02

「何処にポートしとるんなお前は……行儀悪いから早よ降りやんしなさい


 相変わらず無抑揚な声ではある。しかし、粗相そそうをした子どもを諫めるような雰囲気を何処か感じさせる佑のそれに、少女は「へいへい、ちょっとずれただけだっつの」と面倒臭げに返答し、言葉を続けた。


「報酬にホイホイされて囮を買って出た僕も悪いけどよ、襲われるとかこんな遅くなるとか聞いてねぇし、挙げ句『怯えた清純派な君も可愛かったですよー!』とかさ、あのクソ刑事ブン殴ってやろうかと思ったぜ」


「――まあ、ブン殴ったんやろ?」


「ブン殴ったよ。相変わらず『ありがとうございます!』とかほざいてやがったけどさ」


 やれやれだぜと呟き、右腰に手を当てて彼女は嘆息した。そして、“刑事を殴った”という物騒な言葉や、殴られた刑事が被虐趣味マゾヒズム全開な台詞を発したことに若干動揺を隠せない少年の方に(卓上に乗ったまま)向き直り、


「で、さっきも訊いたけどよ、誰なんだアンタ」


「えと、その、ぼくは」


 訝るような威圧感と、恐ろしさを覚える程整った彼女の外見に気圧され、言葉に詰まる少年の台詞に「依頼人や」と佑が続けた。


「あー、成る程。そういうことか。了解した、医院長殿」


「それより、はよ机から降りや、事務所長殿」


 解った解った、と不承不承に返答しながら少年に背を向け、彼女は再び佑の方へと向き直った。膝を緩く曲げ、机上を軽く蹴り、猫の如く音も立てず軽やかに床上へと舞い降りる。その時、柔らかに空気を孕んだセーラー服の裾から脇腹が少し見えたり、舞ったスカートの下からパステルブルーの何かが一瞬顔を覗かせていたりしたが、少年は何も見なかったことにした。触らぬ神に祟りなしならぬ、触らぬ少女に祟り無し、である。


 そんなチラリズムをやらかしたことに本人は気付いているのかいないのか、「よっこらしょ」と年齢不相応な掛け声と共に黒眼帯の男の隣に腰掛けた。

 長身の美丈夫(ただし強面気味でやや猫背気味だが)と可憐な美少女(中身は兎も角)。こうして並ぶとやたら絵になる二人だ、と少年は思った。


 少年の名誉のために言っておくと、彼の外見は全くもって悪くない。寧ろ、十分に美少年に分別されるそれだ。艶やかで癖のない栗毛色の髪。それと揃いの栗毛色の双眸は穏やかさと人懐っこさを持ち、それでいて上品さを感じさせる二重。中性的で整った顔立ちと、気性の大人しい臆病な愛玩動物のような雰囲気から、どちらかというと凛々しさよりも可愛らしさの方が勝る出で立ち。だが彼には、何処か蠱惑的な空気を纏う何とも形容しがたい引力があった。


 れど、その少年の容貌すら、少女の前では霞んでしまう。それ程に、異質だと感じてしまう程に、彼女の顔立ち、体躯は恐ろしく端正だった。頭頂部から足の先に至るまで、髪の毛の一本から細胞の一つまで、美に関する人類の叡智を最大投資して作り上げられた人形のように。または、美しき天の御使いが地上降臨のために用意した器であるかのように。

 我を忘れ見惚れる程、若しくは背筋も凍る程の美しさ。強いて欠点を挙げるなら――胸の膨らみが少ないことくらいなものだ。


 人外めいた美貌の少女は、桜ん坊のように愛らしい唇を徐に開き、


「改めて――」


 と告げ、こほん、と小さく咳払いしてから、


「今晩は依頼人さん。本日は足下も悪い中、ご足労頂きありがとうございます。長らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」


 と、微笑を湛えつつ何やら言い始めた。美しさと愛らしさを兼ね備えた彼女の魅力をより増すような柔らかな笑顔だったが、先程までの粗暴な言葉使いをすでに聞いてしまっている少年にとって、それは――途轍もない営業スマイルにしか見えない。最早、何だか恐ろしくすらあった。


「料金は応相談。猫の世話と法に触れること以外ならお任せ、沙田事務所へようこそ。当方、よわい十七の若輩者で何かとご不安かとは存じますが、お受けした依頼は確実に解決いたします。申し遅れましたが、わたくし当事務所の所長を務めております、沙田撃鉄と申します」

 ですが――と小さく息を吸い込み、少女、もとい沙田撃鉄は二の句を継ぐ。


「偽名だけどな」


「偽名やけどな。でも言うたら意味ないやろこれ」


 ヘッ、という小馬鹿にしたような文字が背景に見えそうなメゾソプラノの後に、方言混じりの平坦なバリトン(とはいえ、その声色には僅かながら呆れがにじんでいるようにも思える)が続く。佑の方を向き、撃鉄(偽名)は、「言っちゃうのが逆に良いんだろ逆に」などとよく解らない返答をして、視線を反対側のソファに腰掛けた依頼人たる少年へと戻した。


 少女の鮮やかな赤の双眸に意識を貫かれ、自然と少年の心臓は大きく跳ね上がる。目を向けられるのは数度目とはいえども、いまだ慣れない。ただ、制御あたわぬ鼓動の拡張は、ときめきなどという甘美で生やさしいものだけが原因でないことは、彼自身何となく、けれどもはっきりと知覚していた。近い感情を挙げるなら、これは“おそれ”か。美しく繊細なガラス細工を手に取って眺めたときに感じるような“恐れ”でもあり、間接的に死を連想させられたときのような“畏れ”でもある。


 初めて彼女を見た時、少年は彼女を天使のようだと思った。しかし何故今は、死という真逆のものを思い描いたのか。疑問を抱くと同時、再び“間接的な死”という言葉がぎった彼の思考は、自然と次の仮説へと帰着する。


 姿はまさに天の御使い。されど――漆黒の髪と赤い瞳は、悪魔の色彩。そこから“間接的な死”のイメージを得ていたのかもしれない、と。


「まぁ、それはさておき。アンタの名前は? 依頼人殿」


 失礼千万な考えを抱いていたところに振ってきた撃鉄の声に、「っえ?」と素っ頓狂な返答をしてしまったが、どうにか質問内容を再認識し少年は答える。


「あ、ぼくは露口つゆぐち、です」


「それじゃ、よろしく。露口君」


 言って、撃鉄は屈託のない笑みを浮かべて起立。やや身を乗り出すようにして、少年もとい露口に右手を差し出した。その仕草が意味するものは言わずもがな。

 しかし露口は立ち上がったものの、反応に戸惑った。求められている反応が何であるかなど解っている。だが、どうしても――。


「ぼさっとしてないで握手しようぜ、あ・く・しゅ! よろしくなー」


 不意に、体側に着けていた右手が浮いた。

 撃鉄が両手で包むようにして露口の右手を掴み、無理矢理握手を成立させていたのだった。自分の右手に何が起こったのか把握出来ていなかった露口だが、全てを理解したその瞬間、


「あ……うあッ!」


 勢いよく、右手を振り払う。更に過呼吸を起こし、痛む胸元を右手で強く握りしめながら、崩れ落ちるようにソファに腰掛ける露口。

 異様なその反応に、若干眼を見開いて「どないした」と立ち上がり、少年の元へと駆け寄る佑。大きく上下する少年の背中に骨張った手を即座に添え、さするようにして軽く押す。


「ゆっくり、落ち着いて、息吐くんやで」


 男の指示に従おうと懸命に呼吸の統御を図る少年。


 一方、全てがスローモーションに見えただ立ち尽くすしかない少女――撃鉄。彼女は、ひるがえる白衣を視界に捉えてから、どれ程の時を硬直して過ごしているかすら自覚出来ないでいた。「急に手を払われて文句でも言ってやろうかと思った瞬間、依頼人が苦しみだし、佑がその介抱をしている」という一連の流れを徐々に、だがどうにか咀嚼そしゃくし飲み込んで、「大丈夫か、おい」と駆け寄ろうとする。

 しかし、そんな彼女を軽く左手を掲げて制す露口。未だ呼吸は荒く、上げた面は少し血色が悪く冷や汗が伝っているが、弱々しく微笑みながらどうにか言葉を紡ぎ出した。


「ごめんなさ、い。ぼく、女の人に触れなくて」


「あ……そか。知らなかったとはいえ、ごめんな。無理矢理、さ」


 最初に見せた横柄で粗暴な態度とは打って変わって、心底申し訳なさ気に眉をハの字に歪め謝罪を述べる撃鉄を見て、露口の心がじくりと疼く。

 自分が取り乱してしまったのは彼女の行動が原因とはいえ、未然に予防できた筈であるし、が彼女自身に有るわけではないのだから。


「予めこちらから申し出ておくべきでした、すみません。水鏡さんにもご迷惑をおかけして申し訳ありません。でも、おかげで大分楽になりました、ありがとうございます」


 先程よりは滑らかな物言いに、佑は背中をさすっていた手を離す。どうやらもう大丈夫だと判断したらしく、ちらりと一瞬目線を撃鉄に送ってから、元座っていた少年の反対側のソファに着席。視線の意図に気付いた撃鉄もそれにならい、男の隣に腰掛ける。


 取り敢えずは一件落着。

 とはいえ、部屋の空気は未だ剣呑さを孕んだ侭になっており、露口が依頼の詳細を述べられるような雰囲気ではない。更にここで「今日はもう家帰ってゆっくり休んどき」などとドクターストップという名の追い打ちが掛かってのこのこ帰還してしまっては、露口が本日此処まで出向くためにはたいた労力が水泡に帰す。

 佑にその言葉を述べさせる間を与えず、おのが努力を無駄にしないためにも、そして居た堪れないこの雰囲気を変えるためにも、少年は「それより」と次の句を述べた。

 

「沙田さんがテーブルの上にいきなり現れたあれ、何なんですか? 手品、とかじゃないですよね……?」


「違う違う。けど、ちょ、それ本気で言ってんのかアンタ」


 おいおいマジかよ、と、ぽかん呆けたように驚愕の言葉を漏らす撃鉄とは対照的に、佑は至って冷静に(というか、この男に限っては感情が極端に読み難いだけなのだが)露口に質問を投げかける。


ちょおちょっと訊くけど、自分、出身どこなん?」


「えと、箱根です。神奈川県の」


「正常地帯か――やったら無理もないわな」


 正常地帯。


 その言葉が、露口の中で妙に引っかかった。彼が箱根に居たのは幼少の頃までだが、正常も何も、普通の街だったという印象しかない。敢えて何か特異点を挙げるのならば、旧首都・東京近郊を襲った自然災害の余波を多少受けていたらしいことくらいなものだ。とはいえども、両親からの伝聞なので露口には“らしい”という不確かな知識でしかなかったが。


「正常地帯、ですか?」


「その言葉のまんま、や」


「まぁ説明するなら長い話になるけどよ。じゃ、取り敢えずクールダウンがてら聞いてくれ」


 佑から撃鉄へと回答者が移動する。


かつて、この世界の基本的な構成単位は原子であった。然れど“再生の日”以降、世界に二進数が入り交じり、構成単位もその例外ではない――っつーのはガッコでオベンキョしてれば知ってると思うけどさ」


「あの、“再生の日”っていうのは」


「そこからかよおい。真面目で大人しいタイプと見せかけて勉強サボってたタイプかよアンタ」


 どちらかと言えば、彼女の方が勉学に励みなさそうな雰囲気が滲み出ているが、誰も指摘するような真似はしなかった。


「んー。ま、簡単に言うと“再生の日”っつーのは、四世紀くらい前に、異常気象やら自然災害やらテクノクライシスやらが頻発して、世紀末い状態になって、この星の人口が激減したやべー時期のことだと思ってくれ」


 やや呆れ気味に嘆息しつつ、少女は華奢でたおやかな腕を組む。


「で、さっき言ったように“再生の日”以降、全ては元素と二進数から成るわけだ。ヒト以外は、な。けど、まぁ、じわじわと“中立子ちゅうりつし”っつー、が局所的に出てきた」


「その、ちゅうり」


「解った、解ったよもう! どんなけ世間知らず箱入りピュア息子なんだよアンタ! ああもう……」


 片手で額を覆い、思わず項垂うなだれる撃鉄。「引き籠もりのニートでも、もうちょい世の中のこと知ってるぜ、なぁ」などと呟きつつも、話を続ける。


「人体構成物質が二進数と元素からなる人間のことだよ、中立子っつーのは。“再生の日”が原因の突然変異体とか何とか言われてるんだが、詳細は未だに解んねーらしい。で、さっきこの『中立子が局所的に出てきた』っつったけど、その局所に該当しないのが“正常地帯”ってワケだ。この国だとフォッサマグナを含め、それより東側。アンタの生まれた箱根も含まれてるよ」


 再び「あの」と露口が疑問を投げかけようとする。またかよ、と撃鉄は言いそうになったが、これまでの問いとは異なるそれに、言葉を口内に押し留めた。


「今、フォッサマグナ以東が正常地帯だと仰いましたが、ならフォッサマグナより西は地帯ではないということですよね?」

 質問を受け、にやり、と少女が邪悪そうに笑い、男はそれを鈍色の左眼だけを動かして捉えおもむろに脚を組む。


「そうだねえ、そう言うことだ。中々に賢明じゃねえか、依頼人殿。『局所』に該当しない正常地帯では元素のみから構成されるな人間が生まれ、何故か中立子が生まれないのさ。だから、アンタが中立子を見たことがなくても無理はないんだ」


「それじゃあ――」


「ああ。逆に『局所』に該当する場所――この国だとフォッサマグナより西だと中立子が生まれやすく、目にする機会も多くなる。この首都和歌山を含め、な」

 んで、と一呼吸置いて。


「ただ構成単位が異なるだけじゃあ、正常地帯だのなんだの言われなかっただろうよ。そもそも遺伝子の違いならともかく、元素だの二進数だの、構成単位の違いなんざ誰も気が付かなかったんじゃねえかと思う。では中立子の存在が明らかになったのは何故か? 中立子が、眼や髪の色素発現種類に富んでいるっつーこともあるんだが、それよりも明確に普通の人間と違う点があったからだ」


「違う点?」


「生まれながらにIDという個体識別番号を認識し、歪曲地点という空間の歪みを目視できる。そして、IDを歪曲地点で発語する開錠詠唱ログインを行うことにより、任意の他の歪曲地点へと転移テレポートできる。ファンタジック且つマジカルに言えば、『この世に生を受けたその時から、貴方の心の中に、既に呪文は浮かんでいる筈よ』的なアレを魔法陣の上で唱えれば、他の魔法陣がある所に瞬間移動出来る的な雰囲気だ。魔法使い、それか超能力者みたく、冗談みたいな現象を自由にやってのけ、目立っちまう人間だったんだよ、中立子っつーのは、さ」


「じゃあ、沙田さんは、」


 露口が発した言葉の先を読み取り、ニヒルに微笑して撃鉄は答えた。


「お察しの通り、僕自身が中立子だ。テーブルの上に僕がいきなり現れた絡繰りはこれさ」


 撃鉄は「ただ、この机の上は」と言って机上をぺしぺし叩き、


「歪曲地点じゃない。転移テレポートは歪曲地点から任意の歪曲地点へ、の筈なのに何故か? っつーと話がまた長くなるから、今日の授業はここまで。また機会があれば説明するよ。もう遅ぇし、ずっと僕の話聞いてんのもしんどいだろ」


 今までよく知らなかったことばかりで、正直話について行っているとは言い難いが、自分はあまりにも知識・常識がようだと痛感する露口。正直もう少し話を聞いていたいと感じていたが、その言葉を飲み込み、「はぁ」と相槌を打つ。


「で、アンタも落ち着いて来ただろうし、本題っつーか本来の話なんだけどよ」


 言って、少女は組んでいた腕を解き、膝の上で指を組む。それは今まで流れを別のものへと移行する合図であったかのように、彼女の眼に湛えられていた光、そして雰囲気が変質。


「依頼は何だ? 露口君」


 それは、一切の誤魔化しも茶化しもない、真剣そのものを纏う言葉。その空気の切り替えと姿勢、よわい十七の事務員にして事務所長、しかもこぢんまりと彼女自身の暇潰しのために営んでいるとの噂の便利屋であるにも関わらず、評判が高いと言われるのも納得すること能うものであった。


 彼女の雰囲気に気圧されぬよう、そして重大な決意を込め、露口は告げる。


「――――復讐、して欲しいんです」


 と。

 齢十七の少年が述べるには、些か非現実的にして、あまりにも物騒で危険な依頼を。

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