葵衣編③

 山頂の廃城から脱出したオーガ族の生き残りと葵衣。

 一週間後、彼らの姿は麓の洞穴にあった。


 元々オーガ族の狩人たちが狩り暮らしのために用意していた拠点の一つで、皮をいぶしたり干し肉を加工するのに利用されていた。

 かなり広い洞窟で奥はどこか遺跡に通じているのではないかと伝えられているが、オーガ族は入り口のあたりで寝泊まりをするに留まっている。

 魔物除けの文様が刻まれているので、オーガ族の生き残りたちは皆倒れ込むように眠りこんだ。


 葵衣はここ一週間、先行して獣を仕留めたり偵察に駆けまわり巨人族の追撃を確認するなど走り回っていた。

 負傷者の血の臭いを嗅ぎつけ集まったグレイウルフの群れを追い払ったり、やることは山のようにある。


 オーガ族はそんな葵衣を救い主として敬った。子供たちは葵衣を実の姉のように慕い甘えてくれる。

 鬼の血を引くからなのだろうか、この子たちがとても愛おしく感じるし無条件で守ってあげたいと思う。


 久方ぶりの穏やかな時間を満喫していた葵衣の元にマイがやってきた。


「葵衣様、洞窟入り口まで来ていただけませんか?」

 その表情に危機感は感じられなかったが、報告しないわけにはいかない何かを感じる。


 胸の縁結びのお守りも暖かな温もりを発し始めていたことから、子供たちの頭を撫でてから向かうことにした。


 入り口には人だかりができており、葵衣が到着すると皆がさーっと道を開け膝をつく。何回もやめてと言っているが本能的なものなので諦めて欲しいと懇願されてしまっていた。


 その人だかりの中央には10歳前後の小さな男の子が分け与えられた干し肉を一生懸命はむはむしながら食べている姿がある・・・・

 ・・・・!?

「その耳って・・・・」

「はい、恐らくこの森に住むエルフ族の小集落の子供でしょう」


 すると大きなくりっとした澄んだ瞳を葵衣に向ける。

 さらさらのブロンドとエルフ特有の美しい容貌とあいまって、なんとも守ってあげたくなる衝動にかられる。


「・・・・黒い髪のお姉ちゃん・・・・本当にいたんだ」

「ねえ君、なんで黒い髪の私のことを知ってるの!?」


 肩を掴んだ葵衣は、もしかしたらレイジが探してくれているからこの子が自分を知っているのではないか? という可能性を感じた、いや期待してしまっていた。

「声がね、教えてくれるの。黒い髪のお姉ちゃんなら聖獣を助けてくれるって」


 葵衣は焦りと期待がごちゃ混ぜになった気持ちを必死で抑え、マイやガイガスたちと相談しつつこの少年の話を詳しく聞く必要があるという意見で一致した。




 疲労がたまっていたのかある程度情報を聞き出した後、少年は焚火の近くですやすやと眠ってしまった。

 マイは書き留めた内容を見ながら集まったガイガスやバルディたち、そして葵衣に向けて情報を整理しようと提案する。


 ”

 この子はエルフ族の少年シルフェ。


 1年ほど前に両親とはぐれた後に、放棄された集落跡で生活していましたがその頃から声が聞こえるようになったそうです。


 謎の声はその日の起きること、凶悪な魔物が近くにいるからあちらにはいかないようにとか、天気、狩りの罠を仕掛けるポイントなど、生きるために必要なことを的確に教えてくれると言っています。

 本当かどうか分かりませんが・・・・葵衣様が現れる前に黒髪のお姉ちゃんいるでしょ?って言ってきたので我々も驚きました。


 シルフェがここを訪れた理由ですが、彼と暮らし守ってくれていた優しき大地の聖獣グランライガーに奇妙な魔物が憑りつかれおかしくなってしまった。


 声が葵衣様なら救えると教えてくれたので、友達であるグランライガーを助けてほしいとのことでした。


 ”

 声の主と聖獣は異なる存在だということがここで分かった。ライガーと出会うように導いたのも声なのだという。

 だがあきらかに葵衣の様子がおかしく、皆がおろおろとどうしたものかと冷や汗を垂らす状況になってしまっていた。


 ◇

 レイジと出会ってたからじゃなかったのか。

 自分で覚悟していた以上に落ち込んでいく気持ちに、レイジへの思いと懐かしさ寂しさ、あの頼りになる背中と果てしないほど大きい器・・・・男らしさを思い出し思わず顔を伏せて涙が見られないように・・・・


 握った手の感触がまるで数秒前のことのように触覚を刺激する。優しい手・・・・あの手で頬を撫でられるともう全身が熱暴走したくなるほどのトキメキに襲われるのに・・・・


 幼い天女を守るために危険を顧みず邪妖の群れに切り込んで行く勇敢さ・・・・・その後で無茶をしたことをとがめると、決まって笑顔でごまかされる・・・あの、はにかんだ笑顔。

 もうあれを見たら立っていられないぐらいかっこいよくて。


 だからこそ諦められるか! この縁結びのお守りは明らかにシルフェという少年に反応している。

 ならば・・・・・

 ◇


 すっと顔を上げた葵衣は、聖獣を救うという少年の願いを聞いてあげてもいいかなと思い始めている。

 だがオーガ族のことを考えると、余計な手間をかけることにならないか・・・・


 葵衣の迷いを察したかのようにシルフェが目を覚ます。

 エルフ族が好んで身に着けるヨモギ色の体に密着したタイプの上着とレザータイプの半ズボンとブーツ。


 女の子と見間違うほどの長いブロンドとセルリアンブルーの澄んだ瞳、エルフがどこまでも美に愛された種族であると驚かされる。


「えっと黒髪のお姉ちゃん、ぼくの友達を助けて・・・・えっと、うん、分かった。助けてくれたらドワーフ王国までの近道を案内するよ」


「「「!!!」」」


 その発言にオーガたちは思わず体をびくっと反応させていた。

「小僧、本当か!?」

「うん、森を抜けてから古いドワーフの坑道を通ればすぐなんだ。山をくり抜いて作られたトンネルなんだって」


「葵衣様・・・・これは・・・・」

 マイも飛び込んできた光明に驚きを隠せずにいる。


「ねえシルフェくん、あなたの言っていることが本当だとして・・・・その聖獣ってどういう存在で私は何をすればいいの?」


「・・・・・わかんない。黒髪のおに・・・ひめ?なら助けてくれるって声が言ってる」


 マイが耳元で囁いた。

「念のために申し上げますが、この子の前で鬼姫やドワーフ王国の話題は出ていないはずです」


 声の主というものが非常に気になる。

 罠にはめようとしている? でも巨人族がこんな面倒な真似をするだろうか?


 シルフェは思わず膝の上にのせてあげたくなるようなきょとんとした顔で葵衣を見つめ続けている。

「ガイガスさん、ここでの休息は後一日でしたよね?」

「左様でございます」


「なら・・・・その間に聖獣とやらを助ければこの子の案内で日程は短縮できるわね・・・・・よし決めた!シルフェ案内して」


「うん、分かった。行こう、葵衣おねえちゃん!」

「お待ちください葵衣様!我らもお供します!!」


 ガイガスとマイが合流し、シルフェに手を引かれて行く葵衣を必死に追いかける。


「今ならこの先の広場にグランライガーがいるんだ」


 この状況で居場所を正確に掴める?? この子の能力は、未来予知?? だとしたら一人で生きてこれた理由も説明がつくし縁結びのお守りも警戒していない・・・・


「シルフェとその聖獣はお友達なの?」

「うん、一緒に寝て一緒に遊んだり、ぼくが一人になって泣いてるとやってきて魔物から守ってくれたの。すっごくね優しい目をしてるんだよ」


 分かりやすい反応だった。

 がくんと肩を落とし、聖獣がおかしくなったことを思い出してしょんぼりし始める。


「でもね、グランライガーの右目に変な根が生えてきちゃってそれから・・・・苦しそうにすごく痛そうで声に助けてって言ったら黒い髪のおにひめをたよりなさいって」


 根??背中のあたりに妙なざわつきが走る。自分の未来に邪悪な気配が立ち塞がるときに感じる殺気のような感覚だ。


「ガイガスやマイは【根】というキーワードに心当たりはない?」


 マイは頭にはてなマーク?が浮かんでいたので期待はしていなかったが、ガイガスはさすがに年季が入っているだけあって心当たりあるようだ。


「もしかして妖樹ゼレスティア・・・・・だとしたら一大事ですぞ」

 ガイガスの顔色が青ざめている・・・・・ように見えた。


「説明お願い」


「はっ!! 妖樹ゼレスティアとは魔界に生息すると言われる魔物・魔樹の一種と言われております。人や動物、魔族にさえ憑りつき寄生し宿主を食い尽くしたのちに大樹となって方々に種を飛ばすのだと伝えられています」

「だったら聖獣はかなり危ない状態なのね?」

「私が知る限り、ゼレスティアを切り離す術はないと聞き及んでおりますが、もしかしたらその方法があるのやもしれませぬ」


 葵衣は方法について助言がもらえるかもしれないとシルフェを一瞥するが、にこりと微笑み見上げるだけだ。


 1時間ほど歩いたところでシルフェが立ち止まる。

「この先にね、森が開けた場所があるんだけど、そこでグランライガーが苦しんでるの・・・・・痛いって、あの根っこが体に入ってきて苦しそう・・・・」


 ひとまず葵衣だけ風下から近づき様子を探ることにした。

 木々を縫うように歩き、音を立てないように接近すると・・・・


 思わず声をあげそうになり両手で口を覆ってしまった。


 白とコバルトブルーの靡くような美しい獣毛におおわれた巨大なライオン?獅子が横たわるように呻いている。

 頭部には黄金色の美しい角が二本、風に靡くように生えており聖獣が大地を駆ける様はどれほど気高く美しかったのだろう・・・・


 だが荒い呼吸と消耗が激しいようで起き上がることさえできないようだ。

 その右目からは楔のように打ち込まれた根が生え黒紫色の邪悪な枝や弦が口や頭に絡みつき自由を奪っている・・・・・


 その根からは膿みのような血が滴り、グランライガーの消耗が限界に近いことを教えてくれた。


「どうやって救えばいいの? 木や植物の魔物なら火で焼き払えばいいけどこの場合・・・・」


 霊体による浸食であれば祓いの儀で片が付く場合もあるが、今回の場合は明らかに植物なのだ。

 邪悪であれば九字が効くことは効くだろうが、根本的な対応にはならない。


 情報を確認するため戻った葵衣にシルフェは迷いのない目で見つめ続けている。

「あのシルフェくん、ゼレスティアを取り除く方法を知っていれば教えて欲しいんだけど・・・・・私も見るのが初めての魔物で聖獣を助けたいって思いは分かってくれるでしょ?」

「うん、でも・・・・葵衣お姉ちゃんは知ってるはずだって言ってる」


「知ってるはずって・・・・・」

 そんな純粋な目で見つめられると・・・・

 マイやガイガスも頭を悩ませているが、あまりぐずぐずしていては日暮れになってしまう。


「ん~どうすればいいんだろ」

「葵衣様でもお困りの事態とは・・・・恐るべし妖樹ゼレスティア」

「そんなにすごい木の魔物なのか・・・・草むしりみたいに引っこ抜くわけにいかないですよね」


「そうね草むしり・・・・・みたいにいけばいい? 草むしり・・・・ん?」


 私が方法を知っている?


 もしかしたら・・・・

「そういうことか!! マイ、ガイガス! 一度洞窟に戻って準備するわよ!」

「はっ!!」

「葵衣様!??何か思いつかれたのですか!??」


 早足で歩く葵衣にさすが森のエルフであるシルフェは遅れることなくついてくる。


「・・・・あれと・・・・・あれなら・・・こうして・・・うん・・・いけるはずだ」

 何やらぶつぶつ言っている葵衣は洞窟へ戻るとすぐに荷物置き場へ向かい担当のオーガからあれこれ物を受け取っている。


 するとすぐにテーブルになりそうな岩に荷物を広げるとマイに頼んで集めてもらった煤を皿にあけ、狩り小屋として備蓄してあったニカワと混ぜ始める。

 それほど大量に使わないからあるだけでいい。


 よし、粘土のように混ざって来た。

 乾燥して固める時間はないから、代用として使えるだけでいい。

 触媒に自分の血を使えばきっと・・・・・


 何やら妖術の準備のような真似事をしていると思われていそうだが、マイが葵衣の言いつけ通りに別の作業を進めてくれている。


 その後はマイから受け取った物を使い、30分ほどかけてある下準備を整える。

 シルフェは葵衣が準備に全力を傾ける姿を好奇心が目から飛び出ていると分かるほどにわくわくしながら見つめていた。





 既に日は夕暮れへと向かい始めていたが、グランライガーの状態を考えこのまま強行することを葵衣は決断していた。

 マイやガイガスは引き留めることはせず葵衣の護衛を務めることに決めたようだ。


 シルフェが言うには森にはウェアウルフやゴブリンがいるが、グランライガーを恐れてこのエリアには近づかないらしい。


 目的地の広場に到着すると、葵衣はあたりをキョロキョロしながらやや木々がまばらで足元がしっかりとした場所を選ぶと荷物を降ろす。

 ちょうどあつらえたように二畳ほどの平たい石が地面から盛り上がるように枯れ葉に埋もれていた。


 葵衣はマイに手伝ってもらい枯れ葉をよけると、荷物から何かが書かれた紙の束を取り出す。


「マイはこれを肌身離さず持っていてね、シルフェはこれ、ガイガスにはこれね」


 渡された紙には細い線で描かれた文様のようなものが書かれている、と少なくともマイやガイガスには見えていた。

「おねえちゃん、ポケットに入れておけばいい?」


「うんそれでいいよ」


「あの葵衣様、これは何かの落書きなんですか?」

 マイのすっとぼけた問いにずっこけそうになった葵衣だが、異界の人間が見ればそう思わなくもないのかと反省した。

「これから行う術の影響があなたたちに及ばないようにする呪符、そうねお守りだと思ってちょうだい。ほらガイガスも身に着けておきなさい」


「はっ!!マイ!疑うとは何事だ、言いつけ通りにせんか!」

「は、はい~!」


 三人が身に着けたことを確認すると葵衣は印を結び、清浄な風音にも似た呪言を唱え始めた


「急々如律令・・・・奉導誓願可 守護霊験」


 淡く仄かな光が葵衣の手の前で五芒星を描いていき、すーっと森へと溶けるように消えていった。


 さらに手頃な長さで真っすぐな枝を選んで石床の四方へ差していくとその枝を美しい剣で切って整え先端を割り呪符を挟み込んでいく。


 印を結び気合を入れると、葵衣は三人にこの中から出ないようにきつく厳命した。


「いい?何があっても出ちゃだめよ」


 訳の分からないマイとガイガス親子と何かを達観したように見つめ続けるシルフェ。


 1分ほど何かを集中していた葵衣が目を見開き、覚悟と共に詠唱を始めていた。



「元柱固具 八隅八気 五陽五神 陽動二衝厳神 害気を攘払し 四柱神を鎮護し 五神開衛 悪鬼を逐い・・・・・・」


 葵衣の周囲の空気が揺れ動き、風が舞い始めている。

 得体のしれない何かの力が周囲に沸き起こっているようだった。


「奇動霊光 四隅に衝徹し 元柱固具 安鎮を得んことを 慎みて 五陽霊神に願い奉る」


 葵衣が青白く光り出した呪符を両手に持ち、天に掲げた。



「盟約と縁によりここに顕現せよ! 勾陣 !  六合  !」



 光が凝縮し、大気が震えた。


 ガイガスはマイとシルフェをかばいながら、葵衣が何をしでかしたのかを想像することすらできずただ震えていた。

 未知の出来事に関して自分たちは知識がなさすぎるのだと。


 だが、突如すっと大気の変動が収まり吹き荒れていた風も止んだ。


 一瞬の静寂の間があり、銀色の光に包まれた何かが葵衣の右斜め前に現れた。


 それは腰より長く伸びた銀髪を揺らしながら宙に漂う妙齢の女性の姿をしていた。黄金の燐光纏う煌びやかな打掛を左肩から羽織っておりその妖艶とも言える美貌はガイガスを虜にしてしまうほどだった。


『盟約に従い参上いたしました葵衣様』


「勾陣・・・・来てくれてありがとう! 異界だから少し不安だったんだけどね」


『晴明様よりお引き合わせがあったように縁が結ばれた仲でありましたら、異界かどこかなど関係ないのですよって・・・・うるさいのが来たようですわ』


 葵衣の左隣へ現れた存在に、ガイガスやマイは一瞬同族!?と思うほどであった。


 赤銅色の肌と巨躯、肩当と虎皮の腰巻、背中には巨大な鉞をかつぎ金髪の髪と意外に爽やかな顔立ちがマイをどきっとさせていた。


 だが彼がオーガ族でないのは当然とも言える。宙に浮き優しいオレンジの燐光を纏いながら葵衣へ頭を下げている。


『十二神将が一人! この六合様がきたからには千人力だぜ!』

『ちょっと六合、筋肉臭い』


『なんだ勾陣までいやがるのかよ、俺一人で十分じゃねえのか葵衣?』

『これ、葵衣様に無礼でありましょう』


「いいのよ、六合来てくれてありがとう。二人に頼みたいのはあそこで弱っているこの森の聖獣グランライガーを救うことなの」


『へぇ・・・・・こいつは・・・・』

『・・・・状況がよろしくないようですね・・・元は清浄な気を有する霊獣であったでしょうに・・・・・』


 実はさきほどから聖獣はこちらの動きを察知していたはずだ。


 葵衣の術の行使を監視し、動けない体ながらも様子を鋭い視線で見つめていたのを肌で感じていたからだ。


「お姉ちゃん、グランライガーが起きるよ・・・・・痛い痛いって・・・」

「うん分かってる。そこの結界から出てはだめよ」



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