第5話 魔王は勇者を看病する
「はっ……くちゅんっ!」
僕は風邪をひいてしまっていた。
原因は分かっている。前回倒したリビングメイルの中に疫病を運ぶ魔物、ペイルライダーが混じっていた様だ。風邪程度すんだのは、ひとえに鎧による守護のおかげだろう。
鼻水だらだら……。あ~ティッシュが欲しい……。
頭痛いし、めまいどころか世界が大揺れに揺れている。
ほんとにヤバいな……。今日魔物が出て来たらこの状態で戦わないといけないのか。
「……くしゅんっ!」
あ~……食事の準備しないと……。今昼だろうか、夜だろうか……。
魔王、待ってるよなぁ……。起きないと……って力入んないや。
本格的にきつくなってきたなぁ。
「げほっごほっ!」
寒い……。毛布ってあったっけ?
そう言えばスクロールの中にアルの分の布か何かがあるからそれで暖を取って……。
ポーチポーチ……。確か枕元に……。
「ひゃんっ」
ん? 目覚まし時計か?
いやいや、ここ異世界だから。猫とか紛れ込んだのかなぁ。邪魔だからどいて……。
「こ、こら! 足を……うぅん……ま、まさぐるなぁ」
あ……れ? このすべすべでもちもちで、案外柔らかくなくて触ると力強い弾力をもって押し返してくるけどフニフニしててずっと触っていたこれって……足? 誰の?
「なんぞ辛そうなにしておるなと思って様子を見てやろうと情け心を出してやったというに、いきなり余の足を撫でまわすとは良い度胸だ、このスケベ! 変態!」
いや……え? どうなってんの?
そう困惑しながら重い瞼を無理やり押し開けた。当然見えるのはテントの狭い三角形の天井だ。
そこから少し上に視線をずらすと、魔王の赤く染まった顔が視界に入った。
どうやら彼女は寝ている僕のすぐ上に膝をつき、様子を確かめようとしてくれていたようだった。
そして僕はタイミングよくそんな彼女の腿をまさぐってしまったらしい。
テントの入り口に頭を向けて寝てたからいけないんだな。よし、今度からは逆向きで寝よう。
「無言で余の足を触り続けるな、この変態め!」
「ずみまぜん。つい気持ちよぐて……」
「いいから放せ! このたわけ!」
僕は罵倒されてようやく手を放した。
うん、頭がもうろうとしているせいにしておこう。
「まったく。治ったら覚えておれ」
なんてぶつくさと愚痴をこぼしつつも、魔王が僕から離れる事はなかった。
彼女は僕の額に手を置いて症状を確かめ始めた。
「……うむ、呪いの残滓が悪さをしている様だな。解呪の道具はあるか?」
僕は黙って首を横に振った。
解呪などの補助は、今までセラさんが全てやってくれていたのだ。
だからその彼女から離れてしまった今、解呪の手段は時間をかけて体内の魔力で洗い流すしかなかった。
「そうか。ちいと待っておれ」
そう言うと魔王は足早にどこかへと去って行った。
「……あ……」
僕は思わず心細くなり、手を伸ばして彼女に縋りつこうとする。
だが握る事が出来たのは彼女の残り香だけであった。
もっと自由に動けたなら、僕はきっと彼女の後を追っていただろう。
でも今は体がまともに動かない。仕方なく僕は胸に吹き込んでくる隙間風に耐えるしかなかった。
「ほれ、起きて頭を上げよ」
いつの間にか僕は眠っていたらしい。魔王の声で意識を取り戻した。
彼女が帰ってきてくれた。彼女が今傍に居てくれる。たったそれだけの事なのに、心がとても安らいでいくのを感じた。
「あ……」
彼女を呼ぶ言葉に詰まる。なんと呼んで良いものか。魔王という呼称は使いたくなかった。
それは彼女を悪だと蔑むためにつけられた呼称であり、同時に彼女の心を守る鎧の名前だ。彼女の自身を表す呼び名ではない。
「無理に喋るでない。きついのだろう? 頭をわずかにあげるだけで良いのだ」
僕は彼女の言葉に従った。
すると、彼女は僕に兜をかぶせてくる。
「なぜ、という顔をしておるな? 結局その症状が起きている原因は、魔なる力による呪いのせいだ。だから神の力を宿す鎧を纏えば多少は楽になるという寸法よ」
……言われてみれば、少し頭が軽くなった気がする。
「そら、体が疲れない程度に装備できるよう、鎧を分解してきた。これを装備しておけば回復も早まるじゃろう。つけてやるから体を起こせ」
「あり……う……います」
僕はかすれる声で礼を言うと、彼女に支えられながら体を起こした。
「よし、もう少し我慢しておれ」
そして彼女は手慣れた様子で鎧を僕に括りつけていった。手甲、胸当て、脛当てなど、動くのにさして邪魔にならないような部分だけしか無くとも、神の力は呪いを抑え込んでくれたようで、先ほどまでと比べれば症状はかなり緩和されていた。
「ありがとう、ございます。おかげで助かりました……」
「うむ。だがまだ辛いだろう。無理はするな」
「はい……」
僕が体を横たえようとするのにも、彼女は背中を支えてくれる。
その手つきは優しく、慈愛に満ち溢れていた。
だから思う。
あの時の僕の直感は正しかったと。
こんな彼女が死んでいいはずはない。間違っているのは世界の方だ。
「さて、腹が減っただろう。何か作ってきてやる。材料はどこだ?」
「あはは……そんなにしてもらわなくても、大丈夫ですよ……」
「何、いつも飯を作ってもらっている礼だ。気にするな。……久しぶりに作ってみたいしな」
……最後に何か不吉な言葉が聞こえた気がする。いや、幻聴だ幻聴。
「そこの……ポーチの中にスクロールがあります」
「なるほど、その中か」
彼女は頷くと、ポーチを手に取った。そしてやおら逆さにして中身を全部ぶちまけた後に、落ちた荷物の中からスクロールを見つけ、手に取った。
少しだけ、嫌な予感が頭をよぎる。
だが、あくまでも好意百パーセントな彼女に水を差すことは出来なかった。
まあ、まだ飯マズと決まったわけじゃないし……。
「では待っていろ」
そう言い残すと彼女は意気揚々と、テントの外に出て行ってしまった。
結局出て来たものは、ただのミール粥だった。
薄い塩味がする、特筆して不味くはない常識的な病人食だ。だが、それは心に染み入るほどに暖かかった。
「どうだ、美味いか?」
「はい。とても」
味覚はその料理を称賛などしていない。だが、僕の心が美味しいと絶賛していた。
「そうかそうか。久しぶりだった故な、少しばかり案じていたのだ。このくらいで良かったのだな」
「恩に着ます」
「うむ。恩に思え。そして余を……」
「それはお断りします」
すべてを言い切る前に、僕はきっぱりと断言した。
いつもなら不機嫌になる彼女だが今日は少し違ってわずかに微笑むだけで、それ以上その事に触れようとしなかった。
「もう少し休むがいい」
「はい、ありがとう……ございます」
お腹が膨れ、頭痛もだいぶ収まったことで安心したのか、急激に瞼が重くなる。
目を開けていられないほどではないが、この心地よいまどろみに身を預けてしまいたいという欲に抗う事はとても難しかった。
「すみま……せん……。少し、だけ……」
「ああ、寝ておけ。それが一番だ」
「あり……が…………」
最後までお礼を言いきれたのか、僕は分からなかった。
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