2-2
「じゃあ、今もゴースト彼女は枕抱えてるってこと?」
「ああ。正確には、抱えてるんじゃなく、勝手についてくるペットみたいに周囲を浮いている感じだが」
「うはっ、枕ペットとか、マジウケルんですけどー?」
花巻がぽてちをマジックハンドでつまみながら笑った。手が油で汚れないようにという、ニッチなニーズにこたえた玩具のようなマジックハンドだ。一時期噂になっていたので知っていたが、実際に使っている人間を初めて見た。絶妙な力加減でちゃんとぽてちをつまんでいるのは感心したが、一枚一枚その動作をするのは面倒そうだ。手元のスイッチを押してつかむだけとはいえ、生身の手なら二枚取りもささっと行える。俺には不向きなことには間違いない。
とはいえ、そのぽてちを俺に振舞う気はないらしく、完全に自分用の位置で囲い込んで食べていた。
のり塩系で別に欲しくはなかったからいいのだが、ワサビ系であれば是非ともシェアして欲しいところだった。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
今日は探偵事務所にて、珍しく楠木を待っている状況だった。
例の弐姫そっくりの女生徒――壱姫(いつき)と読むらしい――と直接話ができたらしく、その成果を聞けることになっている。
「んで、他の物は召喚してないの?思い出にまつわるものでーとか、バンバン出してきゃ、なんか当たりがあるんじゃね?」
皆、同じようなことを考えつくものらしい。
「まぁ、そう思うが、召喚もタダじゃないんでな。そんなバンバン出してたら、弐姫自身が削られて消滅する可能性がある」
「え”え”っ、何それっ!まさか、命削って出す系なの?気が付いたら自分半分なくなってたー、みたいな?鬼コワ、なにそのホラー」
どこから出した声なのか、あまり女子高生にはふさわしくない驚嘆の声で、花巻は顔を歪ませた。普段は強気な態度だが、実はホラーは苦手なのかもしれない。
「そんな分かりやすく消耗が見て取れる現象になるかは知らないが、対価なしで何かがぽっと出るはずもないからな」
「ああ、言われてみればそっか。なるなる、タダより安いものはないってヤツかー」
「それ、誤用というか間違っている言い回しだぞ。正しくは只より高い物はないだし、何よりこの場合には当てはまらない」
「うそん、マジでー?」
「つっても、言葉はナマモノとも言うわけで、発端はそれでもそれなりに普及していると、諺予備軍くらいには成立しちまう可能性もあるけどな。まぁ、どうであれ、意味合い的に間違っているのは確かだが」
「マジかー、マルミヤ凹むわー、結構使ってた気がすっからメガショックダブル系」
出たな、マルミヤ。そんな独自修飾語を使っているわりに、正しい言葉の意味は気にするようだ。
「でも、あと一個くらいなら問題ないんじゃないかなー?」
弐姫が他人事のように軽い調子で言う。万が一があったら、自分に降りかかってくることを分かっているのだろうか。強心臓の持ち主というか、メンタル強すぎだろう。慎重派な俺としては、できる限りリスクを冒してまでやりたくない。
「最終手段としては、ありかもな。けど、現段階じゃ愚策としか思えない」
「愚策……グサッ!」
くだらない駄洒落をかましながら、弐姫はその場で倒れこむ。何かに刺されて死んだフリらしい。相変わらず、緊張感のない能天気さだった。
「ゴースト彼女は何て?」
最近は花巻も、俺の唐突な独り言――実際は弐姫との会話だが――にも慣れてきて、自然なタイミングで会話を挟むようになっていた。若いだけに適応能力は高いというべきか、開き直ったというべきなのか判断に困るところではある。
「無駄にチャレンジ精神を発揮してたから、今はその時じゃないって話をしただけだ」
「ああ、捨て身覚悟アリアリかー。いいじゃん、いいじゃん、そのガッツ嫌いじゃないゼ」
花巻は宙に向かって親指を立ててサムズアップしてみせた。弐姫に向けたものだろうが、残念ながら明後日の方向だった。それでも気持ちは伝わるだろうから、敢えて指摘はしないでおく。
「ならば、そのガッツを君にも見せてもらう必要がありそうです」
そこでようやく、事務所に待ち人が現れた。まるで図ったようなタイミングで。実は、ドアの裏で待機していたんじゃないだろうか。
そんな疑惑さえ抱かせる絶妙な間で入ってきた楠木は、いつものスーツ姿ではなく、カーキのチノパンにグレイなピンストライプのシャツというカジュアルファッション、もといビジネスカジュアルだった。私服でもお堅いイメージはそのままで、生真面目さが滲み出ていた。もちろん、シャツはタックインだったが、押し込んだような野暮ったはなく、スッキリとしたシルエットになるように配慮されている。さすが、抜け目ない探偵だった。ファッションもそつがない。
「クスクス、おかー。成果は?」
「単刀直入なのは結構ですが、それ以前に、仮にも顧客の前で君は寛ぎすぎです。それに、自分だけお茶請けをつまんでいるようですが、肝心の秋留さんに何もお出ししてないのは感心しませんね」
「ああ、いや、それは俺が不要だと断っただけだから、気にしないでいい」
「ふむ、そうですか。ならば、その態度の改善のみが問題点ということですね」
「うはー、帰って早々、他人様にケチつけるとか、さすがクソマジメガネ、ぱねぇぱねぇー」
「ケチではなく、注意喚起です。あと、その呼び方はやめなさい」
「あいあい、御託はいいから、成果成果。あきるパイセンもずっと待ってたんだからさー」
「……まったく君は。とはいえ、後者の言い分は一理ありますね。秋留さん、お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」
「いや、別にそんなに待ってないから気にしなくていい」
折り目正しく丁寧に頭を下げる楠木の真面目さは、慣れてきたとはいえやはり感心してしまう。何がどうすれば、こんな真面目人間が生まれるのか。江崎が興味を持った理由も納得というものだ。
「さて、早速結果から報告させて頂きますが、現段階では弐姫さんと壱姫さんの関係は不明となります」
そして、実にさらりと楠木は結論を言い放った。
こっちが身構える暇もなく、潜在的な期待さえ見事に吹き飛ばしてくれたのだった。
元々、それほど期待はしていなかった。
いや、しないようにしていたというのが本音だ。
常に結果予想に関しては、成功を想定するのではなく、やや下方の成果を想定することによるリスクヘッジと精神保護のための予防策としている。人の感情とはおかしなもので、絶対的な基準より相対的な基準で上下する。例えば、100点満点の自己採点で80点だとしたら、そこから10マイナスして70くらいの想定にしておく。この場合、実際に答案が返却されて予想通りだった場合、80で想定していたときよりも、70で想定していた方が満足感が大きい。
実際の深層心理では80だと思っていたとしても、自己宣言的に70と明言しておくことで、予想よりも良かったという疑似的高揚感が生まれるからかもしれない。もちろん、これは個人差もあるので一般論ではないかもしれないが、俺自身にはよく当てはまる。
どんなささいなことでも、想定の期待値を上回った結果という事実が気分的に心地よく、逆に最初から低く見積もることで、予想外に期待値を下回ったときの予防策にもなるということである。
小心者の浅知恵ともいえるが、それで心の平穏度が上がるなら万々歳だろう。誰にも迷惑はかけない。
それでも、楠木の報告で気分が下がったのは、予想以上に期待していたことの表れに違いない。自分の期待をごまかしきれなかったわけだ。
そんな俺の落胆した様子に気づいたのか、楠木は詳細を丁寧に説明してくれた。
17歳の高校二年生。兄妹なしの一人っ子で、学業優秀、スポーツ万能に容姿端麗というなかなか恵まれた資質の持ち主だった。両親は共働きで裕福な家庭ではないが、一般的水準の生活は維持できている。親子仲も良好で、補導歴や悪い噂も特にない。
付き合っている異性はいないようだが、浮いた話がないわけではなく、告白は良くされており、それを断り続けているだけで人気はある。意中の相手がいるとの噂もあるが真偽は定かではない。
部活は剣道部で、全国大会常連の一人ではあるが、優勝候補とまではいかず、中堅ないしはその付近で安定した強さはあるが突出したものはないという評価らしい。その他、趣味はぬいぐるみ集めと水族館巡りと至って普通の女子高生だった。
ここまでは事前に楠木が調べた身辺調査で、一般的なものだ。
それらを踏まえた上で、弐姫に関して直接本人に聞いてみたところ、容姿がそっくりなことに写真を見て驚いてはいたが、それ以上の情報は何も出てこなかったという。幼いころに生き別れたとか、さる事情で別々に育てられた姉妹がいるだとか、その類の話も一切聞いたことがなく、完全に一人娘としての生活を送っていた。
では、従妹や親戚筋で似ている同年代の娘はいるかと尋ねても、両親はどうやら駆け落ち同然に故郷から飛び出してきているので、親戚という肩書の人間には今まで会ったことがないという。
その点に関しては少し特殊なようで、両親の過去に関しては今現在も調査中とのことだ。
いずれにせよ、壱姫は弐姫についてまったく心当たりがないということで、あっけなく手がかりの糸口が断ち切られてしまったことになる。
「そマ?こんなショルダースルーはありえなくね?」
「肩透かしと言われると確かにそうですが、少し気になることはあります」
「気になること?」
「はい。弐姫さんに関して、何も知らないとは言っていましたが、何か引っかかりを覚えている様子が見て取れました」
「んー?でもなんも知らないって言ったんしょ?それって嘘ついてるってこと?」
「いえ、嘘というわけではないでしょう。ただ、何か隠している、あるいは確証がないので言うのをためらっている何かがあるといった気配を感じました。事実、ずっと写真を見つめて思いつめたような表情をしていました」
「怪しさ爆発じゃん。問い詰めなかったん?」
「現段階ではまだこちらの信用度が足りません。藪蛇になる可能性が高かったので、もう少し外堀を埋めるような材料か、後押しする一手が必要ですね」
「ってことは、また会う約束があるわけ?」
「はい。壱姫さん本人も気になっている様子で、ご両親に確認してみるとも言ってくれました。それに最終手段としての、弐姫さんに直接確認してもらう機会を残しておかなくてもいけませんしね。まだここで終わりにするわけにはいきません」
色々と考えてくれているらしい。有難いことだ。現状、弐姫とのつながりは見えないが、可能性としての細い糸はまだどうにか残されているといったところだろうか。
「んーと、じゃあさ。とりま、葉上家調査って感じ系?」
「そうですね。ここまで似ている人物が、同時期にこの地域にいて、無関係という可能性はやはりかなり低いと思われます。何かまだ僕らが気づいていない関連性があるのだと思います」
「どうにもならなかったら、やっぱり最後は弐姫自身が直接その娘に触れてみるしかないな」
俺は上空でいつものように本棚を眺めている弐姫を見上げる。話は聞いているようだが、特に口をはさんでは来ない。無関心のようにも思えるが、できるだけこちらの邪魔をしないようにという配慮ともとれる。俺としか会話できないため、第三者がいる場合は乞われない限り、黙っているという暗黙の了解があるとはいえ、基本的に天然で絡んでくることが多いので、この沈黙は少し意味ありげにも思えた。
「つーかさ、一気にそれやればいいんじゃね?なんで最終手段とかなん?特にデメリットないっしょ?関係者に近づくと、記憶戻るパティーンなんしょ?やらない手はないじゃん?」
花巻が無邪気にその点を突いてきたので、俺と楠木は思わず顔を見合わせた。
実際のところ、デメリットはないように思えて、ある。
それは主に、弐姫のメンタル、精神的方面に作用するものなのでデリケートな問題といえる。その辺りの感情の機微を慮っての婉曲的回避だったのだが、花巻には伝わらなかったようだ。
未だ一介の女子高生に、大人の事情を気配で察しろというのも酷なので、これは責めるべきことではないし、そもそもそのための情報も与えていないので当然といえば当然ではあったのだが。
「その件については、今は少し様子見する理由があるのです」
楠木がすぐさま反応した。少しいつもとは違う口調だった。そのささいな変化が花巻に伝わったのか、あるいは互いの経験則からか、何かを悟ったようでそれ以上は追求してこなかった。肝心の弐姫はといえば、相変わらず天井近くまでありそうな巨大な本棚の上部を熱心に眺めている。
何か気になる本でもあるのだろうか、いつもその辺りを注視している気がするが、今はそれが有難い。
楠木が視線で問いかけてくるので、頷いて大丈夫だと伝える。
結局、その日も記憶の手がかりとなるものは見つからないまま、俺たちはまた待機して連絡を待つことになった。
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