第8話 そしてもう一度
「大丈夫? 勇者クン」
目覚めた僕の視界に、真っ先に入ったのは母性の塊のような聖職者の女性だった。
名を、セイラム・ルーン・ローゼマリアと言い、実は貴族の血筋なのだという。
本人はそんな事を感じさせないほど庶民的で、優しい女性なのだが。
ちなみに他人を甘やかすのが好きらしく、僕も何度も甘える事を強要されていたりする。
容姿で一番特筆すべきはその豊かな胸だろう。僕もついつい目を奪われて……じゃない。
彼女はやや垂れ目で、柔和な顔つきがより強調されており、いかにも歳暮然とした容姿をしているのだが、彼女はその目つきが不満らしい。
時々ミュウの鋭い目つきを羨ましがっていた。
とはいえ、万人が見れば一様に美女と太鼓判を押す女性だろう。
そんな女性に、僕は膝枕をされていた。
「ここは……」
僕は体を起こして周囲を見回した。
そこはやはりというか、僕が用意したテントの中であった。
固い岩の上に三角形に革製のテントを張り、床には申し訳程度にくたびれた毛布をしいて寝床を確保しているのだ。
……なんか気絶するたびにここで目覚める気がする。
まあ、拠点なのだから当たり前だけど。
「……セラさん!? どうしてここに!? 彼女は!? そ、そうだあれからどうなったんです!?」
僕は矢継ぎ早にセラさんへ質問した。
「つっ!」
その瞬間、体に電流が走った。
耐え難い痛みに負けて、僕はその場でうずくまる。
「動いちゃダメよ、勇者クン。貴方の体は無理のし過ぎで滅茶苦茶だったんだから」
僕は震える手で自分の体を確かめる。
意識のない間、どうやら彼女の治療を受けていたようで、薬草を間に挟んだ大量の包帯が体中に巻き付けてあった。
「全身の筋肉を断裂してたし、肋骨を疲労骨折してたわ。更に過労で体力は限界だった上に、呪いまでかかってたんだから。普通だったら一カ月はベッドから出さないところよ?」
僕はどうやらかなりやばい状況だったらしい。
痛みが無いように感じたのは、戦いの後で興奮していたからだろうか。
「今は一旦休んで。ここは安全だから」
セラさんは有無を言わせぬ口調でそう叱ると、僕の両肩を抱いて寝床に押し付けた。
「ですが……」
「聞きません。まずは勇者クンが寝てからです」
セラさんは、拗ねた様に口をとがらせる。
さすがにこの痛みと、事情が分からないままでは僕も動きようがない。
仕方なく、彼女の言うとおり横になった。
「はい、いい子ですね~」
子供扱いはやめて欲しいけれど。
あと膝枕も気恥ずかしいので勘弁してください。
しっかし、僕は一応裏切ったのに、よくこんな風に僕と接する事が出来るなぁ。
「……それでセラさん。質問に答えてもらっていいですか?」
「……私としては、このまま勇者クンにはここで寝ていて欲しいんだけどなぁ……」
セラさんは僕の枕元に正座しながらとぼけてみせる。
きっと僕が煩悩にまみれた男性信徒なら、今のお願いでコロッと説得されてしまうんだろうけど、僕はそうじゃない。
いえだから頭撫でないでください。
無意識なのかなぁ……。マジ魔性の母性。
「僕も回復魔法は使えますから、教えてくれないのなら勝手に出て行きます」
「そうよねぇ……。分かったわ。じゃあ、私に答えられることだけ答えるわね」
「はい、それでいいです」
僕は頷くと、一旦頭の中を整理する。僕のまず知るべきことは……。
「彼女はどうしたんです?」
「彼女……魔王の事よね?」
僕は不承不承頷いた。
本当は彼女をその名前で呼びたくはない。
だが、名前も知らない以上、今はそう表現するしかなかった。
「私がここに来た時、勇者クンの面倒を見ていたわ。私が来たら、事情だけ説明してどこかに行っちゃったけど」
「どこに行ったか分かりませんか?」
この質問にはセラさんも首を横に振った。
嘘をついている可能性があるかもしれないが、彼女が子どもよろしく行先を告げてどこかに行くとも思えないため、本当だと判断する。
「じゃあ、僕はどのくらい寝ていましたか?」
「私が面倒を見始めて四日経ってるわ。その前は聞いてないから分からないの、ごめんね」
その後もいくつか質問を重ね、僕は大体の事情を把握した。
僕が寝ていたのは合計で一週間近くになると思われた。
となれば疑問は三つ。
僕が寝ている間、僕の安全はいったいどうやって確保していたのか。
少なくとも三日以上、意識のない僕を彼女は守り通したはずなのだ。
自殺……は無いだろう。すれば確実に僕が後追い自殺をすると分かっているだろうし、僕の看病もできないからだ。
まあ、これは今考えても仕方のないことだ。
今は別の疑問の方が気になるし、これらは恐らく解決できるはずだ。
「あの、セラさん。僕、一週間寝てたんですよね?」
「ええ、そうみたいね」
「なんでお腹すいてないんでしょう。というかむしろお腹が満杯な気がするんですよね」
本当に何気ない疑問をぶつけただけだった。
それだけだというのに、突然セラさんの顔が真っ赤に染まると、湯気を吹き出しそうなほどに恥じらいだした。
乙女っぽく、両手の人差し指を胸の前でいじいじと突き合わせ、何事か言葉にならない独り言をぶつぶつとつぶやき始める。
「な、何か言いにくい事なんですか?」
点滴とかあるのかな~って軽い疑問だったんだけど……。
もしかしなくてもかなりの地雷を踏みぬいちゃった?
「そそ、それ聞いちゃう? あの~、ね? 悪いとは思ったのよ?」
あれ? もしかして無理やり入れたの? 上から? 方法とか気にしちゃダメだよね?
いやいやもしかしたら下からなんてこともあるかもしれないぞ?
そういえばインドではお腹が痛いときに薬液を下から注入するとかいうし。
「でもぉ~……回復を司るものとしてね? その~……何かお腹に入れないと、勇者クン死んじゃうから……ね?」
「はぁ……。まあ、その……命が助かったんで、何をされていてもありがとうございますとしか言えないですから」
というか、一週間ともなると、多分下の世話までして貰っているはずだった。
そういった世話をしていたともなれば、気まずい事極まりないだろう。
大事なところ見られちゃった!?
そう言えばパンツ……履いてない気がするぞ?
「ソソソ、ソウナノ? ウン、ソウネ、ソウヨネ」
「というわけで答えないでいいですすみませんご迷惑をおかけしましたありがとうございました」
平静に見えるけど、実は心臓バクバクだからね?僕。
「いえいえ、それが私の役目なんだからいいのよ~。気にしないで~。本当に気にしないでね? お願いだから」
この記憶は可及的速やかに消し去る事にしよう。
うん、間違いないそれがいい。
じゃあ最後の質問をしようかな。
「セラさん、これは嘘とか絶対つかないで欲しいんですが、いいですか?」
「ええ、もちろんよ。嘘をついてはいけないって教えにもあるのよ。嘘は絶対につかないわ」
セラさんはそう言うと、力強く頷いた。
……言質は取った。
「セラさんは、彼女の正体を知っていましたね?」
僕の一言で、それまで陽気だった彼女が突然押し黙る。
それが答えだった。
普通なら彼女が、魔王と呼ばれる存在が僕の傍に居たら、彼女が何かしたのではないのかと疑うはずだ。
それが無かった上に、彼女と会話をしているという事は、彼女が何かする存在ではないと知っているからこそできる事だ。
「……そう、ね。知っていたわ」
「…………」
言葉は無い。
だが、言葉よりも僕の目の方が、多くを語った様だった。
セラさんは辛そうに顔を歪める。
「でもこれは教会……いいえ、全ての国と彼女との約束なのよ。生きる事に飽きた魔王が死ぬための……」
「生きる事に飽きた……」
正直なところ、その言葉は酷く一方的で独善的に聞こえた。
だが、我慢して話の続きに耳を傾ける。
「魔王は、死ねないのよ。殺されても生き返り続ける。殺し方によって生き返る為に必要な時間は変わるけれど、必ず生き返るの」
「それは僕も知っています」
「そう、よね。それではるか昔に魔王から申し出たらしいの。戦う事に疲れたって。でも、魔王からは無限に魔物があふれ出してくる。だからそのままっていうわけにはいかない。だから、殺す場を整えるって条件を出したのよ」
殺すための場、というのはこの世界の構造そのものの様なものだろう。
この世界のほぼ中心に存在する火山と、それを囲う強固な壁と砦。
そして勇者の武器と防具を扱うための人材を、世界中から集め、育成する教会と国家。
扱える者が居なければ異世界からでも召喚する。
だが非道と罵る事はできないだろう。
魔物による被害は、大きい。
僕はそれを知っていた。
「それを魔王は受け入れたって言うんですか?」
「ええ」
より効率よく死ぬために。より長く死んだままで居るために。
死にたがりの彼女であれば、確かにそれを望んでもおかしくないだろう。
「更にそれよりも前は、魔王も立ち向かって来たから今以上の犠牲者が出たそうよ」
セラさんは言い訳がましくそう付け加えた。
今の方法が最良の方法だ、そう主張するかのように。
ああ、確かに最良だろう。魔物を倒すのには犠牲が出てしまう。
事実、僕だって倒しきれずにこうして治療を受けているのだから。
だけどそれは最善ではないはずだ。
だって彼女は本当に、心から死を望んでいるのではないと分かってしまったから。
「ありがとうございました、セラさん。じゃあ、そういうわけで僕は行かなきゃいけないんで」
僕は痛む体を無理やりに起こそた。
「待って、勇者クン! 何処へ行くつもりなの? あなたはボロボロで動くのもしんどいはずなのよ!?」
「痛いですね~。魔法でパパっと治してくださいよ」
痛みで僕を拘束したいのかと勘繰ってしまうじゃないか。
「魔法は万能じゃないのよ。体が持っている治癒力を高めて治療するの。だから、体に無理させることになるの」
あ、そうだったんだ、疑ってごめんなさい。
「あはは、じゃあ回復した今なら大丈夫そうですね」
えっと、回復呪文は……。
「癒しの霊龍よ。大地よりの恵みを我に……」
勝手に回復の呪文を唱え始めた僕を、セラさんはもう、とふくれっ面で文句を言う。
だが僕が止めるはずがないと理解したのか、すぐに彼女も呪文を唱え、治療を施してくれた。
「ねえ、ポーションは全部使っちゃったの?」
僕は頷いて肯定する。
というか魔法で治療しながら話せるって器用だな。さすがは治療のスペシャリストってことか。
「そう、よね。外の死体を見て来たけど、あれだけの相手と戦って来たんだものね。使い切って当然よね」
まあ、僕にはほぼ使ってないんですけどね。
「……実はね、私がここに来たのは勇者クンが死んじゃったと思ったからなの」
死にかけてましたから当たらずとも遠からずですねって相槌入れたいけど入れたら呪文中断しちゃうの。
「私たちが砦に引き返して、しばらくして魔物が砦に来なくなったの。それで勇者クンが頑張ってるんだなって……」
全部僕が倒してたもんなぁ。いわゆるリスポーンキルってヤツで。
ゲームほど楽じゃなかったけど。
「でもしばらくしたら普通に魔物が襲ってきたわ。だから、私が装備と……できれば死体も回収しようって思って来たの」
えっと、僕が戦ったのは大体一週間で、魔物が彼女の下で生まれて砦まで到達するのに個体によっては数日がかかるから、時間的に差が生まれる。
やっぱり移動用の魔具って便利だよね。
ではなくて、だから僕が倒れた時からセラさんがここに来るまで時間が空いたのか。
「死んでるって思ったから、ミュウちゃんを来させるわけにはいかなかったし、アル君は剣を使いこなす練習が必要だったから、だから私が一人で来るしかなかったの。でも、それで正解だったかもしれないわね……」
……あ。装備を分解したのは僕じゃないです。彼女ですから。
なんて、そんな事を言いたいわけじゃないだろう。
アルは次会うときは殺すって言ってたから、僕の治療なんてできなかったかもしれないからだろう。
じゃあミュウはなんでだろう?
「私は勇者クンが生きててくれて、本当に嬉しかったわ」
「…………」
「だから、これ以上無理してほしくないの」
まあ、それは聞けない相談ですけどね。
僕のしたい事と、セラさん達がしようとしている事は、ぶつかり合ってしまうから。
「……ねえ、このまま私と一緒に逃げちゃわない?」
「え……?」
あまりに意外な一言を聞いたせいで、僕は呪文を唱えるのを中断してしまった。
「私と勇者クンの二人でだけ逃げて、誰も来ないような山とかに小さな家を作って二人で暮らすの。今までのしがらみとか全部捨てて」
そう言うとセラさんは僕の肩を抱き、のしかかる様に自らの体を近づけてくる。
って胸が! 胸が当たってます!
ちょっ、うわっ、柔らかっ! 待って! 病み上がりには刺激が強すぎるって!
病み上がりじゃなくても刺激が強すぎるだろうけど。
「最初は寂しいかもしれないけど、子どもが生まれたらきっと寂しくなくなると思うわ、ね?」
こここ、子どもって……ごくり。
いやごめんなさい見てません想像もしてませんそんな邪な事を考えていい雰囲気じゃないですし。
いやでも健康的な男は仕方ないと思いません? 考えちゃいますよ。って誰に言い訳してるんだ僕は。
「……すみません、セラさん。お気持ちは嬉しいですが、僕にはやりたいことがあるんです」
「……どうしてもダメ?」
「……どうしてもダメです」
「どんなことでもしてあげるわよ?」
「………………駄目です」
ちょっと迷ってなんかないからね!
惜しいなぁとかこれっぽっちも考えてなんかないからね!
「……そう、よね」
そうです。だから退いてください。胸を押し付けないでぇぇぇっ!
「…………」
内心で叫び越えを上げる僕を無視して、セラさんはしばらく僕の目を覗き込んでいた。
やがて、セラさんは頭を振ると、僕の肩を抱いたまま、少しだけ身を離した。
「……あ~あ、振られちゃった……」
そう言いながらセラさんは残念そうに微笑んだ。
「結構、本気だったのになぁ……」
「す、すみません。その、今はそういう事考えてる暇とか無いってだけでして……決してセラさんが嫌いという訳では無くてですね。むしろ優しいし頼れるし素敵な女性だと思ってます」
「……そういう事に、しておいてあげるわ」
しておいてあげるも何も、人生の中で今が一番ドキドキしてますから!
そのぐらい意識してますから!
そんな内心の講義を聞き届けてくれたのか、ようやくセラさんは離れてくれたのだった。
「ねえ、勇者クン。もう治療、終わったわよ」
「え?」
あれ? 痛くない……。いつの間に? まさかさっきの会話をしながら?
凄すぎない? よく集中切らさなかったな……。
僕は体の各部を叩いたり、腕を回してみたりするが、確かに痛みは完全になくなっていた。
「ありがとうございます、さすがセラさん」
「どういたしまして。念のために薬草と包帯はそのままにしておいてね」
「はい」
僕は頷いた後、立ち上がり、辺りを見回した。
……やっぱり装備はテントの外かな。
「ねえ勇者クン。これからどうするつもりなの?」
「……彼女が死を望んでいるのなら、行先は一つしかありません。そこに向かいます」
彼女が死ねる場所――方法とでも言うべきだろうか。それは一つしかない。
アルが持っている勇者の剣だ。
彼女は間違いなくそこに向かうだろう。
セラさんの話しぶりなら、アルは砦に居るはずだった。
そして、まだアルは剣を使いこなせていないはずだ。数年単位で訓練してダメだったのに、二週間で使いこなせるようになるとは思えない。
だからまだ彼女は死んでない。まだ間に合うはずだ。
……はず、ばっかりだなぁ……。でも悪い方には考えたくなかった。
「……アル君と喧嘩しちゃダメよ?」
「僕からは手を出しません。それだけは約束します」
足を出すとかそういうのももちろん無い。
元仲間といえど、いや、だからこそ殺し合いなんてしたいはずがない。
「アル君は西の砦に居るわ。信じてるわよ、勇者クン」
「ありがとうございます」
そして僕は出発の準備を始めたのだった。
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