第21話 生きるための『逃走』


「のぉっ!」

 僕は杖を持った巨大な骸骨――リッチーの首を殴り飛ばした僕は、周囲を見渡した。

 周囲には怪我をした兵士が倒れ、それ以上の兵士たちが魔物と剣を交えている。

 あのえらそうなヴォルフガング中将も、剣を必死に振(ふる)って豚面の魔物と奮戦している。

 状況はいい具合に混乱していた。

僕が彼女と逃げ出しても、すぐに追手が差し向けられない程度には。

そう判断した僕は、目立たないように顔を伏せて彼女の元まで移動した。

「ねえ、逃げるよ。立って」

 岩に背中を預け、放心したように周囲の地獄を眺めている彼女の前に、僕は立って手を差し伸べた。

 だが、これは彼女にとって更なる苦痛を与え、更なる地獄を見せる行為だ。

 今でさえ、望みもしないのに魔物が生まれ、そのせいで兵士たちが大勢死んでいるのだ。

 この先僕と共に逃げれば、更に多くの死を見なければならないだろう。

 優しい彼女にとってそれは地獄でしかなかった。

「……もう、いい……いいのだ……」

 だから彼女が僕を拒絶するのは当然と言えた。

「良くない。絶対に、良くないよ」

「余が死ねば、それで……」

「良くない……!」

 僕はそう告げると、彼女の意思を無視して無理やり彼女を担ぎ上げた。

「……やめ……て、くれ」

 心が弱っているからだろう。いつもより格段に緩慢な動きで逃れようともがく彼女を、僕は強く抱きしめ、走り出す。

 誰かに見つかるかもしれなかった。いや、もう見つかっているだろう。

 ただ戦う事に手いっぱいでこちらに構う事が出来ないだけだ。

 それが終わればすぐにも兵士たちの剣は僕らに向けられるはずだ。でもその前に少しでも遠くに逃げる事が出来れば……。

「大いなる輝きをここに。我らは勝利の凱歌を謳う。来たれ、星光!」

 戦場のどこかでミュウが呪文を唱える声が響く。

 一際大きな輝きが兵士を、魔物を塗りつぶしていった。

 分からない。分からないけどもしかしたらミュウは、僕たちを逃がすためにわざとあの魔法を使ったのかもしれない。

 そんな甘い考えと感謝を胸に、僕たちは戦場から逃げ出した。





 僕は走った。全てを顧みることなく、ただひたすらに逃げ出した。

 腕の中で彼女がもがく。普段なら間違いなく彼女の力の方が強いというのに、今はまるで弱く、見た目相応の女性になってしまったかのようだった。

「もう少し、だから……」

 そう言った瞬間、声を上げられないように彼女の口を抑えていた僕の左手に鋭い痛みが走った。

「つっ」

 痛い。とはいえ彼女を放すこともできないため、僕は我慢して走り続ける事を選択する。

 そのまま人目から隠れられそうな岩陰までひた走ると、そこでようやく彼女を解放した。

「……ぷぁっ。このっ、貴様……!」

「ごめんっ!」

 解放した後は即座に土下座の体勢に入る。

 だって罵倒されたくないし。

「……き、貴様、それは卑怯だぞ」

 作戦勝ちだね。

「君が殺されるのは絶対に避けたかったから。だから、無理やり攫って逃げた。悪いとは思ってる」

「悪いと思っているのなら今すぐ余をあの場所に連れ帰れ」

「それは断る」

「このっ」

 頭上で何か物を振り上げる様な気配がする。叩かれるなら素直に受け入れよう、そう思って衝撃が来るのを待っていたのだが……。

「……はぁ」

 拳の代わりにため息が降って来た。

「観念して守られてくれると嬉しいな」

 さすがに土下座を続けるのも極まりが悪いので、頭を上げて彼女の顔をまっすぐ見る。

 彼女も僕を、やや疲れた顔で見つめ返した。

「……頼むから、余を殺してくれ」

「……久しぶりだね、その言葉」

 返事をする代わりにそうはぐらかす。

 これで分かってくれるだろうか。

 君は今まで、死にたいと思ってなかったんだよ。

「苦しいのだ。楽にしてくれ」

 彼女は血を吐くようにそう言った。

 どれだけ彼女が苦しんでいるのか、そしてその苦しみにさらされ続けているのか、きっと僕はその一欠けらでさえ理解しては居ないだろう。

 だからこんな事を言えるのだ。無責任に。

「死なないで欲しい。君に生きて欲しい」

 何度目かの願いを、もう一度念押しの様に口にする。

 でも、それが聞き入れられないのは分かり切っていた。

僕が彼女の願いを聞き入れないように、彼女の願いと僕の願いは平行線だから。

「……もう、見たくないのだ。恨まれたくないのだ」

「分かってる! 僕がひどいことを言ってるのも、君を傷つけてしかいないのも、分かってる!」

 分かっていて言うのだから尚更僕は最悪だ。

 自分勝手で傲慢で、自分の考えを押し付けるエゴイストだ。

「でも、君も聞いただろ? 億以外にも君が死に続けても問題は解決しないって考えている人が居るって」

「ごく一部だとも聞いたぞ」

「それでも居るんだよ」

 僕は絶望を振り切るように勢いよく立ち上がると、彼女の両肩を掴む。

「君が死んでも終わらないんだ。これから先もその地獄は続く。だから今耐えて、今、終わらせるんだ!」

 僕の勢いに押されたのか、彼女の瞳が揺らぐ。

「僕も手伝うから! ずっと傍に居て君を守るから! 僕に言いたいこととか怒りとかあると思う。それは終わったら全部受け入れるから。存分に殴ってもらって構わないよ。だから、今は、お願い」

 言いたいことは全て彼女に伝えた。後は彼女の決断だけだ。

「…………」

 彼女は一呼吸入れるように目を閉じる。

 そして目を開けた時、そこには泣いているような、笑っているような、それでいて怒っているような、そんないろんな感情がない交ぜになった不思議な表情を浮かべていた。

 いったいどのくらいの間悲しみを抱いたらこんな表情が出来るのだろうか。

 僕は彼女のその表情を見た瞬間、彼女が手の届かないどこか遠くに行ってしまう光景を幻視してしまった。

「行かせない!」

 衝動のままに、僕は彼女を抱きしめた。

子どもの様に駄々をこねて、変えられない答えを拒絶する。

「駄目だ。……駄目だよ」

 初めて抱いた彼女は、とても暖かかった。

 生きて、いた。

「もう、辛いのだ。耐えられないのだ。……悲しいのは嫌だ。恨まれるのはもっと嫌だ」

 彼女の顔は見えない。でも彼女が泣いている事は分かった。

 だからなお、力を籠めて抱きしめる。ここに居るよと、守るよと、想いを伝える。だが――。

「余の事を想うのならば、殺してくれ」

 それは慟哭。魂からの懇願。悲痛な叫びだった。

「……っ」

 答えは決まっている。でもそれを言えば彼女をぐちゃぐちゃに踏みにじってしまう。

 だから僕は……。

「いいぜ」

 ある意味、最も彼女の命を奪うにふさわしい死神が、応えた。

「アルッ!」

 僕は彼女から身を離すと、声の主から守る為に背後に隠す。

「はっ」

 アルは皮肉気に笑いながら、岩陰から姿を現した。

「まったく、お前には感謝してもしきれねえよ」

「……どういう、意味だ」

「ははっ。元来魔王は勇者の武器を使えるお前しか殺すのを許されちゃいねえ。だが、お前が魔王を連れて逃げてくれたおかげで……」

 肩に担いでいた血濡れの勇者の剣を、これ見よがしに振るう。

 アルの顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。

「俺が殺せる」

 そして僕は理解した。

 アルが何故執拗に騒動を起こしたのか。ミュウを人質にとったり、僕が殺さないのを分かっていて怒鳴りつけたり。

 今思えば不自然な事だらけだった。

「お前が何かを企んでるのはバレバレだったからな。時間稼ぎに付き合ってやったんだよ。そうしたら、逃げ出してくれると思ってなぁ……」

 アルは嬉しそうだった。それもそうだろう。待ちに待った復讐が、今、自分の手で成ろうとしているのだから。

「アル、いいのか。君が殺せば数日後には彼女は蘇る。君の復讐は、無駄に終わるどころか更に続く。そして悲劇を増やすんだ」

「知るか! 俺は、一度ソイツをぶっ殺さねえと何もできねえんだよぉ!」

激発したアルが、突進と共に大上段から剣を叩きつけてくる。

 僕はそれを左腕に装着した盾で受け止める。

 金属の打ち合う澄んだ音が、戦いの始まりを告げる鐘の音となった。






「考えろ、アル! 例え彼女を殺せたとしても、また彼女は世界のどこかに蘇生する。その時もしも街中で魔物が発生してしまったらどうなるか!」

「蘇生するならいいじゃねえか! 今、俺に殺されろっ!」

「そういう意味じゃない! 他人に犠牲を強いるのは明確な悪だ!」

「てめえが言える事かぁ!」

 二人は互いに言葉をぶつけ合い、想いで打ち合った。

 どちらも絶対に引かない。

 アルは己の目的のため。

 僕は守りたい存在(もの)のために。

 アルが渾身の力で突き込んだ剣を、僕は盾で横に逸らした。だが、それを読んでいたのだろう。

 蛇のようにアルの左手が盾と体との隙間に侵入してくる。そのまま無防備な顎を、したたかに打ち上げられた。

 衝撃で頭が打ち上がる……のを力で強引にねじ伏せて正面に居るアルを睨みつける。

 決してその場から退かないと意志を見せつけるために。

「このっ」

 お返しにアルの無防備な横腹に膝蹴りを叩き込む。だが、その効果はアルの顔を少し歪めただけで、一ミリたりとも彼を後退させることは出来なかった。

 アルも僕と同じように自分の意志を貫くために、その場を譲るつもりは毛頭ない様だった。

 ヒウッと耳障りな風切り音と共に、さざ波の様な曲線を描いた剣が僕に襲い掛かる。

 狙いは首筋。当たれば致命傷になる位置だ。

 僕は剣筋を邪魔するように右手を上げる。大丈夫、僕の全身は勇者の鎧で守られている。反対に、アルは勇者の剣を使いこなせていないため、普通に考えれば負けるはずがない。

 だが剣戟を放ったのはアルだ。

 勇者の剣を扱えるようになるために、人生のすべてをかけて剣技を磨いて来たアルだ。

 ただの斬撃であるはずがなかった。

 剣が手甲に触れる瞬間、まるで魔法の様に軌道が変わり、僕をあざ笑うような擦過音を立ててすり抜けていく。

 もうゲームのメタ読みの様なものだった。

 勘を頼りに僕は左腕を下げ、盾で胴体を守った。

「シィッ!」

 アルの口から呼気が漏れ、変幻自在の剣筋が、僕を逆袈裟に――。

――ギィン。

 ギリギリで間に合った僕の防御が、アルの剣を何とか防ぎきった。

「……これを防ぐとはな」

「強くなったでしょ」

 不敵に笑って見せるが、内心冷や汗ものだった。読み違えていれば、胴体が上下に泣き別れ……とまではいかなくとも、かなりの手傷を負っていたに違いない。

 やはり剣技に関してはアルの方に一日の長があった。

 となれば対抗策は一つしか無い。相手の土俵で戦うから負けるのだ。

 僕は今まで何をしてきた?

 魔物と戦って来たじゃないか。アルにだって倒せないような魔物も、一人で倒して来たのだ。だったらアルだって倒せるはずだ。

 最初の時の様に。

「今度はこっちから行くよ!」

 宣言と同時に、左手で抜き身の剣を握りしめる。

 剣は僕の願いに従って切れ味をなまくら以下にまで落としてくれる。これで僕が剣を掴んでいる間、剣で僕を傷つける事は出来ない。

 アルの顔に焦りが浮かぶ。

 その鼻っ柱に、僕は額を思い切り叩き込んだ。

「くあっ」

 世界で一番頑丈な勇者の兜にアルの顔面が勝てるはずもない。

 アルが怯んだところへ更に打撃を重ねていく。

「のやろっ」

 アルとて殴られるだけではない。空いている左腕で殴りかかってくる。が、そのすべてを、僕は無視する。

 そもそも素手では絶対に鎧を貫けないのだから、防ぐ必要すらなかった。

 剣技では確かにアルは僕を上回っているだろう。だが、パワー、スピード持久力、頑丈さ、装備の質などでは圧倒的に僕が上回っている。

 そちらで勝負をすれば、負けは無い。

 アルは剣をひねり、拘束から抜け出そうとするが、僕はガッチリ捕らえて放さない。逆にアルを引き寄せると、更に頭突きを重ねていった。

 苦し紛れに突き出されたアルの手は、僕の顔を浅く引っかき、兜をはぎ取った。

 それでも僕の頭突きは止まらなかった。

「悪いけど、このまま押し切らさせて……え……?」

 このまま続ければ確実にアルをどつき倒すことが出来た。しかし、突然感じた気配に、僕は手を止めざるを得なかった。

 それはここ数週間の間に慣れ親しんだ気配。

 先ほど起きたばかりのそれは、少なくとも一日は起きるはずがなかった。

 彼女が魔法を使えば別だが、背後に居る彼女に魔法を使った気配はない。

 なんで? と疑問に思う暇さえなかった。まるで彼女を守るかのように、アルの背後に邪悪な存在が生まれる。

 だが当のアルはそれに気づいてすらいなかった。

「危ないっ!」

 僕はそう叫ぶと、アルを抱きすくめる様にしてその背後に盾をかざす。

 そうなってようやくアルも異変を感じた様だった。

――感じたがしかし、アルは選んでしまった。目の前に生まれた突破口をこじ開けるという選択肢を。

 確かにそれは合理的な判断と言えるだろう。アルは眼前に居る彼女を殺しさえすれば背後の脅威を消し去る事ができるのだから。

「どっ……けぇ!」

 だがそんな事、僕が許すはずがなかった。もつれる様にアルの体を押し、剣から彼女を遠ざける。

 ……僕はアルと彼女の両方を守りたかったのだ。

 そんな都合のいい事、出来るはずないのに。

 ぞりっという、金属が骨を削る音が聞こえた。

 普通ならばそんな音、聞こえるはずがない。

 そう、普通ならば。

 その音が聞こえる者は、斬られた当事者ただ一人。

 押し付けられた刃は、わきの下という防ぎようのない場所をえぐり、刀身を半ば以上体の中にめり込ませていた。

 痛みより先に感じたのは、虚脱感だ。

 力を失った左手は、盾を保持しきれずに地面に落としてしまった。

 そんな無防備な状態のアルの背中に、闇を纏った骨の爪が振るわれる。

 岩をも砕く強力な一撃は、僕ごとアルを打ち払った。

「いやぁぁっ!」

 悲鳴が周囲を引き裂き、それで僕の意識は戻る。

 薙ぎ払われた僕は、一瞬だけだが気を失っていたようだった。

 そんな僕の上に覆いかぶさるようにアルは気絶していた。爪による一撃をまともに受けたのだからダメージは僕よりも大きいだろう。

 安否を確かめたい衝動にかられるが、それを為した存在への対処の方が先だと判断して立ち上がった。

 そこでようやく激しい痛みが僕を襲った。原因はわきの下に刺さった剣だ。意識を失っていた間に血液がだいぶ流れ出てしまったのか、頭がくらくらしてくる。

 だがここで倒れれば待つのは死だ。

 剣を引き抜き、呪文を唱えて応急処置を行う。

 勇者の鎧も頑張ってくれているのか、傷口はすぐに閉じ始めた。

 とはいえ失ってしまった血液は戻ってこないが。

「くそっ」

 悪態をつきながら原因になった存在へと視線を向ける。

 それは骨の体に闇の皮膚を纏った存在、ドラゴンゾンビだった。

今は地面から這い出して来るのに忙しいのか、攻撃の意志は感じられない事が幸いだった。

「お前っ」

先ほどの悲鳴は彼女のものだったのかな。ずいぶんと女らしいものだったけど。と場違いの感想を抱きながら、走り寄って来る彼女の到着を待つ。

「早く、早く余を殺せ!」

 彼女がこんな事を言う理由は一つ。

 僕の身の安全のためだ。もしかしたら僕らの、かもしれないが。

 僕はそんな彼女の言葉に、思わず苦笑を堪えきれなかった。

「な、何を笑っている。早くしろっ」

 ああもう。僕がなんて返すのか、彼女は分かっているだろうに。

 彼女が頑固な様に、僕も頑固なのだから。

「殺すはず、無いよ。うん、絶対に殺さない」

 こんなピンチだと言うのに、何故か心は落ち着いていた。


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