君と輪廻の結び方  無適正者と鬼姫の異界捜記

鈴片ひかり

第一章 須弥山

戻り橋①

 都電沿線の踏切は、路地裏からすっと入り込める抜け道的な魅力に溢れるなんとも言えない情緒が滲む空間でもある。


 灼上糺次やがみれいじ も高校二年の始業式やオリエンテーションを終え、遠回りをしたくなる衝動に負けてしまい馴染みのゲームショップで新作ソフトのラインナップを冷かしてからこの道を通ろうと思っていた。




 妹がバレエで才能を開花させたことで両親共々欧州へ行ってしまい、マンションで一人暮らしをすることになった糺次。


 さして才能に恵まれなかった平凡な高校生は、現実を噛み締めつつ一人暮らしならではの時間を満喫しようとしていたからつい沿線の桜吹雪にも感慨深く目を向けてしまう。




 月に叢雲、花に風 とは良く言ったもので、小雨が路面に黒い染みを作り始めたため帰宅を急ごう・・・そういえば食料品が足らなかったから商店街で総菜でも買っていかないと。


 そう思考を動かし始めた時だ。




 商店街に向かうには一度近くの踏切を通り狭い路地を抜けたほうが早いとコの字型に迂回して、通ったことのない踏切に足を踏み入れた瞬間だった。




 ズンっと、重力異常が起こったのではないかと思うほどの重圧感と春先で肌寒いという感覚を超えた真冬並みの冷気が全身を覆い尽くす。


 何事だ!?


 胸によぎった疑問への解答は早かった。




 目の前にその答えがある。




 この寒さなのに、ノースリーブで白のワンピース姿。小柄な体躯で足にはサマーサンダル。


 何よりも目に飛び込んできたのは、真っ赤な傘を差しゆっくりと踏切を歩いてくる眩暈で視界が歪んでいるのではないかと思うほどの威圧感。




 気に留めない人間もいるのかもしれないが、糺次の本能がその女性から目を引き剥がせない。




 全身を鳥肌が覆い尽くし、何故これほどの恐怖を自分が感じているのかすら理解できない状態だ。




「!?」


 思わず声に出そうになったのは、その女性の傘を持つ細い手・・・そしてスカートから伸びた足が・・・・・


 灰褐色をしていたことだ。




 思わず理性が合理的解釈を求めようと、雨空と薄暗さが原因だと思い込もうとするが足元から漂う冷気が全身を凍り付かせていく。




 すっと傘が糺次に向けて振り向いた。その奥で明らかにこちらへ関心を向けたのが分かる。




 いや・・・・・向けられてしまったという恐怖。




 傘の淵がやけにゆっくりと持ち上がり、その女性の容貌が露になって・・・・・




 長い髪だった。


 もしかしたら気のせいかもしれない?




 長い髪の奥から覗いていたのは・・・・縦に割れた顔面。


 目鼻は無く、真っ黒な断面の奥からこちらを凝視する無数の視線を感じた。




 灰黒色の何かがその断面から飛び出した。


 思考力が羽を生やして逃げ出し立ち尽くすことしかできない糺次の胸部や腹部に数か所、鋭い何かが突き刺さった。


 そのまま振り回されながら線路の上に投げ飛ばされる。




 ◇




「・・・ごはっ!?」




 恐怖以外の感情がかき消されたようだった。


 痛みすら恐怖に上書きされていることだけは分かった。




 何が起きたのか?


 打ち付けられた痛み、触手のようなもので貫かれた激痛も、二次的な情報でしかなく襲い掛かる恐怖が傷口から心を引き裂いていく感覚。




「・・・・・!!」




 女性の声がする。凛とした澄んだ声。




 突如触手が抜け、何かが激しく争う音がする。


 なんだろう?ブロック塀が砕け、線路が切り裂かれ、標識が宙を舞っていた。




 不思議とその女性の声が恐怖を中和し、情報を受け入れる余裕が、隙間といったほうが適当なのだろうか?




 糺次の視野を少しだけ広げてくれる。


 なんだろう、女子高生だったのか。




 とても・・・・かわいい子があのワンピースの化け物と戦いを繰り広げている。


 だが、線路沿いに這わせた触手が背後からあの子の背中を貫こうと獰猛なうねりをくねらせていた。




 理由はないし、どうして動けたかも分からない。


 恐怖で発狂しそうなほどに震えていたのに、出血で意識が朦朧としていたのに。




 何故だかあの子の姿だけは、はっきり見えたんだ。




 気づいたら、全身の痛みで崩れ落ちそうな体であの子を突き飛ばしていた。


 その瞬間、貫こうとしていた触手が空を切る。




 そして、金切り声が発せられた後、左腕に違和感を感じまた線路に崩れ落ちる。




 ぼやけた視界の隅でもがこうとして、もがけない理由が判明した。


 そうか、左腕が食いちぎられたのか。




 感慨もなく悲観もなく、ただそうだという事実だけがぽつんと独りぼっちだった。




 あの子の叫び声がした。




「・・・・・」




 自分でも、なんて言葉にしたのか分からなかった。


 ただ、抱きかかえられた感触と、あの子の涙が落ちた頬の感触がいつまでも意識の隅に染み込んでいたように思う。






 ◇◇






 左手は肘先からなくなっていた。


 痛みはなく貫かれた傷口も完治している。だるさは残るが左手以外は健康そのものと言える。




 やけに居心地の良い空間・・・・ここは日本家屋の寝室か何かなのか? 畳の上に敷かれた布団は清潔で嫌な匂いもしない。


 調度品は質素極まり、古びた桐箪笥と文机のみ。




 障子の隙間を覗くと縁側のようなので座った姿勢のまま思い切って開けてみた。




 なるほど、俺は死んだのか。




 天を貫くようなエベレストどころではない山々がいたるところでそそり立っている。


 雲がうねり、見たこともない巨大な鳥や竜が天空を飛び回り、羽の生えた人が手を繋ぎながら優雅に向こうの谷間へと降りていく。




 周囲にはうっすらと霞がかかり、庭には作物が実り、小さな小人?が水やりをしていた。




 しかし死んだというのに左手が戻らないというのは面倒だなと思った。


 もしかしたら後から生えてくるのかな?




「いや生えてはこんぞ」


 !?


 心を見透かしたのかのような声に思わずびくっと振り返ると・・・・




 黒地にピンクのウサギが刺繍されたサイケデリックなスーツに身を包んだスリムな初老の男が向かいに座っていた。いつのまに?




「あの・・・・・俺って?」


「うむ。まずはっきり言っておこう。お主は死んではおらぬ」




 堀の深く浅黒い肌と眼光の鋭さは、今まで出会ったどの人間よりも凄まじい迫力を放っている。




「ここは須弥山、いわゆる天上界と呼ばれる場所じゃよ。あの悍ましき化け物に襲われ、ここに漂着した世にも珍しき人間ということになる」




 ・・・・・漂着?


 俺は線路で死にかけていたのに?




「むしろ、神仏がお主を救うためここへ漂着させたと言うべきであろうな・・・・・ほら来たようじゃ」


 ドタドタとした足音がし、襖が勢い良く開くと、そこには巫女装束姿の少女が汗の滲む情感的な姿で俺を見つめていた。




 どんと座ると俺の右手を握り泣き出しそうな声で呻くように、張り裂けそうな思いを滲ませて言の葉を紡いだのが分かった。




「ありがとう・・・・あなたがいなかったら私・・・・」




 ああ、あの凛々しく澄んだ綺麗な声の持ち主・・・・君を救えたのならと、素直に思えた。




「俺は死んでないってそこのおっさんに言われたんだけど、君は・・・・・?」


「私も生きてる!あなたのおかげよ!」




 なんて良い匂いがするんだろう。


 しかも巫女装束がクソ似合う!




 腰まである黒い髪、前髪はぱっつん気味。幼さの残る容姿だが、恐らく成人女性となった時に最高の美として成立するであろう期待値を感じさせる。


 大きく潤んだ瞳と、すべすべの肌、桃色の唇を見ていたらしばらく呆けてしまいそうなほどに魅入っていたように思う。




 何より握った手から伝わる思いが・・・・・俺を肯定してくれているその実感が生きていると、生きていてくれてありがとうと訴えかけてくれているようだ。




「その娘を救った行為の尊さ、自己犠牲の精神があってようやく神仏が介入できるきっかけを得たのじゃ」




 何を言ってるんだ?そういう目をした俺をあの子は涙が零れ落ちそうな目で悲し気に見つめていた。




「あのさ、分かるように言ってくれ」


「あのね、私たちは生きながら天上界に来ることになったのだけどそれには深刻な理由があって・・・・このままだと二人の、その魂は消滅する危機にあるのよ」




 ・・・・・訳が分からん。


 でも繋いだ手の感覚が柔らかくて、このためなら話を聞いたり死んだことになったってかまわないかな?って思える自分は本当に馬鹿だと思う。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る