1-3
ペットボトルの炭酸を一気に飲み干して冷たさで喉をひりつかせると、俺は大きく息を吐いた。
いつもの見慣れた自室にいるはずだが、今現在、そこには奇妙な空飛ぶ布と幽霊のような何かがいた。常軌を逸している光景だ。波乱のない日々を送られれば満足という人間に、なんという罰ゲームを与えるのか。人生ままならないとはいっても、これはないだろう。
などと、愚痴っても目の前の現実はなくならない。俺はペットボトルを冷蔵庫に戻して、今日何度目かの覚悟を決めた。戦わなくては、このくそったれのリアルと。
「つまり、その布は転生に関してのガイドってことなんだな?」
自分を落ち着かせるために、水分補給と脳をクリアにする刺激で精神状態を取り戻したため、フラットな気持ちで再び弐姫に尋ねる。
「うん、たぶん、そんな感じ?」
「それの役割は厳密には違うが、その解釈も正解の一部を内包していると肯定する」
ちょわは、相変わらずふわふわと浮いていた。
俺と弐姫で見え方が違うのは、主観認識の違いによるもので、十人いれば十人とも違って見える存在だそうなので、深くは考えないことにする。なぜ、布なのかという点はかなり気にはなるが、今追求すべき問題じゃない。
あの後。
正確に言えば、トンチンカンな弐姫の応答の後、ちょわは自身の立ち位置を小難しい表現ながらも解説してくれた。弐姫の迂遠というか、的を射ないというか、進展のない説明にさじを投げたのではないかと思っている。
それによると、ちょわは生前活動証明を失効している仮転生体――死後の魂のような存在らしい――が、正しく活動証明を取り戻せるよう、案内する役割も持つアシスタント的な存在のようだ。含みを持った言い方をしているのは、それはあくまで業務の一環であって専門ではないということだ。他にも色々雑務を抱えており、まして弐姫専属でもなく必要に応じて対応するといったスタンスらしい。あの世でも仕事の世界は厳しいようで複雑な気分だ。
とにかく、呼び出したからといってすぐに対応できるわけではないし、あらゆる質問に答えられるものでもないといった注意事項があるという点が重要だと思われる。都合よく何でも教えてくれるものではないということだ。
「んで、個人的なこいつの記憶に関しては知らないと言うことは分かったけど、具体的にどうやって記憶を取り戻すかっていう方法的なもんは、前例とかから何かアドバイスできることがあるんじゃねーのか?」
「否。記憶喪失と言っても、個々に程度、重度、様々な要因が重なり合っているため、一般・総合的な解決方法は確立されていない。それが言えるのはただ、個々の縁の深い場所や人物、そういったものが記憶の手がかりとして何かしら効果をもたらす可能性を示唆するに留まる。ただし、L555-2473168263477には、部分的な記憶の残滓も少ないないため、端緒の捜索も困難であると推測される」
長ったらしい番号は、どうやら弐姫のユニークIDのようだ。つまり、転生体としての管理番号だ。ちょわ自身も正確にはそういう番号が割り当てられいるらしい。また、ちょわがいう『それ』とは自称であり、『僕』、『わたし』はといった主語表現だった。生命体ではあるが無機物に近いらしく、それという物質的な自称がふさわしいからという理由らしい。
肝心な要素よりどこか脇道に逸れた情報が多いのは、半分弐姫のせいだ。気になることがあるとすぐ口を挟み、ちょわも基本的には返答可能な質問には答えるスタイルなので、本筋から離れても質疑応答は続いたわけだ。というか、情報規制がないのだろうか。
「あー、じゃあ、言い方を変える。転生体、えっと、仮転生体だっけか。その状態で使えるスキルみたいなのは何かあるのか?たとえば、人間は宙に浮けないが、こいつは普通に飛んでるし、何て言うか、標準で人間とは違う能力になっていると思うんだが?」
ちょわは杓子定規な受け答えしかしないということが分かっていた。質問には答えるが、ほぼ直接的な返事のみで、相手の意図を察して気の利いた返事やサービスを返してくることはない。こちらで直球ど真ん中のストレートな疑問をぶつけるしかなかった。
「仮転生体と人間との差異は、現実の物質に干渉するか否かの点だけだ。宙に浮いているという現象は、現実世界のいかなるものにも触れられないゆえの結果であって、浮遊しているという主体的な行為ではない」
「んん?ってことは、特に何もないのか。たとえば、縁故の人物に触れると記憶が蘇るみたいな、ピンポイントな能力とか?」
そんな都合の良い能力があるとは思えなかったが、漫画やアニメの設定ならあり得るという可能性に賭けてみる。ご都合主義万歳だ。
「否。そもそも、お助けマンにL555-2473168263477が可視化されていることがイレギュラーだ。特例にあたる」
一秒で賭けは負けた。ギャンブルは俺には向いていない。だが、何か引き出せたようだ。
「そう、それだ。なんで俺だけに見えるんだ?その理由に心当たりは?特例ってことは前例があるわけだろ?」
「理由は不明。稀にそういう事例があるだけで、原因解明には至っていない」
一筋の光明は線香花火だったようだ。一吹きで消え去った。まったくもって使えない。だからといって、このまま引きが下がれはしない。
「すぐにあきらめんなよ。誰かその謎を解明しようって心意気のあるヤツとかいるだろ?お前らの組織というか、仲間というか、ある程度均一化されてる存在でも、個性はあるわけだろ?ちょわみたいに冷めてるヤツだけじゃないはずだ」
「個体差の相違には同意。一方で、それは熱を持たないと言う意味では常に冷めているのは正常だと判断する。どういう意味か?」
感情の機微には疎いようだ。さもありなん。
「あー、いや、今のは気にしないでくれ。それで、どうなんだ?ちょわの仕事仲間にそういう調査をしてる部署とか、人とかいないのか?」
「調査担当の妖精はいる。お助けマンの特殊性を鑑みて、資料がないか確認しておく」
「えっ、妖精?いま、ちょわちゃん、妖精って言った!?」
それまでしばらく黙っていた弐姫がもの凄い勢いで反応した。
「肯定する。しかし、この場合の妖精はそちらの概念に近しい単語の選択であって、厳密に意味する所は違うので留意されたし」
残念ながら、弐姫はもう聞いていなかった。
「ねっ!聞いた聞いた、あきるくん!?妖精だって!やっぱり、ちょわちゃんみたいな可愛い存在は妖精なんだよっ!」
何がどうやっぱりなのかさっぱり分からなかったが、弐姫が妖精好きらしいことは分かった。無駄に興奮している弐姫は放っておいて、俺は話を進める。生憎と布の妖精に興味はなかった。
「結局、お前の存在意義がよく分からんな。不備のあった仮転生体の補助的役割を担っているのかと思ったが、積極的に介入して修正する意思とかはあんまりなさげだし……」
「肯定する。能動的にそのような役割を果たす義務はない。仮転生体の不明事項に回答する機能を有しているに過ぎない」
もの凄く突き放された返答をされた気がする。あくまでレスポンスを返すだけの存在だということか。何かこう、こういうときのお約束で、説明キャラ兼次はなにをすべきか教えてくれるナビゲート役を是非ともやって欲しいポジションなはずなのに、この素っ気なさは何だろう。現実は厳しいとは分かっているが、今はそれを実感させるところじゃない気がするのは、俺の希望的観測なのだろうか。
「現時点での質問が以上ならそれは帰還する」
神は無慈悲だった。俺の願いも虚しく、ちょわは挨拶もなしに一瞬で消え去った。取り付く島もなかった。
残されたのは未だに妖精るんるんな緊張感のない弐姫だけだった。
「ていっ」
やり場のない腹立たしさを隠せずに、その脳天気な頭上に唐竹割りチョップを食らわす。
「はぅっ!?」
すり抜けるかと思いきや、なぜか俺の手は弐姫の頭を捉えていた。普通に触れるのか。感触はありきたりな人間の頭だったという感想だ。何を言っているのか、自分でも時々分からなくなる。
「ななな、何すんのよー!?」
「いや、すまん。ついかっとなってやった。反省はしていない気がする」
「開き直るのっ!?」
「つーか、俺、お前に触れるんだな」
先入観からか、どうせすり抜けるものだと思っていた。
「ええー、今更じゃない?さっきキスしたじゃん」
「ああ……」
言われてみれば、確かにそうだ。厳密にはキスではないが、触れたという意味では既に体験していた。弐姫に指摘されるとは、割と動揺していたのかもしれない。
「けど、おかしくないか?さっき、ちょわは仮転生体は現実の物質に干渉できないみたいなこと言ってたよな?」
「そうだっけ?じゃあ、あきるくんも現実のものじゃないとか?」
ぞっとする帰結の返事だった。当然、そんなはずはない……ないはずだ。俺が死んでいる可能性?気づいてないだけで、実はこの世の者じゃないとか、いやいや、ない。そんな三流叙述トリックな人生は送っていない。
「アフォか。俺はリアルにここにいるぜ。しかしまぁ、今度確認だな」
「うーん、そだね-。わたしも少し疲れたのかな。また意識飛びそー。消える前に言っておくね、また明日、あきるくん」
とびきりの笑顔で、穏やかじゃない言葉が飛び出してきた。
「ちょっと待て。なんだよ、それは?意識が飛ぶ?消える?」
「うんっと、それはねー、また今度かな。ほんと、時間ないっぽい。ごめんね、またー」
呼び止める間もなく、弐姫はすっと消えていった。まるですべてが夢だったかのように跡形もなく。
本当に説明が足りなすぎると思うんだが?巻き込まれた人間にもう少し配慮というものが必要であることを理解して欲しい。投げっぱなしで放置される身になってくれ。ちょわに続いての電光石火フェイドアウトだけに、余計に納得がいかない。
「……みんな自由すぎるだろ」
俺はやりきれない不満を抱えたまま、その夜は悶々として寝ることになった。
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