第34話「決戦」

 ダムの天端通路は幅十メートルもある広い場所だった。


 遮るものは何もなく、上流には鏡面のような水面が、下流にはわずかな湧き水のようにクレストゲートから水が流れ落ちている。


「訊いておくが、もうヒーロー協会側に勝ち目はない。投降する気はないか?」


 トシアキはじりじりとオウガとの間合いを詰めながら、問いかける。


「心にもないことを。正義の味方が悪の組織に命乞い? それはあり得ねえ話だな」


「そうか。なら、どうしてこんなところにまで逃げてきた? 部下を見捨てて一人だけ助かろうとでもしたのか?」


「質問が多いな。だが、応えてやる。俺の偉大な勝利への一手をな」


 トシアキはオウガに詰め寄った足を止める。


 勝利のための一手? こいつは、何を言っているんだ。


「わざわざ南門からもギズモの街の自警団を入れたのは無策じゃねえ。奴らも、デュラハンも一網打尽にするためにわざわざ招いてやったのさ」


「それに、何の意味がある」


「ここのダムは百年以上前からここに存在する、堅固な巨大建造物だ。それでもウィークポイントはいくつもある。それこそ、少量の爆薬でも決壊させることができるほどにな」


 トシアキはオウガの言わんとしていることに気付いた。しかし、それは禁じ手だ。悪魔の発想だ。


 まさに外道。これを知られればヒーロー協会の地位などあっという間に瓦解するだろう。


「まさか、アマンダの街ごと洗い流すつもりか!? あそこには味方もいるんだぞ! 見捨てる気か!?」


「弱い奴はいらねえんだよ。正義を執行できぬものに、正義の覇権を支えるための生贄になってもらうだけだ。奴らも本望じゃねえか」


「馬鹿か! ボランティアにとっては正義なんてどうでもいい。生きるために大局に迎合しているだけだ。それが分からないのか。奴らは、生きたいだけなんだ」


「… …通りでいらねえやつばかりいるわけだ。正義の礎になるつもりもない奴が、ヒーロー協会やボランティアを腐らせていたわけだ。これは浄化にもなるな」


 ダメだ。話が通じない。


 トシアキは和解をあきらめ、最後に一つ、疑問に思ったことを告げた。


「… …オウガ、お前にとってそんな大事な<正義>とは一体何なんだ?」


 オウガはその言葉ににやりと笑う。そいつはヒーローに似合わない、執着心にも似た陰湿で粘り気のある笑いだった。


「俺は正しい、それだけさ」


 悪が憎いわけでもない。人を助けたいわけでもない。中身のない、空虚な正義がそこにはあった。


 トシアキは腹式呼吸で身体に力を循環させると、一挙にオウガとの距離をゼロにする。


 今のオウガは人狼化しているものの、鉄火八八式重機関銃は持っていない。接近は容易だった。


「俺の<正義>にひれ伏せ!」


 オウガは近づいたトシアキに手刀を振り下ろす。


 トシアキは回転しながら手刀の一閃を回避すると、そのままの勢いで何かを投擲した。


 それは空のアンプルである。


「ぐ、があああ!」


 アンプルの針が正確に、オウガの右目に直撃する。


 オウガは右目から血の涙を流しながらも、右腕で薙ぎ払う。


 その一撃は避ける間もないトシアキの左腕をさらい。ちぎれた腕は天端通路の手すりにぶつかって止まった。


「ぐっ!」


 どちらも重傷を受け、苦痛にさいなまれる時間の分だけ、戦いは一時止まった。


「くはははっ! 俺は右目を! お前は左腕を! 様になる戦いじゃねえか。さあ、もっと殺しあおうか!」


 トシアキは身構え直すオウガを無視し、自分の腕を拾いに手すりに近寄る。


 そして腕を拾い上げると、その切断面を自分の肩に合わせた。


「誰が腕を失くしたって?」


 その時、目を疑うような光景が表れる。スライムが縫合の糸と針のように左腕の切断面を縫い合わせ始める。


 ちぎれた肉は映像の逆再生のように筋繊維を縫いなおし、血管や神経を新しい管で接合しなおし、骨は再構築されていく。


 肌は溶接痕のように歪に結ばれ、トシアキの傷はほぼ完治していた。


「再生能力、ここまでとはな。アンプル増産の暁にはヒーローの殲滅も夢じゃないかもな」


 不敵に笑うトシアキに、オウガは怒りの頂点に達する。自分が傷つきながら、相手に傷ひとつないのは彼のプライドをいたく傷つけたのだろう。


「ならば、達磨になるまで切り刻んでやる」


 オウガは獣の跳躍でトシアキの喉元に跳びかかる。


 咄嗟に回避したため、本当に喉元を食いちぎられることはなくとも。続いて連続攻撃が襲い掛かる。


 今度はトシアキの右腕が飛ぶ。


 それをスライムが無数の触手で手繰り寄せ、また接着、再生させる。


 今度はトシアキの両足が切断される。


 それもまた糸をつむぐように再生する。


 次はオウガの牙突によりトシアキの身体に無数の穴が開く。


 それさえも、穴はネジを絞り込むように塞がっていき、遂には元に戻ってしまった。


 オウガも流石に驚愕を隠せない。


「貴様、不死身か!?」


「俺も最初は例えかと思ったが、不死身に近いみたいだな」


 それでもまだ、頭蓋を粉砕したわけではない。脊柱を木っ端みじんにしたわけではない。殺す方法はまだあるだろう。


 そう、他にも殺す方法はあるのだ。


「ならば!」


 オウガは両手の手刀でトシアキの両腕を切断する。その直前、トシアキはまた空のアンプルをオウガの残りの目に向けて投擲していた。


「いらねえ攻撃だな」


 オウガは頭を逸らし、回避する。そしてトシアキから離れた両の腕を掴むと、トシアキの胴体に蹴りを入れた。


 トシアキの後ろには手すりがある。しかし、オウガによって胴体を蹴り上げられ、あまり高くない遮蔽をあっさりと越えてしまった。


 トシアキの身体は上流の湖へと落ちていく。


「すぐに両腕を再生できないだろう。溺れて死ね。トシアキ」


 トシアキは落ちていく。落ちていく。


 それでもその顔には微笑を湛えていた。

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