3-3

 辿り着いたかと思われた弐姫の素性は、美羽の一言でまた振り出しに戻ってしまった。

 弐姫かと思われた双子の片割れは、どうやら里子に出された先で3歳にも満たない頃に他界してしまっていたようだ。

 葉上親子は自分たちの生活で精一杯だった暮らしが一段落すると、当然の如く一緒に連れ出せなかった我が子の行方を追った。村の協力者から里親の情報だけは聞き出していたので、その手掛かりを頼りに興信所を使って調べたのだが、時すでに遅しだったというわけだ。

 兄妹がいることを壱姫に隠していたのは、そういう理由からだった。泣き顔で娘に謝る両親の姿を見てしまうと、その場に立ち会っている自分がひどく場違いな感じがしていたたまれない気持ちになった。他人のプライバシーを勝手に暴いたような形になってしまって申し訳ない。

 しかし、同じ立場であるはずの楠木は違った。

 亡くなった双子の顛末を聞き終えると、少し険しい表情で何か考え込んでいる。目の前の葉上家のドラマにはまったく関心を示していないように見えた。

 自らの仮説が崩れ去ったことで、新たな推理を構築するのに忙しいのだろうか。いや、そもそもその前の仮説が間違っていることに対して、露ほども気にした様子がなかった。かなり自信をもっているように見えただけに、その無頓着さは少し違和感があった。

 何より俺自身がその仮説について結構必死に考えていただけに、あっさりと捨てられているのが納得いかない。

 もう少し悔しそうにしろと、陰湿な俺の影の部分が抗議をしていたのかもしれない。

 「……一つ確認させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 葉上親子の家族会議が終わったところで、楠木が思案顔のまま尋ねた。

 「ご出産の際、あなたの意識はありましたか?かなりの難産だったと聞いていますが……」

 「どういう、意味でしょうか?何にせよ、いきまないと産まれないので……」

 「いえ、質問の仕方が曖昧でした。正確には子供が生まれ落ちた瞬間、あなたの意識はありましたか?大分疲弊していて、赤ん坊を取り出された後、すぐに意識を失いませんでしたか?」

 「それは……ええ、確かに、記憶があやふやなところはあります。一瞬か数分、記憶が飛んでいるかもしれません。ただ、産婆が、今でいうと助産師役の方が赤ん坊を見せてくれたのを覚えています……双子だったので厳しい空気でしたが……」

 「なるほど。出産に立ち会っていたのはその助産師さん一人だけですか?」

 「いえ、二人です。産婆、いえ助産師役が二人で立ち会ってくれていました」

 「赤ん坊を見せてくれたとき、二人ともそこにいましたか?」

 「え?それはどういう……いたと思いますけど……」

 美羽は思い出そうとして、しばし考え込んでいたが、やがて首を振った。

 「よくは思い出せません。双子の赤ちゃんを見て……いろいろと複雑な感情のまま眠りに落ちてしまって……次に目覚めたときには既に赤ん坊とは引き離されていました」

 双子が不吉な子と認識されていた社会で育ったなら、当然の反応だろう。子供が生まれて手放しで喜べないというのは悲しいことだとは思うが、出産の大変さも子供を持つ感慨も経験がないのでなんとも言えない。

 「そうですか……っと失礼」

 楠木は懐からスマフォを取り出して中身を確認している。メールでも来たのだろう。真剣な面持ちでその内容を確認し終えた後、

 「すべてのピースというにはまだ足りていませんが、一番大事なピースは手に入れました。葉上美羽さん、あなたのお子さんに関して、あなた自身が知らないことがまだあるようです」

 探偵の見せ場と言わんばかりの堂に入った態度で、楠木は再び話し始めた。

 「僕がまず不思議に思ったのは、なぜ、かの村が廃村になったかということでした。世の中の市町村合併の流れに逆らえずという表向きの話は理解できますが、今までも僻地にあって長期間免れていただけに、腑に落ちなかったのです。一番近くの町役場に村専用の担当公務員が配置されてきたほど、絶大な影響力と政治的配慮をもって、村の存続のための体制があったにも関わらず、です。たとえ合併ということになっても、公式には村民は近隣のより大きな町へ移住という形で書類上だけ繕って、実質上は元の村での生活は送れるくらいの手回しがあったはずなのです――」

 「実際、村に訪れる外部の人間はほとんどいなかったと思いますが、間違いありませんか?」

 「ええ……主人が来るまで、ほとんど私は村の外の人を見たことがありませんでした」

 「我々があの村へ調査へ行ったとき、確か、村人は十何年ぶりかの余所者だと言っていた気がします」

 夫婦の答えに満足げに頷くと、楠木は続けた。

 「本来、そんなことはこの現代社会ではありえません。立地条件的な制限があったとしても、それなりの人数が住まう村一つを長期間隠し通せるはずがない。しかし、人為的に様々な隠ぺい操作が行われていたなら納得がいきます」

 「それが、その村専用の担当ってやつの仕事だったのか?」

 俺は思わず口を挟む。行政の裏の部分というのは、きっと色々闇が深いとは常々思っていたので、そんなことも十分あり得るとは思った。

 「はい。もちろん、それだけではないでしょうが、大きな役割を担っていたことは確かです。ですが、廃村になる際、その担当部署はなくなっていました。公的な記録には最初からない部署でしたが、非公式にも消滅していました。いえ、そういう扱いにされたのです――」 

 「その理由は簡単で、もはやかの村、実質的には御園家にかつてのような権力や威光がなくなったからでしょう。村が廃れることになった原因は、中心である仏和砌神社、ひいてはその柱たる御園家の失墜にあったと思われます」

 「失墜……」

 「はい。美羽さん、あなたが村を出てからの状況は、どの程度まで知っていましたか?」

 「正直、あまり……もう関わり合いにはならないと誓って飛び出したので……ただ、最後に便りをもらったのが、あ、一人だけずっと私の味方でいてくれた権禰宜ごんねぎがいたのですが、その方とだけ連絡をしていたのがもう数年前になります。その後、どうなっているのか気にはしていましたが、なかなか機会がなく……」

 「それはお白さんと呼ばれていた方ですね?僕らの調査にも大変役立ってくれました」

 「知っているのですか?お白さんはお元気でしょうか?」

 少し食い気味に美羽が尋ねる。気にしていたというのは事実のようだ。

 「残念ながら……既にお亡くなりになっています。僕らは彼女の娘さんから、生前の手記を見せて頂きまして、色々と知ることができたのです」

 「ああ……そうですか……」

 「後ほど、彼女の娘さんの住所はお伝えしますので、どうなさるかはご随意に。今は話を続けさせてください」

 「ちょい待ち、そのゴンネギってなんぞ?ゴンギツネの親戚?」

 花巻が楠木を遮る。空気を読まない横やりともとれるが、あるいは暗くなった雰囲気を変えようとした意図があったのかもしれない。質問内容としては、一般的には確かに知らないと思われるまっとうなものだ。だが、ゴンギツネはどこから出てきたのか。キツネとネギの相関関係はどう考えてもない。ゴンつながりの勢いだけか。

 俺はたまたま知っていたが、正確には分からなかったので楠木の説明はためになった。

 「権禰宜というのは神職の職階です。禰宜という役職があって、その下が権禰宜と言います。そうですね、分かりやすく教室内のヒエラルキーで例えると、先生が宮司、学級委員長が権宮司、副委員長が禰宜、その他何かしら委員会所属の肩書がある生徒が権禰宜、その他の生徒は更にその下といった感じでしょうか」

 「ははーん、なるほ。神職も階級社会かー。あれ、神主とかっていうのは?」

 「神主というのは役職名ではなく、一般的な職業としての呼び名ですね。神職と呼ぶのとと同義です」

 「そうなん?じゃあ、寺の坊さんっていうみたいなのと同じってこと?」

 「そうです。お坊さんも一般的な呼び名であって、よく聞く住職が正しいのですが、まぁ宗派によっていろいろ変わりますし、住職というのも実は住持職の略なので余り深く考えないでいた方が無難でしょう」

 「うへっ、正式名称って面倒なん多すぎー、略称でも伝わればいいや」

 確かに言葉は何かを伝えるための手段だ。時代とともに意味が変わる言葉をよしとしない風潮もあるが、伝えるという目的が果たされるならば、言葉としての意義は全うしているのでそれもまたアリなのかもしれない。花巻の考えは短絡的とも思えるが、的を射てもいる。

 「では、話を戻しますが……御園家の権力が弱まった理由が何かと考えたとき、一番最初に浮かぶのは当然、山岳信仰のためのお役目の不備などが浮かびます。美羽さんが抜けて運用が困難になったのかもしれません。家長の蔵馬――美羽さんの父親――が再び取り仕切っていたようですが、年々奇行が増していって手が付けられなくなったようです」

 「奇行……ですか?帰幽きゆうされる前に重い病気を患っていたようなことは、風の噂で聞きましたが……」

 「はい。娘の美羽さんにこんなことを言うのは忍びないのですが、事実として簡潔にお伝えします。御父上の蔵馬さんは晩年、狂ってしまわれたようです。疑心暗鬼に取り付かれて誰のことも信用できず、ただ御園家の血を絶やさないことに心血を注ぐあまり、村の女性を襲うようにまでなっていたとのことです。おそらくは子供を増やして、御園家の血を継ぐものをより多く確保しようとしたのでしょう」

 「それは……なんということを……」

 なかなかにえぐい話だった。女子高生がいる前で語ることではないと思うが、関係者である以上、知っておくべきことでもあるので何とも言えなかった。

 などと多少憂いていると、その片方のJKがあっけらかんと言い放った。

 「ってことはなに、村が滅びたのって、そのスケベオヤジがヤリチンになってとち狂ったからってこと?パワハラセクハラレイプマンとか超最低じゃね?」

 「……君という子は……」

 あまりの物言いに楠木が額に手を当てて呆れるポーズを取る。 

 確かに花巻の言い分は間違ってはいない。いないのだが、仮にも神職の宮司をスケベオヤジにヤリチン呼ばわりはどうなのか。しかも、親族の前でレイプマン呼びとは遠慮がないにもほどがある。

 「くすっ」

 しかしながら、そのストレートすぎる表現と軽いノリが逆に良かったのか、壱姫が思わず吹き出した。

 「ご、ごめんなさい。その、あまりに的確だったのもので、つい……」

 祖父をけなされたことに関してはまったく気にしていないようだ。まぁ、一度も会ったことがない相手になるだろうし、晩年の言動だけ知った限りではろくでもない人物ではある。気にかける道理もないのかもしれない。

 「んー、でも待って。そんなに血筋にこだわってるなら、壱姫のこととか必死に探してたんじゃねーの?よく見つからんかったもんだね」

 「それは……後から分かったのですけれど、どうも本気で探していたのは最初の二年ほどだっただけみたいです。私たちはもっと長い間、警戒して潜んでいたのですが……とはいえ、やはり心の底から安心はできなかったので、定住する決意を決めるのに更に年月が必要でしたけれど」

 追手のいる状態での逃亡生活というのは想像するだけで息苦しい。それを何年も耐えてきたのは素直に称賛に値する。

 「二年……なるほど……つまり、その頃に見つけたわけか……」

 「見つけた?何をだ?」

 珍しく口に出した無意識らしい呟きを聞いて、反射的に俺は尋ねていた。

 「え?ああ、声に出てましたか?すみません。それを話す前にもう少し確認をさせてください」

 楠木は改めて美羽に向き合うと、

 「美羽さん、あなたは榊田さかきだの庭と呼ばれていた場所をご存知ですか?」

 「榊田……参籠所さんろうじょがあった辺りだったと記憶しています。でも、なぜそれを村の外の者が知っているのですか?神官以外では、村の者でもあそこを知っている者はほとんどいなかったはずです」

 「それはこれから分かります。実在するということが今は肝要です。その場所というのは、村から多少離れていたと聞いていますが、そうなんですか?」

 「はい……お籠りをするための場所ですので、山間の人気のない場所に位置していたはずです」

 「なるほど……条件は揃っている、か」

 思わせぶりの楠木の独り言がこぼれた。聞き慣れない単語が出てきたが、今は黙って二人のやりとりを見守るべきだろう。

 「では最後にもう一つ、あなたの母親の志穂さんは情に厚い方でしたか?」

 「え?お母様ですか……どうでしょうか。正直、わたしには分かりません。あの村では、一般的な親子として生活はしていませんでしたので、母としてのあの人をうまく思い出せないのです。ただ、思いやりはそれなりにあったように……思います」

 美羽はうつむきがちにそう言った。

 自分の母親の話にしては、どうにも奇妙な言い方に思えたが、それこそが彼女たち親子の歪さの表れなのかもしれない。しかも、夫が娘を犯すことに対して容認していたような節もあり、関係は冷めていたとも推測できる。あるいは、家長である蔵馬に逆らえない気弱な妻で、彼女もまた忌まわしき因習に囚われていた被害者だったのかもしれない。

 「すみません、少しこちらの質問が曖昧でした。そうですね……具体的な例として、もしも目の前に物乞いがいて、自身に与えられるものがあるとしたら、それを差し出す優しさは持ち合わせていましたか?」

 「はい。それは、そうしたと思います」

 即答だった。俺だったらと考えると、少しためらう。状況次第でこちらの行動も変わるだろう。純粋に困っている物乞いという条件がつくなら分かるが、物乞いを装っている詐欺師の可能性なども邪推してしまう。簡単に他人の善性だけを信じられるほど、人間はできていない。

 その点では、少なくとも美羽は母親を信頼しているということになる。

 「分かりました。ありがとうございます。お陰様で、だいたいの概要は埋まりました」

 「いやいや、こっちは全然分かってないですけどー?そろそろデコードしてくれないとオペラ厳しいんですけどー?」

 花巻用語は慣れてきたので、なんとなく言いたいことは分かった。いい加減、解説しろということだろう。内心、大いに同意する。

 「大丈夫です、これから話します。さて、美羽さん」

 楠木は改めて美羽に向き合うと、今日最大の爆弾を落とした。

 「結論から言って、あなたには三人目の子供がいると思われます」

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