track01.スーパーノヴァ
01
雨上がり、澄んだ赤橙が照らす夕刻に。
「や、だっ……助けて、誰かッ!」
寂れた仄暗い路地裏に、少女の悲痛な声が一つ。暮れの雑踏するメインストリートから少し入り込んだ場所であるにも関わらず、救いの言葉と共に駆けつける者も、その震えた声を拾う者も、誰一人としていなかった。
獲物を前にした空腹の獣のように、熱に浮かされた狂人のように、じり、と出刃包丁片手に少女へと詰め寄る男。怯えで眼を潤ませ
「っあ」
とっ、と少女の背に何かが当たった。少女にとっては認めたくはない現実であろう、袋小路。愛らしい顔が一気に青ざめる。恐怖で脚に力が入らないのか、彼女は壁に背を預けた侭、ずるずるとその場に座り込んでしまった。
少女の様子を舐め回すように見つつ、男は右の口角を上げる。その顔は、もう
退路を断たれてしまった今、後は〝これまでの例〟の通り、少女はその心身を蹂躙され、残虐の限りを尽くして殺されるのだ。抵抗する
男はゆったりと本日の獲物たる少女の方へと近寄ってしゃがみ込み、彼女の胸ぐらを暴漢に似つかわしくない紳士的な仕草で掴んだ。そしてセーラー服の襟元に包丁の切っ先を掛け、切り裂き破ろうとした一刹那。
「たす、けて」
と、予想外に放たれた、絞り上げるような無垢の声に、その手が一瞬止まる。更に
否、波立つ空気の違和感に、想定外の事態に、手を止めざるを得なかった。
先程まで憔悴した顔をしていたのがまるで嘘だと言わんばかりに、少女が不敵に笑っていたのだ。
形成逆転の奇跡など望めぬ死の淵に
状況に頭が追いつかず硬直していた男の
「僕がさァ、『たすけて』とか本気で言ってるとでも、思った?」
にやり、と。未だ幼さは残るとはいえど、血も凍るその美貌に肉食獣の笑みを浮かべ、
「なあ、追い込む側から追い込まれる側になった気分はどうだ? なんなら僕が、このままアンタが殺してきた奴らと同じ目に遭わせてやっても良いんだぜ? でも、僕ぁ生憎性的な意味で人を襲う趣味は持ち合わせてないんでね。っつーことで、まあ――」
滔々と捲し立てるように言って、少女は両手を眼前に掲げ、
「――
次の瞬間にうっすらと開かれた男の瞳が捉えたのは、鈍器を振りかぶった少女の姿。腰に届かんばかりの濡れ羽色の黒髪が斜陽を受け、滑らかに流れ
己の視界が暗転しつつあることさえ知覚できぬ侭、男は意識を手放した。
***
所変わって、ある古ビルの一室で。
「じき来ると思うんやけど、すまんな」
独特の
「――なあ、自分」
「はいぃッ!」
不意に話し掛けられ飛び上がらんばかりの返事をした少年に、「そんな緊張せんでええよ」と黒眼帯の男は肩の力を抜くよう促した。
だがその表情は決して少年がリラックスしやすくなるような微笑ではなく、限りなく無表情に近いものであり、
「よぉここまで来れたな。迷わんかったんか?」
まだ竦んでいる感は拭えないが、栗色の瞳でおずおずと黒眼帯の男を見つつ、少年は言の葉を紡ぎ始める。
「あ……はい、迷いましたがどうにか。ここを教えてくれた人に、一応行き方も訊いていましたので大丈夫でした」
「来れても、看板も何も出てないし解らんかったやろ? 連絡して
「えと、連絡先解らなくて。すみません。初め、ぼくが場所を間違えてしまったか、何処かに移転してしまったのかと思いました。『
「でも、勇気を出してお訪ねして良かったです」
「ま、パッと見やったら両方入ってるて解らへんしなぁ」
黒眼帯の男、もとい、水鏡医院が院長・水鏡
そして現在、沙田事務所の責任者兼たった一人の事務員の帰還を待っているところなのだが、一向に帰ってくる気配はない。十八時には必ず戻るとのことだったが、時刻は十九時半を迎えようとしている。佑は腕時計に眼を遣りつつ嘆息し、
「来ぉへんな……連絡もないし、ずっと待って
「あ、はい、大丈夫です」
「あいつには伝えとくから、名前、連絡先、用件だけ教えてくれ」
少年が「ぼくの名前は――」と言い掛けた、その時だった。
二人の間にあるテーブルの一メートル程上で、小さな青白い電光が爆ぜる。続いて同位置で、同色の電光を放ちながら、地面と平行になった小さな
「遅いわ」と呟く佑とは対照的に、少年は言葉発すること
少女は白を基調とした一般的なセーラー服を身に纏っているが、その美麗さは筆舌尽くしがたいものがある。
長い黒髪は絹のように滑らかに揺れて、
二つに分離した
――天、使?
と、少年が思うと同時、
少女は愛らしいその口を開き、
「ただいま、たっくん。遅れてごめん」
そしてゆっくりと面を上げ、夢幻から未だ醒めやらぬ少年を見、言葉を続ける。
「……で。誰だテメェ」
可憐な外見からは想像もできないギャップ――柄の悪い言葉使いと不良顔負けの不機嫌そうな表情に、一気に現実に引き戻された少年が地味にショックを受けたのは言うまでもなかった。
お互いあまり印象が宜しくないファーストコンタクト。
この日この時この瞬間に、終わりへと向かう報われないお
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