3-8

 重要な事柄について、他人から結果を伝えられる気分というのは複雑だ。

 例えば入学試験。

 風邪をひいて合格発表を見に行けなかった場合、親や友達からその結果を聞かされる。自分のタイミングでの確認ではなく、他人の声を通して結果を知らされる。そのために費やした膨大な時間、葛藤、色々なものがない交ぜになった集大成が、あっけなく自分以外の何かから不意にもたらされる。

 その際、得られる情報は同じでも受け取り方には大分違いがあるのは当然だろう。

 俺が弐姫にそのことを告げたとき、頭の中で考えていたのはそんなことだった。内容やその影響よりも、そんな歪な形でしか知らされない弐姫を少し不憫に思っていた。自分に関するプライべートな領域を、他人から知らされるなんて気持ちのいいものであるはずがない。

 だが、弐姫は弐姫だった。

 自分の両親のことを聞いても、姉妹がいることを聞いても、戸籍上、弐姫という存在は幼少時に死んでいる可能性が高いことを知っても、いつものように、にししと笑ってこう言った。

 「おお、すごい進展だー!やっぱり、わたし死んでるっぽいんだね?でも、弐姫が弐姫じゃなかったら、まだワンチャンありってこと?あれ、でも生きてるとしたら、体はどこに??」

 衝撃の事実も、弐姫にとっては特別なことではないように見えた。あるいはそう振舞っているだけなのか。

 あまりの通常運転っぷりに、俺には判断がつかない。

 結局、他人の心情など分かるはずがないということだ。分かっているつもりになることはできても、それが正解であるかどうかは他人である限り確かめようがない。人の心は複雑だ。自分自身のものでさえ、理解できるとは思えない。

 ならば、気にしてもしょうがない。あるがままに受け入れるだけだろう。

 俺はいつもの調子に合わせることにした。

 「分からん。てか、残念ながら生きている可能性は限りなく低い。酷な言い方だが、そこは期待しない方がいい」

 「ぐぬぬ。無念なり。まぁ、でも。わたしは死んでる前提だから大丈夫。そんなに気にしてないぴょん」

 なぜかうざぎのようなポーズをとっておどける弐姫。

 本当にそう割り切れているのかどうかは不明だが、ここは掘り下げても意味がないだろう。

 「まぁ、そういうわけでまだ肝心のお前について確実な過去が分かったわけじゃないが、少なくとも親族は突き止めたわけだ……会ってみるか?」

 実際には、相手には弐姫が見えないだろうから、弐姫が一方的に確認するということになる。

 「んー、そうだね……両親かー」

 弐姫は手元で枕をいじっている。珍しく逡巡しているようだが、それも当然か。急に親のことを言われても、ピンと来ないだろう。自分の記憶がないというのに、いきなりこの人たちが両親ですと言われても困惑するだけかもしれない。

 ましてや、調査によって血縁関係であっても共に過ごしていた時間は皆無だ。記憶を取り戻す手助けになるかというと、かなり薄い望みにも思えた。

 「どっちかっていうと、兄妹、姉妹になるのかな。そっちの方が気になるかなー。壱姫ちゃんだっけ?その子と会ってみたいかもー?」

 少し悩んだ結果、弐姫は姉妹と会う方を選んだようだ。俺に否やはない。もっと早くそう言いだすと思っていたぐらいなので、ようやく口に出したかという思いも強い。

 「そうか。じゃあ、とりあえずそっちで段取りをつけよう。あと、三つ子って聞いて何か思い出したりはしないか?」

 双子や三つ子にはシンクロニシティ、共時性が生まれやすいと聞いたことがある。本当かどうかは分からないが、要するに集合的無意識のようなものが双子は共有されていて、片方に何か危機的なことがあると、どんなに距離が離れていても虫の知らせのように、もう片方がその状況を察知するというようなアレだ。

 もしもそんなものがあるのならば、三つ子達の中でそれに類する何かがあったかもしれない。そんなことを思ったのだが、少なくとも壱姫に関してはまったくその兆候はなかったので、期待はしていなかった。

 「んー、そういわれてもねー」

 案の定、弐姫の返事は芳しくない。

 「あ、でもでも、ちょっと思いついたかも?」

 「お、なんだ?」

 少し得意げな顔で弐姫が先を続けたので耳を傾ける。

 「名前!きっともう一人の名前はね、じゃじゃーん、参姫ちゃんじゃないかな!?どうどう、あたってそうじゃない?」

 「……ああ、そう……」

 まったくの肩透かしだった。ちょっとだけ期待した俺のワクワク感を返せ。しかも、ベタ過ぎてひねりがない。

 「ちょっとー!その素っ気ない反応はなに、あきるくん!もうちょっと驚いてよっ!」

 「いや、驚く要素がまるでないわけだが?というか、名前よりも気にするべきことがあるんじゃないのか?」

 「ほへ?どゆこと?」

 「いや、色々思うこととかはないのか?自分が子供の頃に死んでいる名前を名乗っていることとか、姉妹のこととか、もしかしたら実は自分がその内の誰か自身ってこととか……」

 「んー、そう言われてもねー。記憶がないから、まったくピンと来ないんだもの。弐姫は弐姫だと思うけど、弐姫じゃないとしてもそんなに気にならない気もするし、姉妹がいるのなら嬉しいけど、じゃあ姉妹がいるとどうなるのって考えても、よく分かんないしねー」

 首をひねりながら弐姫は軽く言うが、その内容はあまり軽くない気がした。思わず突っ込んだ質問をしたが、記憶のない人間に向かって適切ではなかったかもしれないと今更に気づく。

 それでも、その前提を持ち出すと何も言えなくなる気もして、やはり言うだけは言っておくべきだと思い直す。弐姫にすべてを話すと決めたのだから、これ以上複雑に考えるのはやめるべきだ。

 「まぁ、それもそうだな。まったく、やりづれぇ相手だな、お前は」

 「ひょっほ!?はにふんおー??」

 気付けば無意識に弐姫の顔を頬を両手で引っ張っていた。いつぞややられた意趣返しだ。年頃の若い娘にすることではないが、勝手に手が出ていたのだから仕方がない。隙がある相手が悪いということにしておこう。ついでに、適当な言い訳を言っておく。

 「こないだお前に触れなかった時があったからな。一応、確認だ」

 「ぶんにゃっ!こんなやり方じゃなくていいでしょー!?」

 俺の手から強引に逃れると、弐姫は怒ったような声を上げるが、顔は笑っていた。

 出会ったときと同じ屈託のない笑顔だ。

 俺が弐姫について知っているのは、この笑顔だけだ。

 内心で何を考えていようと、記憶があろうとなかろうと、俺はこいつの笑顔を信じることにした。

 万が一騙されていたとしても、それは俺の見る目がなかっただけだ。

 うだうだと考えたって、答えは出ない。俺はありのままに自分を信じて、弐姫を信じる。それでいいと思った。

 「さて……それじゃあ、行くか」

 「むむ?いずこへ?」

 「お前の育った場所かもしれない所だ」




 この期に及んでも、俺はまだ弐姫に告げていないことがあった。

 言いそびれたというわけじゃない。反応を見てからにしようと保留にしていただけだ。

 けれど、その判断が未だにつけられずにいる。

 楠木の指定した場所へ移動しながら、どうしたものかと考えていた。

 「ねーねー、どこいくの、あきるくん?」

 弐姫はふよふよと俺の頭上を漂いながら、しきりに尋ねてくるが、今は無視している。その返事も保留に含まれるからだ。既に一度ヒントは与えているが、本人は深く考えていないようなので、こちらから指摘するのも面倒だった。

 代わりに違うことを言ってやる。

 「パンツ、見えてるぞ」

 「はうっ!あきるくんのエッチ!そーゆうのはダメなんだぞっ!?」

 「前から何度も言ってるのに、直さないお前が悪い」

 そう、こっちとしてはこいつが無防備に俺の上を飛ぶ度に教えてやっているというのに、毎回同じことを繰り返している。服装を変えられるようになったのだから、下から下着が見えるスカートやワンピースをやめればいいと思うのだが、お洒落系女子は譲れないんだよ、とかよく分からないことを力説された。何やら拘りがあるらしい。ならば自業自得だ。

 注意する方が面倒なので、俺としても開き直って気にしないことにしている。

 ただ、たまに質問がうるさいときには、こうして矛先を変えるために使っていた。便利なテクニックである。

 「まったく、もーもーもー!」

 弐姫の柔らかチョップが飛んでくるが、俺は意に介さずに歩き続ける。向かっているのは、楠木との合流地点であるE駅前のロータリーだ。そこから例の三つ子の最後の一人が住んでいた神社へと車で移動することになっている。

 ついに3人目が見つかったというわけだ。

 俺はその連絡を受けた時のことを思い出す。

 電話で聞く楠木の声はいつもと変わらない礼儀正しいものだったが、のっけからそれがいい知らせではないことが分かった。例の如く単刀直入に伝えてきたので、身構える暇も何もなかった。

 「このような報告を電話でお伝えするのは不本意ですが、わざわざご足労頂くのもどうかと思いまして、口頭での伝達失礼します。三つ子の最後の一人について名前と住所が判明しましたので、早速先方に連絡を取ってアポも完了しました。ですが、残念ながらご本人とはもう会えません。先日、お亡くなりになられたそうです」

 一気にそう告げられては、何か特別な返しなど咄嗟にできるはずもない。

 「そうか……」

 相槌を打つだけで精一杯だった。三人目が既に死んでいる可能性については十分あり得ると思っていた。思ってはいたが、無意識に考えないようにしていた。弐姫が生きている可能性、それを頭では否定しながらもどこかで信じたがっていたのかもしれない。

 本人に向かって期待するなとまで言っておいて、俺自身がまだ割り切れていなかった。だからこそ、伝えていなかった。最後の一人が死んでいるかもしれないという可能性。それはとりわけ弐姫が死んでいることを証明する最後の一手に近いからだ。

 弐姫がどういった存在であれ、転生体である以上本体が死んでいるか瀕死か、健全な状態ではない確率が高いことは確かだ。幼少時に既に死んでいるという弐姫と今回の3人目のM、どちらも結局死んでいるということは、俺の知る弐姫がどちらの転生体であっても、本体は既にこの世にいないということになる。

 当初、楠木が提唱した壱姫の分身である転生体説ならば希望はまだあるが、どうにもその線はないと既になかったことにされている状況だ。答えはほぼ決まったといっても過言じゃないだろう。

 いつの間にか、俺は弐姫に生きていて欲しいと願っていたのだろうか。

 もともと、死んでいることの確認だったはずだ。いつからそんな意識の変化があったのか。

 「秋留さん?聞こえていますか?」

 気持ちを整理しているところへ、楠木の声が届いた。何か話していたようだが、右から左に聞き飛ばしていたようだ。

 「すまない。ちょっと飲み込むのに時間がかかった。悪いが、何か言ったか?聞き逃したかもしれない」

 「いえ、こちらこそ申し訳ありません。やはり直接会ってお伝えすべきでした。先ほども少し触れましたが、先方に会ってお話を聞くつもりなのですが、同行を希望しますか?実は時間的にもうすぐ出ないと間に合わない急なセッティングになってしまっているので、都合がつけばという余裕のないお誘いで、重ね重ね申し訳ないのですが……」

 「ああ、そうなのか……会うってのはその、育ての親の方ってことか?」

 「はい、そうです。どうも、あちらも直接でなければ伝えにくい何かがありそうなので……」

 楠木にしては珍しく言葉を濁した。どうやら俺に何かしら気遣っている様子だ。

 動揺が完全に伝わっているらしい。

 それで一気に目が覚めた。頭を切り替える。余計な配慮をさせるのは心苦しい。まったくの不本意だった。

 「なるほど。俺も同行しよう。弐姫も連れて行きたいしな」

 「ふむ……そうですか、決心されたのですね。分かりました。では詳しくは合流してからということで、車で向かいますのでE駅付近でピックアップしようと思いますが、大丈夫でしょうか?」

 こうしてあっけなく三人目は見つかり、同時に二度と会えないことが発覚したわけである。ここにきて思わぬ急展開だった。

 弐姫が何者であるのか。その最後の生き証人になるかもしれない人物への道も断たれた。本当に物事はうまくいかないものだ。それでもまだ、希望は残っている。初めて関係者から話を聞けるかもしれないのだ。

 同時に、本当に関係者であるなら、弐姫の記憶の一助となり得る。まずはこちらで確認という形式をとっていたが、もうそれは止めにする。弐姫が決めるべきことだ。俺はそれに沿うように行動すると決めていた。

 とはいっても、おそらく弐姫は言われるがままに俺に従うだけな気がするので、とにかく面倒がないかたちで動く。それが今の俺の方針だった。ぐだぐだと悩むのはもともと性に合わない。

 「弐姫」

 だから俺は率直に伝えることにする。

 「ほい?」

 「三つ子の最後の一人が見つかった」

 「おおっ!?じゃあじゃあ、これから向かうのはその子のところってことかな?」

 「ああ、そうだ。けど、正確にはその子が住んでいた場所ってことになる。残念ながら、その子はもう死んでいるらしい」

 「え……あー、そうかー……」

 できるだけ感情を込めずに事実だけを告げると、弐姫も押し黙った。少しだけ表情が陰った気がするが、ちらと盗み見た限り、いつもの笑顔がまだ張り付いていた。

 「そっか、そっか。それは本当に残念だなぁー。もしかしたら、その子がわたしかもしれなかったってことだよね?でも、あれれ、それって結局わたしが死んでることの証明になるの?」

 「今はまだ分からん。お前が本当に弐姫なのか、あるいは姉妹の誰かの転生体なのか、とにかく話を聞いてみるってとこだな。一緒に来るか?」

 「ほむほむ。おっけー。当然ゴーだよ。集中力マシマシでリッスンだね!」

 なぜ英語にしたのかよく分からないノリだが、一応間違ってはいないので頷いておく。多少、心を落ち着ける時間が必要かと思って、すぐさま移動することには抵抗を示すかとも思ったのだが、即答で迷いがなかった。

 色々といらぬ配慮だったのかもしれない。俺の思いやりを返せ。

 「それより、あきるくん」

 「ん?」

 「さっきから普通のトーンでしゃべっているけど、いいの?」

 「何が?」

 弐姫はにっししと笑って周囲を指さした。

 「あっ……」

 歩きながら俺は我知らず、普通に弐姫としゃべっていた。つまり、周りには独り言を言いながら歩いている不審な男が映っていた。いつもなら、もっと声を潜めて周囲にも気を配っていたのだが、完全に失念していた。

 何人かが胡散臭げな視線を俺に送っていた。こういうときだけ、無関心な都会のルールが適用されないのは何故なのか。

 小心者には気まずすぎる。

 「おうまいが……」

 こんなときは秘技、小走り逃走だ。

 俺は脇目も振らずにその場から逃げ出したのだった。

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