1-2
人が死んだらどうなるのか。いわゆる、死後の世界について。
諸説あるが、たいていの人間は生前の行いによって、天国か地獄に振り分けられると思っているのではないだろうか。
閻魔大王だの、大天使だの、想像上の存在がこれだけ普及していることを考えると、全くのでたらめだと否定できる者はそう多くない。もっとも、俺自身はその少数派であまり信じていない類の側ではあった。
だからこそ、弐姫の話を聞いた時はなんとも言えない気持ちになった。
「つまり、死んでも地獄とか天国はないと?」
「うん、たぶん、そうなんじゃないかな」
自称、一度死んだかもしれない人間は随分と心許ない返事をしてきた。
自分の死亡確認という、訳の分からない依頼してきた少女は、一般的にあの世と呼ばれる場所で手続き不備による門前払いを食らってきたそうだ。
何でも、死んだら人間は役所のような場所のカウンターに並び、転生待ち状態になるらしい。受付だか審査だかの役人が、本人の生前活動をチェックして、次の転生種族を告げるといったシステムだそうだ。死後は魂となって天国や地獄のような異界に移り住むといったことはなく、輪廻転生の思想に近いようだ。キリスト教よりも、ヒンドゥー教や仏教の方が正しかったことになる。とか言いながら、上辺だけの知識しかないので本当のところはどうかは分からない。多分、そんな感じなんだろうという緩い判断だ。
転生待ちの行列はかなりの数があり、弐姫もその一つに並んで順番を待っていたが、途中で整理係がやってきて弾かれたという。曰く、本人の記憶喪失によって生前活動証明が確認できないからという理由らしい。
確かにその時点で、弐姫は自分に記憶がないことは分かっていた。自分の名前以外、何も思い出せなかった。死んだらそういう状態になるのかと漠然と思っていたがそうではなかったらしい。行列に並んでいる間、私語は厳禁とのお触れが出ていたので、誰かに何かを聞くこともできず――できたとしても、様々な人種が入り交じっていて日本語が通じるかどうか怪しいところだったらしいが――それが異常なことだと分からなかった。
では、どうすればいいのか。
当然、弐姫はそう尋ねたが、返ってきた返事はそっけないものだった。
「戻って、記憶を取り戻してきなさい。猶予期間は三ヶ月ほど。不可能だった場合は、転生できずに消去されます」
それだけ言って、整理係は立ち去った。まるで役所仕事の無味乾燥な対応だったという。
「マジでそれだけ?」
「うん、ひどいよねー。あれが噂の塩対応ってやつかな。死んでからの初体験なんて、運が良かったのか悪かったのか、判断に困るよねー」
相変わらずノリが軽すぎる。かなり大事なところをスルーされているような気がする。
「いやいや、それよりも具体的にどうやって記憶を取り戻すとかの説明は?」
「それがまったくないの。笑っちゃうでしょ?どうしろっていうのよねー」
同意を求められても困るし、まったく笑えない。こいつは脳天気すぎないか。普通はそこで反駁して、もっと聞き出したり何なりするだろう。少なくとも、俺なら黙って引き下がったりはしていない。
「ちょっと待ってくれ。それで、お前はノコノコと戻ってきたのか?何の対策もなしに?」
「ほえ?対策ってなーに?」
「いや、だから、記憶の取り戻し方を聞くとかよ。少なくとも、記憶喪失で弾かれたってことは、前例があったってことだろ。んでもって、取り戻したヤツもいたはずだろうから――」
「あっ、言われてみればそうだね。もっと聞いてみればよかったかぁ」
おうまいがーと、アレなジェスチャーで悔しがってはいるが、どうみてもおざなりだった。なぜにそんなにも他人事なのか。俺は頭が痛くなってきた。
「でもでも、アレだよ。一応、ガイド?っぽいのは付けてくれたんだ」
「ガイド?」
「うん。見たい、見たい?」
なぜか顔を輝かせて、弐姫がこっちに迫ってくる。新しいおもちゃを見せびらかしたい子供のようだった。
「何か役立つものならな」
「にっしっし。あきるくんもきっと驚くよー。それじゃあ、気張って登場だぁー。出でよ、ちょわちゃん!」
よく分からないポーズであらぬ方向に人差し指を向け、弐姫がそう叫ぶと、目の前にいきなりそれが現われた。
「んん?」
自分が目にしているものがよく分からず、目を凝らす。いや、認識はしているが、あまりに予想外だったために確認したという方が正しい。なんだか、パンツのときと同じ既視感があるが、本当にそうなのだから仕方がない。
部屋の中に見知らぬ布が飛んでいた。風に飛ばされて来たと言うこともあり得ない。ここは窓も開けていない密室だ。突然そこに現われたとしか言えなかった。
けれど、なぜに布?
何処をどう見ても、無地の白い布っきれだった。ハンカチだとかでもなく、装飾もなく生地に近い。ただ、浮いているという点だけが不可解な代物だ。重力の法則が効いていない。そのまま落ちたとしたら、どこからか舞いこんだと力技で納得できなくもないが、浮遊している時点でもうだめだ。常識が通じない存在であることを認めざるを得ない。
それを見つめながら、弐姫が得意げにふふんと胸を張っている。
「どーう、どーう?クリビツギョーテンでしょ?ちょわちゃん、めっちゃ可愛いでしょ?」
何を言っているのかよく分からない。
死語表現が飛び出してきたことよりも、ちょわちゃんとかいう呼称が気になるし、何よりこの無味乾燥な布を指して可愛いと言っているのだろうか。正気か?世代格差があるとはいえ、今の若者の感覚とはここまで隔たりがあるのだろうか。
そんなジェネレショーンギャップの恐怖を覚えていると、聞き慣れない声がどこからか降ってきた。
「それで何用だ?」
抑揚のないその声は、弐姫のものとは明らかに違ったが、その本体が見えない。
「相変わらずつれないなー、ちょわちゃんわ。ほら、挨拶挨拶、お助けマンのあきるくんだよー」
誰に向かって話しかけているのか、弐姫がそう言うと、布がひらひらと向きを変えた、ように見えた。どちらが前で後ろかも分からないので方向転換したというよりは、角度が変わっただけなのかもしれない。こんなにただの布をまじまじと観察したの初めてだ。俺は一体、何をしているのだろうか。
「お助けマンという役職は初耳だが、察するに協力者という認識で正しいか?」
またしても第三者の声が響く。
一体、どこから聞こえてくるのか。俺は辺りをきょろきょろと探してしまう。弐姫という非常識な存在を知ってしまった以上、その声の持ち主も重力に従っていない可能性があるため、天井などにも目を向ける。
「……首の体操でもしているのか?」
その問いかけは、明らかに俺に対するものだった。だが、やはり姿は見えない。
「ど、どこから話しかけてるんだ」
「ええっ!?あきるくん、目の前目の前。もしかしてど遠視?」
確かに視力はあまり良くないが、裸眼で運転免許は取れるくらいはある。
「ちげぇ。つーか、目の前って――」
布きれが浮いているだけだった。
「えっ、まさかこれか?」
「これが指し示しているものがそれのことであるなら正しい。それが今、そちらに問いかけている」
「ん??」
何やら指示語が多すぎて、意味が取りにくい。ただ、信じがたいことに布があの声の持ち主らしいことは分かった。どこから声を発しているのか、などとどうでもいいことが気になるわけだが。
「ふふふーん、ちょわちゃん、可愛いでしょ?」
「お前は眼科に行った方が良い。死んで視力がおかしくなったのか?あるいは稀少な布フェチか?まっさらな生地に興奮するニュータイプなのか?」
「ほぇ?何言ってるの、あきるくん?ちょわちゃんは、ちょろちょろ動いてて、こんなにふわふわな不思議生物なんだよ?うさぎみたいな、たぬきみたいな?布とかって何の話?」
ちょこんと首をかしげられても、こっちも困る。どうにも話が噛み合っていないように思えた。
同じものを見ているはずだが、違うのか。この布は逆立ちしても、うさぎやたぬきには到底見えない。
「話が進まないので、それが説明する。それの見方は個人の主観に基づく。ゆえに、お助けマンたちの視点ではそれぞれ別物だと考えられる」
「えー、そうなの!?じゃあ、じゃあ、あきるくんには布に見えてるってこと?」
「ああ、紛う事なきハンカチサイズの布っきれだ。それが浮いてて、しゃべってると考えるとシュール過ぎる絵面だな」
「お助けマンの視点はそれの本来のマテリアルに近い。一切の先入観や情報がないため、正確に捉えられているのかもしれない」
「そのお助けマンはやめてくれ。据わりが悪くてむずむずする」
「そんなことり、ちょわちゃんのアイデンティティの危機だよ!?ちょろちょろふわふわしてなかったら、そんなのちょわちゃんじゃないじゃん!」
ちょわという奇妙なネーミングはかなり安直なものだったらしい。
「個々に関する呼称はそれには無関係だ。無益な外見に関する疑問が解けたのなら、何の目的でそれを呼び出したのか速やかな回答を求める」
お助けマンなる不本意な呼び方も放置したくはなかったが、今は優先すべきものがある。
「さっきガイドって言ってたよな?この布が転生云々に関して何か知ってるってことか?」
「うん、そうそう。不明な点は尋ねなさいって、呼び出せるようにしてくれたんだー」
おいおい、それはメチャメチャ重要な情報じゃねーか。なぜに先に言わない。ちょわちゃんなる謎な名前の前に、説明責任があるだろう。
そうツッコミたかったが、弐姫の性格もだんだん分かってきたので、無駄な問答はしないでおく。面倒は嫌いだが、相手が面倒な性格な人間だと把握しておけば、対処法も自ずと見えてくる。対象に改善を求められないのなら、自分で対応を変えるしかない。
「OK。この際、どういう仕組みだとか、存在だとかはもう気にしないことにする。それで、ちょわちゃんはお前の記憶に関して、何を知っているんだ?」
「なーんにも」
「はぁ?」
「だから、ちょわちゃんはわたしの記憶は全然知らないってば。関係ないもの」
当然のようにそう言われて、俺の頭痛はますます酷くなるばかりだった。
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