2-8

 それからまた幾日かが過ぎた。

 壱姫という容姿がそっくりな少女を見つけたものの、未だ二姫との関係性は見えず、進展のないことが俺の焦燥感を少しだけ募らせていた。待つことには比較的慣れていると自負していたが、他人任せの要因が多すぎてどうにも落ち着かないようだ。

 けれど、中心である弐姫は相変わらずのほほんとしたままで、今日も俺の後ろからふよふよとついてきていた。

 「ねーねー、あきるくん。今日はどこへおでかけ?」

 「んー、前に会った江崎って覚えてるか?あいつからの呼び出しだ」

 「ほーほー、なるほど」

 本当に覚えているのか怪しい返事だったが、移動中なので深く突っ込まないでおく。街中を歩いている状況だ。弐姫にいちいち応答していると、傍目から見たら独り言が激しい危険人物と見なされかねない。

 実際、連絡待ちの間に方々を歩き回っていた際、人目を忘れてうっかり二姫と話し込んでいたことがあって、奇異の目を向けられたことがあったのだ。心当たりは粗方つぶしたため、完全にランダムというか適当にぶらついていたときだったので、旅の恥は掻き捨てとばかりに逃げ帰ってこれたのがせめてもの救いだった。

 その後もお気楽な弐姫のおしゃべりをのらりくらりと交わしつつ、江崎指定のファミレスに着いた。

 「おー、久しぶりだな。その後、例の件はどうなん?」

 合流して席に着いた途端、江崎はフルーツパフェをパクつきながら聞いてきた。

 男でスイーツを食べる姿が様になるのは少数派だと思うが、間違いなく江崎はそのマイナー集団に属していた。何ら違和感なく、美味しそうにスプーンを口に運ぶシルエットからして絵になっていた。

 これが俺だと、失笑を買って目を背けられていてもおかしくはない。それ以前に、フルーツパフェなるものが好きじゃない。絶対に食べないであろうデザートの一つだ。果物全般、あまり好きじゃない。その集合体など選択肢として有り得なかった。

 そういえばこれらの呼び方はどうなんだろうか。スイーツ、デザート、ドルチェ。横文字が好きな日本人がいろいろと呼んでいるが、本来の意味は少しずつ多分違うはずだ。商業的戦略で食品業界が広めた呼称なのかもしれないが、目新しいものにすぐに乗っかる風潮のせいで、この手のものはすぐに拡散して独り歩きする。そこに正しさは必要なく、もはや雰囲気言葉に近い。本来の、などと気にする者はあまり多くないのかもしれない。

 「おーい、聞いてるか?」

 そんなくだらないことを考えていたら、江崎がスプーンでパフェのグラスの淵を叩いて、ティンと小気味いい音が響いた。礼儀作法的にはアウトだが、こいつがやると小洒落た動作に見えてセーフに思えるから不思議だ。イケメン特権、恐るべし。

 「あ、ああ、悪い。聞いてる。進捗についてはアレだ。正直まだ順調とはいいがたいが、紹介してくれたクソマジメガネ君が頑張ってくれてる」

 「ぶほっ、クソマジ……!?」

 江崎が吹いて、生クリームを前方に飛ばした。と、思ったら、瞬時に紙ナプキンで机上の飛沫を拭き取った。恐るべき早業で何事もなかったかのように話を続ける。隙のない奴だ。

 今日もビジネスカジュアルをさりげなく着崩したスタイルで、モデルのようなオーラを放っているだけに、ちょっとした失態とその回復方法すら計算された洗練さを感じてしまう。まぁ、卑屈さからの憧れ補正かもしれないが。

 「それって楠木のことかよっ!?くっはー、そいつは言い得て妙だが、笑かすなよ。そういやあいつ、マジ太郎とかいうあだ名もあったな」

 「マジタロウ?」

 「ああ、楠木正太郎だから、真面目な太郎でマジ太郎。いつでも本気だからマジ太郎のダブルミーニングらしい。いつぞや本人がなぜ、そう呼ばれるんだろうかってオレに聞いてきてよ。くっくっく、笑っちまうよな」

 その由来をお前が知ってた方が驚きだと思ったが、昔からあらゆる情報をつかんでいた男だけに納得ではある。一応、クソマジメガネの名付け役は俺じゃないことを説明しておく。花巻については知っているようだった。

 「なるほど、あの娘なら納得だわ。でもまぁ、ちゃんと役立ってるなら紹介した甲斐があるってもんだ。グッジョブ、グッジョブ、オレ」

 「それで、珍しくお前から呼び出してきたのは、進捗を聞くためだったのか?」

 メールには要点は書かれていなかったので、改めて尋ねる。

 「んにゃ、まさかまさか」

 そう言って江崎は高級そうな腕時計を見やる。

 「もすうぐ来るはずだから、とりあえずコーヒーでも飲んで待ってて――」

 「お客様、被り物をしたままでの来店は……あっ、ちょっと、待ってください、お客様!」

 何やら入口の方が騒がしいと思って見たら、その元凶がずんずんとこちらに向かって歩いてきた。

 背は低いが重量がかなりある――以前に、人型を逸脱していた。ずんぐりむっくりな体形は全身が毛羽立ち、見事に統一されたコーディネート柄で耳目を集めずにはいられない。

 上半身に対して異様なほどどでかい比率の頭部が、更に際立っていた。突き出た両耳の自己主張も激しい。

 それは、どう見ても猫だった。

 二足歩行して歩く猫。もちろん、本物ではなく、着ぐるみの猫だ。何かのキャラクターなのかふてぶてしい表情の三毛猫だった。手には宣伝用なのか看板を持っているが、下ろされているので何が書いてあるのかは見えない。

 「噂をすればなんとやら、だな」

 「あん?」

 楠木はその猫に向かって手招いた。全く動じてない所を見ると、どうやら待ち人があの猫らしい。

 「マジか……」

 俺にはその後の展開がさっぱり見えなかった。

 ただ、それまでつまらなそうにファミレスを飛び回っていた弐姫の興奮した声がやけに響いてきた。

 「きゃー、猫ちゃん、かわいー!!」




 「そういうわけで、こちらが鎌倉我孫子ちゃん。現在売り出し中のハイパー霊能力者ってわけだ」

 「……ドウモ」

 そのテーブルは異様な雰囲気に包まれていた。ありふれたファミレスの中にあって、まるで異空間のようにその周囲だけが浮いていた。

 俺は平静を保つためにコーヒーを口にするが、あまり味が入ってこなかった。

 新発見だった。着ぐるみを目の前にするとどこか落ち着かなくなるらしい。あるいはそれは、街中で見る時とはまるで違って、可愛いらしいはずのものが、不意に日常に居座っている違和感のせいかもしれなかった。

 四人掛けの席に二人と一匹という構図だ。

 せめて頭部を外してくれれば、休憩中の着ぐるみバイトの人という認識で納得できるのだが、どでかいそれを被ったままだった。

 店員も気にして外すようにお願いされたのだが、極度の人見知りなので時間が必要だと江崎が説明すると、その営業スマイルに魅了されたのか、いずれ脱いでくれるならとあっさり引き下がった。イケメン効果が抜群すぎる。

 犯罪防止のためにヘルメット着用の来店拒否は知っていたが、着ぐるみも同様らしい。もっとも、行動が鈍重になる着ぐるみで犯罪に及ぼうとする人間などいないと思うが。視界確保もままなるまい。

 「とりあえず、落ち着くまで何か食べたら?もちろん、おごりだから何でも頼んでいいぜ」

 この奇妙な空間にあって、一人だけいつもと変わらない江崎が、気さくに鎌倉と呼ばれた人物に語り掛ける。

 そういえば、アビコちゃんとか言っていたな。背丈も低いし、猫の中身は女らしい。いや、だいたい、鎌倉我孫子って、神奈川なのか千葉なのかはっきりしろとツッコミたい……とは思ったが、名前に関しては自身も色々思うことがあるので、本名いじりはあまりしたくない。

 「……デハ、カルボナーラヲヒトツ」

 江崎のおごりにつられたのか、注文をする声はくぐもっていたが、確かに女のそれだった。カタコトのように聞こえるのは、おそらく被り物のせいだろう。

 「つまり、今日呼び出したのは彼女が目的ってわけか」

 「イエス、そうそう。ほら、お前の話聞いてから、やっぱオカルト関係も人脈必要かもって考えてさ。方々にあたってみたんだけど、あの業界って結構閉鎖的で、しかも偽物もゴロゴロいてさ。本物見つけるのが大変だったわー」

 そういうからには、目の前の彼女は本物だということか。いや、むしろこれはテストなのか。

 俺は江崎の意図に気づいて無言で問いかける視線を向けると、満面の笑顔でサムズアップされた。付き合いもそれなりに長いので、その辺の意思疎通はアイコンタクトでもある程度可能だった。やはりそういうことらしい。偽物が多いという話を振ってきたのは、逆にここで真偽を確かめたいという合図だろう。

 その要の弐姫はというと、猫の頭に乗っかっていた。

 猫好きだったらしいが、着ぐるみも果たして猫に分類されるのか怪しいところだ。ともあれ、気に入っているようでいつにもましてテンションが高い。

 「なにこれなにこれ!?手触りいいよーいいよー!」

 やたら同じ単語を繰り返すアホの子になっているので、半分以上聞き流していたのだが、そろそろ一仕事してもらう必要がある。声に出して命令すると鎌倉に気取られる可能性があるので、なんとか首の動きと視線でこちらに注意を引こうとしたのだが、

 「にゃにゃにゃーん、ごろごろごろー、にゃーにゃーにゃー??」

 まったく見向きもしやがらない。三秒であきらめた。江崎との阿吽の呼吸の後だと、余計にその落差は歴然としていた。これが恋人同士だったなら、手切れ金を叩きつけて部屋を追い出す勢いだ。

 いや、前提からして何かおかしいし、手切れ金ってなんだ。自分の思考が乱れていることを自覚して、深く息を吸って心を落ち着ける。どうにも、弐姫の幼児化したような猫可愛いがりボイスに調子を狂わされていたようだ。

 とにかく今は弐姫が平静を取り戻すのを待つしかなさそうだ。

 江崎にはもう少しタイミングを待てと目線で諭すと、即座に了解とウインクが返ってきた。仕草がいちいちキザだが、伝わっているから良しとしよう。あの猫バカとは雲泥の差だ。

 けれど、男とだけ通じ合っているというのもよくよく考えると気持ちの悪い話ではないだろうか。LGBT否定派なわけではないが、特にそちらに興味もない人間なので、ノーマルな感覚としてはやはり異性を優先したい。

 そうこうしている間に、鎌倉が頼んだカルボナーラが運ばれてきた。店員はもはや、悟りの境地なのか着ぐるみにも無反応で普通に対応している。従業員の鏡だった。ついでに俺のコーヒーのお代わりについて、気を利かせてくれれば尚よかったのだが、高望みをしすぎだろうか。

 「……タイヘンナジジツガハッカクシタ」

 そのカルボナーラを前に、鎌倉が呟いた。どことなく悲しそうな響きなのは気のせいじゃないだろう。

 「コノママデハ……タベラレナイ」

 そうだな、明確で絶対的な真実だな。

 むしろ、手にフォークを取って食べる直前まで気づかなかったということの方が大変な事実だ。というか、なぜか生身の手が出ている。よく見ると、着ぐるみの手首部分だけは着脱可能になっているようだ。内部から外せる仕様なのだろう、どういう仕組みかは分からないが。

 「うん、取るしかないね、それ。そろそろ慣れた頃っしょ?ほら、目の前の秋留はなかなかの地味っぷりな男だし、もう平気じゃない?」

 地味っぷりというのが褒めているのかどうか微妙な所だが、否定できない特徴ではあるので俺は一応安心させるようにうなずいた。ここで愛想笑いの一つでも浮かべられればいいのだが、生憎とそういった器用な真似はあまりできない。普段から無表情と言われるだけあって、本人が思うほど喜怒哀楽が外に出ないようだ。

 昔、中学の頃だったか、誤って思い切りカッターで自らの太ももを切ったことがあり、物凄い痛がっていたのだが、周囲はたいしたことなさそうだとなかなか保健室に連れて行ってもらえなかった苦い記憶もある。表情豊かな人間の方がおそらくは得するように世の中はできている。

 「ムムム……」

 鎌倉はまだ迷っているようだったが、眼前のカルボナーラに負けたのか、フォークを一旦置いてその猫の被り物を取った。

 「はいはい、ごたいめーってちょ、えっ、ホワッ!?」

 江崎の嬉しそうな声が一瞬で戸惑いに代わり、くぐもった声に成り果てた。

 鎌倉が脱いだそれを当然のように江崎に被せたからだ。なかなかの早業だった。

 「キミ、眩しすぎる、から、被ってて」

 予想以上に鎌倉の地声はキーが高かった。独特の区切り方での口調は、どもりとも取れるが、あまり他人との会話に慣れてないせいかもしれない。昔、内気なクラスメイトで同じような話し方の女子がいた気がする。会話のテンポが悪いと一部には嫌われていたが、対人恐怖症気味で誰かを前にすると極度に緊張してしまうから仕方がないのだと聞いた。人には人の事情がある。鎌倉もその類かもしれなかった。

 それにしても、眩しすぎるというのは、多分江崎のイケメンオーラのことだろうか。翻ってそれは、俺には何もないから平気だという逆説的な証明になる。あふれ出る凡人ビームはやはり何物にも影響しないらしい。無害でいいことじゃないか。

 無色透明気質なのは知っていたから、別に何とも思わない。地味だし、そうあろうと思っているし、目立ちなくないから何の問題もないし?

 ……誰に言い訳しているんだか分からなくなってきたので、現実に戻ろう。

 鎌倉は一心不乱にカルボナーラを貪っている。茶髪系のショートボブで、お洒落に言うならゆるふわウェーブ、無骨に例えればボサボサのクセ毛とも取れる髪型だった。丸顔で目の下にはクマらしきものが見えるが、童顔タイプの整った顔立ちだ。

 ちゃんと着飾っていれば街中でナンパされそうな容姿ではあるが、現在は半分着ぐるみ状態でパスタを破竹の勢いで平らげようとしている残念な姿なので、その良さはまったく活かされていなかった。

 むしろ、誰も近づこうとはしないだろう。

 「ソンナニアワテナクテモ、ナクナラナイゼ」

 江崎の声が今度はカタコトのように聞こえるが、鎌倉にはまるで届いていないようだ。フォーク一つでちゅるちゅるとパスタを消化してゆく。たまに見かけるスプーンに一度乗せてからフォークで巻くというけったいな食べ方じゃない所は好感が持てる。

 あの行為の無駄さが、面倒を増やしてるだけに思えて俺には理解できない。特にそれが正式な食べ方というわけでもなし、なぜあんな間違ったテーブルマナーもどきが浸透したのか、理解し難い。加えて、チーズをやたら振りかける輩も好きじゃない。個人的に粉チーズ系はどんなに振りかけても、それほど味が変わらないというのが持論だ。かければかけるほどチーズの旨味がとか言い張ってた奴がいたが、そんなパスタはきっと地のソースが薄いという残念な味付けじゃなかろうか。スパイスや調味料は少量を加えることで、微妙に味が変化することにこそ意味があるというものだ。

 そんな個人的なパスタへの思いをつらつらと考えていたら、いつの間にか鎌倉は食べ終えていた。

 「ごちそう、さま……」

 律儀に手を合わせてペコリと鎌倉が頭を下げる。意外にも礼儀正しいのかもしれない。着ぐるみでレストランで入ってくるわりには。

 「それじゃ、これで……」

 続けて席を立ちあがって去ろうとする。

 「イヤイヤイヤイヤッ!」

 あまりの自然さに俺はそのまま見送るところだったが、江崎の声に我に返る。そうだった、まだ何も話ができていない。

 「コレカラ、コレカラ」

 似非外国人のような江崎の引き留める声に、短く舌打ちして鎌倉は再び腰を下ろした。

 「では、食後の、デザートを、所望しま、す……」

 「オーケーオーケー」

 人見知りなくせになかなかの図太い神経の持ち主のようだった。

 そして、相変わらず猫に夢中の弐姫が騒いでいた。

 「あきるくん、あきるくん!この猫欲しい、買って、買って!」

 買えるものじゃないし、買えてもお前はかぶれないし、無駄すぎるだろう。

 何より、答えるのも面倒だった。

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