第25話 生き残った者達の責務


 二人の勇者が眠る大地に風が吹く。

 全ての悲しみを拭い去ろうとでもするかの如く。

 鳴き声の様な音を立てて。

 この世界の人々を非難するかのように。

 風が、吹いた。

 一匹の魔物が異変を感じて唸り声を上げる。

 それは敵を感じたなどというものではない。魔物自身の内側に生まれた違和感の様なものだ。

 みる間にそれは膨れ上がり、やがては魔物自身に見える形で現れた。

 魔物の体が末端部分から金色の光に変わって虚空にとけていくのだ。

 異変が現れたのは、その魔物だけでは無かった。

 この世界全てに存在する魔物たちが、光の粒子となって散っていった。

 なぜこんなことが起こったのか。

 それはそれだけの事を為した者が居るからだ。

 いや、『者』と形容するには少々不敬かもしれない。

 その存在は、この世界そのものを生み、育み、慈しんで来た存在なのだから。

 始まりの勇者――人々からは魔王と恐れられ、人類を裏切った勇者からは君や彼女と呼ばれていた存在だ――の亡骸から魔物たちに起こった異変と同じような輝きが生まれる。

 その輝きはやがて人の様な形として結実した。

 それは、始まりの勇者と非常によく似た風体をしていた。

 違いといえば、光を纏っている事と、黒髪ではなく白に近い金髪である事くらいだ。

 その存在は、二人の亡骸を見ると、悲しそうに俯いて頭を振った。

「申し訳ありません。私(わたくし)の力が足りないばかりに、あなた達にはとても苦しい選択を強いてしまいましたね」

 そうつぶやいてから、その存在はしばらく黙祷を捧げて哀悼の意を示した後、首(こうべ)を巡らせる。そして、あるものを見つけた。

 視線の先にあったのは、ボロ雑巾のようになった復讐者、アルフレッドであった。

 彼は運よく意識を失っていたため、強力な魔物に目を付けられずにすんだため、今こうして生き残っていたのだ。

 光を纏った存在は、空をすべるように移動してアルフレッドの近くにまでやってくると手をかざした。

 ものの数秒でアルフレッドの体は治療され、傷ひとつない状態にまで回復した。

「ん……」

 それと同時にアルフレッドは意識を取り戻し、かすかなうめき声と共に目を開いた。

 目を覚ましたアルは、自分を見下ろしている存在に気付き、その面差しを見とがめる。

「お……あなたは……?」

 アルフレッドは誰何(すいか)の声を上げようとしたのだが、何故か言葉の刃は鳴りを潜めてしまう。

 代わりに、まるで己が主にでも出会ってしまったかのように、アルフレッドは頭を垂れて平伏してしまった。

「……私は、貴方達の創造者です。貴方達は私の事を『神』と呼んでいますね」

 その存在――神は、こともなげにそう言うと、ついと視線を二つの亡骸へと戻した。

 今はアルフレッドの事などよりも二人の方が大事、そう瞳は物語っていた。

「……失せなさい」

「……え?」

 自分はいつ神の不況を買ったのだろうかと、アルフレッドは戸惑う。

「全ての人間は私の子。しかし、許せない事もあります。もう一度言います。失せなさい」

 神の怒りは本物だった。言い方こそ穏やかであったものの、アルフレッドに対して明確な拒絶を示した。

「あ、あのっ……お言葉ですが女神様。何故その様な事を……?」

「……あまりにも、愚かだからです」

「お、私は確かに復讐という愚かな事をしました。しかしそれはそんなに許されざることでしょうか? 妹は魔物に殺されました! 私の目の前で魔物に引き裂かれて食われたのです! あの無念は絶対に……」

 アルフレッドは唇をかみしめて自らの胸の内を吐露する。だが、神はそれを一笑に伏した。

「あなたの妹に訪れた不幸、それは彼女が行いましたか?」

「……いえ。ですが原因は間違いなく……」

「魔王の呪いです。原因は、呪いです。彼女ではない」

「…………ですが!」

 そんな事はアルフレッド自身も分かっていた。

 それでも止められないのが感情なのだ。だからアルフレッドはそれを強弁した。

 だが、神がそれを受け入れるはずはなかった。神は表情を固くして首を振る。

「貴方のその感情とやらは、世界を一つ破壊して、その内に住まう全ての生き物を殺してでも通さなければならないものですか? しかも間違っているのに」

「……は?」

 神の言葉はアルフレッドには全く理解できないものであった。

「な、なぜこの世界が滅ぶなどと……」

「魔王の呪いの完成。その条件が、始まりの勇者の死だからです」

 驚きのあまり声も出ないアルフレッドを他所に、神は語り始めた。

 それは魔王が滅ぼされた時から始まった。

 魔王は死に際、自身の魔物を生む力を暴走させて勇者に呪いとしてかけたのだ。

 呪いは強大だった。下手をすればその場で世界を飲み込んでしまうほどに。

 だから神は自身ごと、呪いの核となる魔王の魂を時空の彼方へと追いやった。

 だが呪いは強すぎた。時折始まりの勇者と魔王の魂は呼応してしまい、始まりの勇者から魔物が生まれてしまうようになってしまった。

 しかし神は楽観視していた。なぜなら呪いは非常に簡単な方法で解くことが出来たからだ。

 それは完成させる方法とは真逆。

 始まりの勇者の死で完成する呪いは、始まりの勇者を人々が受け入れる事、共に戦いぬく事を誓うだけで解けるようになっていたのだ。

 神は確信していた。ほんの数日で解けるはずだと。人々はそこまで愚かではないはずだ。自分たちの足で立ってくれるはずだと、そう確信していた。

 だがその信頼は裏切られた。

 始まりの勇者が殺されてしまったのだ。よりにもよって、人間たちの手で。

 だから神は焦って始まりの勇者を蘇生させた。

 この世界の理を歪めて、生き返らせたのだ。

 それによって呪いは白紙に戻された。

 今度こそはと神は時空の果てで願ったのだが、その願いも再び踏みにじられることになった。

 だからまた神は始まりの勇者を生き返らせた。そして当然のように人々は勇者を殺した。

 その度に神は生き返らせ、その度に人々は殺し返した。

 一年経ち、十年になり、百年、千年と時が流れた。

 たった一度でいい。彼女が受け入れられればこのいたちごっこは終わるのだ。

 だが、そのたった一度が数千年の間起こらなかった。

 人間たちは、たった一度も勇者を受け入れなかったのだ。

 あれだけ命を救われたというのに。

「そして私の力がいい加減尽きようという時になって、ようやく、本当にようやく、彼女は受け入れられたのです。だから私は帰ってこられたのです。魔王との戦いを終える事ができたのです」

 それが神が持つ怒りの理由だった。

 自ら滅びに向かって飛び込もうとする人類を、何度も何度も救い続ければ、それは嫌になって当然だろう。

「そ、それなら私達に教えてくだされば……」

「勇者が魔王と戦って呪いを受けた。だから勇者の代わりに自分が戦おう。それすら自分で思いつきませんか? 導きが必要ですか? それほどまでに人間は愚かなのですか? ……少し、人間を甘やかしすぎてしまったようですね」

 そもそも神は時空の彼方に封じられている状態だ。人類に話しかけるなど出来はしない。

 始まりの勇者が死に、呪いが完成したその瞬間だけ呪いを通じて神も顕現する事が出来るが、その時には始まりの勇者を生き返らせて呪いをリセットしなければならないのだ。そしてリセットすれば時空の彼方で神も封じられてしまうのだから。

「……わ、私達は間違っていたのでしょうか?」

「……それも答えねば分かりませんか?」

 神の瞳にあるのは失望だった。

 自分が救って来た者たちが、そこまで愚かで、そこまで価値のない存在であったのかと心の底から絶望していた。

 ――本当に救いようがないと。

「少しでもいいのです。人間は守る価値のある存在であったと思わせてください」

 そこまで言うと、神は言葉を切って勇者たちの亡骸の方へと移動した。

 迷い子の様なアルフレッドを置いて。

「……あなたたち二人は、本当によく頑張りましたね。本当ならば数万の人々の願いが集まって始めて打倒できる呪いだったというのに、たった一人……いえ、二人で解いてしまうなんて」

 神はそこで初めてふっと柔らかい笑みを漏らした。

 戦友を称える様に。

 頑張った我が子を、親が褒める様に。

「生き返らせてあげたいのですが、それは理を歪める行為、禁忌なのです。その代わり、次の生でもあなたたち二人がまた出逢える様にしてあげましょう。私に出来る事は、それくらいです」

 そう言うと、神は両手を広げた。

 するとそれに応える様に、死んでなお離れなかった二人の体が光になっていく。

 そのまま光は神の胸元に渦になって集う。

「本当に、ご苦労様でした。ありがとう」

 神は大切にその光を抱きしめた。初めて赤子を抱く母親の様に、溢れんばかりの慈しみをもって。

「願わくば次の生が幸多からんことを……」

 そして神は居なくなった。

 愚かな人間を置いて。







 幽鬼の様な足取りで、アルフレッドは歩んでいた。

 共に出撃した兵士たちはその大半が死んでしまっていた。

 そしてアルフレッドにそれを助ける術はない。

 かつての仲間達が、駆けずり回って助けているはずだ。

 アルフレッドに出来る事はなかった。

 だからアルフレッドは一人帰路についた。

 砦への道のりは長く険しい。魔具であれば一瞬であるが、歩きともなれば数日はかかる。

 それでもアルフレッドは歩き続けた。

 一切休まず、飲まず食わずで。まるで何かの刑罰であるかのように。

 やがてアルフレッドは砦にたどり着いた。

 出て行くときは大勢の兵士と一緒だったが、今はアルフレッドたった一人だ。

 それでも人々は歓喜の声を上げてアルフレッドを迎え入れた。

 誰もが喜びを以ってアルフレッドを称え、口々にその雄姿を称賛した。

 だが――。

「……黙れよ……」

 アルフレッドは否定する。

「お前ら黙れよ! なに喜んでんだよ!」

 怒り、怒鳴り散らす。

「何もしてねえくせに! 何もやってねえくせに!」

 アルフレッドは泣いていた。

 親友を失い、自分がやって来た悪を知って。

「邪魔ばっかしやがって! 偉そうに、復讐だ!? そうしてやってたのは集団自殺だ! バカの極みじゃねえか!」

 アルフレッドは適当に傍に居る人へと指を突き付ける。

「お前も、お前も、お前も、お前も!」

 そして最後に自身を指さす。

「お前もだ! 道化もいいとこだ!」

 そしてアルフレッドは天を仰ぐ。まるでそこに居る誰かに懺悔をするかのように。

 愚直なまでに自分を貫き、誰に後ろ指を指されようと正しい道を歩み続けた誰かの背中を追いかける様に。

「笑ってんじゃねぇぇぇっ! 喜んでんじゃねぇぇっ! このっ……腐った馬鹿どもがよぉぉぉっ!!」

 人々の間で慟哭が虚しく木霊する。


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