2-3
連絡をただ待っているだけというのも能がない。
どうせ携帯に電話が来るので、部屋で待っている必要もない。主力は他力本願であっても、こっちでできることはやっておくべきだ。
一通り、俺の行動範囲は辿ってみてはいたが、少し遠出した先はまだだったので、足を伸ばしてみた。頻繁に出入りはしないが、たまに足が向いた先、あるいは気まぐれに出かけた場所などを再び訪れようという企みだ。
俺と弐姫の接点が分かれば、事態は進展するに違いない。そんな淡い期待を抱いて歩き回ってみたものの、結果は見事に空振りに終わった。
「んー、あっちって何があるの?」
弐姫が興味を示したのは、そんなあいまいな疑問を呈した一ヵ所だけだった。
その場所は日頃の運動不足解消のためと、よく分からないテンションとノリで一人ハイキングを決行した狂気の日曜日に訪れた山だった。山登りを趣味とする人間の気が知れないと常々思っている超絶インドア派の人間が、何をとち狂ってそんな場所に行ったのか今でもよく思い出せない。潜在的なストレスが溜まっていて、爆発したのだろうか。
ともあれ、そんな気まぐれで訪れた電車で2時間ほどの距離のある、地元小学生の遠足で御用達になるようなお手軽な山だった。そういう触れ込みであったのに、実際は想像以上にちゃんとした山で、軽いハイキング気分で行ったもやしっ子は打ちのめされることになる。
登山用にトレッキングシューズを新調して履いていったものの、逆に履き慣れていないせいで余計な負担となり、緩やかとはいえ坂道の連続は運動不足の不健康体の俺には厳しく、小休止の連続で後悔しまくりの山登りとなった。
そんな苦い思い出しかない山から、弐姫が指さした方向には違う山があった。
「さぁ、俺も知らないが、何かそっちに気になるものがあるのか?」
「んー、分からないけど、ちょっと引っかかる感じかな?」
気にはなったが、現在位置の山じゃないなら俺には分からなかった。というか、結局その山自体は関係なかったようでとんだ無駄足だった。山だけではなく、今の今まで弐姫の記憶に関係しそうな場所がまったく不明なのは少しこたえた。面倒臭がりな俺にしては、かなり歩き回ったからだ。
何かしら兆しのようなものがあれば、モチベーション的な意味でも報われて甲斐があったというものだが、一向にその片鱗さえ見えない。
そもそも、弐姫の記憶に紐づく場所や人に触れられれば記憶が戻るというその方法に関しても、可能性があるというだけで確定事項じゃない。実際はそうしたスポットにいたが、反応しなかった可能性もあるんじゃないだろうか。
そういったネガティブな思考が、この頃は頭をよぎることが多かった。
疑いだせばキリがないと分かってはいたが、何の進展もない状況が負のスパイラル状態で押し迫っていた。
だからだろうか。
焦燥とどうにもならない苛立ちから、最終手段だと花巻に言っていたそれを自ら持ち出してしまっていた。つまり、例のペット枕方法で、弐姫の思い出の品を引っ張り出す作戦だ。
何の成果もない状況に焦れて、俺は軽々しくその可能性に賭けてしまった。もっとも、実際には愚痴に近いかたちで、やってみたらいいというようなことを我知らず、就寝前の寝言のように口走っていただけなのだが、弐姫にとってそれは紛れもないゴーサインの証に見えたらしい。
翌日、目が覚めると得意顔の弐姫が枕元にいた。
「うおっ!?」
予期せぬサプライズに俺は飛び上がる。寝起きはかなりいい方で、すぐに行動に移れるくらい頭は一瞬でクリアになる。
だからといって、急に他人が枕元にいる状況に慣れるということはない。ましてや、ずっと独り身である俺だ。これが恋人やら配偶者がいる身の上なら同じベッドで寝ている状況にも動じることはないのだろうが、生憎とそんな人間じゃなかった。
「な、なにしてんだ、おまえ?」
「おはよう、あきるくん。起きるのを待っていたのだよ」
「……なぜに?」
「にっししし、よくぞ聞いてくれた!その言葉を聞きたいがためにずっと待っていたのでしたー、そして、じゃじゃーん!」
よくわからないテンションで満面の笑顔を浮かべ、弐姫がそれを誇らしげに掲げた。
天井に向かってそそり立つそれは、紛れもなく箒だった。
俺の部屋には似つかわしくない、丈夫そうな竹箒だ。よくは知らないが、確か外掃き用だったと思う。
というか、朝っぱらからどうして俺は、竹箒を嬉しそうに見せつけられているのだろうか。目覚めてすぐに頭が働くとはいっても、この難題はすぐに解ける自信がなかった。
むしろ、答えがすぐに分かる奴がいたら、間違いなくそいつは天才だ。名探偵賞をあげてもいい。
俺がひたすら疑問符を量産しているのが分かったのか、期待していたリアクションがなかったからなのか、弐姫のテンションが一気に下がったのが分かった。
その類の気配を察せられるくらいには、いい加減、こいつとの仲も深まってきていた。
「むむむー、あきるくん!ちょっとそこに座りなさい」
鋭くびしっと指をさされる。そんなジェスチャーを受けたのはいつ以来だろうか。思わずそこで体が動いて従う、というようなこともなく、俺は反駁する。
「いや、今の今まで寝ていたんだから俺は起きるぞ」
「ちょちょちょ!?そこは、素直に正座する流れでしょー?」
「なんで朝から訳も分からず正座せにゃならんのだ」
そう言いながら、すでに俺はベッドを降りて立ち上がっていた。
「ああん、もーもーもー!そうやってあきるくんはいつも、私の言うことを聞かないよねっ!?」
「こっちが聞く気になる話をしないお前が悪い」
俺は両手を伸ばして体を伸ばすと、カーテンを開けて陽の光を採り入れる。うむ、今日は晴れているようだ。雨だと全体的にどんよりして、昼間っから暗い感じになって好きじゃないので、明るく晴れているのはいいことだ。
「悪くないっ!とゆーか、他に言うことがあるでしょ!?」
今朝は天気をゆっくり確認する暇もないらしい。
まぁ、弐姫が憤慨して叫んでいるその意味するところは流石に分かる。分かりすぎるほどに自己主張している。そこは流石にもうスルーできないので、待ち望んでいる言葉をかけてやる。
「んで、その箒はどうしたんだ?」
弐姫の顔がぱあっと輝いた。誇張じゃなく、後光が射したように一気に笑顔が広がった。そんなに待ち焦がれていたのか。呆れるほど単純なやつだ。
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
聞くように仕向けられただけだが、と声に出しそうになったが、心の中でだけ注釈を入れるに留める。天真爛漫の相手に対して、今は野暮な真似はすまい。
「これこそ、わたしの記憶の手がかりなのですっ!」
ばばーんと自ら効果音を入れて弐姫が突きつけたのは、やはり例のあれだ。どこからどう見てもただの竹箒だ。危ないから振り回しそうな勢いで他人に向けないで頂きたい。
うん、そうか。それが要するにペット枕に次いで、具現化したものだというわけか。
思い出の品?潜在的な記憶のかけらの手がかり?
だが、何度でも言おう。
なぜに、箒なのか。
連想する概念というのはかなり高度な精神構造らしく、例えば最近はかなり優秀になったといわれるAI、いわゆる人工知能であっても、その再現性は難しいと言われている。
三角形というカタチから、人間、特に日本人であればおにぎりを連想できるが、同じことを機械であるAIに可能かといわれると、三角形という形状を示す言葉から、おにぎりという食べ物を結びつけるには、予め意図したタグ付けなどでおにぎりに三角形という情報を埋め込んでいなければ、絶対に引っ張り出せない関連性だ。
一方で、人は無意識化で記憶の引き出しからモノのかたち、性質、感覚などをまったく別のものと結びつけることができる。連想というものは、人間だけが可能な特有の高度な思考形態なわけだ。
と、急に何の話を振っているのかと問われそうだが、要するにその連想というやつを遺憾なく発揮する場面が今だということだ。まさしく人の独壇場。さぁ、君のターン、今がその時だって誰かが叫ぶシーン、そんな感じのタイミングだった。
うん、訂正。
だったはずなのだが、詰まっていた。
例の箒の話だ。
何の変哲もない竹箒だ。
だが、それは弐姫の思い出、記憶の一環として具現化されたものだ。いの一番にそれが出てきたからには、かなり根強い記憶のアイテムだと言えるだろう。
そこで、箒から連想するものと言えば?という問題提起が起こったわけだが、答えが見えない。さっぱり出てこない。
「うーん、やっぱり掃除だよね?わたし、かなりの掃除好きだったとか?」
「そりゃ掃除する道具だろうけどよ、記憶というかおまえの思い出につながるものと考えると、そういうことじゃないだろう、多分。その箒を使うような場所にいたとか、何か箒を持っていたときに強烈な思い出があったとか、そういうことだとは思うが……何か思い当たることはないのか」
「むむむ、それがないんだよねー、どういうことなんだろ?」
聞いているのは俺なわけだが。本人からのヒントがないと無理ゲー過ぎるわけだが。とはいえ、そんな状態は今に始まったことでもない。自力で考えるしかないことは分かっていた。天然娘に期待するフェーズはとっくに過去に置き去りにしてきている。
箒、竹箒。
掃除道具、主に屋外用。
寺とかで坊さんが使っているイメージや、庭でしゃしゃかしている絵面が出てくるのは某漫画のおじさんの影響か。俺自身、使ったことがあるかどうかで言うと、小中高とどこかの学校であったような、なかったような、そんな曖昧な記憶でしかない。
どこまでいっても、箒は箒だ。単なる掃除道具でしかない。
一般的にはおそらく、その程度の認識であるはずだ。
それが弐姫にとって違うというのであれば、やはり何か特殊な状況、あるいは環境に起因しているのではないだろうか。だが、箒に思い入れができるシチュエーションというのもなかなか思いつかない。
あれか、美化委員とかでこだわりの掃除道具だったとか。マイ箸や、マイスプーンのように、マイ箒があってもおかしくはない時代だ。いや、本当にないのか?何かズレている気がする。
「おまえ、奇麗好きか?ゴミを見ると思わず履いて集めたくなるとかあるか?」
「なぁに、それ?わたし、潔癖症とかじゃないよ?だいいち、あきるくんの部屋見ても、特に何も言ってないでしょ?」
「ん?それは暗に俺の部屋が汚いって言いたいのか?言っておくが、多少散らかって見えても、これらは個人的に調和がとれた機能美に溢れたポジション配置なんだぞ?例えばあの床に落ちているように思えるティッシュの箱も、実はどの位置からでも手が届く絶妙な場所で――」
「言ってない、言ってない。わたしは何も非難してないからね?勝手に被害妄想の言い訳はしなくていいんだよ、あきるくん」
「お、おぅ……」
やけに冷静に諭されて我に返る。昔から整理整頓に関しては、持論というか自分なりの審美眼を至上のものとして認めているので、他人のそれとは相容れないものと結論付けているのだが、大半の人間は、空間の清涼感や在るべき姿ともいうべき一定のオブジェクト配置が一般形式として定着していて、そこから外れると気持ち悪さを覚えるらしい。
だが、居住空間というものはそれぞれ個人の環境であって、他人がどうこう口出しするものではないと思う。もちろん、不潔であるとかゴミ屋敷のような極端なものは容認できないが、他人には乱雑に見えても、本人にとって利便性と快適感があるのなら、それはそれで正しいのだ。
そんな考え方を持っているため、自分の部屋について何か言われると、どうも過剰に反応してしまうクセがある。気をつけねば。
もっとも、俺の部屋はそれほど個性的に散らかっているわけではない。ただ、いつもぱっと置く小物や何かが、他人には適当に置いたような位置に見えるだけだ。俺にとってはそこが定位置でも、他人からすると半端に見えるという、それだけの話である。まぁ、その数が結構多いので煩雑に思われるのもいたしかたないわけだが、いや、今はそんなことはどうでもいい。
弐姫が掃除好きで、いつもマイ箒を持っていたということもどうやらなさそうだ。
となると、他に考えられるとすれば、使う側ではなく、実は作る側だとしたらどうだろうか。
箒は道具だ。道具というものは自然にできるわけじゃない。誰かが作っているわけだ。どんなものでも、製作者、作成者というものが存在するのが文明の利器だ。
「おまえ、実は箒職人だったのか?」
「ええっ!そうなの!?」
「いや、可能性としてどうだって話だ。俺は作り方とかよくわからんが、たとえばその竹箒、作ろうとしたらどうすればいいか分かるか?」
「んー、これを作るの?」
弐姫は竹箒をしげしげと眺めて、うーん、うーんとうなり始めた。
その反応からするに、これも外れらしい。
知っていれば、独りでに作り方が口から飛び出してくるかと淡い期待を抱いたのだが、そんなことはなかった。
箒、ホウキ、法規、放棄……ちりとり、チャンバラ、ゴミ、清掃車……
連想が段々と貧困になってゆく気がして、どうにも俺一人では限界を感じた。
ここはクソマジメガネ君に頼ろうとすっぱり思考を止める。あきらめではなく、戦略的撤退である。適材適所だ。見込みなく考えるのは、面倒で仕方ない。
「よし、あとでまた考えるべ」
「ほぇ?作り方は?」
まだ頑張って頭をひねっていたらしい。こいつはこいつで、あきらめることを知らないな。
「それより、まずは飯だ」
「ええっ、わたし、食べれないんだけどー??いつもずるいよ、あきるくん!」
「いや、ずるくはないだろうよ……」
空腹を覚えないのに、毎度食べようとするその根性もどうかと思う、そんな朝だった。
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