3-5
「……つまり、手記を書いたのが御園志穂だっていうのも憶測なのか?」
知られざる三つ子の半生を聞き終えても、謎は深まるばかりだった。その名前さえ判明していないのでは、どこまで真実かも分からない。
「確たる証拠と言われると確かに少し弱いですが、僕個人としては確信はしています。この手記を持っていた人物、米沢トメさんという方と一緒に、ある女性が同棲していたことは確かで、その方こそが御園志穂本人だと思われます」
過去形で話すということは、既にもう同棲はしていない、あるいはできない状態だと暗に示しているのだろう。件の子供が例の三つ子だった場合、高校に入るまでということは、壱姫が高二である状況を考えると、その後の一年半ほどが抜けていることになる。
そこで手記が途絶えている意味は、書き手の環境か、対象の状況のいずれかが正常じゃなくなった可能性が高い。関係者の前で明言を避けるために、敢えてぼかした言い方をしているのだろう。
「手記に直接的な個人名はないのですが、イニシャルのMやSなどを当てはめていくと、きちんとつながります」
「具体的には?」
「そこは少しプライベートな部分になるので、ここではご勘弁を。ただ、間違いなくご本人が見れば納得できるだろうということは確かです」
つまり、志穂から美羽宛てに何かメッセージが残されていたということか。他人の手記を具に調べておいて今更プライベートなどと思わなくもなかったが、それでもやはり関係する事実とそうでない部分は分けるべきという考えは理解できる。必要最低限というものはどんなことにでもある。
「っていうか、もっと簡単に確認できんじゃね?持ってた人に聞けばいいじゃん?これ、書いたの誰って」
もっともな意見が花巻から出たが、それができない状況だというのはなんとなく察していたので、楠木の答えには驚かなかった。
「それが一番楽なんですけどね……残念ながら、米沢さんは認知症を患っていて、まともな会話があまり成り立たない状態のようです」
「あー……なるなる。それじゃ、しょうがねーやね」
花巻は大きくその場で伸びをすると、すっかり冷めてしまったお茶をすする。
今現在、リビングには俺たち三人と壱姫だけが残っていた。美羽が少し落ち着きたいという理由で中座し、敏夫がそれに付き添って奥へ引っ込んでいるからだ。
「んで、壱姫っちはだいじょび?結構ヘヴィな内容だったけど」
「ええ、少し混乱はしていますけど、正直実感が全然なくて……私に姉妹がいて、いや、いたのかもしれないと急に言われても……」
「まぁ、そーなるさねー。会ったこともないとさ、ばーちゃんとかの話聞いても、ふーんってな感じだわな」
しかも内容がどこか現実離れしているというか、どこかのドラマの脚本のようであれば尚更だろう。
「それにしても、三つ子だった可能性か……さすがにそんな発想はなかったな」
「んー、でもそれもまだ確定じゃないっしょ?だいたい、クスクスの最初の推理、全然違ってたしー?」
からかい顔で花巻が楠木を見やるが、本人はどこ吹く風だった。
「あれはその時の情報からつないだ一つの可能性の話ですから、今となっては下絵の一部分のようなものです」
しれっと過去に葬られていたが、その下絵について必死に結構考えていた俺がいるわけで、なかなかの時間を費やしたことを考えると、紙屑のようにポイ捨ては止めて欲しい。
「それに、今回のものはそれなりに裏付けも取れています。前回は可能性も考慮に入れたピースから組み立てたもので、常識外の手法に即してますので条件がまったく違います」
「裏付け……さっき見てたスマホに関係があるのか?」
「はい。後ほど、皆さんにもお見せします。そこで納得できるかと」
「またかよー、もったいつけるなしー!今見せればいいじゃん、てか、見せれ」
「花巻君、物事にはしかるべきタイミングというものがあるのです。本能のままに突き進んでいると痛い目を見るといつも言っているでしょう?」
「ぶーぶー」
不満げな花巻を横目に、俺はここまでの話を脳内でまとめてみる。あまりにも情報量が多すぎて、扱いきれていない。
美羽が生んだ子供が実は三つ子で、一人は幼少期に既に死亡し、もう一人が消息不明ということか。だが、その死んだ子の名前が弐姫だとすると俺の知る弐姫は誰かということになる。子供の頃に死んでいるなら今現在のあの姿はおかしい。順当に考えれば、名前も分からぬもう一人の子供だろうが、それならばなぜ弐姫と名乗っているのか。死んだという子が実際は弐姫ではなく、謎の三人目だったとしたら?
いや、それよりも弐姫自身の記憶がないのだから、弐姫だというその認識を改めるべきか。実は弐姫は弐姫ではなく、その三人目で、何らかの理由でそう思い込んでいる?
あるいは弐姫は実は子供の頃に死んではおらず、今もどこかで生きているのか。
考えれば考えるほど、分からなくなってくる。
おまけに、未だに俺との接点が不明だ。謎の三人目の話を聞いても、やはり俺が関与する状況は皆無だ。いじめられていた子の記憶などない。自分が学生時ならばまだしも、成人してからそのような話題はニュースで聞いたことがあっても、身近で話に上ったことすらない。
弐姫に関して不明なことはまだまだ多い。分かってきたというか、断片的な情報も増えた一方で、俺との関係性は未だ手がかりすらない状況は変わっていない。
なんとも面倒なままだ。
ぬるくなったお茶を飲み干して、首を少し傾げたところで葉上夫婦が戻ってきた。
「話の途中で抜けてしまって、申し訳ありません……」
「いえ、こちらこそ、このような話を突然、こんな形で伝えることになって恐縮です」
「あ、お茶淹れ直します」
「あっ、ならなら、壱姫っち。あたし、紅茶希望してもよか?」
「こら、花巻君。図々しいですよ」
「つーか、それ系、日本人の美徳っつーより、悪癖じゃね?矛盾してるよね。もてなす意味でお茶出ししてるなら、相手の意向を反映すべきじゃん?なのに、出される方は何も言わずに黙って受け入れるって、なんかおかしくね?ちゃんと伝えてりゃ、ウィンウィンの関係になるわけだし。変な遠慮で逆に妙なとこに落ち着いてるだけじゃ、結局半端じゃね?まぁ、ない場合はしゃーないけど」
謙虚さが逆効果になるということはままあることではある。花巻の明け透けな言い方はアレだが、一理あることは否定できない。礼儀という点で、この場でそれを言うこと自体はどうかと思うが。あるいは、その礼儀の観念が阻害の要因でもあるのかもしれない。
「くすっ。紅茶ですね、大丈夫です。お二人はコーヒーの方がいいですか?」
壱姫は花巻に慣れてきたのか、軽く笑って気にした様子もなく、こちらにも気遣ってくれた。俺はコーヒーが飲みたい気分だったので、便乗して頷いた。
「ではお言葉に甘えて、僕もコーヒーでお願いします」
「ほらほら、素直に言った方がみんなハッピーじゃん?」
「君には後でみっちりとTPOというものを教え込みますので、覚悟してください」
楠木の笑顔が少し怖いと思ったのは俺だけじゃないはずだ。花巻もさすがにそれ以上は調子に乗ってツッコミはいれなかった。真面目男のみっちりという表現は誇張ではない。文字通り濃厚そうだった。花巻選手、ご愁傷さまだ。
そんな様子を葉上夫妻も微笑ましく眺めていたので、花巻の癒し効果はそれなりにあったと言えるだろう。
もっとも、これからの話の内容は微笑ましいとはとても呼べないものになりそうだったが。
「さて、それでは話を続けさせて頂きます。先ほども伝えた通り、肝心の子供の名前が分かっていません。その所在も未だ不明です。せめて名前が分かればまた探しようもあると思いますので、こちらに伺った次第です」
再開した途端、楠木は難儀なことを言い出したと思った。
今の今までその存在さえ知らない子供だ。たとえ我が子だったとしても、その名を教えてくれと言われても困惑しかないだろう。むしろ、その名前を知りたがっているのは親の方なはずだ。
頭脳明晰なはずの眼鏡探偵の御乱心か、と心配になって横顔を見るが、いつものポーカーフェイスで変わったところは微塵もなかった。すると、そんな俺の見当違いを見透かしたように言葉を続けた。
「もちろん、その子の名前をあなた方が知らないことは分かっています。ただ、壱姫、弐姫と名付けたのは美羽さんだと思うのですが、違いますか?」
ああ、そういうことかと合点がいく。
楠木は三つ子だった場合、三人目の子供には何という名前を付けたか、ということを確認したかったのだ。
美羽の方もそのことに気づいたのだろう。誰しもが予想するであろう、その名前を告げた。
「あの時は正直、あまり考える余裕がなくて……いえ、壱姫に対してそんな言い方は失礼ですね……よく考えはしたのだけれど、敏夫さんに相談もできず、お父様からも急かされていたもので、壱姫と弐姫という分かりやすい可愛さを込めたのですけれど……お聞きしたいのは、私なら何と付けるかということですね。三つ子だったのなら、順当に参姫(みつき)としていたでしょうか」
やはりそうなりますか、と楠木が小さく呟く。少し眉根を寄せているところを見ると、聞きたかった答えはそれじゃなかったようだ。
「大字の参に姫ですよね?実は僕らの方でも、その名前に当たりをつけて調べてみたのですが、どうにも該当者がいないのです」
なるほど、既に調査済だったわけか。ここに今日足を運んだのは、名前に関して別の可能性を探るためだったわけだ。
「このような言い方は不謹慎ですが、本来つくはずのなかった名前です。関係者以外が何も知らずに名付けた可能性も高いのですが、手記上ではMのイニシャルになっていますので、他に何か思いつきませんでしょうか?」
Mであれば、確かに参姫に当てはまる。大字ではなく単なる漢数字の方かもしれないと思ったが、俺が思いつく程度のことは当然もう調べているだろう。
「今はちょっと……他には特に浮かびません。あの……疑うわけではないのですが、先ほどから私たちの子が三つ子だったと確信しておられるようですが、何か具体的な証拠があるのでしょうか?」
美羽の言い分はもっともだ。急に部外者から実子がもう一人いるなどと言われても、にわかには信じ難い。だが、ここでも楠木は即答だった。一切の迷いがない。
「はい。おそらく志穂さんの手記だと思われるものに、あなたへの言葉がありますので後ほど確認できます。さすがに許可なく持ち出すわけにもいかないので手元にはありませんが。それと、米沢さんは御存じですよね?」
「……トメさんは、確かにお母さま付きの世話役をしていた禰宜の方です」
「なるほど、確認が取れてよかったです。彼女の様態、連絡先共々、後ほどまとめてお知らせします。申し訳ありませんが今はこちらの事情を優先させてください。先ほどの質問の答えの続きですが、今さっき新たに見つかったものが、何よりも三つ子の一人だという説を裏付けています」
そうして楠木がスマホに映し出した一枚の写真が、探偵の言う正しさを雄弁に語っていた。
それを見た誰もがはっと息を呑んだ。
そこには間違いなく弐姫、いやこの場合は壱姫の姿というべきか、壱姫そっくりの顔がぎこちなく笑顔を向けていた。歳は現在ではなく少し幼いようで、中学生くらいの巫女服を着た状況だったが、皆を納得させるには十分なものだった。
「ああ……」
「これは……」
「本当に、わたしそっくり……」
葉上親子は食い入るようにその写真を見つめていた。横からひょいと顔をのぞかせた花巻も、
「うわー、マジで壱姫っちだ。ってこれ、壱姫っちじゃないよね?巫女のコスプレとかしなさそうだし」
いつもの軽いノリで壱姫に尋ねる。場の雰囲気を一切解さないこの娘の胆力はたいしたものだ。
「ええ、そんな恰好をしたことはありません……ずっとお話されていた子が、この写真の方ということなのですね?」
「はい。おそらくは、壱姫さん、あなたの姉妹だと思われます」
単なる言葉では実感がわかなくても、実際の姿を見ればその感情も変わるものだ。紛れもなく葉上壱姫と瓜二つの写真を見つめながら、しばらく誰もが押し黙っていた。
美羽の出産、駆け落ちから御園家の衰退が始まり、蔵馬の乱心、村の離散という流れの中で、運命に翻弄されて数奇な幼少期を送ることになった薄幸の子供。社会復帰しても、世間の闇に呑まれ、哀しい憂き目にあって苦難の道を歩いた娘。
それでもその写真の笑顔からは、何かを乗り越えた強さも感じられた。
楠木の言う三つ子説が、かなりの信憑性をもって裏付けられる証拠だった。
俺自身、その可能性を既に飲み込み始めていた。どうやら、真実の一端にたどり着いたようだと。
一方で、弐姫の存在がやはりまだ謎だった。写真に映る壱姫にそっくりな人物は、まだ名前の知らない三人目かもしれないが、弐姫だという線もあるのではないだろうか。写真に写っているのが、少し前の弐姫だとしても信じられる。
双子、三つ子というのは厄介だ。部外者には同じに見えてしまう。オカルト的に言うならば、俺の知っている弐姫がこの子のアストラル体である可能性もある。考え出すとキリがない。未だ、不確定な要素や情報が多すぎる。
その辺りを整理するためにも、まずはこの写真の子の名前を知る必要があることは確実だった。
「名前がまた不明かー。でもさ、手記だっけ?それに書いてたってことはやっぱ壱姫っちのばーちゃんが居場所知ってるってことっしょ?本人探せばいいんじゃね?」
「もちろん、彼女の捜索もしていますが、足取りがつかめていない状況なので、違うアプローチとして今日ここにいるわけです。君はもう少し考えてから話してください」
「リームー、考えながら話すのがあたし流だし。つーか、なんで具体的に書かなかったん?謎解き系にでもハマってたとか?暗号を解いてみせよ、みたいなノリの茶目っ気とかだったら、ばーちゃん、年齢の割にちょっと可愛いんですけどー」
絶対にそんなノリで伏せたわけじゃないのは確かだ。大人の事情というのは明白だが、花巻にはまだ理解できないかもしれない。
手記を書いたのが志穂ならば、娘の美羽に対して何もできずにいたことを後悔していたと思われる。その孫に対しても、自身では育ててやることもできずに、ただ見守ることしかできなかった心情を思えば、複雑な葛藤がそこにあったことが読み取れる。
堂々と名乗って書き記すことに抵抗があったのかもしれない。育て親の資格、そういった点で自身のふがいなさを思って、孫の人生に自身の名を刻むことをためらったのかもしれない。
色々な推測が可能だが、具体的に名を残さないそのスタンスは、何となく俺にも推し量れた。
「君は少し黙っていましょうか」
「うっ、はひ……」
楠木の真面目スマイルが飛び出して、花巻はすぐに従った。よく調教されているようだ。後の説教項目に追加されたのは間違いない。
「本当に、私の子だとしたら……」
じっと写真を見つめていた美羽が、思いつめた表情で不意に呟いた。
「会ったことが……あるかもしれません」
「それは本当ですか?」
楠木の声がいつもより高く響いた。珍しく興奮しているのだろうか。この展開は予想外だったのかもしれない。
「一度だけ、その……病院で……」
「病院、ですか?」
その符号の一致は、嫌でも先ほど聞いた三つ子の一人の事件を連想させた。だが、会ったことがあることをなぜ黙っていたのか。むしろ、その時何かしら確かめなかったのだろうか。我が子とそっくりな容姿の娘を見かけたら、興味を持つことは必至だ。
美羽はしかし、それきり押し黙ってしまっていた。
うつむいてただ、何かに耐えているような仕草で固まってしまっていた。
その只ならぬ様子に、楠木は急かすような言葉は継げないでいた。空気を読まないで突進する花巻も、今回ばかりは口を出せないでいる様子だ。重苦しいというか、何とも言えない沈黙が辺りを支配して、どのくらい経っただろうか。実際はそれほど長くはなかったとは思うが、体感的に気まずい時間を断ち切ったのは、そんな妻の様子を見かねた敏夫だった。
そっとその肩に手をかけて言った。
「……あの時の子が……やっぱりそうだったんだね……」
こちらもどこか悲壮な表情で、絞り出すように続けた。
「私たちは一度、見て見ぬ振りをしたことがあるんです。あなたの話を聞いて忘れようとしていた、いえ……卑怯にも目を背けていた事実と、今度こそ向き合おうと思います……」
そして、葉上夫婦から俺たちは重要な手掛かりを得ることとなった。
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