3-4
兄妹という存在はいったいどういうものなのか。
一人っ子である俺にはその感覚はよく分からない。家族として、親子の関係と兄妹とのそれとはやはり違うものなのだろうか。友達のような感覚?あるいは無償で信じられる相手?良好な関係ではない場合、可愛さ余って憎さ百倍という感じになるのか。
ましてそれが双子ではどうか。
年が近いことでその振り幅がより大きくなるのか。近すぎて自己嫌悪のような投射をするのかもしれない。もしくは、二人で別々の可能性を模索する行動ができるのかもしれない。左右の分かれ道で同時にどちらも試せるというような、お得な方法感覚。関係性の好悪で様々なシチュエーションが思い浮かぶが、未知すぎてあらぬ推測、妄想に過ぎないのかもしれない。
更にそれが三つ子ではどうだろうか。
独立した個であっても、三人のそれぞれの思考がほぼ重なったりするのだろうか。シンクロニシティ、共時性という関係性が成立して、同じような趣味嗜好になる類の話なら聞いたことがある。兄弟は似る傾向にあるというが、それが双子、三つ子であればその濃度は濃くなるのか。
残念ながら知り合いの少ない俺には、双子や三つ子の実態を知る機会はなかったので、与太話のような噂程度でしか知り得ない。そもそも、当事者たちにとっては、そんな概念的な話ではないだろう。
楠木が提示した新たな可能性は、葉上親子にかなりの衝撃を与えた。単なる一関係者である俺でさえ、その説は予想外だった。
葉上壱姫は三つ子のうちの一人であると。
出産時に、助産師が三つ子だと理解した瞬間、その一人をないものとして扱ったなどという話はにわかには信じがたい。
しかし、かの村の風習には三つ子は双子以上に忌み嫌われていたという。その理由は山岳信仰にあった。御山に神が顕現する際、出現場所として麓、中腹、頂という三ヵ所があり、同時に三人で降臨することもあったという。そのことから、御山の神は三神としても崇められていた。
つまり、三とは神聖なもので人間ごときがそれに倣っては無礼であるという考えだ。三兄弟でも忌避されることなのに、三つ子などというのはあってはならないという迷信に近い因習だ。
ただでさえ、余所者の血が入った子供で、三つ子では呪われているとしか思われない。助産師にしてみれば気遣いではあったのだろうが、現代社会においては歴とした犯罪だ。
楠木の調査――厳密には、現地協力者の探偵――によると、ないものとして取り上げられた三つ子のうちの一人は、御山に捧げられたという。要するに、神への供物としての生贄だ。あまりにも非現実的ではあるが、閉鎖社会の因習がまかり通っている状況では、未だに在り得る行為のようだ。
かくして、生まれ落ちた瞬間に山に捨てられた赤子は、そこで餓死するはずだった。
しかし、運命なのか、神の気まぐれか悪戯か。その赤子は、偶然道に迷って通りかかった登山者に拾われる。滅多に登山客など訪れない御山ではあるが、山脈の一つとして連なっている以上、稀にそういう登山者が迷い込むこともあるという。
その登山者によって近隣の町に届けられたその忌み子が、どういった経緯を辿ったのか。
それもまた、ある人物の手記によって判明した。その赤子の幼年期について、断片的に綴られたものが見つかったのだ。
「お母様が……?」
そう。その手記こそ、美羽の母親、御園志穂のものだったらしい。断定ではないのは、署名などがないまま発見されたらしく、推測でしか語れないとのことだ。関係者はほとんどがすでに亡くなっているか、行方が知れない状態のため、確認が取れない。
楠木が美羽に母親について確認していたのは、そういう経緯もあったようだ。
その手記によると、最後の三つ子の娘はかなり厳しい生活環境を強いられていたと言わざるを得ない。
生まれ落ちてすぐに山に捨てられたところを拾われたものの、届けられた町も当然の如く御山の近隣ということで、村の関係者がいた。その者によって、山に捨てられていたという情報から状況を察せられた。
家長の指示を仰ぐべく報告しようとしたが、どうやら家長の蔵馬も知らない事実だということが分かって取り扱いに迷いが出た。御園家の総意で捨てられた赤子であったなら判断を任せられたが、助産師の独断で伏せられていたことを知り、不用意に明るみに出せなくなったのだ。また、同時期には美羽の駆け落ちのこともあり、容易に切り出せる情報ではなくなっていたので、とりあえず養護施設に預けるかたちで機を窺ったまま、二年が過ぎた。
そうした中、蔵馬は半ば自棄気味に村の女を襲う暴挙にも出ていたため、ある種の賭けとして嫡流の子がもう一人いることを知らせる決意をしたという。より血の濃い嫡子がいることを知れば、その狂った振舞いに歯止めが効くかもしれないと考えたのだろう。
結果、三人目のその赤子こそ、美羽の神力を正当に受け継いだ子だと判明した。双子の力が極端に弱かったように思えたのは、三人目により多くの神力が分配されていたというわけだ。
蔵馬はそのことを喜んでいたという。だが同時に、それは狂信的な教育にもつながった。美羽を失敗作だと断じた蔵馬は、今度こそ完璧な御園家の跡取りを作ろうと、徹底的な教育管理方針を打ち立てた。
それが参籠所での隔離教育だ。
元々、参籠所というのは寺社にこもって神仏に祈願するための場所で、宗派、風習等で内容は異なれど、本質的には同じだ。簡潔に言えば祈るための場所で、大事な祭事の前に身を清める意味でも行われる。
榊田の庭というのは、参籠するためのそういう施設が複数ある場所で、特に神官が個人的に
驚くべきことに、赤子はそこで幼少期の5年ほどを過ごしたようだ。与えられる知識は御園家至上主義ともいえる偏向したもので、余計な情報――一般常識や教養、外の世界のこと等――は一切与えないという、半ば洗脳のような教育だったらしい。
教育係とのみのそんな生活で、まともな人間性が育つはずがない。物心ついた頃には、御山の神を崇めるだけの歪な子供が出来上がっていた。それでも、村の中でならばあるいは生きていけたのかもしれないが、状況はそれを許さなかった。
蔵馬が望んだように、一般社会の常識を知らず、ただ盲目的に御山様を信奉する子供が完成しつつあった頃、その蔵馬自身が村から捨てられるという事態になっていた。最後の三つ子を見つけて落ち着いたかに思えた家長はしかし、すぐにまた村の女を襲い始めた。そこにはもはや、子孫を残すという目的よりも色に狂った下種な男の姿しかなかった。耐えに耐えていた村人もついに御園家を見限って、この村はもう駄目だと離れていったのだ。
蔵馬の妻である志穂もその一人だった。
言葉少なに夫に付き従っていた彼女が、最後の最後には御園家に引導を渡したとも言える。最終的に、情緒不安定になった夫を切り捨てる決断をしたのは志穂だという。
その際に、美羽の忘れ形見のことを知って引き取ることにした。だが、彼女もまた、まともな子供の育て方などは知らなかった。まして、既に偏った価値観に凝り固まっている子供を更生させる術など知るはずもなかった。
異常な孫の状態を見て、自身ではどうにもならないと判断した志穂は、知り合いの者に預けることを決意する。子供はその時、神社以外を受け入れなかったという。普通の家というものが、子供には分からなかったのだろう。物心ついたときから参籠所という狭い場所で生きてきた者にとって、家とはつまり神社、あるいはその一部だった。そういう認識が刷り込まれてしまっていた。
ゆえに、その子供はまた神社で過ごすことになった。他の場所ではまったく落ち着かず、半狂乱状態にまでなったらしい。また、近くに山、あるいはそれに類するものがないと同じく精神的に安定しなかった。偏向教育と成長期の環境の弊害がそこかしこに表れていた。
幸い、子供を預かった神職の夫婦は人間ができていたようで、根気強く歪んだ精神を修正していった。学校などの集団行動は望むべくもなく、夫婦が家庭教師のような形で一般的な人間性を取り戻させたようだ。実に7年がかかったという。
中学生になり、ようやく一般常識を覚えたその子は、どうにか学校に通えるほどまでに成長した。
しかしながら、約10年近くを極少数の特定の人間だけとの接触で過ごしてきた子供にとって、見知らぬ人間が多数ひしめく学校という場所はかなり厳しいものがあった。学校側にはそれとなく配慮を頼むも、一生徒に対しての特別待遇などたかが知れている。担任は内気な子という浅い認識の対応でしかなかった。
軽い挨拶が精いっぱいの子供に、友達を作るという行為は難しい。環境に恵まれなかったとも言える。誰か一人でも気遣える優しい友達がそばにいたのなら、また状況は変わっていたのかもしれない。
だが、現実も精神年齢の未熟な子供も残酷だ。
ろくに話せもしないクラスメイト、地味で大人しいだけの生徒がいじめの対象となるには時間がかからなかった。
目に見える形ではなく、それは陰湿に繰り返されていたようで、担任が気づいたときには事態は最悪の一歩手前まで来ていた。
すなわち、事故というより事件として露呈した。
ある日、足に大火傷を負った状態で倒れているところを発見されたのだ。自然発生的な原因ではあり得ない状況だった。調べてみれば、腿の辺りからそれは広範囲に広がっていた。昨日今日ついたものだけではないことも判明した。日頃から目立たぬように、熱い何かを押し付けられて焼かれていたというおぞましい事実だった。その残酷な行為がその日、行き過ぎた結果だったというわけだ。
入院している間も、その子は加害者について何も言わなかったが、明らかに他人の悪意の痕跡がそこかしこに散見された。昨今のいじめ問題は、昔のように有耶無耶にはできない。すぐに第三者委員会の調査が入り、クラスメイトのある三人が中心となって彼女を肉体的にも精神的にもいじめていた事実が発覚する。見て見ぬふりをしていたクラスメイトたちも同罪ではあるが、より悪質なのは実行犯であることには変わりはない。直接的に関与していた三人は、子供ではあっても社会的制裁を受け、その残忍さから近隣住民の大バッシングを受けて親共々引っ越すこととなった。当然の報いだろう。
本人はなぜ、いじめられていることを誰にも告げなかったのか。せめて自分からSOSを発信していてくれれば、と周囲の誰もが思ったことではあるが、周りに迷惑はかけられないとする優しさが仇となっていた。
育ての親の善性、その教育の正しさが悪い方向に発揮されて悲劇となってしまった。決して他人に迷惑をかけていけないという基本的な教え。一般的な社会性を取り戻すため、長い時間をかけて、より良い人間であるための教育を施された結果、子供ながらにそんな強い信条を持っていた。
それゆえ、世話になっている義理の親にさえ黙って耐えていた。また、いじめもそのうち飽きてやめてくれるだろうと、加害者の善性をも信じてもいた。それまでの人間関係の経験のなさが、人が持つ悪意と残酷さという魔物を呼び寄せてしまった。
運が悪いともいえるが、当事者にとってはそんな言葉で片づけられたくはないだろう。
退院後、やはりまだ大人数がいる普通の学校は厳しいかもしれないと、少人数の定時制学校へと転校した。今度は担任に事情をきちんと話して、理解ある対応を約束してもらった上での登校だったので、無事卒業できた。
その頃には普通の暮らしにもどうにか慣れてきて、受験で一般高校へと進学したらしい。
そして、手記はそこまでしか記されていなかったという。
「……あの、その子の名前は?」
いじめられていたという過去を痛ましげに聞いていた美羽は、一通りの話を聞き終えると涙交じりに楠木にそう尋ねた。
「はい。まさしく、そこが問題でして……肝心のその子供の名前がどこにも記されていないのです」
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