1-8

 「結果から前のめりで言うけど――」

 花巻がそう切り出した瞬間、俺はもう答えが分かってしまった。

 あからさまにその表情に出ていたからだ。何とか顔に出さないようにしているのか、いかにも神妙な顔つきを作ろうとしているが、唇が不満そうに突き出ている時点で台無しだった。ポ-カーフェイスは不得意のようだ。まぁ、そんな表情も可愛らしくはある。

 口調や態度はアレだが、花巻はそれなりに美少女の部類に入る。もしも思春期に出会っていたなら、面と向かってはあまり見つめられなかっただろう。自分がシャイなのは自覚している。それでも、年を経て大分図太くなったし、何より年下に気後れをするほどウブでもなくなっていた。と、今はそれよりも花巻の話だ。

「現時点ではマルミヤ空振り。照合率を下げたらいくらか拾ってきたけど、やっぱ外れ全開残念賞って感じ?」

「ふむ、ちなみに、照合率はどのくらいだったんですか?」

「70%、んで下げて60パーでちらほらって感じ。一応まだ近似値クロールしてるけど、ほぼほぼダメ元圏内みたいな?」

「その照合率ってのは、どのくらいあてになるんだ?女は化粧で化けるっていうし、髪型とかそういうのでも印象変わるから、曖昧検索的にしたらもっと増えるとか……」

 素人考えだったが、何かのきっかけになるかもしれないと口を挟んでみたが、

 「ないわー、ないない。秋留パイセン、鳥頭すぎるんですけど?」

 即座に却下され、呆れた視線を返される。

 「あたし、写真作るとき何を重点的に聞いた?ほらロールバックしてみてちょ。髪型とかミリもこだわってなかったっしょ?」

 言われて思い出す。微調整にやたら時間をかけたが、あのとき聞かれたのはあごの角度や頬のラインとか顔の輪郭や形についてが多かった気がする。確かに、顔の各部位はそれなりに手間暇かけたが、髪型などはあっさりと片付けられたような……

 「その顔は少しは思い当たった?照合はもちろん、顔の各パーツのポジションとかシェイプを比較するけどさ、一番重要なのは骨格なんだよねー、顔の輪郭ラインって結構個性出るからさ-」

 「そういうもんなのか、それなら精度は高そうだな……」

 「それはそれとして、範囲をもっと広げるべきか悩ましいですね。主要なところは抑えたつもりですが、そうして拡大していくとキリがない気もします」

 「まぁ、処理も重くなるのは確実的な?特徴的なほくろとかあれば、絞り込み条件とかで別のラインからも検索バリ花丸なんだけど、そういうのがないってのが今回は痛い痛いばぁ、みたいな?」

 「ないものねだりをしてもしょうがないでしょう。僕はもう少し該当する高校がないか確認してみます。取りこぼしがあったかもしれません」

 「りょりょりょ。こっちはまぁ、まだメインが外れたってだけでまだサブに望みあるけどねー」

 「サブ?」

 何やら含みのある表情が気になって尋ねる。

 「ういうい。今の結果はあくまでメジャー所のDBから引っ張ってきたもんだかんね。いわゆる一般的な大手ソフト使ってる分かりやすいタイプのリスト検索。こっからは杜撰なとこめがけて各個撃破みたいな?散らばったやつの画像検索とか、アクセスとかエクセルで無理矢理作ったDB関係もサルベってくわけ」

 「ああ、なるほど。一般的なDB検索の照合結果がダメだったってことか」

 元々、俺はIT関係で働いていたこともあって、今回の花巻の言い回しは理解できた、DBとはデータベースのことで、定型化して整理された各種の情報の集まりのことだ。住所録などを想像すれば理解しやすい。名前、住所、電話番号など各項目に分かれている一覧があれば、目的の情報を探しやすくなる。該当する部分だけを抜き出して照合すれば良いのだから簡単だ。

 花巻の言う大手ソフトのDBとは、要するに各高校で同じ形式のそういった情報の項目が共通しており、検索照合がしやすいという意味だろう。そして、それに該当しないものというのが厄介で、個別にそうしたDBを探して該当項目を見つけ、照合していくのがこれからの作業ということになる。アクセスやエクセルというのもソフト名で、DB作成はできるが自由に独自に作成できるのが強みであり、形式化された一般項目という意味においては少し外れるということだ。

 「とりま、第二判定まではあきらめんなって感じ?」

 誰もまだあきらめてはいなかったが、力強い言葉なのは確かだ。花巻なりにこちらを気遣った意図は感じられたので、感謝の意を含めて頷く。

 「ああ、引き続きよろしく頼む」

 「ところで、ゴースト彼女は今いるん?落ち込んでたら、ちゃんとアゲといてよ?あきるパイセン、その辺はクスクスと同じでデリ皆無っぽいし」

 「いや、今は疲れてもういないが、最終結果じゃないことも含めて伝えれば大丈夫だろう。というか、デリカイム?」

 耳慣れない言葉の方が気になった。

 「僕ほど紳士な人物はいないと思いますよ。花巻君こそ、デリカシーがないと言わざるを得ない言動が多々あるので、認識を改めて欲しいものですね」

 楠木が俺の疑問に助け船を出してくれたようだ。デリカシー皆無でデリ皆無か。なるほど、面白い言い回しだ。

 花巻は何か反論するかと思ったが、既にこちらのことは眼中にないようで、真剣な表情でモニターを眺めながら鬼神の如くキーボードを操っていた。集中すると周囲を隔絶するタイプの人間であることは既に知っていたので、それ以上の反応は期待しないでおく。

 もとより、彼女には頑張ってもらわなければならない。邪魔をする気はなかった。

 「……とりあえず、今日の所はこんなとこか?」

 「そうですね。余り良い報告とはならずに恐縮ですが、もう少し時間を頂けますか」

 「いや、俺だって速攻で結果が出るなんて思ってないから問題ないぜ。次は少し時間を空けるか」

 「はい。結果報告の目処が立ちましたら、改めてこちらから連絡します。それと、一応ご報告を」

 改まって楠木が俺に伝えてきたのは、弐姫の死亡届の有無の確認結果だった。

 一般的に、誰かが死亡すると住民票のある市町村に死亡届書を提出しなければならないことになっているらしい。つまり、弐姫が死んでいるならば、その死亡届書が存在することになる。俺はまったくそういうものに無頓着だったので、盲点だった。

 当然、親族や後見人等しかその確認はできないよう法で定められているが、電算化されてDBになっているため、ハッキングによる閲覧が可能というわけだ。とはいえ、住民票や戸籍といったものに関連する個人のプライバシーはかなり重要なものであるため、セキュリティ対策は民間のそれとは比べ物にならない。いつものように情報をローカルに落として、手元でじっくり精査という技は使えない。ゆえに、短い時間の閲覧でのチェックなので完璧とは程遠いという。

 更に、弐姫という名前のみでフルネームではないこともあり、あくまで参考程度の情報とのことだった。

 そういえば住基ネットなる国民管理システムができているのか、今まさに作っているのか、そんな状態だったことを思い出す。マイナンバーなる番号が割り当てられているのなら、その線から個人の生死も確認できるのだろうか。まぁ、弐姫の場合、その名前も正しいかは分からないので微妙なところだ。

 楠木がこのタイミングでそれに触れたのは、たぶん見込みが薄いことと、本人の弐姫の前で言及するのをためらった結果だろう。

 果たして結論は、該当者なしとのことだった。

 もちろん、上辺だけの参照に近く、あくまで参考程度の情報ではあった。

 また、行方不明者や身元不明遺体のリストなども調べたが、やはり空振りとのことだった。

 結果はどうあれ、俺には思いつかない確認だったので有難い。少なくとも、可能性の幾つかは消去法で消せたということだ。抜けはあるだろうが、それを言い出したらキリがない。

 「そうか。現状はやっぱりフルネームが欲しいってところか」

 「そうですね、調べる際にそこはやはり重要なファクターです」

 「行方不明だった可能性か……けど、高校生してたみたいだし……いや、無駄に憶測でものいってもしょうがないな。名前でダメなら、容姿でヒットするのを祈るしか今はないか」

 そうして、その日は解散となった。



 俺は事務所は後にして、家路へと向かいながら色々と考えていた。

 弐姫の身元は未だ判明どころか、手がかりがない状態は変わらない。高校の線から何か分かるかと期待しているが、そうそう当たりは引けないのは当然なので焦りはない。待つのは得意だ。ただ、ちょわの問答で気がかりが増えたことは確かだった。

 弐姫の容姿について、確認できるのは俺だけだ。

 だが、俺が見ている弐姫の外見が、必ずしも本物ではないかもしれないという可能性が出てきた。ちょわはなんと言っていたか、『外見的特徴は本人の意思が反映されるが、観測側の影響もある』みたいな感じか。つまり、俺が見ている弐姫像には俺自身の影響もあるということだ。

 もっとも、弐姫の面影や実像という俺の記憶はないのだから、思い出補正や美化された想像的なものがそこに入る余地はないと言える。俺が見ている弐姫は結局、ありのまま俺に見える弐姫であることは確かなはずだ。

 自分で言っていても少し混乱するが、弐姫に関する余計なイメージがない分、俺が弐姫を見るときに雑念的なものが影響することはないということだ。

 一方で、弐姫自身の不安定さがある。あいつがいま、疲れてここにいないのは服装に関して実験をして力を使ったためだった。高校の制服に着替えてみれば、その制服から出身校が分かる。身元特定に大きな手がかりになるのは間違いない。

 とはいえ、早速着替えてみろと言って、OK分かった任せてよ、という流れにはならなかった。弐姫がいつも着ているワンピースすら、本人が無自覚で着ているもので、その服を着ようと思って着ているわけじゃないらしい。気がついたら着ていたという感覚だそうだ。

 そんな状態で、服は作れるらしいから着替えてみろといったところで、どうやるのか分からないのは当然だった。こちらとしても、方法は知らない。ただ、可能だという情報があるだけだ。まともなアドバイスができるはずもなく、イメージしてみろとしか言えなかった。どこの漫画だよって話だ。

 結果、そのイメージという漠然としたファジーな感覚だけで、弐姫はひとしきり試行錯誤した後、見事に着替えというスキルを手に入れた。人間、もとい幽霊あるいは仮転生体、成せば成るものである。

 引き替えに大分精神力を削ったらしく、花巻の帰還を待つことなく退却していたわけだ。肝心の高校の制服に関しては、俺が必死に脳裏に焼き付けたところ、どうもどこかで見たことがあるデザインで、拙いながらにそれを楠木に伝えると、イケメン眼鏡探偵は黙ってノートPCでとある高校のホームページを見せてきた。

 映っている制服モデルを見て、まさしくそのデザインだったので俺が少し興奮気味に「ここだっ」と叫んだのだが、その熱とは対照的に楠木は首を振ってこう言った。

 「残念ながら、そこは花巻君の通っている高校です。おそらく、弐姫さんはそのイメージに引きずられたのでは?制服という単語で、花巻君の着ているそれに結びついてしまったと推測できます」

 いかにもありそうな推論だった。むしろ、そうとしか思えなくなっていた。楠木は初めからその可能性を考慮していたようだ。流石としか言いようがない。

 弐姫もそれを聞いて「ああ、かなりありえるかもー。一杯考えたけど、わたし記憶ないから、制服のイメージで身近な彼女のが反映されたのかもねー」と相変わらず脳天気に言い放った。否定要素がまったくないのが悲しいところだ。

 先入観というか、数少ない事前情報がピンポイントすぎて、なるべくしてなった結果だと思われた。

 潜在的な記憶の発露を期待したが、直近の情報に負けてしまったと言える。一度目がそんな状況だったので、その後何回か違う制服イメージで着替えてみたところで、大本が花巻の制服ベースなことに変化はなく、この作戦は使えないという結論に至った。

 かくして、俺はひとりで家路についているわけだ。

 最近はどこにいても弐姫がちょろちょろと周囲を飛んでいたので、久々の一人な気がした。

 一人。

 独り。

 ひとり。

 そうは言っても、実際には一人ではなかった。

 例え言葉は交わさずとも、道では誰かとすれ違いもするし、狭い路地ならば服が触れ合うこともあれば、ぶつかりそうになってお互い会釈して避け合ったりもする。今現在コンビニに立ち寄って買い物をしている間も、咳をすれば周囲に聞こえるし、動けば当然誰かの視界に入る。誰も俺のことを気にしてはいないといえ、その存在は感じているだろう。

 それらが弐姫にはない。

 誰からも気づかれない。その声は響かず、その姿は見られず、その手は届かない。あまつさえ、自分の姿も確認できない。顔も分からない。

 本当のひとりだ。

 その孤独さは想像を絶する。

 それだけに、無邪気なあの笑顔を思い出す度に心がざわつく。憐憫なのか、恐怖なのか、愛しさなのか、せつなさなのか。

 自身の感情が理解できない。

 弐姫の心情も分からない。

 分かっているのは、そんな弐姫に何かしてやれるのが、俺だけであるという事実だ。

 面倒なことだ。まったく面倒で仕方ない。

 それでも、避けるわけにはいかない。他人にまかせられることじゃない以上、俺がやらなければならないことだ。

 逆の立場になって考えてみれば、自明の理だ。他に頼れる人間がいないのに、その当人から拒否されたらどうなるのか。たった一本の命綱を手放すことなど、まともな人間にはできない。

 善意や悪意の話じゃない。倫理的問題でもない。

 ただ、自分の心の平穏のため、寝覚めの悪さを回避するため、後悔しないためだ。自分がやられたら嫌なことを、他人にはできない。明日は我が身。情けは人のためならず。

 救えたかもしれないと後々まで考えてしまう面倒さを抱えるより、一時の面倒で片付けた方が、心理的に軽い。繰り返す面倒より、使い切る面倒。俺が弐姫に手を貸すのは、それだけの理由だ。

 それでも考えてしまう。

 彼女が抱える孤独の重みを。考えずにはいられなかった。柄にもなく、そんなことをしみじみと思う。まったく、面倒なことだ。

 俺は夕食の弁当を買って、コンビニを出る。

 「ありがとーござーしたー」

 高校生くらいのバイト店員のやる気のない声が背中にかかる。そんな一言すら弐姫にはかけられないんだな、とそんなことを思いながら、あの笑顔を思い出していた。

 あの屈託のない笑顔は、認識されていることの喜びだろうか。

 俺がちゃんと見ている事に対する、その歓喜の表れなのだろうか。

 それだけではない何かがあるように感じる。それが何か分からないままだが、何かが引っかかっていた。

 そして、コンビニの袋にも何かが引っかかっていた。

 「あ、割り箸はいらねって言うの忘れた……」

 貧乏性なので、割り箸は洗って使い回す派だ。コンビニ弁当の度に増える割り箸はかさばるので、邪魔な存在だった。

 とはいえ、引き返してわざわざ返却するのも面倒だ。

 そうして溜まっている割り箸がもう何組あることか。古い奴は捨て、ストックから卸して使うべきだが、その入れ替え行為も面倒だ。

 世の中、本当に面倒が多すぎる。

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