第1話 そして僕は裏切った
「お前……お前ぇぇぇっ!」
年中絶えず黒煙を上げ続ける火山、その火口付近で戦いは始まった。
長年共に戦って来た男が、僕にとって最も頼れる親友が、殺意を隠さず僕に剣を振るった。
金の短髪を雨で湿らせ、青い瞳からは涙をこぼしながら。
きっと彼もそんな事はしたくはないはずだ。
だが、彼は責任感の強い男だった。更に魔物に妹を殺されたという私情も背中を押しているはずだ。
だから、彼はためらいなく剣を振るった。
僕はそれを愛用の剣で防ぐ。
世界を守る為に、魔王を倒すためにと、古より伝えられた神の造りたもうた伝説の剣を使って。
「なんで……なんで……! お前は勇者だろうが!」
感情に任せて彼は、親友は再び僕を殺そうと剣を叩きつけてくる。
そうだ。
それが正しい事だ。
間違っているのは、僕なんだから。
「アル、ごめん。勇者だから……違うな。僕は僕の正義を貫きたいんだ。勇者である僕のために」
「だからって、世界を滅ぼしていいわけないだろぉがぁぁぁっ!」
三度、四度と剣は光の筋となって僕を襲った。
そしてそのすべてを、僕は受け止める。
受け止めるだけで、何もしない。
アルを傷つけたくないから。
「お前は……お前は……異世界人だからか!?だからお前はこの世界なんてどうでもいいと思っているのか!?」
「そんなことない。僕はこの世界が好きだよ。もう地球に帰るつもりもない。ずっとこの世界と向き合って生きていくつもりだ」
剣と剣がぶつかり、その度に耳障りな金属音と火花が散った。
「だったら何で!? なんでお前は……」
「アルフレッド、下がってください! もしかしたら操られているのかもしれません!」
アルの後ろから、黒いコートと同色の三角帽を被った、まさに魔女とも言うべき格好をした、可愛らしい雰囲気を持った茶髪の少女が、赤い宝石の付いた杖を振るう。
「魔法で拘束します。風よ、戒めの鎖となりて、彼の者を捕らえよ!」
少女の呪文と共に風で編まれた鎖が、計四本も現れる。
それは僕の手前で広がると、四方から襲い掛かって来た。
「ごめん、ミュウ。僕は操られてなんかないよ」
一言それだけ断ると、僕は左手に装着されている魔法の盾をかざした。
月の光を打って造られたという伝説の盾から光が放射状に発生し、巨大な壁を形作る。
その壁が、風の鎖全てを受け止める。
「ぐっ……ぬぅぅっ」
少女は更に力を籠めて鎖を太くし、力づくで壁を破ろうとする。
だが少女も分かっているはずだ。
決して敗れるはずがないと。
何度もこの壁に命を救われてきたのだから。
「大丈夫よ、ミュウちゃん。そのまま続けて!」
豊満な体を揺らしながら、白い修道服で身を包んだ長い金髪の女性が呪文を唱え始める。
彼女はパーティーで一番の年長の女性で、回復というパーティーの要を担って来たある意味大黒柱的な存在だった。
僕も彼女の治療には何度も助けられたし、その人柄に救われた事だってある。
母親、と表現すると彼女はいつも怒りだしてしまうのだが、まさにその様な女性だった。
その彼女は、本気で僕の身を案じているようで、真剣な表情で僕を見つめている。
「私の回復魔法はその光の壁を通過するから。それできっと勇者くんは元に戻るはずだら! ……聖なる光よ。邪なる魂を払いたまえ!」
女性の体から光の波動とも言うべきものが発せられると、盾から発せられた壁を突き抜けて僕を包んだ。しかし……。
「そんな……!」
当然彼女の魔法は何の効果も与えられなかった。
相変わらず僕は壁を展開し続けている。
「セラさん、僕は操られてなんかいませんって言ったじゃないですか。僕は僕の意志でこうしているんです」
そして僕は盾に魔力を籠めると、ミュウの放った魔法を弾き飛ばした。
「みんな。お願いだから、ここは一度帰ってくれないかな?」
「出来るかぁ! 俺らは世界を救うためにここに居るんだぞ! あと一歩でそれが為るってぇのに、帰れるかよぉぉぉっ!」
予想通り、アルは声を荒らげ突っ込んでくる。
(……仕方ないか)
僕はため息を一つ突くと、突っ込んでくるアルの剣を盾で受け止めると、剣の柄をアルの顎に叩きつけた。
「うっ……あ……」
激しく脳を揺さぶられたアルは、抵抗することすらできす、その場に頽(くずお)れた。
アルの剣が地面に落ちて、空虚な音を響かせた。
「アルフレッド!」
「アルくん!」
ミュウとセラさんが悲鳴を上げる。
まさか本当に僕が仲間を傷つけるとは思わなかったのだろう。
アルが倒れたというよりは、そちらの方が彼女たちに衝撃を与えたようだった。
「ごめんってアルの意識が戻ったら言っておいてくれるかな?」
僕はそう言って精一杯の笑顔を見せると、剣を鞘に納めた。
もう戦わない。行動で彼女たちに伝える。
彼女たちも分かってくれたのか、杖を下ろしてくれた。
「なんで、こんなことをするんですか、勇者様」
ミュウが問い詰める様にアルと同じ質問をする。
その横ではセラさんが何度も頷いていた。
「……僕は、僕が正しいと信じた路を行く。それだけだよ。今までも、これからも」
「信じられないの、それが。だって勇者くんが歩もうとしている路は、明らかに悪の路よ? 人類に敵対する行為なのよ? なのにそれが正義だなんて、私には到底信じられないわ」
セラさんが、ゆっくりと諭す様に、現実を僕に突き付ける。
だがそんな事は僕が一番理解していた。
確かに判断は一瞬だったかもしれない。
でも、今までの旅の中で培ってきた僕という存在が、そう判断したのだ。
結論を出したのだ。
だから、決して自分に嘘をついてはいなかった。
例え間違った判断だったとしても。
「セラさん、確かに善い行いとは言えないかもしれませんね。それに、たぶん、犠牲が生まれる」
「それが分かっているならどうして!」
「……それでも救いたいって思ったんです」
しばらくの間、アルを挟んで視線をぶつけ合う。
申し訳ない。本当に心からそう思った。
でも、譲れないのだ。
「アルを連れて帰ってくれますか?」
「…………分かったわ」
苦虫をかみつぶしたような表情で、世良さんは了承してくれた。
ゆっくりとこちらに歩み寄り、アルに治療の魔法をかけ始めた。
だが、それは非常に弱弱しいものであり、せいぜい顎の傷を治す程度の物だ。
例えアルが目を覚ましても、三半規管は狂ったままで戦えないだろう。
セラさんは約束を守ってくれるようだった。
だから僕も腰のベルトを弄って鞘に入った剣を取り外した。
「ミュウ。これをアルに渡してくれないかな。今の僕が持ってていいものじゃないから」
そう言ってミュウに剣を差し出した。
だが、ミュウはその場を動こうとしなかった。
だからその場に剣を置いておく。
代わりに僕はアルのベルトを外すと、地面に落ちていたアルの剣を拾い上げて鞘に納めた。
「ごめん、剣がないからこっちを貰っておくね。あと、盾と鎧だけど……こっちも返さないといけないんだろうけどさ。ちょっとだけ、使わせて欲しいんだ。……守る為にさ」
「……なんで……」
脈絡なくミュウが言う。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら。
感情のままに、想いを僕にぶつけてくる。
「なんでですか? 私じゃダメなんですか? 私じゃ勇者様の隣に居られないんですか?」
「いや、あのね、ミュウ。僕の決断はそういうのじゃなくて……」
僕の感情は好きだとか憎いだとかそういうものではない。
どちらかといえば、義憤とも言うべきものだろう。
「……私は勇者様が好きです!」
唐突な告白に僕はたじろいだ。
いや、好意を向けてきている事は薄々感じてはいた。
でもミュウの事は守ってあげたい妹のように思っていたから、そういう対象として見るのを避けていたんだ。
しかし、今それが破られてしまった。
はっきりと言葉にしてしまっていた。
「ずっと勇者様と一緒に居たいです! お願いします、私から離れないでください! こっちに帰ってきてください! 私のところに戻ってきてください!」
その言葉に、僕はゆっくりと首を横に振った。
「そん……な……」
悪の路に踏み込むことは、彼女の信念が許さないだろう。
だから僕たちの路はここで別れる。
そんな事があるなんて、僕も思っても居なかったけど。
この先ずっと一緒にこの四人で過ごせるものだと勘違いしていた。
終わりはいつか訪れるのに。
「ありがとう、でも、ごめんね。僕もミュウの気持ちに応えてもいいって、多分、思ってたかもしれない」
今はまったく分からないけれど、彼女の好意は、間違いなく心地の良いものだった。
「だけど、僕にはその気持ちよりも通したい意志があるんだ。だから、応えられない」
僕は彼女を突き放す。
彼女が僕の後を追ってこないように。
悪の路に、足を踏み入れないように。
「……分かり……ました……」
彼女は何度も涙をぬぐいながら、それでも気丈に歩みよって来る。
そして、僕の前まで来ると、勇者の為の剣を拾い上げると、大事そうに、抱きしめた。
僕の代わりだとても言うかの様に。
「この……野郎ぉ……」
アルがかすれた声で悪態をつく。
どうやら意識だけは戻った様だった。
だから僕は地面に仰向けになっているアルへと視線を戻した。
「あ、アル、ごめん。色々と」
僕はできるだけ軽い感じで言ってみる。今までのように。
「ふざけるな、裏切り者……。お前……分かってるんだろうな……?」
「……あはは、アルはやっぱり頑丈だね」
「ざっけんな。この……ちくしょう……」
アルはそう言うと、横を向いて血の塊を吐き捨てた。
そして続ける。
「もう、お前を勇者だと思わねえ」
「そうだね。勇者失格だ」
「俺はお前を魔物だと思う事にする」
「ああ、だからアルが代わりに勇者になってくれよ。そしたら安心だ。ミュウに剣を預けといたから。うん、きっとアルなら使いこなせるようになるよ」
「ざっけんな!」
アルは力を振り絞って手を伸ばし、僕の足を掴む。
「俺は、お前が勇者だからついて来たんだ! なのに……なのに……」
「……ごめん」
「もうお前は人類の裏切りものだ。勇者とかじゃねえ。人間ですらねえ。魔物だ。災厄そのものだ。お前は……悪魔だ! 俺らを踏みにじった!」
「そう、だね。ごめん」
どんな罵倒だって受け入れるつもりだった。
だが、想像した以上に辛いことだった。でも、受け入れなければならない。
それが僕の責任だから。
「お前は全ての国から賞金を懸けられ、追われる身になる。最悪の犯罪者になる!お前は一生その命を付け狙われるんだ!」
「そうだろうね」
「……こんなに言っても分かんねぇのかよ!」
「ああ」
当たり前だ。大体世界の滅びにたった四人で立ち向かって来たんだ。人類全てから憎まれるくらい、どうってことはない。
……嘘だ。辛い。
でも、耐えられる。
「ちくしょう……」
アルは地面をこぶしで叩くと、ゆっくりと起き上がる。
だがまだ脳震盪の影響がある様で、ふらついたところをセラさんに抱き留められていた。
「お前とは……絶交だ。次会ったら、俺はお前を殺す」
「うん、ありがとう。でも抵抗はさせてもらうよ。それに、逃げるから」
そう言うとアルはチッと舌打ちをして歩き出す。
僕に背を向けて。
敵のはずの僕に背を向けて。
「みんなも、帰った方がいいよ」
まだ僕の身を案じるような視線を向けていたセラさんとミュウに、そう告げる。
「僕は人類の敵だから、勇者様のパーティーを襲っちゃうかもしれないよ?」
「……勇者様は勇者様だけです! 私は……! 私は……!」
「ミュウちゃん」
冗談めかした忠告を、ミュウは否定しようとする。だが、それをセラさんが止めてくれた。
ミュウの体をやさしく抱きしめ、彼女を諭す。
はじめは嫌がっていたミュウも、やがてはしぶしぶ頷き、ゆっくりと去っていた。
何度も何度もこちらを振り帰りながら。
そんな元仲間たちの姿が小さくなって消えたころ、ようやく僕は背後にいる女性の方を振り向いた。
すぐそばに煮えたぎるマグマがあるというのに、その女性は火口を椅子にして座っていた。
女性は黒髪黒目で、腰まで届くほど艶やかな長髪をしている。
見た目的には人間と変わるところはない。強いて言うならば、人間離れした美貌であることくらいか。
年齢は二十台中ごろに見えるが、真実はどうかわからない。
そして髪と同じ色の、多少煽情的なナイトドレスを着て、胸の谷間……は全くと言っていいほどない。悲しいくらいに板であるが、本人はそんなことなど気にも留めないだろう。
そんな彼女が、やや気だるげな様子でこちらを見ていた。
「もう、終わったか?」
「はい、終わりましたよ……」
僕は彼女を守るために全てを捨てた。
そして人類の敵となる事を受け入れたのだ。
彼女がそれだけ大事だったわけではない。
恐らく彼女とは初対面だ。
まともに話したこともない。
だが、その目には見覚えがあった。
全てがどうでもいいと諦めた目に。
絶望ではない。諦めて、希望も何も持たないという無味乾燥な目だ。
僕は彼女がそんな目をしている事が許せなかった。
正義とかはただの言葉遊びだ。
僕はたったそれだけの理由で、人類を裏切った。
「……魔王様」
そして元勇者は、魔王に手を差し伸べた。
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