第23話 勇者(ぼく)の死

 ――ごめん。

 それが真っ先に頭に浮かんだ言葉だった。

 僕は死ぬ。それが本能的に理解できた。

矢が貫いたのが首筋というあからさまに致命的な場所だとか、あまりにも血を流し過ぎたとか、呪文が唱えられないとか、ポーションも何もないとかいろいろな理由があるだろう。

とにかく分かった。これは無理だって。

 ――嫌だ。

 ――嫌だ嫌だ。

 僕は死ぬわけにはいかない。

 彼女の為にも。

 今僕が死んだら彼女はどうなるか。

 本当に死んでしまう。

 本当に彼女の心が絶望に堕ちてしまう。

 だから、死ぬわけにいかないのに……。

「おいっ! 起きろっ!」

 彼女の声が聞こえる。

 気付けば僕はその場に倒れてしまっていた。

 彼女はそんな僕に走り寄ってきて抱き起してくれている。

「あ……ごほっごほっ」

「喋るなっ!」

 いくら彼女に伝えたい想いがあっても、それは不可能だった。

 生と死の狭間には絶対的な断絶が存在し、僕はその狭間を彷徨っているのだから。

 それを繋ぎとめているのは、彼女のぬくもりだ。

 大切な、大切な僕の……。

「待っていろ、今治療してやる。……大丈夫だから。大丈夫だからな!」

 彼女は青い顔をして、涙まで浮かべながら、必死になって僕を助けようとする。回復手段を探す。

 だが、ポーションは捕まった時に全て取り上げられてしまった。

 そして僕を回復してくれる人間は此処に誰一人としていない。

「……はっ……げふっ」

「だから喋るなぁっ!!」

 もう、いいから。僕の事を想ってくれるのなら、今すぐに逃げて。

そう言葉にしようと思っても、次から次に湧いてくる血液が肺に入ってしまい、それもできなかった。

 ……伝えたところで君は逃げないだろうけど。

 それがきっと君の悪いところでもあり、魅力でもあるんだけど。

「――っ」

一瞬、彼女の瞳が迷う様に揺れた。だが、すぐに僕の方へ向き直ると、まっすぐに僕を見つめる。

「……………」

 彼女は僕をゆっくりと地面に横たわらせると、僕の傷口あたりに手をかざした。

―――――――。

 それは何語なのか。そもそも人間の話す言葉なのか。

 不思議と胸の奥が温まるような、そんな言葉が彼女の口から紡ぎ出されていった。

 彼女の手のひらから黒と白が混じった不思議な光が生まれ、僕に降り注いでいく。

 それは、きっと彼女の魔法。

 だがそれには致命的な欠点があった。

 頬のかすり傷を治すだけで魔物を生んでしまったのだ。致命傷を治せばどれだけ強い魔物が生まれてしまうのか見当もつかなかった。

 それでも彼女は僕を蘇生させることを選んだのだ。

 それは光栄な事で――――。

 パリンと、何かが割れる様な音がした。

「そんなっ」

 彼女の悲鳴が上がる。

 僕の傷は癒えていなかった。

「なんで? 何で治らないの!? 治って、治って! お願いだから!」

 祈る様に、彼女は何度も何度も魔法を使う。だがその度に魔法は無効化された。

 その理由は彼女と、僕にあった。

 彼女の魔力は何かに汚染されていて、僕は魔の力を弾く鎧を身に纏っていた。

 だから何度回復させようとしても、決して届かないのだ。

「……あ……」

 彼女の背後で、次々と魔物が生まれていく。アンデッドが、首なし騎士が、鬼が、オーガが、ゴブリンが、ドラゴンが、怪鳥が。大小さまざまな魔物が空と大地を覆いつくさんばかりに生まれて行った。

 生まれたばかりの魔物たちは全て、僕と彼女を無視して次々と人間たちに襲い掛かっていった。

 魔物も分かるのだろう。

 何もしなくても死ぬ僕は、もう敵ではないと。

「治ってよぉ……。死なないで……」

 そんな魔物たちにも気づかずに、彼女は懸命に魔法を唱え続ける。

 ……本当に、一生懸命だな。

 どこか他人事のようにそう思う。

 今までの仮面を脱ぎ捨てて、僕に魔法をかけ続ける様子は、ただの一人の少女の様だった。

 ――僕はこれから酷いことをしてしまう。

 ――彼女を孤独にしてしまう。

 ――本当に、ごめん。

 言葉にしてこの想いを伝えたい。でも、それは出来ない。

 ――何とかしろ!

 ――彼女が泣いている。

 ――僕のせいで泣いているんだ!

 僕は最後の力を振り絞る。

 もう視界がぼやけてまともに見る事も出来ない。

 僕は死ぬ。

 後悔にまみれて、何もできずに死ぬ。

 迷惑だけかけて、死ぬ。

 それでも最期に、最期だけは!

「なんだ!? 何がしたいんだ!?」

 君の声が聞こえる。

 君はまだ近くに居てくれているんだね。

 そんな風に、僕は彼女の声だけをよすがに、手を差し伸べた。

 そして――。

「あっ……」

 彼女の頬に手を寄せると、親指の腹で涙を拭う。

 そして、出来る限りの笑顔を作って見せた。

 ――泣かないで。

 もう何も分からない僕が遺せる最期のメッセージ。

 そのためだけに、僕は魂の全てを燃やし尽くした。

 




 そして、僕の人生は幕を閉じた。

 自分勝手に彼女を巻き込んで。

 自分勝手に世界を敵に回して。

 何よりも大切な物さえ守り切れずに。

 彼女に新たな傷だけ作ってしまった。

 ……本当に、ごめんね。

 本当は君にもっと別の事を言いたかったな。

 僕は……僕は君を……君の事を……。

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