第12話 彼女の心の奥底に


彼女は肩を震わせながら俯いていた。もしかしたら泣いて居たのかもしれない。

 それでも僕は言葉を止めなかった。

 酷い事だっていうのは分かっている。それでも僕が、彼女に僕の気持ちを知ってほしかった。

 ――君の味方がここに居るんだって知ってほしかった。

「君が何と言おうと、僕は僕の命を君のために使う」

 言いながら、ゆっくりと彼女の方へと僕は歩を進める。

「ちっ……が……。余は、そんな事……望んでなど……」

 彼女は、そんな僕から逃げる様に、少しずつ後退っていく。

 でも、その歩みは遅かった。

 僕の近づく速度よりも、わずかに。

「僕は君がほんの一秒でも長く生きていて欲しいし、一秒でも死んでいてほしくない。だって……」

 僕は大きく一歩を踏み出した。

 彼女との距離が、一気に近づく。

 彼女は体をビクッっと痙攣させ、思わず立ち止まってしまう。

 いや、それはきっと、彼女の選択だ。

 意識的では無く、無意識の願望が、彼女の足を留まらせたのだ。

 僕はそう信じたかった。

「僕は君と話がしたい。一緒にご飯が食べたいし、出来るなら遊びにだって行きたい」

 二人の間は、既に手を伸ばせば届くほどの距離だった。

 だけど僕はそれ以上近づいたりはしない。

 ここから先は、彼女の選択だから。

 彼女が認めるべきだから。

 死にたくない、と。

 だから僕は手を差し伸べる。

 彼女が僕の手を取れるように、選択肢を差し出した。

「一緒に、生きよう」

 僕はまっすぐ彼女の方を見つめて、告白めいた言葉を言い切った。

 僕のために。

 そしてそれが彼女のためになると、彼女の心を救うと信じて。

「…………」

 彼女はうつむいたまま、必死に僕の手から目をそらそうとしていた。

 きっと彼女は僕の手を取らない。取れない。

 それでも一縷の可能性を信じて、手を差し出し続けた。

 やがて彼女は大きく深呼吸をすると、震える自らの手を神に祈るかのように合わせ、胸元にそっと抱き寄せた。

 そのままじっと、何かに耐える様に固く目を瞑った。

 僕の耳に届くのは、彼女の呼吸の音だけだ。

 そんな静寂の中、じっと僕は待ち続けた。

「…………」

 何分待っただろう。

 ようやく彼女の口が小さく開いた。

「ちが……う……」

 何とか絞り出された言葉は、拒絶の言葉だった。

 だがそれでも良かった。

 彼女が拒絶するという事は、僕の命を気遣ってくれているという事だから。

 本当に僕の事がどうでもいいのなら、きっと彼女は鼻で笑って好きにしろ、と言うはずだから。

「余……は……ちが……う……のだ……」

「分かったよ」

 必死になって嘘をつく彼女を、僕は遮った。

 ……ねえ、なんでそんな顔をするの?

 そんなに悲しそうな顔で、僕の引き戻された手を見つめているの?

 僕は心の中でいくつもの質問を浮かべた。

 でもこれは聞いたりなどしない。

 余計に彼女を委縮させてしまうだけだと分かっているから。

「それでも僕は君の傍に居るから」

「……あ……」

 一瞬覗いた笑顔の欠片を、僕は見逃したりしなかった。

 きちんと閉じ込めて、僕の心の中にしまっておく。

 何度でも取り出せるように。

「だ、だが、貴様は弱くていかん。そ、そんな事ではすぐに死んでしまうではないか」

 それを言われると痛いんだよなぁ……。

 実際一週間でダウンしちゃったわけだし。

「ごめん。でも今度は負けないから許してくれるかな?」

「……馬鹿者いずれ負ける。貴様は、負ける。だったら死ぬのだぞ。貴様は、死んでも生き返れんのだぞ。だったら死んでも生き返ることの出来る余が死ぬのが道理であろうが」

「そんな道理ないよ。どうせ生き返るから殺してもいいなんて道理はない。一度だって、死ぬのは痛いでしょ? 嫌でしょ? なら、そんな事しちゃダメだしされちゃダメだ」

 傷は治る。だから傷をつけていいなんてありえない。

「君はもう、傷つく必要なんてない」

「だから貴様が傷つくと? 愚か者が。納得できるか……」

 ああ、もう……。君の仮面は剥がれてしまってボロボロじゃないか。

 君の本心をまったく隠せていない。

 君は、他人が傷つくのが嫌で、自分が傷つくことにしたんだね。

 そう言っても、きっと君は認めないだろうけど。

 むきになって否定して、怒って、むくれるんだろうけど。

 本当に、優しい女性(ひと)だなぁ……。

「違うよ。僕は戦い続けるつもり何てないよ。いつかは終わる。だから僕の戦いはそれまでの繋ぎの手段なんだ」

「なぜだ。余が生きている限り、魔物は永遠に生まれ続けるのだぞ。余が死なねば……」

「君の能力を消す。僕の最終目標はそこなんだ」

 僕の決意を聞いた彼女は、一度目を見開いて驚き、しかし悲しそうに首を横に振った。

「愚か者が……余が、この呪い解く努力をしてこなかったと思うのか? あらゆる方法を試したさ。あらゆる方法を試されたさ。それでもこの呪いは消えなかったのだ」

「そうだろうね……」

 でもそれも予想の内だ。

 彼女は馬鹿じゃない。それに魔力も強い。今までの長い時間の中で、何か方策を取ってこなかったはずがないのだ。

 それでもだめだったのだ。絶望して死を選ぶ路しか彼女に残された路はなかったのだ。

 でもそれは彼女だったからだ。

 この世界だったからだ。

 もしかしたら、この世界とは違う理ならば、何か彼女の呪いが解ける可能性を導き出せるかもしれない。

 僕はその理を、ほんの少しだが知っていた。

 そしてその力を使ってドラゴンを倒したのだ。

 なら、もしかしたら彼女の呪いにも使えるかもしれないじゃないか。

「最後まで付き合うから。絶対に君の傍を離れないから。だから、探していこう。諦めちゃダメだ」

「…………」

 ぼそりと、彼女が何かをつぶやいた。

 それはとても小さな声で、真正面に立っている僕ですら聞き取ることが出来なかった。

 でも、何となく僕には彼女が何て言ったのかわかった。

 ……うん。希望は、捨てなくてもいいんだよ。

「よ、弱っちい貴様の言うことなどあてにならん」

 ふい、と彼女は拗ねる様にそっぽを向いた。

 そのさまは、なんだか猫が撫でてもらいたいけど素直になれない感じを思い起こさせた。

 ああ、つまりもっと信じられる材料を寄越して安心させろ、ってことかな?

「大丈夫だよ。こうしてドラゴンを一人で倒して見せたでしょ。これって結構凄い事らしいよ」

「ふんっ。そ、そんな事余でも出来る」

 まあ、鱗をいとも簡単に引きちぎれる怪力の持ち主ですもんね。

「今ポーションを沢山もらったから怪我をしても安心だよ。今度はきちんと使って回復するから」

「使ってなかったの!?」

 突然、素っ頓狂な声が上がった。

 声の出所は意外な事にセラさんで、普段ぽわぽわして穏やかな彼女からは想像も出来ないものであった。

「あ~えっと、大丈夫かな~って感じだったんですよ、途中まで。でも呪いを喰らっちゃって……。呪いはポーションが効かないんで、それでポーションを使う機会を逃したといいますか……」

 なるべく僕は彼女に全部使ってしまったことを悟られないように、嘘にならない程度に隠して事情を伝えた。

 だが、

「余に全部使ったのだ、許せ」

 彼女は容赦なくぶちまけてしまった。

 ねえ察して! 今僕隠そうとしたの!

 察して!

 ……ってわざとか。うん、絶対わざとだ。

 あ、今ニヤッって笑ったぞ。見逃さなかったぞ。

 ……そうか。そうか。うん。

 彼女は手を取ってくれたんだ。

 僕が傍に居る事を、許してくれたんだ。

 ちょっと分かりにくいけど。今までの様になることで、僕を受け入れてくれたんだ。

「こともあろうにこやつは意識のない余の胸を揉みしだき、唇も無理やり奪ったのだ」

「ふぇぇぇぇぇぇっ!!??」

「あら~…………」

「待ってセラさん! 無言でメイスを取り出すの止めて! ミュウも僕をそんな目で見ないで! やってないから! 絶対やってないから! いや、唇は覆いかぶせたかもしれないけど……ってちょっと待って! ホント、お願い! 説明させてぇぇぇっ!!」

 先ほどまでの雰囲気が吹き飛んで、いきなりのピンチが僕に訪れてしまった。

 ……ナニコレェ!

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