track04.浮遊

01

転移テレポートは任意の歪曲地点から歪曲地点へ。なのに、あのとき『何故僕が歪曲地点じゃない、普通の机の上に現れたのか』って話からだったよな」


「はい」


 彼女の言葉を受け、こくり、と頷く。


「その話から先に言ってもいいんだけど、さ」


 僅かに言い淀んでから撃鉄は手を口元に当て、小さく唸っている。数秒の後、伏し目がちにしていた目をぱっと上げ、


「でも、まあ、まずは基礎的なところから順序立てて説明するとしますかね」


 露口ににんまりとした笑みを向ける撃鉄。真紅の両目が、悪戯な猫のように半月型になる。“食えないやつ”っていうのはこういう笑い方をするんだろうなあ、という思いがふと少年の頭を過ぎった。


「では、これより今日の授業を始めます」


 妙に畏まった彼女の台詞が滑稽で、思わず小さく噴き出してしまう露口。しまった、と撃鉄の方を見たが、彼の失笑につられたらしく「あっはは、我ながら似合ってねぇなあ」と、歩行速度を落とし笑い出す撃鉄。笑いが収まるや否や歩調を元に戻し、こほん、小さく咳払い。


中立子ちゅうりつしは、『転移テレポート』、それから『送信アップロード』、『受信ダウンロード』っつー三つの構築式プログラムを使うことができるんだけどよ、転移テレポート、はこの前直接見たから解るよな?」


 はい、と先日の光景を思い出しながら首肯。しかし前方から来た自転車をぎりぎりで回避しながらの発声だったので、実際は「っわい」という珍妙な返答になってしまったが。


「おい大丈夫かー? 集中して話聞いてくれるのは嬉しいけどさ、事務所に着いたら横のアンタが満身創痍になってる、とか嫌だぜ僕ァ。いくら医者が同じ建物の中に居るって言っても、たっくん外科じゃなくて内科だしさ」


「あ……すみません」


 彼女に謝りつつ、心の中で隻眼の内科医――水鏡たすくにも謝罪しておく。

 猫背気味とはいえかなりの長身、覇気には欠けるが精悍でやや強面な顔立ち、そして何より彼の片眼を覆う黒革の眼帯。そのアウトロー然とした見目形から、(幼い頃にちらっと読んだ、大昔の医療漫画の影響か)外科医だと思い込んでいたのだ。佑本人は至って静かで穏やかな性格らしいことを先日知ったにも関わらず、漠然と抱いていたイメージ。失礼千万な理由にも程があるだろう、と露口は小さく肩を落とした。


「――ごめんなさい」


「あ、いや、この先もうちょい道幅狭くなるし、気をつけろよ」


 独りでに零れた謝罪を、自分が言った言葉の所為せいだと感じたのか、撃鉄は若干歯切れが悪い。

 沙田さんの所為じゃありません、と言いかけたものの、それは「ところで」という彼女の言葉に遮られる。


転移テレポートするときってさ、何か円環アニュラスっていう光る輪っかが出るんだよな」


 あの日、沙田事務所の卓上に突如現れた撃鉄。その時彼女の足下と頭上で燦然と輝いていた、あの――。


「あの青色、の……?」


「それそれ。青く光るんだよな、アレ」


 彼女は「ま、それはいいとして」と一呼吸置き、


「次に、『送信アップロード』、『受信ダウンロード』について、だ。物を二進数1と0のレベルにまで分解して、分解したを歪曲空間に送るのが『送信アップロード』、逆に、分解したを歪曲空間から取り出して元の物体に戻すのが『受信ダウンロード』。そうだな――」


 言って、ケーキボックスを持ち上げる。


「これに僕が『箱』って名前を付けて送信アップロードしたとする。すると、『箱』は光る泡みたいになって、歪曲空間に送られる。取り出したいときは、『受信ダウンロード、箱』って言えば、目の前にこのケーキボックスが現れるって仕組みだ」


「“送られる”のは……ケーキボックスも、中のプリンも、ですか?」


おうよ。まあ……“応用編”として、ボックスだけを送信アップロードすることもできるけどさ。指定やら制御やら、普通にやるよか面倒臭くなっちまうしその分疲れる。だから、ボックスだけをなら、中のプリンを取り出したあとにボックスを送信アップロードする方が断然楽だ」


 疲れる。楽。

 言葉を受け、少年は視線を撃鉄から一旦外し、暫し黙考。歩むリズムに合わせ、思考がその脳内を駆け巡って行く。

 開錠詠唱ログインを行い構築式プログラムを使用することは、体力を使用するのだろうか。しかし、恐らく消耗するのは体力だけではない。“指定”や“制御”を行うのなら、きっと神経もり減らす必要があるのだろう。


「露口君ってさ、RPGゲームやったりファンタジー小説読んだりする?」


「あ、はい。昔少しだけ」


「ん、なら大丈夫かな。構築式プログラムが魔法だとすれば、それを使うために体力と魔力の消費が必要になる。体力も魔力も個人差はあるけどよ、前者は筋トレとか走り込みをして、後天的に増やすことができる。でも、生まれ持った魔力――所有領域メモリの量は、増やすことも減らすこともできねぇのさ。じゃあ、ここで露口君に問題だ」


 言って、こちらを見る撃鉄。華奢な肩からさらりこぼれる黒髪に魅せられたのも束の間、双眸の澄んだ赤が強制的に目を奪う。


「持ってる所有領域メモリが多い中立子と少ない中立子、どっちが複雑な構築式プログラムを扱える?」


「ええと。所有領域メモリが多い方、でしょうか」


 幼い頃一度だけやったゲーム、過去に読んだファンタジー小説。強い魔法使いは、必ず莫大な魔力を持っていた。記憶の海から掬い出した内容をもとに述べた回答だが、些か自信がない。思わずおずおずと彼女の方を見ると、こちらの不安を吹き飛ばすような微笑がそこにあった。


「大正解、お見事だぜ依頼人殿。『膨大な魔力があれば、高度な魔法・強大な魔法が使える』っていう、魔法モノの世界と似たようなモンだな。僕も、冗談みたいな量の所有領域メモリ持ってて、アホみたいな構築式プログラム使える人間を一人だけ知ってるけど、アレは規格外かつ特例みたいなもんだからさ、そいつのことはまた機会があれば、な」


「……?」


 苦笑する彼女の顔に、ほんの一瞬影が差したような気がした。す、と前方に戻されたおもては俯き気味な所為せいか濡羽の髪に遮られ、表情を伺うことはできない。


 「沙田さん?」と掛けかけた声は、「それはさておき」という撃鉄のそれによって掻き消されてしまう。彼女の顔は、先程までと同じ端正かつ不敵な表情を浮かべていた。憂鬱の影など、まるで露口だけが勝手に見ていた幻だとでも言うように。


「一部の中立子が、特に大量の所有領域メモリを持ってる。自分の能力を――自分の構築式プログラムと共有する、“使い魔”的存在の『補助装置サポートデバイス』。そして、『上位中立子』と呼ばれる中立子」


 ぴ、と撃鉄は三本の指を立てた。その三本の先端は、柔らかな薔薇色を呈している。


「『上位中立子』っつーのは、特性ごとに三つに分類されててさ。まず一つ目が、基本構築式プログラムは使えねーし、何かひとつを“代償”にするが、未来を予測できる構築式プログラムを生まれつき持つ『予言者プレディクタ』」


 白い指が、一つゆっくりと折られた。


「で。二つ目が、構築式プログラムの作成と実行ができる『構築者プログラマ』」


 また緩慢と折られる指。残る人差し指を見遣りつつ、撃鉄は言う。


「最後の三つ目。僕が歪曲地点じゃない机の上に現れた絡繰りの正体。それは、僕がだからさ」


 ――パソコンとか、システムとかに不正に侵入する、? でもそれじゃ、あの超能力みたいなことができる説明にはならないしなあ……。


 こちらの考えを読み取ったらしく、撃鉄は「いいや」とかぶりを振る。その動作に合わせて、長い御髪が艶々と左右に揺れた。


じゃねぇよ。で、『侵食者ハッカー』っつーのは――え?」


 静かに驚愕の声を漏らし、目を瞠る撃鉄。小刻みに睫毛を震わす彼女のまなこが向けられた先を、露口も見た。それは、彼女自身の左手。

 続いて、撃鉄はぎこちない仕草で顔ごと前方を見た。その目線を再び追いかけてみると、


「い、犬?」


 脱兎の如く駆けていく茶色い犬。どうやら自分たちを追い抜くようにして走り去るつもりらしい。そして犬の頭の前方、ぷらぷらと揺れている物体。


 あれは、まさか――


「……ケーキ、ボックス?」


 状況が飲み込めないままに露口が言葉を零した一拍の後、撃鉄が「プリン……プリン……」と譫言のように呟き始めた。


「僕の、プリン……おい……おい……」


「沙田、さん?」


「おい――おいコラ待てや犬野郎ッ!」


 突如、路地に響き渡る怒号。

 怒り狂う彼女の声によって「犬がプリンの入ったケーキボックスを引ったくっていった」という現実を漸く受け入れつつも、露口の頭の隅を「他に通行人がいなくてよかった」という体裁を気にした考えが掠めた。だが、チンピラの如き怒声を放ち、憤怒に荒れる鬼神の顔をした美少女が横に居るのでは、それも仕方の無いことかもしれない。


 見目形の整った人物が怒気にまみれるとこうも迫力があるのか、と内心驚く露口の方を振り返り、声を荒げ彼女は言う。


「追うぞ露口君!」


 怒りに染まった撃鉄の瞳は、いつも以上に鮮やかな赤を湛えていた。告げるや否や綺麗なフォームで走り出す背中を見、「な、え?」と呆けた声が漏れ出たのも一瞬。


「ええ!? 追う!?」


 彼女は此方を振り返りもしない。それどころか、疾走しつつ「畜生、待てっつってんだろこンのひったくりがアッ!」と犬に向かって怒鳴っていた。


「ど、どうしよう……」


 おろおろと戸惑い、迷っていたが腹を決め、一匹と一人の姿が見えなくなってしまう前に駆け出す。

 普段、運動どころか碌に外出もしないため、脚力にも体力にも自信はない。

 とはいえ、どうやら“犬を追う”以外の選択肢は自分に残されていないらしかった。

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