第35話「決着」

 トシアキが手すりから下へ消えていくのを見届けたオウガは、すぐに踵を返す。


 何故なら、オウガにはまだ役割がある。ダムを決壊させ、アマンダの街を敵もろとも洗い流さなくてはならない。


 トシアキが気付いたように、急がなければまた誰かがダムに押し寄せてくるかもしれない。もしくは街から避難してしまうかもしれない。そうすれば、作戦は無に帰す。


「急がねえと。急がねえと… …」


 オウガは自分の中にある独善に従って身体を動かす。


「俺は正しい。俺は勝たなきゃいけねえんだ。あんな、いらねえ奴らの自由にさせるわけにはいかねえんだ」


 そんな妄執に取り付かれていたせいか、自分を覆う薄く大きな影の存在に気付くのに遅れてしまった。


「どこに行く。戦いは終わってないぞ」


 声を掛けられ、オウガはギョッとして上流側に振り向く。


 そこには入道のように水がせりあがっていた。いや、それは水に似ているが水ではない。透明な、スライムの集合体だ。


「―――クソッ、意識が飛びそうだ。連続投与が危険とはこういうことか、悪寒が止まらないな」


 トシアキは両腕が肘まで回復した状態で、スライムの中で浮いていた。スライムの中では息ができるのか、口をパクパクと動かしていた。


「―――化け物がっ!」


「おあいにく様。俺もお前も同じ穴のムジナだよ。ただ、中が違う。それだけだ」


 オウガは慄きながらも、戦意はまだ失っていなかった。


「だが、まだだ。まだ俺は負けていない! このダムごと貴様を洗い流してくれるっ!」


 オウガはダムの内部へと通じる階段へと駆け込む。


 しかし、それを待ってやるほどトシアキはのろまではない。


「させるかよっ!」


 見上げるほどの入道が、今度は倒れていく。それは大きな津波だ。トシアキを乗せたまま、スライムの群衆はオウガを飲み込む。


「ぐっ、おおおおお!」


オウガはスライムに押され、下流側の手すりまで追いやられる。それでも、オウガは手すりにつかまり、今だに内部へ続く階段へ入ろうとしている。


「負け、負けな、い。俺は、正しいんだ。正義は、勝つ! 勝たなければ、ならねえんだっ!」


 オウガはスライムの水面から何とか顔だけを出し、必死に抵抗していた。


「いや、お前の正しさは根本から間違っている。正しさは、誰の中にも最初からあるもんなんだよっ! それは正義とも、悪ともいう名前じゃないっ!」


 トシアキは完全に両腕が回復するのを待ってから、オウガに組みかかる。


 オウガもまた、手すりから手を離し、代わりに長い尻尾で手すりを掴む。そして、トシアキを迎え撃つように両手を受け止めた。


「悪には、負けねえっ!」


「正義だから、勝てるわけじゃないっ!」


 乱打、乱打、トシアキが右の拳を打てばオウガの左手が捕まえ、逆にオウガの右拳をトシアキが捕まえる。


 もしくは、トシアキがスライムの中で蹴りを打てば、オウガの肘がそれを受け止める。


 どちらも決め手を欠きながら、それでもスライムは下流へと流され、その量を減らす一方であった。


「オウガあああああああ!」


「トシアキいいいいいい!」


 両者が咆哮する。さらに、スライムの波の最後の一滴が流れ落ちる。


 その寸前。トシアキは自分の身も顧みず、頭からオウガの腹に激突する。


 オウガは意表を突かれたせいか、手すりを掴んでいた尾が緩んでしまった。


 両者は、そのままの勢いで空中に投げ出される。


 だがトシアキだけは左腕から鞭のようにスライムを伸ばし、手すりを捕らえた。


「俺だけではいかないっ! 貴様も、道ずれだっ!」


 オウガは咄嗟に尻尾をトシアキの右足に巻き付ける。スライムの鞭は二人の体重には堪え切れず、長く引き伸ばされていく。


 このままでは二人とも奈落の底だ。


「クソッ。硬化のアンプルさえ残っていれば」


 何か手はないか。トシアキは周囲を見回し、考えを巡らせる。だが解決策は見つからない。


「ここまで、か」


 トシアキは諦めたように、がくりと項垂れる。


 その時、眼下の光景が目に入った。そこにはダムとアマンダの街を結ぶ階段が見える。


 それに、階段を駆け上がってくる小さい人影も見えた。


「ミア」


 そうだ。ここで戦っているのは独りではない。ブギーもミアも戦っている。ゼノは戦いのために準備をしてくれた。リトルリトルは身を挺して俺を守ってくれた。


「俺は独りじゃない。そして、お前は」


 トシアキは右腕に纏わしたスライムを刀剣のように硬化させる。


「独りだっ!」


 一閃、青白い透明な刃が煌めくと同時にオウガの尾が寸断された。


「おおおおおおおおお!」


 オウガの声がダムの形作る谷に落ちていく。トシアキは鞭状のスライムにぶら下がったまま、消えていくオウガの影を見送った。


「己を呪え。ヒーロー、お前はデュラハンの敵じゃない」

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