第6話 彼女は僕のために…
そして僕はふと目を覚ました。
体調は完璧と言い難いが、それでもだいぶマシになっていた。
体を起こして辺りを見回してみるが、どうやら日はすでに落ちてしまっているようで何も見えなかった。
「灯よ」
僕は呪文を唱えて手のひらの上に小さな火の玉を生み出し周囲の様子を確認する。
そこは寝る前と何ら変わらないテントの中だった。
何も変わらない、静かで平和な夜――そんなわけがないのに。
あれだけ毎日のように戦い続けた魔物が、今日は運よく出なかったなどありえるはずがない。
酷く、嫌な予感がした。
――そして気付く。テントの中に置いていたはずの剣がない事に。
僕は慌てて跳び起きると、盾とアイテムの入ったポーチを引っ掴んでテントから飛び出した。
「ま……」
僕はその名前を言いかけて止める。彼女をその名前で呼びたくはなかった。
「居ますか? 入りますよ?」
僕はためらいがちに声をかけると、彼女用のテントの幕を開いた。
だが、予感通りテントの中は空っぽだった。
「どこですか!?」
僕は躊躇せず大声を上げて彼女を探し回った。何十分と周囲を駆けずり回り、そして、ようやく発見した。
彼女は柔らかな笑みを浮かべながら、小さな岩陰にもたれかかる様にして座っていた。
そして……。
「そん……な……」
彼女の胸に、アルの……いや、今や僕のものになった剣が、突き立っていた。
「そんなぁぁぁっ!」
慟哭が暗闇を引き裂く。
彼女は、間違いなく、確かめるまでもなく、事切れていた。あれほどあった彼女の荒々しい気配が。躍動感に満ちた生気が、今はほとんど感じられなかった。
「なんで! なんでこんな……!」
押し寄せた絶望に、僕は膝を折ってしまった。
彼女が死を選んだ理由は分かっている。僕が魔物に襲われて殺されないようにするためだ。彼女はそのためだけに、自ら命を絶ったのだった。
「違う。本当の理由は……」
あまりの口惜しさに、僕はこぶしを握り、地面に叩きつける。
拳が傷つこうが知ったことか。そんな事よりも痛い傷がある。
きっと彼女の方が、間違いなく痛い思いをしたのだ。
「僕が弱かったからだ」
今僕が魔物と戦えば死ぬ。彼女にそんな風に判断されていたことが、この上なく苦しかった。守れる気でいた僕は、結局、身の丈に合わない願いを口にする夢想家でしかなかった。
彼女もそう思っていたのだ。
それはつまり、彼女は日々を、絶望の中で過ごしていたという事だった。僕という存在は、彼女の希望にすらなれていなかったのだ。
「ちくしょう……ちくしょう……」
知らず知らずのうちにあふれ出した涙が地面を打つ。それを隠す様に、何度も、何度も、僕は拳を地面に叩きつけた。
ふいに、周囲が明るくなった。
「なん……だ?」
その光は、僕の用意した灯などとは違い、まともに目も開けていられないほど強いものだ。そんな光が、彼女から……否、空の上、雲よりも更に高い場所から降り注いでいた。
「どういう……事……? 何、が?」
光が彼女に降り注ぐと、不思議な事に、彼女の存在がだんだんと希薄になっていった。
「まさかっ」
もしこれが、彼女が死んだ時に起こる現象だとしたらどうだろう。
彼女は、今しがた死んだばかりなのだ。そして死ぬ、というのがどういう意味合いを持つのか分からないが、基本的には心臓が止まった時に死ぬと判断されるだろう。
その推測が正しいのならば……。
「まだ……だっ」
僕は立ち上がる。
「まだ、諦めないっ! 絶対に、逝かせないっ!」
僕は全速力で彼女の傍まで駆け寄ると、彼女の体を抱き起し、胸から剣を引き抜いた。
そして剣を適当に抛り捨てると、回復のための呪文を唱えながら、腰のポーチをからありったけのポーションを取り出し、次々と彼女の体に振りかけていく。
効果の弱いポーションから、一本で全ての傷が癒えるという秘蔵のポーションまで。僕はありとあらゆる回復手段を彼女に施した。
その効果は劇的だった。あっという間に胸の傷は塞がっていく。
――まだだ、まだ足りない。
まだ光は止まなかった。彼女の手が、体が、徐々に透明になっていく。光の粒子となって、天に昇って行く。それは、彼女が未だ蘇生していない証拠だ。
だから僕は彼女をその場に横たえると、胸に両手を押し当て、心臓マッサージを始めた。
「戻って……こい」
必死になって何度も何度も胸を強く圧迫する。
「戻ってこい!」
しかし、手のひらには彼女の冷めゆく体温しか感じられない。
鼓動が、生きている証が、感じられなかった。
「頼むよ!」
それでも僕は心臓マッサージを続けた。都合、三十回。それが終われば次は……。
「はっ」
深く息を吸い込むと、彼女の首の後ろに手を回して気道を確保して鼻をつまむ。最後に彼女の口をこじ開けると、ためらいなく息を吹き込んだ。
これを二度行えば、また心臓マッサージに戻る。
「頼むから! お願いだから! 帰ってきてくれよ!」
僕は必死に祈りながら、彼女を呼び戻す術(すべ)を施し続けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
どのくらい続けていただろう。
気付いた時には、既に光は止んでいた。そして、彼女は未だ消えずにここに居た。それが意味することは、ひとつ。
僕は荒ぶる息を無理やり押さえつけながら、注意深く彼女の胸に耳を当てた。すると、かすかに、とくん……とくん……と、心臓が脈打つ音が確かに聞こえて来る。
それは幻聴ではなかった。間違いなく彼女は生きていた。
「やっ…………った」
僕は思わず喜びを噛み締める。
彼女が生きていてくれた事を、まだ彼女に希望を見せられる事を、深く感謝した。
「生きてる……生きてる……!」
これで彼女を助けたのではない。
ふがいない僕が、彼女を取り落としてしまいそうになったのを、ギリギリで掴み直すことが出来た。ただそれだけだ。でも、それでも彼女を失わずにすんだ事が嬉しかった。
「良かった……」
僕は安堵のため息を漏らしながら、彼女の鼓動に耳を傾けていた。
「……で、いつまで余の胸の上に頭を乗せている」
冷ややかな、いや、まるで氷でできた剣のように鋭い声が僕に突き刺さった。
「あ~…………」
胸と背中を間違えました、何て言ったら絶対に殺されるだろう。
いやいや、僕は彼女に死んでほしくなかっただけだ。
正直にそれを言っても……怒られるだろうなぁ……。死ぬの邪魔したんだし……。
「だから、貴様は文句を言われてもまだ退かさんのか?」
「すっすみません! 別に変な目的があってああしてたわけじゃなくてですね。その~、心臓の音を確かめていただけといいますか……」
決して固い感触を楽しみたかったというわけではありません。
「言い訳はいい! とっとと退け!」
「はい、すみませんでした!」
僕は全力で謝罪しながらその場を飛び退いた。
「まったく……」
彼女はため息をつきながら体を起こし、自身の着衣が乱れに乱れている事を発見した。
具体的には色々と見えてしまっていた。
そりゃあ、心臓マッサージをしたのだから、その周辺の服が乱れて当たり前だ。というかそんな事僕もまったく気づいていなかった。もっと早くに気付いていたら、目にしっかり焼き付……ではなく、目をそらしていたのに。
「きっきっきっ……貴様ぁ!! 見るな! 早く向こうを向け!」
顔を真っ赤にした彼女が、自らの胸を抱きしめながら怒鳴りつけた。
相当に恥ずかしかったのか、死んでいたことすら忘れているのではないかというほど元気いっぱいに罵詈雑言を並べ立てている。
僕はそれに平謝りに謝りながら、それでも嬉しくて、頬が緩むのを止められなかった。
しばらくして、彼女はようやく平静を取り戻した様であった。
罵倒が止み、ゴソゴソと服を整えているであろう衣擦れの音だけがあたりに響く。
「…………」
僕はこんな状況だというのに、思わず生唾を飲み込んでしまった。
一瞬だが網膜に焼き付いてしまった彼女の肌が脳裏にちらついてしまう。
……この音、生々しくてなんか……その……逆にエッチな感じがする。ああぁぁ。なんか変態っぽくないか、僕!?
そんな風に懊悩している間に、彼女は身だしなみを整えたようだ。
「もうよいぞ、こちらを向け」
「は、はいっ!」
僕は必要以上に意識しながら彼女の方を向く。
彼女は顔を赤らめながら拗ねた様に唇を尖らせ、片手で長い黒髪を弄っていた。
「その……なんだ……」
「……はい」
ちょっといい雰囲気だな、とか思ってません。期待もしてません。
「ありがたく、思わないでもなかった故な。よって……貴様には礼を言ってやらんこともないぞ? うん」
とつとつと、彼女は語る。恐らく人に礼を言うような事自体、久しぶりだったのだろうか。相当気恥しいようだった。
だが、彼女に想いがある様に、僕にも想いはある。
むしろ、邪(よこしま)な思考のせいで出遅れてしまった事を情けなく思っていた。
「礼なんて、僕に言わなくていいですよ。それは僕が受け取っちゃいけないものです。だって、原因は僕じゃないですか」
言っているうちに、僕の想いは段々と高ぶってくる。
先ほどまでの能天気な感情など吹き飛んでいた。
「僕がもっと強ければ、貴女はこんな方法を取らずに済んだでしょう? 貴方が自殺しようとしたのは僕を助けるためだ。だから……だから僕はそのお礼を受け取る資格なんてない。むしろ僕は貴女に謝らなくちゃいけないんだ」
そして僕は思い切りよく頭を下げた。
「すみませんっ! こんな事になって」
すべては僕の力が足りなかったせいだ。そして今も足りていないのは分かっている。
でも、それでも僕は……。
「僕の言ってることが都合のいいことだってわかってる。信じられなかったから自殺なんてしたのも分かってる。でも、それでも、僕に貴女を守らせて欲しい。お願いだから、守られていて欲しい。今までと何も変わっていないけど、それでも守るから。絶対に守るから」
そして僕は改めてもう一度、頭を下げ直した。彼女の方をまともに見る事が出来なかったから。……断られてしまうのが怖かったから。
「……貴様は、何を言っている」
やっぱり、ダメ……か。
彼女の言葉が静かであるぶん、余計に胸に刺さる。僕は彼女を失いたくないのに、失う未来しか見えなかった。
「元よりこれは余の問題だ。余が原因で、余が悪いのだ」
「そんな事はっ……!」
「いいから聞け」
いつの間にか近くまで来ていた彼女が、抗議しようとした僕の頭の上に、優しく手を乗せた。たったそれだけの事で、僕の言葉は止まってしまう。
「初めから、余は死ぬはずだったのだ。それを、貴様が繋いでくれた。この心の臓が、未だ鼓動を刻んでいる事自体が奇蹟なのだ。それ以上、余は何も望まん。だから……」
「望んでくれよっ!」
僕は彼女の手を掴んで頭の上から退けると、顔を上げた。そしてそのまま彼女の手を両手で握りしめる。
「生きるのが普通なんだ。貴女が生きている事の方が正しいんだ。貴女が死ぬことの方が間違ってるんだ。なんで貴女が死ななきゃいけないんだ! 貴女は普通に生きているだけなんだ、何も悪い事なんてしてないじゃないか!」
「……余は、死なねばならぬ」
彼女は寂しそうに笑うと、ポツリと零す。そんな彼女の瞳は絶望に染まり切っており、一片の光も無かった。
何度、彼女は殺されたのだろう。
何度、彼女は否定されたのだろう。
きっと、僕が想像もできないほど長い時間、彼女は死に続けてきたのだ。苦しんできたのだ。それをたやすく否定する事事態、間違いなく彼女を苦しめる事だ。
それほどまでに、死ぬことが彼女にとっては当たり前の行為であり、必然となっていたのだ。
「貴女が死ぬ必要なんてない!」
「それは……無理だ。現実には絶対にあり得ぬ夢だ」
どれだけ言葉を重ねても、彼女はきっと説得などされないだろう。
だから僕は、ひとつの方法を思いつく。それはひどく矛盾に満ちた、わがままな方法。
それでもかまわない。どれだけ無様でも、彼女が生きているという事実こそが重要なのだから。
「都合のいい夢かもしれない。でも僕はそれを現実にする! 絶対に! だから……」
僕は言葉を切ると、地面に落ちていた剣を拾い上げた。そしてその刃を、ためらいなく僕の首筋に押し当てる。
鋭い切れ味を持った剣は、それだけで皮膚を裂き、赤い涙を流す。
「僕の命は貴女と共にある。これから先も、ずっと」
「何をしている。やめろ! 貴様は一度死んだら生き返れないのだぞ!?」
何故だろう。僕の頭は氷のように冷えてしまっていた。
あれほど感じていた高ぶりも、首元に押し付けられた剣によって吸い尽くされてしまったのかと思うほど、今は、ない。
「もし貴女が死んだら、僕も死ぬ」
「なっ!?」
きっと今、彼女の頭の中はぐちゃぐちゃだろう。何故そんな事をするのかまったく理解が出来ないだろう。こんな事、彼女にとってなんの意味もないことだ。
だが、僕は違うと確信していた。だって彼女はとてもやさしい人だから。
「僕は、貴女が死なないようにするための人質だ。貴女は僕を死なせないようにするために、絶対に死んじゃダメだ。ずっと僕に守られていてくれよ。お願いだから」
その要求は、絶対的な矛盾をはらんでいた。
僕を死なせないようにするために、僕が死ぬかもしれない魔物との戦いに身を投じる事を許容するという矛盾を。
「僕はずっと戦い続ける。貴女が生きたいと心の底から望んで、生き続けて、そして、死ぬまで。ずっと、ずっと……」
それはきっと……いや、間違いなく、最も残酷な未来へと至る可能性が高い道だ。
それでも僕はそれを選ぶ。後悔だってあるかもしれない。
でもこの道は譲らない。
例え生まれ変わっても、何度だってこの道を選んでやる。
「なんで貴様はそんな事を言う? 言える? 貴様にとってはたった一週間前に会ったばかりのただの女であろうが。なぜそこまで余に尽くす? 入れ込むのだ?」
そんな理由は言えない理由も含めて山ほどあった。
だからそれらをぶちまけるために口を開こうとして……。
「……いや、いい。貴様は逃げよ。余と関わるな」
唐突に彼女は僕を拒絶した。
理由は問うまでもない。
彼女の影が、地面に長く伸びていた。
今ここにある唯一の光源は、僕が生み出した火の玉だ。
その頼りない光に照らされてもなお消えない影が、魔物を生み出す門となっていた。
そう、彼女が命を絶った理由は、魔物が生まれるからだった。
彼女が先ほど命を落としたからその現象は止まったのだ。
だが、僕はそんな彼女を蘇生させたのだ。
だったら必然的に、魔物は再び生まれ始める。
「……逃げるはず、ないよ」
僕は首筋に押し当てていた剣を下ろした。
そして調子を確かめる様に軽く振るう。
剣はヒュンッと高い風切り音を上げて、僕に応えてくれた。
大丈夫だ、僕は戦える。
「貴様はまだ本調子ではないだろう。今度こそ死ぬかもしれん。だから早く逃げよ」
いつもよりも長く伸びた影から、僕の体よりも大きな人間の手が生えてくる。
その下には間違いなく、更に巨大な体がついている事は想像に難くなかった。
一度不自然な形でせき止められた力は、より大きな流れとなって再び生まれようとしていた。
「逃げないよ。僕は……」
僕は剣を掲げると、地面を蹴る。
「勇者だから」
そして裂帛の気合と共に、剣を叩きつけた。
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