track03.アポカリプス・レイタア

01

 ぱちり、と線香花火が爆ぜるような音。


 それは、鮮烈な青白光せいはくこう伴う、小さな雷電。

 だがこの光、ある者はしかとその目に捉うことあたうが、ある者にとっては永久とわに目視叶わぬ夢まぼろし。控えめに散る雷光も、いまがた現れた円環アニュラスも、。故に、原子と二進数から成る中立子であれば視認でき、原子のみから成るヒトは決して知覚できない。

 そして、構成単位の相違だけではなく、脳の相違――ただのヒトよりも中立子が、空間認識をつかさどる頭頂連合野や、視覚情報を司る後頭葉が発達しているからこそ、中立子だけがこの鮮やかな光輝を目視し、行使することが可能なのである。


 鮮やかな光輝も円環も、全ては次元を歪ませ顕現する。やがて、滑らかに分離した円環の間に現れたのは、その異能を操る人物――沙田撃鉄だった。


「よっ、と」


 円環アニュラスの消失に伴い、猫の如く着地。茶色いローファーの爪先が、滑らかにアスファルトへと着けられた。軽やかに空気をはらむ、白いセーラーカラー。射干玉ぬばたまの黒髪が風に遊び、濃紺のスカーフとプリーツスカートがふわり揺れる。


 彼女が舞い降りた歩道の横では、沢山の車が行き交っている。磁力により浮動するそれらは、地面より三十センチ程浮き上がり、滑らかに都市を駆け抜けてゆく。


 ふう、と少女は息を小さく吐いた。夏の気配がほんのりと滲む、昼前の太陽の温かさが心地よい。緑の香りを孕んだ微風が、ふわり優しく吹き抜ける。それが吹いてきた方向を見上げると、クロロフィル鮮やかな木の葉をゆったりと揺らす樹木の群れ。そして、その所々から朱色の何かが姿を覗かせていた。

 街路樹や公園の木々ならまだしも、遠目から見ても“大木”と解るほどの木々達。街中に余り似つかわしくない風景にも関わらず、撃鉄は躊躇ちゅうちょすることなく、颯爽と朱色が待ち構える方へと向かっていく。歩き進める内に喧噪から遠ざかり、彼女の足下のアスファルトが石畳へと姿を変えたと同時、朱色の正体が明らかとなった。


「おー。緑に囲まれてると映えるなぁやっぱ」


 彼女は朱色、もとい、鳥居を見上げる。訪れる人々を悠然と待っているかのように構えられたそれは、古い歴史あるものだとは思えぬ程美しかった。丁寧に朱が塗られており、色のはげ落ちなど一切見当たらない。笠木の黒が朱と絶妙なコントラストを醸し出しており、額束には「花珠はなたま神社」と記されている。


 一頻ひとしきり眺めた後、撃鉄は再び歩き出す。鳥居をくぐり、石畳の参道の更にその先へ。

 やがて、神門へと辿り着いた。柱の鮮やかな朱と、壁の白、瓦の黒、そして入り口に掛けられた太い注連縄しめなわ。全てが美しくも荘厳なその神門を、彼女はスルーし左折。神門に延びる石畳から降り、玉砂利をじゃりじゃりと鳴らして十歩程進み、目的の建物――社務所の入り口で立ち止まる。格子状の玄関扉をスライドさせ、


「すみませーん」


 と、社務所の中に誰かいないか声を掛けた。十秒待ったが、応答はない。


「あれ。いねぇのかな」


 小首を傾げ、踵を返そうとした刹那。

 ぱたぱたと小走りにやってくる足音と共に、「はーい」という声が聞こえた。姿を現した足音の主は、巫女装束を着た人物。年齢は撃鉄よりもやや下――十五、六程に見える。小動物の尻尾のようにふわふわと動きに合わせて揺れる、檀紙で結わえられた水色の髪。

 撃鉄の姿を認めるや否や、巫女は無邪気な笑みを浮かべた。


「あ、撃ちゃんっ!」


 そして急いで草履ぞうりを履き、


「会いたかったわ撃ちゃん!」


「わっぷ!」


 盛大に撃鉄に飛びついた。巫女は平均的な身長だが、百六十八センチの撃鉄に抱きついていると、顔立ちの所為せいもあってかより幼く、小柄に感ぜられる。


「会いに来てくれたの? 最近撃ちゃんと会えなくて、アタシ寂しかったんだからね、もー!」


「会えないも何も、くろろが風邪引いて寝込んでたんだろ……」


 花ほころぶ無垢な笑顔から一転、上目遣いにこちらを見つめ、頬を膨らませて可愛らしく怒る巫女――もとい、結城ゆうきくろろを引き剥がしつつ、撃鉄は呆れたように眉根を寄せた。


「うつるかもしれないから来るなって、くるるにも言われてたしさ」


「撃ちゃん達がお見舞いに来てくれないと思ったら、あのこ、そんなこと吹き込んでたのね」


 許せないわ、と双子の弟・くるるに向け始めた謎の敵意には触れず、撃鉄は本題を切り出す。


「ところで、さ。くろろ、コイツのこと知らねぇか?」


 プリーツスカートのポケットから携帯端末を取り出し、数秒操作。画面を見せながら問うた。「んー、なになに?」と、くろろは画面を覗き込む。


「ああ、この子。知ってるけど、直接お話ししたことはないのよね。なあに? やだー撃ちゃんったら、若しかして、この子に恋でもしちゃったの?」


「こっ、恋とかじゃぇねよ! ただ気になるだけっつーか」


「照れなくってもいいのよ? うふふ。そうねえ――」


 と、巫女は微笑。それは、幼気な見目形に似合わぬ、何処か官能的な笑みだった。右目の下にある泣き黒子が、その妖艶さを一層引き立てる。


「じゃあ、今度アタシの家でゆっくりお喋りましょ?  今日はこれからバタバタしちゃうからろくにお話しできないだろうし、それに――」


 先程の蠱惑纏う雰囲気から一転、くろろは無邪気にウインクしてみせる。


「女の子同士の秘密の話は、お菓子でも食べながらゆっくりじっくりしたいじゃない?」


「……なーにが女の子同士、だよ」


 どうしようもないもの(或いは、頭の病に冒された残念な者)でも見るような目で、撃鉄は可愛らしい巫女を見遣り、くるり踵を返しながら告げる。


「はあ……都合ついたら連絡しろよ。アンタにしか相談できない僕を呪いたくなるぜ全く」


「もう帰っちゃうの? つれないわね撃ちゃん。でも、そんなとこが大好きよ! お義兄にいちゃんにもよろしくねー」


「はいはい、覚えてたらな」


 ああそれと、と呟いて、撃鉄は肩越しにくろろを見た。


「なんであれ、僕ぁ二十八歳が“女の子”名乗るのはキツいと思うぜ?」


 にっ、と意地悪猫の笑みを浮かべて、少女は社務所を去る。背中に投げつけられた「とっ、歳なんて乙女には取るに足らない些細なものよ」という、余裕を取り繕った余裕なき言い訳などは、聞こえなかった振りをして。



   ***



 元来た場所へと参道を引き返しながら、撃鉄は紅玉ルビーの双眸を細めた。瑞々しい珊瑚色の唇は今、軽く真一文字に結ばれている。

 彼女の思考は、くろろに見せた画面の中の“想い人”のことで埋め尽くされていた。

 否――それは唯の方便にすぎない。正確には、画面の中の文字列と、巫女が述べた言葉の意味について思考していた。


 「魔女について知っていることは?」と打ち込まれた端末画面に対し、「十分な情報は所持していない。それ故、また後日に」というメッセージが仕込まれたくろろの言葉。


 魔女について、くろろも今の段階では、街で囁かれている噂程度しか知らないようであった。露口少年から持ちかけられたくだんの依頼を引き受けるかどうか決定するのは、後日くろろが告げる“秘密の話”の内容次第か。


「けど、ま」


 誰に告げるでもなく、撃鉄は独りごちる。

 第三者に偶然話を聞かれてしまうことや、盗聴されることを想定した上とはいえども、我ながら、よくまあ即興であのような茶番劇を演じられたものだ。

 くろろに至っては、普段と全く変わらない調子でクラッパーボードの柏木を鳴らし、最後カットまでりきるのだから恐ろしい。撃鉄が吐きだした台詞の数々は(一部を除いて)、巫女の演技と誘導があったからこそでもある。


 ――これが、くろろが昔言ってた「アタシは女優よ」ってやつなのか?


 歩みを進めながら、少女は一人、自分専属の情報屋インフォーマの演技力に戦慄していた。

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