第三章 感知

3-1

 再び楠木から連絡が入ったのは、初夏の季節が終わりを告げ、本格的に日差しが強くなり始めた頃だった。

 夕方に時間を指定してきたのは初だったが、何か意図があるのだろう。相変わらず、日程の連絡だけで中身の話はしないスタイルだった。

 例によって弐姫は連れてこないように言及されていたので、今回もペット箒を調査という名目でふんだんに触りまくって消耗させた。いい加減、この手も使えないかと思っているのだが、毎回何の疑問も抱かずに快諾する弐姫もどうかと思いつつ、都合がいいので深くつっこまないでいる状態だった。

 とはいえ、たいして進展もないまま、ひと月は過ぎているこの状況に関して、弐姫がどう思っているのか確認する必要はあった。何にも言ってこないからと言って、何も思うところがないわけではないだろう。

 あまり芳しくない結果しか出せていないので聞きにくい内容ではあるのだが、いつまでも避けては通れない道だ。

 「なぁ、弐姫。そろそろ期限の1/3ぐらい過ぎちまったが、お前自身は、その……焦ったりはしないのか?ここまで調べてきて、まだたいしたことが判明してないわけで……」

 「うん?焦る?ああ、気遣ってくれてるのかな?にっししし、大丈夫だよ、あきるくん。みんな頑張ってくれてること分かってるもん。わたし一人だったら、もっともっとダメダメだったんだよ?まだまだ日はあるし、おけまるおけまるぅ!」

 朗らかにそう言われてしまうと、これ以上こっちからつつくのも野暮だ。語尾の方で、どうも花巻の影響が見られたが気にしないことにしておこう。

 「そうか。まぁ、頑張ってるのは主に眼鏡探偵君なんだけどな……」

 「なんのなんの、あきるくんだって色々歩き回ってじみ~に何かつかみかけてるじゃん?えらいえらい」

 精一杯の慰めが逆にピンポイントで心を抉っていることに気づいてほしい。しかもどこか上から目線だな?お前ももっとがんばれよ、と思わなくもないが、不便な身の上を知っているだけに強くは出れない。

 地味につかみかけているというのは、単に弐姫が気になった場所を列挙したところ、正確に言えばその方角を伸ばして焦点を探ったら、ある周辺が浮かび上がってきたことだ。

 まだ範囲が広すぎて、そのどこに反応したのか分からないが、最近は専らその辺りの絞り込みの調査を続けていた。おそらく、この箒はその場所に関係しているのではないかと睨んでいた。

 というか、この箒に関して未だに楠木に報告できていない。それ以上の衝撃の推理を聞いてしまって、すっかり忘れたまま今日に至っている。だが、あの推理に準じるのなら、この箒もどうやら補足するアイテム要因として成り立つので、後回しでも問題なさそうではあった。

 弐姫が壱姫であるなら、その母親の出身地が神社だったということでつながる。神社と言えば巫女、巫女と言えば神社周辺の掃除、その際に持っているのは竹箒が定番、というような連想だ。

 まぁ、本人に巫女についての記憶を尋ねたが、真っ先に出てきたのがメイド巫女喫茶という明後日の返事だったことを考えると、その連想も甚だ心許ないのだが。というか、メイド巫女喫茶とは何だろうか。メイド喫茶なら分かるが、更に属性を重ねてマニアックにしている辺り、普通の知識ではカバーしきれないように思う。

 俄然、弐姫オタク説が前線に躍り出てきたのだが、よくよく聞くとテレビのニュースでやっていたのを見たというつまらないオチだった。危うく秋葉原辺りに繰り出して探し出さねばと、無駄な恥をかくところだった。いらん知識を披露しないで欲しい。

 「この箒、お前にとって何だったんだろうな……」

 まったく記憶がない状態から、潜在意識のみで具現化してきたものだと考えると、相当強い結びつきがあると思われるが、他の何よりも先に箒が出てくるというのはどうにも解せない。

 どれほどの掃除好きだったとしても、常に箒を持って生活しているわけでもあるまい。かといって、箒のおかげで命拾いしました、だとか、箒があったから今の私があるんです、的な感動エピソードも思いつかない。よほど強力な出来事があって、そこに箒が関係しているとしか考えられないわけだが、やはりそんな状況が思い浮かばない。

 以前も結局そこに行き着いて、降参したことを不意に思い出す。インターバルを置いても、思考が堂々巡りしているようだ。俺の貧困な想像力が露呈しただけか。というか、楠木に委ねることにしたんじゃなかっただろうか。それすら遠い記憶の彼方だ。弐姫の記憶喪失を不憫に思っている場合じゃないのかもしれない。

 「お気に入りの箒だったんだろーねー」 

 本人からはそんなお気楽な感想しか出てこない。

 箒フェチという線もあり得るだろうか。いや、それでも、箒が特別好きだからといって、それが何になろう。本人を特定する手がかりには無縁だ。まさかの箒愛好家チームがどこかにあって、そこに所属していたとか言うなら分かるが。

 試しにネットで検索してみるも、そのような団体やサークル、個人のホームページ的なものはほとんど見当たらない。ニッチな趣味が多い日本人でも、さすがに箒マニアはレア中のレアものらしい。

 「箒についてはやっぱ当分、思考放棄だな……」

 「え?何か言った、あきるくん?」

 「……何でもない」

 そんなくだらない駄洒落でお茶を濁すことしかできなかった。




 平凡や普通といった言葉はよく聞くが、その具体性はいつだって曖昧だ。

 数値であれば平均化した値がそれに当たるのだろうが、かたちのないものでそれを表現するのは難しい。にもかかわらず、人はいつだってそれを口にしては、雰囲気だけで感覚を共有している。いや、した気になっていると言った方が正しいのか。

 同じ青空を見て、青いと感想を持っても、その青さが同じとは限らない。蒼、藍、碧。どんな青なのかは実際には分からないようなものだ。

 だから今。

 目の前にしている二人が、どこにでもいそうな普通の母親と父親だと俺が思っていたとしても、その凡庸さは決して一般的だとは断言できない。ただ、俺がそう感じるだけだ。

 男は仕事帰りのままの恰好なのか、少し皺がついたままのスーツ姿で、女の方はブラウスにロングスカート、花柄エプロンといった主婦スタイルだ。共に温厚そうな顔立ちで、容姿は整っているものの際立っているわけでもなく、印象に残る点は特にない。

 葉上敏夫と美羽。壱姫の両親だ。本人ももちろん同席している。

 リビングの長テーブルを挟んで俺と楠木と花巻の三人がいるので、丁度同じ人数で対面している。

 つまり、これが今日呼ばれた理由だった。

 楠木曰く「外堀を埋め終わったので、本丸に上がり込んでみようかと思います」とのことだ。

 事務所に着いた途端、楠木の車で早速移動することとなった道中、そんな目的を聞かされた。なぜ壱姫の両親に会いに行くのか。少し考えれば答えは容易に察しがつく。彼らは何か知っていると、楠木は確信しているということだ。

 そのための情報収集が終わったのだろう。そして、それを以てして真相を問い質そうというところか。空手では知らぬ存ぜぬが通るが、証拠があればそうはいかない。

 楠木の推論では、弐姫は壱姫の分離体のようなものであり、何か重大な事件が引き金となっている。その事件とやらについて、当事者の壱姫の記憶がなくとも、その周囲は知っているはずだ。とりわけ、親ならば知らないはずがない。そういう論理的帰結の終点といったところか。

 今現在のシチュエーションはある意味、探偵の独壇場だ。犯人はお前だ、的なクライマックスであり見せ場なのかもしれない。もっとも今回は犯人ではなく、事の真相というわけだが、推理とその確認という点で同じだろう。

 「では、早速本題に入らせて頂きます。壱姫さんから聞き及んでいるとは思いますが、僕は探偵です。そしてある依頼における人物調査の結果、お二人がその鍵を握っていると確信してお話を聞きに来た次第です。ちなみにこちらの二人は助手のようなものと思ってください」

 楠木がいつもの調子で切り出した。相変わらず無駄話はなく、一気に懐に飛び込む会話術だった。というか、俺はいつのまにか助手になっていた。依頼主との守秘義務のためだろうが、壱姫のときはあっさりとバラしていたような……その辺の匙加減がよく分からないが、黙って大人しくしているしかない。事前に、会話には無理に口を挟まなくていいと説明は受けていた。

 とりあえずはお手並み拝見でいいのだろう。

 「……そのお探しの人物というのは?」

 「現時点では、弐姫という名前だけしか分かっていません。しかし、その容姿はあなた方の娘である壱姫さんと酷似しています。既に一度壱姫さんの方から訊かれたと思いますが、改めて質問させてください。本当に、弐姫という名前に心当たりはありませんか?」

 「……」

 沈黙が雄弁に語ることもある。二人は何も答えなかったが、それぞれの表情が困惑や戸惑いといった何かを一瞬垣間見せた。すぐに温和な笑顔を取り繕ってはいたが、その刹那の変化は俺でさえ分かった。

 娘の壱姫が尋ねた時も、おそらくは同じ反応だったのではないだろうか。壱姫はけれど、その場でそれ以上追及する手を持たなかった。違和感はあったが、もう一歩踏み込む必要性は感じなかった。親子という関係もある。

 だが、楠木は違う。躊躇なく次の一手を打った。

 「僕はその弐姫さんについて調べるうちに、ある村に行き着きました。もう廃村になっていて地図上にも存在しないその小さな集落は、長い間、とある神社を中心にまとまっていました。古くからの土着信仰です。その地域だけのものですが、それだけに絶大な影響力を持った神道系の宗教です」

 葉上夫妻は何も言わない。ただ、黙って話を聞いていた。

 「村人はすべてその神道の信者であり、実質的に村長とも言うべき長は、代々その神社の神主だったようです。山間の農村ではよくある山岳信仰の一種で、近隣の山を崇めるにあたり、その祭事一切を取り仕切って村に繁栄と安寧をもたらす役割を引き受けていた由緒ある一家で、いわゆる宗家にあたります」

 「その家の名は御園みその家。葉上美羽さん、いえ、旧姓御園美羽さん。あなたはその一族ですね?」

 美羽は答えない。それでも、楠木は構わずに続けた。

 「そして、村の中心であった神社の名は仏和砌ほわみぎり、もちろん聞いたことがありますよね」

 それは質問ではなく確認だった。楠木の視線は穏やかだが、まったくぶれずに二人を見据えていた。いつもは騒々しい花巻もずっと空気を読んでいるのか、その無言の圧力に同調しているかのように押し黙っている。真面目モードになると、案外この二人のコンビは馬が合うのかもしれない。

 相変わらず夫婦は無言だったが、笑顔の仮面は剥がれかけていた。その名前に反応したのは確実だった。

 ホワミギリ神社。

 どんな字を書くのかすら初見では分からない響き。決して偶然の一致などは有り得ない、珍しいその名が決定打だったのだろうか。まるで呼吸を止めていたのをたった今思い出したかのように深く息を吐きだして、母親の美羽の方が先に折れた。

 「仏和砌は……確かに、わたしの実家です……」

 「美羽……いいのか?」

 「ええ……その名前に辿り着いた時点で、もう隠し通せるとは思えないわ」

 夫婦の諦観に似た口調に手ごたえを感じたのか、楠木が畳みかける。

 「では、もう話してくれませんか?仏和砌神社の次期神主、宮司候補だったあなたが、なぜあの村を飛び出したのか」

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