3-6
「くはー、なんか疲れたわー!でも、かなり今日で前進したんじゃね?マルミヤ手応えありまくりーって感じ?」
助手席で思い切り伸びをしながら、花巻が興奮した声で振り返った。
「あきるパイセンもそう思うっしょ、どうよどうよ?」
「確かにかなりの進展があったな。というか、まだ理解が追い付ていない部分も結構ある」
「だやねー。つーか、クスクス色々抱え込みすぎ、あんま一気に情報出されても、こっちも扱いに困るっつーの」
概ね同意するが、楠木の考え方も理解できるので何とも言えない。確証がないことはできるだけ口にしないスタンスは、慎重派としては正しい。一長一短だろう。
「んでさ、気になったんだけど、壱姫っちのばーちゃん、なんで姿を消したんだろ?手記とやらを残してくれたのは有難いけどさ、自分からしゃべってくれた方がオペラ助かるわけじゃん?」
「……その質問、あの場で言わなくて正解だったな。楠木の笑顔がドアップになってたところだぜ」
その真面目探偵は現在、まだ葉上家にいる。途中で言及していた米沢の情報などを渡しているのだろう。俺たち二人だけ先にお暇して、車へと戻ってきた状況だ。
「うげっ!やっぱなんかヤベーことになってるんかな?」
どことなく察してはいたようだ。だからこそ、一応空気を読んでいま質問してきているのかもしれない。
「手記がどういうカタチで終わっているのか正確には分からないが、今現在のタイムラインまでなかったってことは、書き手である志穂に何か異常が起きたと見るのが妥当な線だろうな。しかも、介護が必要そうな米沢のそばを離れているってことは、自身もかなり余裕がないと見て間違いない」
「あー……それって、もう……死んでるかもってこと?」
花巻もその可能性に思い至ったようだ。先ほどまでの浮かれた表情が引っ込んで、神妙な顔つきになっている。空気はあまり読まない時が多いが、決して無神経なわけじゃない。
「可能性は高いと思うが……何とも言えない。楠木も事実をつかんでいたらあの場ではっきりと言っていただろうから、真相はまだ不明なんじゃないか」
「そうかー、何だっけか、ああ、アレだ、アレ。『いつまでも、あるといいけどないってば、親とかね』ってやつ?」
「ん、んむ……?」
何かが決定的に違った上に、最後のイントネーションでニュアンスが変わっているような気がしたが、今は深く考えないでおく。それよりも考えなければならないことが沢山ある。
志穂に関しては不幸があったのだとしたら残念には思うが、直接的に知らない人間にあまり同情していてもしょうがない。冷たい人間だと言われようが、聖人君子でないのだから間接的、直接的関係者との間で取捨選択は必然的に生じる。時間は有限だ。優先順位を間違いたくはなかった。
「それよりもお前、病院のカルテとかもハッキングできるのか?」
「ういー、超余裕っとまでは言えないけど、まぁ、一般的な病院ならイケるっしょ」
「一般的?」
「ああ、ほら、大学病院とかだとさ、結構重症患者とかいる関係で、最先端医療とやらの貴重な治療ケースとか扱ってたりで、セキュリティ的に普通んとこより厳しいってゆーか、まぁ、そんな感じ?」
「なるほど、そういうもんなのか」
一般の病院と大学病院の違いなど気にしたことがなかった。特段、重い病気を患ったことがないということで、誇るべきなのか否か。考えてみれば、今や病院での記録もデータ化されて電子ファイルで見られる時代だ。医療記録などまさしく個人情報の宝庫とも言える。技術があればそれを自宅からでも覗き見可能だという状況は、便利であると同時に怖いと改めて思う。
例えば知り合いが隠しているかもしれない、不治の病の状況なども知ることができるということだ。まぁ、一般人ではそんな高度なハッキング技術は学べないので、気にしてもしょうがない話ではあるだろうが。
「……壱姫っちの両親、泣いてたよね……」
不意に花巻が神妙な声で呟いた。思い出しているのか、少し遠い目をしている。
それは美羽たちが三人目の子供について言及したときのことだ。会ったことがあるかもしれないと告白した二人は、辛そうにその内容を語ってくれた。
ある日、親子三人で遠出して遊園地に行った際、はしゃぎすぎたのか、壱姫が帰る間際に急に激しいせきをして倒れそうになったという。只ならぬ様子に慌てて近くの病院に搬送してもらったところ、急性気管支炎、いわゆる風邪が悪化した状況だということで、容体が落ち着くまで病室で安静にしていた。幸い、よくあるウイルス感染によるものだったらしく、すぐに体調を取り戻せたので帰ろうとしたところ、美羽たちは娘にそっくりな子供を病院内で見かけたという。
あまりに似ていたので壱姫が病室を抜け出してきたのかとも思ったが、明らかに服が違っていた。表情もどこか虚ろで影があった。思わず見入ってしまっていると、その後ろから看護師がやってきてすぐに連れていかれてしまった。
二人は今見た光景が現実なのかどうか分からなかったほど、ショックを受けたという。もうすでに亡くなっていた弐姫のことを思い出したのだ。あるいは死んでいたというのは誤りで、実はまだ生きていたのかもしれない。
そんな妄想まで思い浮かんだが、墓参りまでして確認していたので、死んだという事実は揺るぎないものだった。他人の空似か、潜在意識の罪悪感、あるいは願望が見せた幻だったと思い込むことにしたという。
「あの時期は、丁度家を買ったところで、もう何にも煩わされないだろうと気持ちの区切りをつけた頃でした。その場で、どういった子供なのか確認するのが怖かったんです。正直、余計なものを背負い込みたくない、そんな後ろ向きな気持ちがあったのは確かです」
敏夫は当時をそう振り返って、だからこそ美羽にも、それ以上何も考えず忘れることにしようと、それ以降病院で見た子供のことを話すことを禁じたと言う。
「わたしも同じような気持ちでした。どうにか過去と決別して、新しい気持ちでスタートを切ろうとしていた矢先だったので……似ている子がいただけだと、そう言い聞かせることで逃げていたのかもしれません。いえ、目を背けていたんです。もし、あの子が弐姫だったとしたら、と考え、その先に待つであろう困難さを秤にかけ、なかったことにしようと……」
二人は結局、その子が何者であるのか確認することを恐れ、忘れることにした。共にそのことについて触れることはなかったが、今日までずっと罪悪感は感じていたということだ。
知ってしまえば、何かしら行動が必要になる。知らなければ、知らなかったからという言い訳が自分にできる。人が持つ自己保身のための、半ば本能的な精神の防衛手段だ。いつでもどこでも、清く正しく生きられるほど人は強くはない。見て見ぬ振りをして、自分を守ることを誰が責められようか。
だが、因果応報という巡り合わせはたまにやってくる。運命なんて信じないが、なるべくしてなる流れは時々起こり得る。
二人が見なかったことにしたその子供が、我が子かもしれないとなれば、二度も目を背けるわけにはいかない。
その病院を調べれば、その子供が三人目かどうか判明する。同時期にいた同じ年齢の子供で、楠木の話から火傷を負っている者を探し、該当者がいたのなら、その名前が分かるということだ。
葉上夫婦が見かけた壱姫そっくりの子供が、幻ではないことの証明にもなる。
人の名前など記号の一つだと思っていたが、人探しにおいては何よりも重要であることがこれまでの経験で分かった。三つ子説が正しいのなら、そこでまた大きく進展するに違いない。
「どういう気持ちなんだろうな、自分たちの子供がもう一人いたなんてことを知るってのは……」
「まぁ、複雑だやね。つっても、子供持ったことないし、いくらあたしが考えても分かるわけもねーけどさー」
それは子供のことに限らず、あらゆることに通じる。他人の心情など、分かった気にはなれても、本当に理解などできはしないものだ。
それはそれとして、ここにきて弐姫に関する推論が入り乱れてきたので、一度整理する必要があった。思えばすべて楠木発信なのだが、言うだけ言って気づくと別のものにすり替わっていたりするので、正直最新のものを追うだけで精一杯なところがあった。
初めは何だったか、そう、弐姫=壱姫説だ。ちょわからの参考資料とオカルト的アプローチによって、壱姫の分離体のような存在だという推理だったが、その分離の原因と成り得る過去の事件を調べるようなことを言っていたが、未だに聞かされていない。おそらくは調べてもなかったのだろうと思われる。
つまり、その時点でこの説は亡き者にされていた。俺が知らない間に。これは、報告義務違反なのでは?
……いや、一推論に対する結果報告の義務はないのか。推理が破綻した時点で、それは事実ではなく単なる思考の一つであるから、消去法で消された一項目に過ぎない。細々とそんなものを報告する謂れもないか。
ともあれ、いつのまにか弐姫=壱姫説は立ち消え、御園家の情報から今度は壱姫と弐姫、双子説が浮上する。
説というか、これはもう確定事項なわけだが、弐期は美羽の娘だったことは確かで、やっと素性が分かったと思ったのもつかの間、その弐姫は幼少期に既に死んでいるという。急転直下すぎる。溺れている状態でロープが不意に降ってきて、必死につかまって助かったと思ったら、そのロープが実はどこにも結ばれていなかったという肩透かし具合だ。
しかも、その落胆すらまともに味わっている暇もなく、今度は三つ子説が打ち上がって来た。楠木の頭の中はどうなっているのか、初めからこれこそが本命で、双子説はその前提か何かだったのだろうか。探偵がつかんでいた事前情報とその時期が分からないので、どういう経緯で推理がなされたのかは不明だが、裏付けをとっていることからして、常に念頭に置いてあったことは確かだろう。
……あれ、要するにどこかのタイミングで壱姫=弐姫説が捨て去られていたことは確かで、そのことが俺に伝わっていないことはやっぱり問題なんじゃ?そのあと、双子あるいは三つ子説が伏せられていたにせよ、その期間は俺は無駄に壱姫=弐姫説を考えることはなかったはずだ。
ふむ、これは眼鏡探偵に異議ありと、苦言を呈するべきことだろうか。いや、けれど、費用負担とか色々と破格のサービスを受けている身でもあることを考慮すると、それくらいのことは許容すべきことのような気もする。だいたい、俺自身の考察というかアイデアというか推論は、すべて楠木の推理に依って立つどころか、負んぶに抱っこ状態の身だ。文句を言うのも筋違いか。
とはいえ、その推理に振り回されているのも事実だ。いや、それは自業自得か。
うーむ、考えがまとまらなくて面倒になってきた。無性に炭酸が飲みたい。
そうして各々、物思いに耽っていると楠木が車へと戻ってきた。
「すみません、お待たせしました」
運転席に滑り込んでくると、バックシートの俺を振り返る。
「秋留さん、まだお時間は大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。今後の話か?」
「はい。今回の依頼について、契約を少し変更というか、再契約する必要が出てきまして……」
「再契約?」
「はい。実はさきほどまで葉上夫妻とその話をしていまして、結論から言ってしまうと弐姫さん探しの依頼主を、あなたと葉上夫妻の三人での共同依頼という形で取りまとめる必要があるんです」
「共同依頼?」
「後ほど詳しくお話しますが、正直ちょっと調査費で足が出てきていまして、ご相談しようとは思っていたんです。それで、葉上夫妻としても今回の探し人が我が子の可能性が限りなく高いということで、当然無関係ではいられないと。別途調査を頼まれたのですが、それならばと、先ほどいった共同依頼という形式でどうかと持ち掛けたというわけです」
一気に楠木が説明し出す。
「半分、ウチの事情でもあるんですが、同じ調査を別々の依頼主からの契約でするのはアレですし、まとめた方が税金対策等いろいろと都合がいいということもありまして、ご協力頂ければと。もちろん、秋留さんにもメリットはあって、ここからの費用はほぼ葉上夫妻が負担すると仰っておられています。現在分も遡って支払ってもいいとも言っていますが、その辺りはそちらで話し合うべきことなので保留にしていますが……まぁ、とにかくそういうわけで、双方にとって一番いい形になるかと思います」
「なるほど……」
費用がかからなくなるというのは非常に有難い。金に糸目はつけぬ、とか言えるほど裕福な身ではない。聞いている限り、既に調査費で予想以上の赤字が出ていることは想像に難くないので、こちらも心苦しかったところだ。葉上夫妻に押し付けるようで悪いが、部外者としてはここまででも十分という気持ちが自分の中にないわけじゃなかった。
未だ自分との関係性も見えないので、果たして部外者なのかどうかは定かではないのだが、確信がないまま走り続けられるかというと微妙な所でもあるので、今回の話は渡りに船だった。
「ちゃっかり営業トークしてきたってこと?やるじゃん、クソマジメガネ!」
「ふむ。君には少しきついお説教が必要なようですね」
楠木が眼鏡のフレームをくいっと直して、口角を上げる。この探偵、前に思った通り、実は少しサド要素があるのかもしれない。ちょっと怖い。
「のーのー、ジョークだし、ジョーク。そんなのっぺら笑顔するなしー」
「まったく……とりあえず、一度事務所に戻ります。君は最寄りの駅まででいいね?」
「んにゃんにゃ、事務所で速攻、検索検索ぅっしょ?期限あるんだから、後回しとか悠長なこといってられないじゃん」
「そうはいっても、君の本分は学業です。この件では既にオーバーワーク気味でもありますし……」
「だいじょびだいじょび、明日、ウチのガッコ、そーりつ記念日だから」
「すぐにバレる嘘はやめなさい。四か月前に、同じことを言ってましたよ」
「うそん?いやいや、嘘じゃないし?アレだ、ウチは特別に2回あっから」
あってたまるか、と思わずツッコミを入れそうになるほど、流れるように花巻は言い訳を続けていた。冷静に切り返されても、即座に次が出てくる当意即妙さは感心する。それだけこの件に力を入れてくれていることは有難いが、楠木の言い分ももっともなので下手に口を出せないでいると、急に話を振られる。
「ねー、あきるパイセンもそう思うっしょ?」
すまん、途中から聞いていなかった、とは言えず、曖昧に頷いておく。適当な相槌やそれっぽい仕草ならお手の物だ。基本、興味がないときは話を聞き流しているクセで、急な対応でも自然に体が反応する。あまり誇れる特技ではないことは重々知っているが、あって困るものでもない。
「ふぅ、しょうがありませんね……確かに時間は惜しいので、今夜は特別ですよ。一応、ご両親に許可を取ってください。必要なら僕の方からも説明します」
楠木の方が折れたようだ。それだけ、眼鏡探偵も結果が早く欲しいのだろう。
「それで、秋留さん。先ほどの続きですが、共同依頼にする以上、弐姫さんについて隠し通すのは難しいと思いますが、大丈夫でしょうか?」
確かにその問題があった。
「というか、ほぼ弐姫の両親で確定なわけだよな……記憶取り戻すきっかけになるんじゃねーかな」
「そうだよっ!いつまでもゴースト彼女、蚊帳の外じゃかわいそうじゃん?」
「……どうでしょうか。何にせよ、色々リスクはあるので正直、僕自身も迷っているところではあるんですけれど……」
「弐姫が死んでた場合の話だよな?今度は親御さんにもでかいショックになるわけだ。もともと、死人から依頼受けましたっていう時点でもう、説明しづらい上に過酷な現実突きつけるハメになるわけだが……」
「あっ、それそれっ!ずっと気になってたんだけど、弐姫って子は子供のころに死んじゃったって言ってたよね?どーゆうことなん?辻褄合わなくね?」
ずっと気になったわりには、今思い出した感が凄い。まぁ、衝撃の事実っぽい推論が色々出過ぎて、ごちゃごちゃになっていたのは想像に難くない。
「その辺りも含めて、どちらにせよ一度整理をする必要があります。何かお腹に入れてから、事務所で続きをしましょうか」
「りょりょりょ。腹が減っては戦はキャントドゥ。あたし、寿司がいいな。回ってないやつ」
「奢ってくれるのですか?有難くご相伴に預からせて頂きます」
「ちょまっ!?年下に奢らせるとか、何いってくれちゃってんの、この鬼畜眼鏡」
事態が進展したこともあり、どこか騒がしい二人のやり取りを聞きながら、俺は弐姫へのこれからの対応に悩むことになった。
何でもかんでも素直に話した方が楽ではあるが、影響を考えなくてはいけない。
何とも面倒だ。
けれど、面倒ではあるが、何にもできないよりはマシか。
今夜はまだ終わりそうになかった。
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