第15話 不幸は唐突に、なんの予兆もなく訪れる


「美味しかった~」

 出て来たポトフを無言で食べきった僕たち二人は、満足気なため息を同時に吐き出した。

 いやホントめちゃくちゃ美味しかった。

 今までが保存食のご飯だったっていうのもあるけどさ、それを鑑みても間違いなく一級品だよな。

 きっとコンソメがいいんだ。時間かけて作ってるんだろうなぁ。

「うむ」

 彼女もほっこりした顔で器を名残惜しそうに眺めていた。

 さっきまでのツンツンした態度が嘘のようである。

「お代わりとか要る?」

 ちなみに僕はまだ空いてる。

 何か露店めぐってスナックでもって思ってたけど、こんなに美味しいならここでもう少し食べてしまっても構わないかもしれないな。

「ふむ……何がある?」

「えっと……?」

 彼女に問われて僕は壁に賭けられたメニューへと視線を走らせた。

「鶏肉の串焼きが美味いぞ」

 そんな僕らに横合いからアドバイスが飛んできた。

 髭の老人は、常連なだけあってメニューを全部網羅しているのだろう。

「へー、ならそれを……。君もそれでいい?」

 僕の問いに、しかし彼女は顎に手を当てて考え込むようなそぶりを見せた。

 あれ、もしかしてアレルギーとか? それとも鶏肉嫌いだった?

「ぬぅ、違うものを頼んで……」

 ああ、いろんな味を試したいのね。

「いやしかし、口をつけてしまうではないか……」

 乙女か。

 いや乙女なんだけどもさ。

「…………むむ…………」

 そんな風に悩んでいる彼女の姿を、僕は眺めながら堪能していると、

「なあ、兄ちゃん」

「なんです?」

 こそっと髭面のおじいさんが僕に耳打ちしてくる。

「あの美人、結構浮世離れしてるが、お前さんよく捕まえたな」

 ……捕まえたとかそういう関係じゃないんだけど、誤解するなら仕方ないよね。

「……彼女、高根の花じゃないですか。だから運が良かったんですよ」

「なるほどね……」

 僕以外は誰もが彼女を突き放した。ただそれだけの事だ。

 僕は違う。何があっても彼女を殺したりしない。例え僕が死ぬことになっても、絶対彼女を守る。守り抜く。

 そう決めたから。

「よしっ、決めたぞ。余の分も串焼きで構わん」

「分かったよ。じゃあ買ってくるね」

 結局間接キスは嫌だったんだね。ちょっとショック。

 いや、意識されてると思えば……。前向きに前向きに。

「あの窓から中に居る女将さんに注文すればいいからな」

「ありがとうございます」

 そうやるのが普通で、やっぱりルカちゃんが持ってきてくれたのは特別扱いだったんだ。

 そういえば今ルカちゃんはどうしてるのかな?

 僕は立ち上がりがてら、ぐるっと店内を見回してみる。

「お、いたいた」

 ルカちゃんは、ひとつ隣の机を片付けている最中だった様で、器を横に退けた机を台拭きで懸命にきれいにしているところだった。

 頑張ってるなぁ。

 あ、そうだ。ついでに僕らが食べ終わった器も持って行ってもらおうかな?

 そう考えた僕が、器を取ろうとしたその時、それは起こった。

 奇妙な波、ともいうべきものが、足元から伝わって僕の全身を揺らした。

「……!」

「な、なんじゃ!?」

 周囲の人々も、その違和感を感じ取って気色ばんでいる。

「早くみんな机の下に潜って!」

 ただ一人、日本人である僕だけは、その慣れ親しんだ違和感の正体に気付いていた。

 ――地震。

 日本であれば多少の揺れ何て気にすることでもない。

 だが、耐震もへったくれもないこの世界の建築物であれば、それは致命的すぎる現象だった。

「早く! 命が惜しいなら机の下に隠れて!」

 二度目の警告にも客たちは呆然として、動こうとしなかった。

 ……時間がない。

 とりあえず僕は彼女の肩を掴むと、無理やり机の下に押し込む。

「なっ、何を……?」

 彼女の抗議が聞こえるが、一切取り合わない。

「ルカちゃん! 早く机の下に隠れえて! おじいさんも!」

 視線を合わせてそれぞれに命令する。

 みんな、という不特定多数への呼びかけでは人はなかなか動かない。だが直接言われたのであれば別だ。

 固まっていた二人は、戸惑いながらも僕の指示に従ってくれた。

 後を追う様に僕も机の下へと逃げ込んだ。

 そんな様子を見て、ようやく何人かは机の下に体を押し込み始める。

 だが、遅かった。

 もたもたしている間に初期微動は終わり、本震――主要動と呼ばれるより強い横揺れの地震が始まってしまった。

 体どころか建物すら揺さぶる大きな揺れに、それまで談笑していた客たちは、慌てふためき恐怖の悲鳴を上げる。

「早く机の下に入れ!」

 僕は怒鳴り声を上げるが、パニックに陥ってしまった人に通じるはずもなかった。

 揺れは更に大きくなっていき、屋根は大きな音を立てて落ち、レンガを積み上げて作られた壁は瓦解していった。

 所々で上がる悲鳴も、瓦礫が奏でる狂騒曲の前にかき消されてしまった。

 どれほどの時間が経っただろうか。ようやく揺れが治まったとき、昼間だというのに辺りは完全に暗闇と静寂が支配していた。

 それでも頑丈な机は僕たちを瓦礫から守ってくれたようで、僕の体に痛む個所はどこにも感じられなかった。

「大丈夫? 怪我はない?」

 僕は手のひらに灯を生み出すと、真っ先に隣でしゃがみこんでいる彼女の肩を揺さぶった。

 そして気付く。彼女は全身をがたがたと震わせて怯えていた。

「……大丈夫、もう終わったよ」

 僕は彼女の背中を撫でながら励ました。しかし、彼女は何も反応を返さない。

 普段ならば触れるな、と叱責されるだろうが、それも無かった。

とりあえず見える範囲で彼女の体を確認し、怪我がないことを確かめると、今度は反対を向いて老人の無事を確かめる。

 こちらも怪我ひとつなかったため、脱出を促した。

「ルカちゃん! 無事かな!?」

僕は瓦礫の向こう側に居るであろうルカちゃんに声をかけた。

「は、はい」

 瓦礫の隙間から、ルカちゃんの細い声が返ってくる。

ルカちゃんの無事が分かり、僕はとりあえず胸を撫で下ろした。

「おかあさん! おとうさん!」

 ルカちゃんのものと思われる悲鳴が上がり、物音がだんだんと離れていく。

 恐らくルカちゃんが小さい体を生かして机の下を這い、両親のいる厨房へと目指して移動しているのだろう。

「ル、ルカちゃん!? 動いちゃダメだ! 僕が行くから!」

 僕の忠告は、ルカちゃんを止めるだけの力は無かったようで、物音は遠ざかっていった。

 あれほど親孝行だったルカちゃんの事だ。人に言われたから助けに行くことを止める様な性格ではない。

「くそっ」

 僕は舌打ちをすると、

「ごめん、ちょっと通らせて」

 彼女に一言断り、瓦礫と彼女の間に体を滑り込ませようとした。

「ま、待て。よ、余が先に行く」

 言葉の端々が未だ震えてはいたが、とりあえず彼女も自分を取り戻した様だった。

「分かった。君の怪力を頼りにしてるよ」

 実際、ドラゴンの鱗すら無造作に引きちぎる事ができる彼女の怪力は、こんな状況では様々な事に役立つだろう。

 僕の言葉に彼女は頷くと、厨房目指して進み始めた。








 途中、意識のある人に机の下を這って逃げる様に促しながら進んでいった。

 意識のない人は、残念ながら後回しだ。確実に無事な人を確認した後、その人たちと協力して助け出すしかない。

 僕は自分の無力さを噛み締めつつ、心の中で謝罪するほかなかった。

「おい、勝手に行くな!」

「でも……でも……」

 前を進む彼女がどうやら厨房付近にまでたどり着いたらしい。

 意外と大きい彼女のお尻が邪魔で様子がよく分からないが、声から察するにルカちゃんが目の前に居るのだろう。

「僕たちやルカちゃんだけじゃ、助けるのは難しいんだよ。戻って外に居るおじいさんたちと一緒に助けるからルカちゃんは一旦外に出て!」

「いやっ。おかあさん! おとうさん!」

 もどかしい。正直、冷静さを欠いたルカちゃんを説得できる気がしなかった。

 はっきり言って、嫌な予感がする。

 ここは食堂で、しかも昼時で、火を使っていたのだ。

 つまりここは一番危険な場所で、一刻も早く離れなければならない場所なのだ。

「ごめん、無理に出るよ」

「なっ、ちょっ、貴様何処をさわっ……」

 彼女の抗議は無視して僕は無理やり彼女の横を通り抜け、机の下から這い出した。とはいえまともに立つこともできない状態だったが。

 そこは、恐らく厨房から料理を出す窓の前あたりだった。

 だったというのはもちろん、名残すらないほどに無茶苦茶になっているからだ。

 辺りにはレンガが散乱し、落ちて来た天井が周囲を塞ぎ、折れた梁が壁を突き崩していた。

 ルカちゃんは……瓦礫の向こうか。

 歪んだ扉を必死になって押している背中が辛うじて見えた。

「僕がここら辺を切り払う。だから君は瓦礫を外に投げ捨てて」

「分かった」

 彼女の返事が聞こえると同時に、僕は剣を抜き放ち、邪魔になる瓦礫や天井を切り払っていった。

「お願い」

「ああ」

 瓦礫が完全に崩れるよりも早く、彼女は机の下から出ると、立ち上がりざまに拳を天井に向けて叩き込んだ。

 それによって暗かった世界に光が差し込み、周囲がよく見えるようになる。

 更に彼女は瓦礫の数々を、こともなげに外へと放り投げていき、あっという間にルカちゃんまでの道を作り上げたのだった。

「ルカちゃん、下がって」

「あっ……」

 周囲が明るくなったことにも気づかず、必死に扉をたたき続けているルカちゃんを、僕は背後から抱きあげると扉から引きはがした。

「はぁっ!」

 入れ替わる様に扉の前に立った彼女は、鋭い呼気と共に扉へ貫き手を突き刺すと、まるで薄紙の様に割り破っていった。

 そして彼女は厨房に入り、

「……大勢の助けが居る。早く人手を呼んで来い」

 静かに告げた。

 力が足りない、などという事はまずありえないだろう。大の男よりも力の強い僕よりも更に輪をかけて剛力を誇る彼女だ。現に瓦礫を天に向けて放り投げている。

 つまり彼女の目的は、人手を呼ぶことでは無く、ルカちゃんを遠ざける事。

 その意味することは――。

「いやぁっ! そこにおとうさんとおかあさんが居るんでしょ!? 助けるのっ! 放してっ!」

 僕の腕の中でルカちゃんが暴れる。

 多分、ルカちゃんも察してしまったのだろう。彼女の態度があからさまに変わってしまったことで。

「……少々重い物が閉じ込めているだけだ。人手があれば助かる」

「うそっ! うそだよっ!! おかあさん、返事してよ! おとうさん!」

 ルカちゃんがどれだけ叫んでも、返事は帰ってこなかった。

「本当だよ、ルカちゃん。僕の仲間には腕がちぎれても治してくれる回復魔法の使い手だっている。まだ間に合うんだ。だから、早くして」

「いやっいやっ、やだぁ! 私が、私がぁ~!」

 暴れ回るルカちゃんを、僕は必死になって抑え込もうとするが、こんな状況ではそれも難しかった。

「つっ……お願いだから、暴れないで」

僕がそう言った矢先に、ルカちゃんの足が、瓦礫の一部にあたってしまった。

 その衝撃で、瓦礫の一部がズルズルと雪崩落ちてしまう。

 僕はやむを得ず、ルカちゃんを放して瓦礫を支えざるを得なかった。

「おとうさんっおかあさんっ!!」

 彼女もルカちゃんに見せてはならないと、懸命に止めたのだ。だが、親の身を案ずるルカちゃんを怪我させないようにと手心を加えたのか、それとも必死さ故に予想を上回る力をルカちゃんが発揮したのかもしれない。いずれにせよ、ルカちゃんはそれを見てしまったのだろう。

「うわぁぁぁぁぁ~~~~っ!! やだぁ~~! 起きてよぉ~~! おかあさん~~!」

 半狂乱に陥ったルカちゃんが、泣き叫び、暴れ回る。

 それを彼女は無言で押しとどめ続けた。

 どれだけ打たれようと、引っかかれようと、絶対に。

「っしょ……っと」

 僕は瓦礫を適当にそこら辺に落とすと、ルカちゃんの肩を掴んで無理やりにも振り向かせる。

「ルカちゃん! 君はお母さんやお父さんを殺したいのか!? 助けたい気持ちは分かる。でも君は邪魔にしかなってないんだ! 君が邪魔し続ければ、本当に死ぬぞ!」

 辛くとも、それが現実だった。

 ルカちゃんが居なければ、今頃僕らは確実に両親の瓦礫を退ける作業に入っていただろう。

 そうなっていれば、もしかしたら助かるかもしれないのだ。

「あ……」

 僕のきつい物言いでようやく気付いたのか、ルカちゃんは暴れるのを止めてくれた。

 賢い子で良かった。

「ありがとう。ここで待ってて」

 僕はそう言い残すと、ルカちゃんと体を入れ替え、厨房に入っていった。

「うっ」

 そこで僕は二つの死体を目撃する。

 お父さんと思われる男性の遺体は、振って来た梁に押しつぶされる形でこと切れており、誰が見てももう彼に可能性すらない事は容易に判断できるだろう。

 お母さんの方はというと、倒れて来た壁に下半身が潰されて大量の血が流れ出てしまっていた。

 僕は確認のために近づき、首筋に触れてみるが、鼓動は一切感じられなかった。

 死因は分からないが、ショック死だろうか。それならば……。

「一緒に瓦礫を取り除いてくれる?」

「蘇生できるのか?」

「分からない」

 多分、可能性は低いだろう。でも完全にゼロというわけではないはずだ。

 ポーションで怪我を治し、蘇生処置を施す。もしかしたら、ルカちゃんと再会させてあげる事ができるかもしれなかった。

「君と同じことをすれば、あるいは」

「そうか」

 彼女は短く返事をすると、しゃがんで瓦礫を拾い上げた。

「僕が遠くに」

「頼む」

 短く言葉を交わした後、僕は彼女から瓦礫を受け取り、部屋の外に捨てていった。


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