02

 カップを持つ少年の手元を、少女は何となく見遣った。


 その手は、「節くれ立っている」などという言葉からは程遠い。美しい手だ。撃鉄の手にはない骨の張り方など、所々から少年性が垣間見える。皮膚も明るく、滑らかそうで瑞々しい。その手は荒事や重労働からは無縁に思え、普段は室内で過ごしているだろうことを想起させる。

 そう言えば、彼は以前「魔女から追われ、逃げていた」と語ったが、くすみや隈のない肌、清潔感のある身なりから想像するに、生活自体は現在落ち着いているのかもしれない。

 推測を基にした想像ゆえ、こちらの妄想でしかないのだが。


 ただ何故か、真実“何故だか”としか形容できないのだが、そのとき、漠然とした違和感のようなものが彼女の脳裏を掠める。その違和感の正体を探りきれぬ内に、「ええと」と少年が発した声により思考は中断されてしまった。


 カップに満ちる温かな紅茶。それに似た双眼をゆっくりもたげて、露口はおもむろに口を開いた。


「あの、沙田さん」


 対なす栗毛眼の奥、揺るぎない意志の光が見える。それは、《要塞》にて撃鉄の接近を阻止した際に瞳に宿っていたものと同一であった。おどおどと言葉を発し、常に周囲を伺う気の大人しい人間が持ちうるものではおよそない。一体、何が彼にそうさせるのか。


「お返事を、聞かせてもらってもいいですか?」


 その問が指しているものを把握し、成る程、と撃鉄は心中独りごちる。彼の日常を奪い、家族を奪った魔女。それこそが、少年の持つ強固な意思の原動力なのだろう。


 最後の一口となっていたプリンをスプーンで掬って口に入れ、溶かすように咀嚼しながらその優しい甘さをストレートの紅茶で流し込む。そうして彼女は開口した。


「アンタの依頼は魔女への復讐――魔女と直接対面して問い詰めたのち、その身でもって罪を償わせることだ。アンタの依頼、引き受けるよ」


「本当、ですか……!?」


「応。条件付きでな」


「僕は提示する条件はこれだよ。『但し、無理のない範囲で』、だ。機構の速報じゃあ、魔女はクラスBだ。『対象に対し、即刻死に至らしめる程度でないあらゆる武力の行使を許可する。また、各特別報奨金対象制圧者資格バウンティハンター・ライセンスの所持者は、あらゆる負傷・損害に対し、自己責任のもと対象を制圧すること』が適用される。僕にとっちゃあリスクの高い相手だ。だから、僕の手に負えないと判断したなら、警察とかにも頼って、然るべき機関に引き渡す。あるいは『無理だ』と判断した時点で手を引くかもしれない。それでもいいなら」


 ぐ、と呼吸を飲み押し黙る露口。


 逃亡生活の最中、彼の父は衰弱して死に、母は狂った果てに死に、引き離された姉は行方不明――そんな、一家離散の原因となった存在に対する憎悪が今の彼を生かす燃料であるならば、撃鉄が告げた条件はぬるいにも程がある。何せ、彼が嘗て「この手で殺したい」とすら言った相手なのだ。

 しかし、撃鉄とてこの条件は譲れない。趣味としてよろず屋を営んでいる以上、趣味の最中死んでしまっては元も子もない。


 特別報奨金対象制圧者資格バウンティハンター・ライセンスを持っているとはいえ、基本は何でも屋として子どもの遊び相手だとか犬の散歩だとかをゆるゆるまったりやりつつ、換金屋稼業でローリスクな報償金を小遣い程度に得ながら、取り敢えずはこのモラトリアム期間を過ごしたいのだ。

 そして、その後大学に行くなり何なりした先――つまり、死ぬときはそれなりに人生を謳歌してから死ぬのだと決めている。


 従って、彼女自身の安全確保を図るためにも譲歩はしない。で、あれば、提案に少しの付加価値を付ければ良い。故に彼女は、露口に対し追加の条件を提示した。


「魔女に制裁の鉄槌を下すことはできないかもしれない。けれど、せめてアンタのお姉さんが何処にいるかだけでも、突き止めたいと思う」


「姉さんの……本当、ですか?」


 露口の瞳に、少しだけ柔らかな光が戻る。しかしそれも一瞬のことで、彼はさっと視線を落とし、忙しなく目線を彷徨わせ瞬きをした。その仕草には、迷い、それから焦りが垣間見える。少女が示したる条件を呑むべきかどうか、決めかねているのだろう。


 沈黙が、鉛の紗の如く下りる。


 数分ほど逡巡した結果、彼はようやく重い口火を切った。


「ぼくが望むのは、復讐です」


「……おう


「魔女に罰を与えることです」


「そうだな」


「これが、ぼくの依頼です」


「できるだけ、それを果たすさ。可能な限り、アンタの希望に沿いたい」


 少年は息を吸い込み、それを細く長く吐ききって、気弱そうながらも腹を括った表情をした。


「どうか――よろしくお願いいたします。魔女のことも、姉のことも」


 そして、彼は頭を下げたのだった。


 こちらの表情が露口に見えていないうちに、撃鉄は眉間に入ってしまっていた力を緩める。

 正直に言って、彼がこの条件を呑んでくれるかは怪しいところだと感じていたのだ。


 もしここで露口が撃鉄への依頼を取り消し、他の者に依頼をしたとて、この世間知らずさでは小狡い連中に身ぐるみ剥がされても不思議ではない。同い年で親近感が湧いているのか何なのか、そんなことが起こってはあまりに気の毒だと思った。

 今、露口との契約が成立したことで、この臆病な少年が悪徳業者に捕まるリスクもなくなった。そして、仮令たとえ撃鉄が魔女に制裁を下すことを諦めたとて、より腕が立ち信頼の置ける換金屋に仲介することもできる。


 一息ついたのを少年に悟られぬよう、彼女はいつも通りの不敵な微笑を浮かべる。


「じゃ、定期報告は週一で行わせてもらう。ただ、魔女もしくはお姉さんの件で、何らかの大きな進展があれば随時アンタに報告するよ」


「はい、大丈夫です」


「他に訊いておきたいことはねえか? ないなら今日は、書類書いて、お姉さんについて色々聞かせてもらったら帰っていいぜ」


「今のところは、特に……あ、でも、もし書いている途中や話している途中で何か浮かんだら、尋ねますね」


 差し出した複写式の用紙に、少年は淀みなく記入していく。電子署名が普及しているものの、こうした契約等の重要な場面では未だに紙が現役。


 少女の脳裏に「データなんざ一瞬で書き換えられる。署名、契約、この類いでデジタルは信用ならない。偽装に手間が掛かる分、アナログの方が信用できる。ま、両方でやっとくのが最適だけどな」などという、いつかの誰かの言葉が過る。

 紙の契約書は嵩張るから好きじゃねえんだよなあ、などと撃鉄が思っている内に、彼は必要事項の記入を終えていた。


 その後、姉の特徴の把握や、彼とその家族が写った紙の写真を見せてもらったりした。少年は携帯端末を所持しておらず、故にそれが唯一残る家族写真だと語った。従って、この写真をいつも大事に持ち歩いているとのことである。


 他にも様々な話をしたが、しかし結局のところ質問は浮かばなかったらしい。少年は立ち上がり、ぺこりと律儀に頭を下げた。


「ありがとうございました。大変な依頼をしてしまっているかとは思いますが、その、よろしくお願いしますね」


 撃鉄も立ち上がり、事務所の出口へと彼を先導しながら苦笑した。


「まあ、なんだ、今日はゆっくり休めよ。全力疾走したから明日は筋肉痛かもしれねえしな」


 露口は控えめな笑声を上げてから、「そうですね、気をつけます」と微苦笑。


 事務所から廊下に出、撃鉄が「それじゃ、またな」と言いかけたその時、廊下の曲がり角より人影が現れた。


 それは、一人の男だった。露口よりも背は高いが、佑ほどの極端な長身ではない。年齢は二十代後半に差し掛かったところに見え、溌剌はつらつでありながらも柔和な顔をしている。グレーのスーツに身を包んでいる所為せいだろうか、目の空色と、爽やかな短髪の薄氷色、その鮮やかさが一層目を引いた。その色彩を鑑みるに、恐らく中立子であろう。


「おや、こんばんは!」


 男も二人の姿を認めたらしく、優しくも朗らかな挨拶をしてきた。


 露口はおろおろと戸惑っているが、撃鉄は見知った人物であったためひらひらと適当に手を振る。


「よお、くるる。仕事帰りか?」


「はい。ちょっと昼間に佑義兄にいさんに渡し忘れたものがありまして。そちらの方は、お友達ですか?」


「え!? あ、ぼくは、その……ええと」


 まさか話が自分に振られるとは思っていなかったのだろう。緊張してしまい上手く言葉を紡げない露口に代わって、撃鉄が「じゃなくて、依頼人殿だよ。お客様さ」と答えてやる。どんなシャイな人間でも即打ち解けてしまう、と周囲に言わしめるくるるの犬よろしく人懐っこい微笑ですら、露口少年の人見知りの牙城は崩せないらしい。これは相当だ。少女は肩をすくめそうになった。


 少年は撃鉄の言葉に背中を押されたらしく、視線を右上に彷徨わせながら「そう、そうなんです。沙田さんにお仕事の依頼を、しました。はい」とどうにか答えた。まだ緊張感が抜けないのか、忙しなく瞬きをしていたが。


「成る程、そうだったのですね!」


 合点がいったと言わんばかりに、くるるは柔らかく笑んでぽんと両手を合わせた。撃鉄はあることを思い出し「あ、そうだ」と呟く。


「露口君、僕らが食べたプリンくれたの、くるるなんだぜ」


「あ、えと――くるる、さん? ありがとうございました、その、とても美味しかったです」


「くるる、ありがとうな。プリン難民になってて結構落ち込んでたところだったから、マジで助かったわ」


 くるるは「プリン難民って何ですか、もう」と苦笑しつつも、「お二人に喜んで頂けたなら、私も嬉しいですよー!」とはにかんだ。


「露口さんは、これから帰るところなのですか?」


「えと、はい。今日はこれでおいとまさせていただきます」


「そうですか。では、陽も落ちてきましたので気をつけてお帰り下さいね」


 最後はくるるの笑顔につられたのか、露口も少しだけ笑って一礼し、「それでは、さようなら。また」と二人に背を向けて去って行く。


 露口の背中があと数秒で見えなくなりそうな刹那、


「……まさかくるるが来るとは思わなかったぜ」


 などと宣う撃鉄には構わず、くるるは己の周囲に薄氷色のモニタを


 通常、発語による開錠ログインを行わなければ、構築式プログラムを実行することはできない。


 しかし、現在その“例外”がひとつ報告されている。

 己が持つ固有構築式プログラムと共有する“使い魔”的存在――即ち、補助装置サポートデバイスと呼称される中立子。

 彼ら補助装置サポートデバイスの固有構築式プログラムであれば、開錠ログインを必要としないのだ。固有構築式プログラムの実行に当たっては天啓システムの声もなく、その個体の意のままに実行することができる。それはあたかも、ある種の“超能力”のように。


 彼、結城ゆうきくるるは、補助装置サポートデバイスである。まだ彼の契約者たる存在はいない。そして、彼が持つ固有構築式プログラムの名は――。


「ちょ、おい!?」


 去りゆく露口には悟られぬ程度の声量で以て、制止のために撃鉄は青年の前に躍り出た。


「アンタ、前に仕事以外では使いたくないって言ってたじゃねえかよ。なんで今それを」


 固有構築式プログラムの実行を止めることなく、くるるは器用にウインクしてみせた。


刑事わたしの勘ですよ。やむを得ないので実行ランする次第です」


 モニタ上に彼だけが読みうる文字列で表示されたは、《読心スキミング》の文字。それこそが、くるるの固有構築式プログラム、その名称。


「短時間の情報量では役立たないかもしれませんが、私の可愛い妹分に何かあってからでは困りますから」


 撃鉄に「はあ? うるせえな」などと言われながら足下をげしっと蹴られようと、その痛みに「ッ最高です!」などと気持ち悪い歓喜を噛み締めつつも、くるるはモニタ上情報の目視による読取、手元に展開されたキーによる記録を緩めることはしない。


 この被虐趣味マゾヒズムさえなければ良い奴でまともな奴なのに、と撃鉄は残念なものを見る目で青年を見つめた。折角プリン効果で上昇した好感度も、今やすっかり元通りである。


 少年の姿がすっかり見えなくなり、足音が十分遠ざかってから、ようやく、くるるは《読心スキミング》を実行するに至った経緯を彼女に話し始めた。


「彼、只の恥ずかしがり屋さんではないようです。君に仕事の依頼をした、と言ったときの露口さんの目……気付きませんでしたか?」


 視線は右に。瞬きは忙しなく。


 少年が小心者であるが故の仕草だとすっかり思い込んでいたが、改めて指摘されるとこれほど解り易いものもない。


「そういうことか」


「ええ」


 くるるは《読心スキミング》記録を整理し終え、固有構築式プログラムを終了させた。すると、モニタはアイスブルーに発光する粒子となり、泡の如く掻き消える。


 昇る粒子から視線を撃鉄へと移し、やがてくるるは告げた。


「彼は、君に何らかの嘘をいています」

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