっても、現状、そこに関して俺たちにできることは何もないからな。一応留意しときつつ、今俺が見ている弐姫を実像と信じるしかないよな」

 「はい。疑い出せばキリがありません。それで、弐姫さんは何か発言していないのですか?今までの質疑応答を聞いて、何か反応は?」

 ……それな。

 俺は苦い顔で弐姫を見上げる。当事者が居眠りしているという残酷な事実を告げなければならない俺の立場を考えて欲しい。

 生真面目な楠木だから怒らないだろうが、この反応はキレられても不思議じゃない。いや、あるいは客の立場だからこそ許されるのだろうか。俺はもう何が正しいのか分からないので、素直にうたた寝をしていると白状した。

 「……寝ている、のですか?しかし、先ほどの話では、睡眠の代替行為によって意識が飛ぶような現象になると説明を受けたはずですが?」

 「そういや、そうだな……じゃあ、こりゃ、なんだ?」

 俺は明らかに居眠りとしか思えない状態の弐姫を見上げた。

 全身で船をこぐように痙攣している、あられもない姿をお見せできないのが残念でしかたがない。

 「なんだと言われましても、見えませんのでコメントしかねますが……」

 「だよな、見れば一発で分かるんだが、どう見ても寝ているとしか思えん状況だ」

 「なるほど。そうであれば、色々と見方を変えるべき方もしれませんね」

 「どういうことだ?」

 「はい。つまり、先ほどの質疑応答との事実の食い違いが発生しているので、あの回答を鵜呑みにするのも考え物だということです」

 楠木が少し厳しい顔になった。

 「ガイド側から与えられる情報でも精査が必要で、無条件で信用すべきではないということですね。それに、疑問を投げかけておいてなんですが、他の解釈もあるのかもしれません。人が仮眠を取るような、エコモードのようにエネルギー保存というようなこともあり得るのかもしれません」

 「そうか……色々考えさせられるな。思ったよりも結構、前途多難だな、こりゃ。もっとイージーモードが欲しいぜ。多少の課金で、ヒント出してもらって楽したいところだ」

 「そういうソーシャルゲームのようなシステムがあれば確かに楽ですが、残念ながら現実はいつもハードモードです」

 普通に真面目に返されると頷くしかない。それに、俺はあらゆる課金式のゲームでは無課金で楽しむ派だった。課金しなければどうにもならないようなゲームバランスは、設計時点で破綻していると思っている。課金をすればより楽になり、無課金は時間と手間をかけてやるもの、というのが正しいソシャゲの在り方だと信じて止まない。

 それはさておき、いい加減知らん顔の弐姫をたたき起こす時間だ。

 「おい、この寝坊助野郎」

 野郎ではないな、と自分にツッコミを入れながら、現実の手はぺしぺしと弐姫の顔をはたいていた。

 これは、断じてセクハラではない。ないはずだ……多分。

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