第四章 明解
4-1
推理小説はよく読む方だった。
とりわけ、猟奇殺人ものは犯人の異常心理や動機などが、逆に人間臭いと思えて好んで読んだ方だ。
連続殺人、いわゆるシリアルキラーや殺した人間の一部をトロフィーとしてコレクションする異常者、カニバリズムや宗教観による儀式殺人など、非日常的であればあるほど物語としては面白い。
だが、現実にそれに関わるとなると話はまったく違ってくる。
見て楽しいものが、やって楽しいものになるとは限らないことと同じ理屈だ。
平凡上等な人生を歩んできた俺にとって、そんな常軌を逸した事象は門外漢以外の何物でもなかった。対岸の火事どころか、見知らぬ遠い国の噴火くらい現実感のない話だった。
少なくとも、高坂澪の事件を知るまでは。
高坂夫妻の語ってくれた話をまとめるとこうだった。
高校二年になってようやく明るさを取り戻していった澪が、ある日いつもの時間に帰宅しなかった。手芸同好会での活動もない日だったので、心配になって携帯を鳴らしたが、電波が届かない場所にいるとのアナウンスが流れるだけでつながらない。仕方なく、一番仲の良い友達である橋場茜に連絡を取ってみると、放課後はいつも通りに一緒に学校を出て帰宅したという。
ただ、欲しい文具があると話していたので、途中で買い物をしている可能性はあるとのことだった。茜とは駅で別れたらしい。高坂神社とW高校の最寄りの駅には7つの区間がある。
澪も高校生だ。寄り道をするくらいは当然あるだろうが、遅くなる時は必ず連絡を入れる気遣いのできる性格なので、夜九時になっても何も音沙汰がないというのは流石におかしい。
すぐさま警察に連絡を入れたが、受理はされたものの、当日であること、未成年の多感な学生であることを理由に一般行方不明者と判断され、積極的に探し出してくれる動きはなかったらしい。この辺は色々思うところはあるが、警察の人員も有限であり、多種多様な事件を抱えている事情を考えれば、一概に責めることもできない。たとえ、初動が遅れたことで高坂澪が行方不明者ではなく、被害者となった事実があったとしても。
夫妻は翌日から毎日生活安全課へと直談判しにいったが、杓子定規な対応をされただけだったという。
そして、彼女が見つかったのは届け出を出してから四日後だった。
刑事が二人と、生活安全課の課長だという警官が突然訪れて来たので、夫妻はよくないことが起こったのだと悟った。果たして、澪は遺体となって発見されたとの報告だった。
最悪なことに、最近頻発しているという連続殺人の犠牲者となったとのことだった。しかし、そんな事件は聞いたこともなかった。それもそのはずで、世間を悪戯に騒がせないためと犯人特定の証拠等、情報漏洩防止のために極秘裏に調査をしているとのことで、事件は公にしていないという話だった。
課長は捜索願を出されていたにも関わらず、満足な捜索活動ができていなかったことをしきりに謝罪したそうだ。最近は警察の職務怠慢へのバッシングも激しいので、ある種のクレーマー対策なのだろう。同情はするが犠牲を出した以上、非難されても仕方ないところだ。
とはいえ、その時の夫妻にとってそんなことはどうでもよかった。ショックのあまり、静香夫人はその場で昏倒したくらいだ。責任追及よりも何があったのか知りたかったし、遺体といえども一刻も早く娘に会いたかった。
しかし、それも叶わなかった。あろうことか、遺体はバラバラに刻まれており、司法解剖が行われて遺族に見せられる状態ではないとのことだった。身元が判明したのは遺品の生徒手帳と、皮肉にも残されていた火傷痕からだったという。
殺人事件についても、たとえ被害者の家族と言えど詳細は話せないとのことで情報はほとんど明かされなかった。ただし、この殺人鬼の犠牲者は個人的な関係によって標的となったわけではなく、偶然性によるものが大きいとは伝えられた。要するに、運が悪かっただけという到底納得のできないものだったが、この連続殺人の被害者に共通点は今のところ見当たらず、捜査本部では無差別な享楽殺人犯だと推測しているとのことだった。
葬儀を行う場合は、表向きは事故死ということで処理してい欲しいとも頼まれた。
警察側としても被害者の親族には心苦しいが、これ以上の犠牲を出さないためにも、事件を秘匿する協力をして欲しいと頼み込まれては、強く出ることもできずに渋々同意するしかなかった。
結局のところ、高坂夫妻は澪が殺されたという事実だけしか知らされていないことになる。現状では満足に葬儀も取り行えないようで、火葬だけ済ませて保留状態だという。神道流の葬儀は神葬祭と呼ばれ、人が死んだら神に還るという思想らしく、原因不明で死んだ、殺されたなどという状態ではその儀式が正しく行えない、行いたくないという精神面でのストレスがかなり負担になっているのは感じられた。
「――現状は把握できました。幸い、警察には少しつてがありますので、事件に関してこちらでも探ってみます」
「それは非常に助かります。私どももこの状態が長く続くのはどうしても避けたいものですから、最悪、あなた方のような興信所を頼ろうかとも考えていました」
「そうですか。何にせよ、この件に関しては別の依頼に付随する形で調査をすることになりますので、どこまで探れるかは分かりませんが、最善を尽くして結果はお知らせするようにします。ところで、もうお時間でしょうか?」
吾郎の視線が壁かけ時計に向く頻度が高くなっているのは気づいていた。
今日の面会はタイムリミットのようだ。
「ええ、申し訳ありませんが、そろそろ出ないとなりません」
「はい。お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。ただ、最後に一つ。実は先ほどの写真の子を本日連れてきています。外で待機してもらっているのですが、一目お会いになられていきますか?」
楠木が気にしているのは、静香夫人の方だった。精神的にあまり安定した状態とは言えない様子なのは明白なので、身内の判断を仰ぐつもりなのだろう。失った娘とそっくりの壱姫と引き合わせて、どんな結果になるかは予想がつかない。場合によっては、先に車に戻ってもらった方がいいかもしれなかった。
「……静香。会ってみるか?」
気遣わしげな声で問いかけると、意外にもすぐさま夫人はうなずいた。
「本当にあの子の姉妹なら……会っておくべきだと思います」
「そうか……分かった。では、出がけの短い時間になってしまいますが、それでよければ」
「了解しました。境内を散策していると思いますので、社務所前に呼んでおきます」
俺たちは高坂家をお暇することにした。
バイトの女子大生は相変わらず暇そうにあくびをかみ殺しながら、手持無沙汰なのかおみくじ筒を弄んでいた。ちらと目が合うと「お疲れっーす」と緩い挨拶を返される。彼女は澪が殺されたことを知っているのか、そもそも知り合いだったのかどうかも気になったが、どちらでもない場合がある以上、不用意に尋ねるわけにもいかない。
楠木がスマフォで花巻に連絡を取っている間、俺は弐姫のことを考えていた。一緒に話を聞く予定だったが、澪の名前を聞いて調子を変えた後、どこへいったのか未だに帰ってきていない。
この高坂神社に所縁があると思っていたので是非確認してほしいところなのだが、どうしたものか。
また念じれば来そうではある。あるのだが、あの只ならぬ様子の状態で呼び戻していいものかとためらいがあった。
高坂澪が死んでいること。連続殺人鬼に殺されていたこと。弐姫の生死に関して調べているうちに、どうにも非日常的なことが次々に起こっている。ここまで凡庸な道を歩いていた反動なのだろうか。脳のキャパシティ的に限界が近づいている気がした。考えがまとまらない。
無性に煙草が吸いたくなったが、仕事を辞めてから禁煙しているので手元にはない。もともと、休憩時間になんとなく吸っていただけなので、吸わなくても特に問題はなかったのだが、今はなぜか恋しかった。
どちらにせよ、境内は禁煙だろうか。
そんなことを思いながらふと視線を巡らせていると、不意に弐姫の姿が見えた。一瞬、壱姫かと思ったが、人間は浮いてなどいない。
「あいつ……」
気が付けば、そちらへ向かって小走りに向かっていた。後ろで楠木が何か言っていた気がしたが、耳に入ってこなかった。弐姫のことがそれだけ気掛かりだったようだ。無意識だったが、かなり気にしていたのだと後から振り返って気づくが、この時は知る由もなかった。
「おい、弐姫」
向かい合う狛犬の頭上で浮いている弐姫に声をかける。
「来てるなら早く――」
言ってくれ。
そう言おうとして、俺は言葉を止めた。
投げかけた声に反応してこちらを見下ろした弐姫の顔が、あまりにも虚ろだったからだ。澪の名前を聞いた時と同じ無表情に近い、笑顔じゃない弐姫だった。ただ、例の竹箒を大事そうに抱えているのが少し違ったが。
疲れたから寝るといって姿を消したが、実際はどうだったのか。まったく変わらない状況を鑑みると、あのまま彷徨っていた可能性があるように思えた。けれど、今ここにいるのはどういうことなのか。
俺を起点にワープして来れるようなことを言っていたので、車から離れた後、虚ろに徘徊してから飛んできたのだろうか。それにしては、様子がおかしい。いつもの調子に戻っているならその仮説も成り立ちそうだが、抜け殻のような今の状態では何かが腑に落ちない。
ともあれ、このまま放っておけないということは確かだった。
何か正気に戻す方法はないだろうか。
今の状態が、正気じゃないと表現するのも正しいのかは分からないが、とにかくあまりよろしくない気がした。素人考えの浅はかな判断だとしても、比較参照する事例もない状況だ。自分の勘を信じるしかない。
俺は少しジャンプして飛び上がると、弐姫が握りしめている竹箒を奪い取った。
「あっ……」
短く声を上げて、弐姫が改めて俺を見た。その瞳に次第に光が宿るのを感じた。どうやら、何か効果があったようだ。
「あれ……?あきるくん?」
若干弱った感じの声だが、いつもの弐姫が戻ってきたように感じる。
「おぅ。ここがどこだか分ってるか?」
「はぇ?」
「呆けてんじゃねぇ。周りをよく見ろ」
「むむむっ……って、あれ?ククとムムじゃん?」
「くくとむむ?」
ようやく自分を取り戻したような弐姫だが、いきなり訳の分からない単語を発してきた。
「そうそう、この子たち……んー、ここってあれ?わたしどうして……むむむ?ねーねー、あきるくん、ここ、どこ?神社?」
周囲を見渡して、やっと自分が神社にいることに気づいたようだ。
「だから、今日はお前が住んでた場所かもしれない神社に行くって言っただろ?無意識にここまで来たのかよ」
「おー、そういえばそんな話だったよーなー?ん、でも、なんで急に?わたし、車にいたような?」
「記憶がないのか?」
「うみゃ?って、それはないよー、もともとないもんねー、えっへん!」
「いや、えっへんとか、そうじゃなくてだな……」
記憶喪失者にこの表現はややこしいと今更気づく。だが、調子はやはり戻ってきたようだ。まったく威張る意味が分からないところなど、いつもの天然の弐姫に間違いない。竹箒は手放しておく。
「とにかく、ここが高坂神社。み……お前の姉妹が住んでた場所だ」
澪の名前を出しかけて、咄嗟に引っ込める。まだ、与える影響度が分からない以上、刺激しない方が良い気がした。あるいは、弐姫自身がその本人かもしれないわけだが、それを含めてもデリケートな扱いになることは間違いない。
「あー、そうだった、そうだった。ここかー、なるほどねー」
きょろきょろと弐姫は辺りを改めて確認する。
「何か見覚えはあるか?」
「むー、そうだねー、あるよーな、ないよーなー?」
いつもの惚けた答えが返ってきたが、周囲を見つめるその表情はどこかいつもと違うようにも思えた。
何か思い出しているのだろうか。
それを隠そうとしている?
弐姫が俺を騙しているという例の疑心が頭をもたげるが、すぐにその邪推を振り払う。一度、信じると決めたのだからここでまた迷っては元の木阿弥だ。人間の意志とは本当に弱く脆い。かといって、たやすくダークサイドに落ちるわけにはいかない。
ごまかすように茶化す。
「そりゃ、つまりどっちだよ?あったけどないのか、ないけどあったのか?」
「はにゃ?それってどう違うの?」
「知らん」
「なに、それー!変なあきるくんだなー」
お前の方が変だったんだ、と思わずにはいられなかったが、そこで不意に楠木から声がかかった。
「秋留さん、そこで何をしているんですか?」
そちらを振り向くと、いつのまにか壱姫と合流した眼鏡探偵と高坂夫妻がそこにいた。俺が弐姫とよく分からないやり取りをしている間に、あちらも挨拶を済ませたようだった。
「ああ、弐姫が来ててな……」
「なるほど。もう、彼女は平気なのですか?」
動揺して消えたことを言っているのだろう。俺は言葉に出さずに頷く。実際、平気かどうかは分からなかったが、少なくとも平常運転に戻りつつあることは確かだ。
「それで、記憶の方に何か変化はありましたか?」
「いや、それがいまいちはっきりしないんだよな。けど、一つだけ何か変なことを口走ってたんだ」
「変なこと?」
俺は楠木に答えずに、高坂夫妻に向き直る。
「すみません、くくとるる……いや、何か違うな。くくとむむ、かな?その言葉に何か聞き覚えはあります?」
「ククとムム……!?」
明らかに何か思い当たることがある反応だった。夫人が驚いて、両手で口を押えている。分かりやすいリアクションだった。
「いったい、どこでその名前を知ったんでしょうか?」
吾郎の方も、心なしか目を見開いて俺に奇妙な視線を送ってくる。
「名前?いや、今そこにさっき説明した弐姫がいて、そんな言葉を口にしたもんで……」
「……残念ながら、私どもには何も見えませんが……もしも本当にククとムムのことを知っていたとしても、それは少しおかしいのです」
「おかしい?」
「はい。その、ククとムムについて、その弐姫さんは何と説明していましたか?」
「いや、説明みたいなのはなかったんで、こちらから聞いたんですが……ああ、でも、確か『この子たち』って言ってたか」
俺は振り返って弐姫に尋ねる。
「なぁ、くくとむむとやらについて何か思い出せるか?お前がさっき――」
そこで俺は続く言葉を失った。
弐姫が泣いていたからだ。
いつもの笑顔を浮かべてはいたが、その瞳からは確かに涙が一筋、いや両目からなので二筋か、頬を伝っていた。視線は高坂夫妻に固定されている。彼らを見て泣いているのだろうか。
「お前、どうした……?」
「ふぇ?何がどうしたの、あきるくん?」
「いや、お前、泣いてるぞ?」
「えっ……?」
言われて初めて気付いたのか、弐姫は自分の頬に手をやって驚いた声を上げる。
「わっ!?泣いてる?わたし、泣けるの?でも、あきるくん、どうしてわたし、泣いてるの?」
「それを俺に聞くなよ……」
そんなやり取りをしていれば泣き止みそうなものだが、弐姫の涙は止まらなかった。ぽろぽろとその瞳から涙があふれている。しかし、その表情はいつもの笑顔であり、異様な光景だった。泣き笑いという表現があるように泣きながら笑っているのならば分かるが、今のこれはそういうものではなく、笑顔の仮面から涙がこぼれているような、そんな奇妙な印象を抱いた。
「あの、秋留さん。高坂さんたちもお時間がもうないので、質問の件についてはどうでしょうか?」
楠木が遠慮がちに口を挟んでくる。弐姫に何か変化があることは気づいているのだろうが、これ以上高坂夫妻を引き留めてもいられないといったところで、板挟みになっているようだ。
他人に迷惑はかけないをモットーとしている以上、俺もそんな楠木の思いやりを無下にするわけにもいかない。
「ああ、すまない。弐姫、悪いが、時間がない。とりあえず、くくとむむ――」
「ごめん、あきるくん。わたしちょっと、ダメかも……またね」
食い気味に弐姫がこちらを遮って、また消えていこうとしていた。何がダメなのかよく分からないが、色々と不安定なことは察せられる。引き留められる状況じゃなかった。とはいえ、最後にこれだけはもう一度確認したかったので、ダメ元でもう一度尋ねてみる。
「分かった。けど、できるならくくとむむについて何か――」
「あの子たち」
弐姫は短くそう告げて狛犬を指さし、今度こそその場から消え去った。相変わらず一瞬の出来事で、未だに目の前にしても信じがたい現象だった。果たして、弐姫は何を思って逃げるように姿を消したのか。なぜ、泣いていたのか。
考えるべきことは多かったが、今はひとつに集中する。マルチタスクは得意じゃない。できることを一つずつ。
だからこそ、くくとむむとやらに的を絞り、ようやく少し理解が追い付いた。ククとムム。そう変換する。あの子たちという言い方、高坂夫妻が口にした名前というヒント。狛犬を指示したこと。
これらをつなげれば、それが狛犬の名前だというのは明白だ。この神社の狛犬は典型的な配置で、2匹が向かい合っている。
「秋留さん?」
楠木の声で我に返り、俺は踵を返してそちらに向き直る。そして、高坂夫妻に向かって告げた。
「ククとムムというのは、あの狛犬の名前ですか?」
「ーーーー!?」
当たりらしい。夫妻は揃って、なぜ分かったのですか、という視線で問いかけてくる。
「弐姫が、そう示したので……」
「しかし、その名前は澪が……澪だけがあれらに付けてそう呼んでいただけです。私ども以外、他の誰にも話しているとは思えません」
「ええ、ええ。そうです。澪は私たちにさえ、そのことを教えてはくれませんでした。たまたま、そう無邪気に呼びかけながら掃除していたのを聞きかじって、私たちもそういうことだと知っただけなのです。それをなぜ、その霊魂が――」
夫妻は興奮したような、混乱したような複雑な面持ちで疑問を投げかけていた。
一方で、俺と楠木は一つの可能性を思い浮かべていた。
弐姫はやはり澪なのではないかと。
けれど、現時点でその憶測を高坂夫妻を前に口に出すことなどできなかった。
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