第二章 濫觴
異界始①
あまりの苦しさにもがき振り回す腕が重く何かに絡めとられているのではないかと思った。呼吸ができず己のいる場所が水の中だと気付くまでの時間は数秒だったのかもしれない。
大量に水を飲んでしまいながらも溺れ死ぬ寸前に川から這い上がり、呼吸が整うのを待つこともせず叫んだ。
あの人の名前を。きっとカエルのひしゃげたようなうめき声だったと思う。
発作かと思うほどの喪失感と絶望感を否定するために、這いずり回り駆けずり回り、葵衣を探し回った。
早朝、日の光が差し込み始め、さして川幅の広くない浅い川であったことが分かった。だが俺は子供が水遊びをする程度の川で溺れかけたことを情けなく思う余裕すらなく、捜しまわり必死に駆け回り、葵衣の名を叫ぶ。
周囲は草原や森、遠くには見慣れぬ山々が見える。
草花は形状や葉の先端など見たことないものばかりで、森の周辺には光る羽を持った蟲が飛び回り羽が四枚ある鳥たちが朝のさえずりを始めていた。
でもそれらの情報が俺の頭にはほとんど入ってこない。
あいつがいないんだ。なんで離してしまったんだ!!
あのとき、体が千切れようが離れるべきじゃなかった!!
彷徨うように俺はひたすらに周囲を探し回る。痕跡はないか!?
足跡はないか!?
女性の悲鳴は?
誰かに拉致されたんじゃないか!?? もしかしたら盗賊たちにさらわれて・・・・だめだ!!!
許さねえ葵衣に手出した奴は全員ぶち殺してやる!!いや、そうと決まったわけじゃない落ち着け!!
「落ち着けええええええ!!!」
叫びながら葵衣を探すための思考を確保しようと、さらに歩き回った。
既に日が暮れ周囲に光を放つ植物や虫たちが、静かに夜の帳を舞台に求愛のダンスをしているのだろうか?
それさえ腹立たしかった。これほど美しい光景は須弥山であってもそうそう拝めないというのに。
どれだけ葵衣の存在が俺の心の中で大きかったのか・・・・あいつの笑顔に救われていたのか・・・・今目の前に葵衣がいない・・・・
夜の間も、木々にぶつかり異空間で受けた打撲が疲労と重なり俺を追い詰めていく。
どうすれば再会できる!?見つけられる??
あるのは夜空に昇る三つの月明りのみ、それでも俺は葵衣の名を呼び続ける。他人が見ていたらきっと誰かの名前を叫び彷徨うゾンビと思われて仕方がなかっただろう。
もしかしたら木の枝にぶら下がっているんじゃないか?
足元ばかり見ていたことに気付いた俺は、ようやく自分が混乱の極みにあったことを自覚することができた。
そうだ、見つけるには?
葵衣の言葉を思い出せ。
”大きい街で・・・・”
「大きい街だ!!」
そう虚しい叫びが夜の森に響いたとき、夜の闇と静寂の波が巨大な認識情報となって俺を襲った。
「ここは・・・・・どこだ?」
狭かった視野が徐々に広がるにつれ、自分が置かれている状況が非常にまずいことに気付く。やっと気付けた・・・・
夜の森で叫び、獲物はここにいるぞと宣伝しているようなものだ。
不安と恐怖が足元から全身を凍り付かせていく。
その身が危険になることなど正直どうでもいい。
本当に怖いのは、葵衣と再会できないこと。
この思考が、生存を最優先とする決断を下すきっかけになった。
そのために必要な事とは!?
思考を回転させろ!
同時にマルチタスクで周囲の音を探れ、囲まれていないか? 狼や夜行性の動物・・・・いや違う!!
魔物だ!ここは魔物のいる世界だぞ!?
有名どころのゴブリンやオークは!?
焦れば焦るほど情報を見逃す・・・・
心臓の鼓動音が周囲の環境音を邪魔するほどに体内を伝播し聴覚を占有していく。
虫の鳴き声や、風に揺れる木々の葉音。
幸いにもここは月が複数あるため夜は地球よりも明るく感じる。
目を凝らし異変や違和感を探れ!
今俺がいるのはどこだ?
大木の幹によりかかり、聞き耳を立てているが武器も食料も持っていない。
人の気配はどうだ?
葵衣以外にも、現地の人間がいるはずだ。
もしかしたらここは未開の空白地だったりするのか?
残りの体力は?
丸二日、飲まず食わずで葵衣を探し回り一睡もしていない。
どれだけ動ける?僅かな余力で人間と接触できるかどうか。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・」
話し声!!?くっ!? 首筋に描かれた文殊菩薩の梵字が熱く反応している。
これは異界での言葉で苦労しないようにとの配慮だったはず。なんて俺は情けないんだ・・・・神仏の支援があったはずなのに焦りで我を失って・・・・・
人間? いや・・・・もしくはゴブリンやコボルトといった種族なのか?
カサカサ・・・・スタタタタ・・・・やけに軽い足音が周囲を走り回っている。
小柄で小さい!?
ならば人間やオークではなく、ゴブリン!?緊張が一気に走る。
しかし、胸に下げられたあの縁結びの守りが熱く反応していた。
熱いということは・・・・悪い縁ではないのか?
いやしかしこの状況で前向きにとらえるのは・・・・
「・・・・・ニンゲン・・・・ニンゲン・・・・・ナニシテル?」
理解できる、最初は違う言葉に聞こえたが日本語に聞こえる。
「お前は誰だ!?俺に何の用だ!?」
「オレタチ・・・オソウつもり・・・か?」
「俺はお前らが誰か分からない、それよりだ! 黒い髪の女を見なかったか!?」
「オンナ??ミタか?」「ミテナイ・・・」「・・ミテナイ」
あちからこちらから見ていないという声が多く聞こえてくる。
「ヒトサガシ シテタか、ならオレタチ コロサナイ?」
「人を探し回って、夢中で・・・・気づいたらここで途方に暮れていた。だからお前らが誰かも知らない」
小さな足音が一気に集まってきた。
身構える俺の前に・・・・いや足元に小柄な? 腰より低いぐらいの背丈の生き物・・・・人型生物が5,6人が好奇心を抑えきれない眼をしながら俺を見上げていた。
「小人!??」
「わたしらはノーム族。この森と共に暮らすノームの一族だよ。だから人が迷い込んだら監視するようにしてたよ」
お爺さんぽいノームが長い髭を揺らしながら俺の膝をポンと叩く。
「悪いオルナを持っていない。皆の者、安心するがいい・・・・・だがお前に迷われて獰猛で飢えた魔物を呼び込むのはごめんだから、わしらの里にこないか?」
「つまり、面倒事を避けたいから保護すると・・・・そういうことか?」
「多分そういうこと」
顔つきが若く見えたノームがこっちだよと甲高い声で案内してくれる。
彼らはまるで昼間のように森を自在に駆け回り、怪しい気配がないかを探っていた。
朽ちた大木を目印に坂道を下ると、大きな木の虚が姿を現した。
「人間には見えないだろうから、ポコル、手を引いておやり」
「ういさ!にいちゃん、背でかいから頭ぶつけるなよ?」
「お、おう・・・」
まるで漆黒の闇底に落ちていくような恐怖を感じつつも、すたこらと穴に入っていく彼らに対し臆したと悟らせたくはなかった。
完全に敵ではないと決まったわけじゃないからだ。
踏みどころが分からない小さな階段をしばらくずり落ちそうになりながら下り続けると、明かりらしきものが目に溶け込んでくる。
手招きするノームたちに促され立つと頭をぶつけてしまいそうなほどの洞窟が姿を現した。
天井は光る苔のようなものでびっしりと覆われており、まるで昼間のような明るさだ。
入り組んだ洞窟を改造し部屋や家として成立させている。湧き水を中央の池に流し込む水路も整備されまさに小人の国といった雰囲気に圧倒されている。
植物や花がいたるところで栽培され、主婦らしきノーム族が久しぶりの人間の姿にこそこそと集まって井戸端会議をしている様子さえ見て取れた。
「人間、ここはそこそこ広い部屋だからここでひとまず休め」
「すまないが水をもらえないか?」
子供用のベッドに腰を降ろしているような感覚で、足は伸ばせないものの森の中よりは数倍ましに思える。
すると、3人がかりで人間用のジョッキに水をなみなみと入れてもってきてくれる。
「いただくよありがとう」
おそらく人生で飲んだ水の中で三本の指に入るうまさだと思う。
一気に飲み干すと、どっと疲れが全身を循環し始める。
「なんだか・・・・・眠くなってきた・・・・」
「そうじゃろうそうじゃろう・・・・・ベホガルの根から煎じた眠り薬を入れておいたからのう・・・・うひひひひ」
「ね、眠り薬だ・・・と・・・・くっ・・・・だめだ、ね、たら・・・・・あおい・・・・」
◇
何やら物音がする、意識が朦朧として周囲の音だけがはっきりと聞こえてきた。どこかで聞いたことのある何かがこすれるような・・・・
どこで聞いたんだろうか?
たしか後鬼が邪妖退治用にと・・・・刀を用意してくれていたとき?
若干研ぎなおしが必要だって言ってたっけ。
普段無口なのに人間に化けて研ぎ師をしていたことがあったとかなかったとか。
・・・・・シャーコ・・・・シャーコ・・・・ゆったりとしたリズムだが何かを認識できる能力が俺にあるはずもない。
なんとなく、やばいんじゃないかという思いだけを抱きつつ、再び眠りに落ちていく・・・・
・
・
・
やけに眩しい天井と小さな調度品や大人数の話し声が覚醒しかかっていた意識に流れ込んでくる。
「!?」
慌てて飛び起き、案の定、天井へ頭をぶつけて呻き声を上げる俺を大勢が笑っていた。
「っく・・・いってぇ・・・・って俺まだ生きてるのか?」
気付くと服を脱がされ、異空間で受けた打撲個所に薬草を使った湿布のようなものが貼られている。
全身が痛むものの、睡眠と薬によりけだるい治りかけの痛気持ちいような血の流れが全身を駆け巡っていた。
「どうして手当を?」
そこにはとんがり帽子をかぶったおっさん小人たちが数人、にやけながら語りだした。
「ここで死なれては死体を運び出すのも一苦労だからの、治して出て行ってもらうほうが手間がはぶける」
「そういうもんなのか、だが助かったよ。でもなんで俺を助けたりしたんだ?」
「お前さんのような魔物の餌にでもなりそうな奴がうろちょろしているとのう、この森の微妙なバランスが崩れてしまうのだよ」
きっと生態系のことを言っているのか?
「ここにはうまみのある餌はいないと、認識させておく必要があるのだよ人間」
体が小さいノーム族なりの生存戦略なのだろう。
「そいつはすまなかった・・・・えっと、何かお礼とかしたいけど手持ちは何もないからなぁ」
するとノーム族が数人集まって本題とばかりに俺の目の前にぴょんぴょんと飛び集まってくる。
「それなのだがな人間。わしらもただの善意で助けたのではない、お主に頼みたいことがあるからじゃ」
「もしかして魔物退治か?」
「あほか、そんなもん必要ないわボケ」
「ぼ、ボケって・・・・」
「第一、ギルド証さえ持っておらんような奴に魔物退治などできるはずもないだろうになぁ?」
「「「そうだそうだ!!」」
気付くと村人のかなりの数が俺の部屋の前の広間に集まっている。
子供たちはやはりお人形のようにかわいく、女性たちも特有のかわいらしさをしていた。
葵衣が見たら興奮しながら抱っこしなでなでし頬ずりしていただろう。
「まあ頼まれても武器がないからな」
「頼みたいというのは他でもない。定期的にやってくる人間の行商人が顔を出さないのだ。ここから二日の距離にあるグルノアという街に住むザルバという商人を訪ねてもらえんだろうか?」
そういうことか、なら人間の俺に頼むほうがてっとり早いだろうな。それに人が住む街の情報が手に入ったのはでかい。
「ここの特産品と必要物資を物々交換って感じなのか?」
「そんなところじゃ。薬をいくつか手に入れたいところなのだがもう予定より一週間以上遅れているのが気になってな、途中で行き倒れていたりすれば大ごとじゃ」
考えてみると彼らなりに俺を利用できると思ってくれたんだろう。
これは善意より遥かに信用できる理由だ。
そして街の場所も知ることができるなら、俺にとって渡りに船。しかもあの縁結びのお守りが熱くなっているのがその証拠とも言える。
「分かった。その依頼受けよう」
「よし、ならば腹ごしらえをしておけ。村一番の漁師タルポが仕留めた四つ目うさぎの肉じゃ」
よ、四ツ目のうさぎって怖すぎだろ。
良く焼けた肉の匂いが食欲を刺激し、口にしたとたん彼らにしてみればかなりの量を俺に分けてくれていることに気付きなんだか申し訳ない気持ちが芽生えてくる。
ガリバーなどは同じ気持ちだったのだろうか?
出発は明日の早朝、案内人がグルノアという街まで続く街道まで送ってくれるらしい。
そこで商人ザルバを訪ねて事情を聴き、街の外で待機する彼らに連絡するところまでが依頼内容とのこと。
力で劣る彼らのことだ、慎重になるのは本能のようなものなのだろう。
ノーム族の薬のおかげで大分体が楽になっている。日頃の鍛錬の成果もあるのかもだが、たびたび猫のようにちょろっと現れては様子を見て去って居く様が何かとかわいらしい。
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