05

「きっと今頃は、天国じゃないかしら? だって――死んじゃったもの。貴方のお姉さん」


 魔女が発した言葉の意味を飲み込めず、呼吸が止まる。発しかけた「え?」という間の抜けた声が、喉元でつっかえて完全に出きらない。


「どういうことですか?」


「どうもこうも、そのままの意味よ。貴方が私にされた少し前に、あの子のこともしてね。いずれは、貴方たち姉弟を私の手元に――と考えていたのだけれど、取り敢えず、衣食住に不自由しない場所にいてもらっていたのよ。きっと、色んな人に可愛がって貰っていたんじゃないかしら。けれど、何かえられないことでもあったんでしょうね。自ら命を……」


「そ、んな」


 言葉の全容が受け入れられず、指先ひとつ動かせなくなってしまった露口。だが一方で、思考は勝手に、告げられた内容の意味を冷静に探る。

 貴方たち姉弟を私の手元に、と魔女は言った。この女は、弟たる露口を慰み者にするだけでは飽き足らず、姉たる奏までも同じようにするつもりだったというのか。

 衣食住に不自由しない場所。色んな人に可愛がって貰っていた。二つの言葉が意味するものを、彼はおぼろげに、しかし確かに理解する。


「……嘘だ」


 気丈で、冷静で、勇気があって、けれども常に遠くを見ているような、掴み所がない姉。幾度もその存在に助けられ、家族たる奏が生きているという事実によって、少年自身のいのちを繋ぐための“柱”を確立し、存在証明を果たすことができた。


 けれども。

 露口奏という存在は実のところ、只の姉で、只の少女でしかない。魔女の言葉から導き出した仮説が事実であるのなら――それは、手折られた少女の心を砕くには十全。


「それに、お姉さん……いいえ。あれは貴方の本当のお姉さんでもなければ、貴方のご両親の本当の子どもなんかじゃないわ。あれは九つの試作型実用個体プロトタイプ・ユーティリティのひとつ。ヒトの範囲には収まらない所有領域メモリと、『付加技能アドオン』が搭載された、ヒトの形をした演算装置みたいなものなの。きっと、貴方のご両親がどこかであれを拾ってしまったのでしょうね。可哀想に、あれさえいなければ、貴方たちは幸せな日常を送れていたでしょうに」


 殴られたかのような衝撃が少年を襲う。プロトタイプ・ユーティリティやアドオンなどと言われても何のことかまるで解らぬし、そんなことはどうだっていい。先程、確かに魔女は言ったのだ。姉は――奏は、両親や自分の本当の家族ではないと。


「お姉さんがいないのはちょっと寂しいけれど、貴方はちゃあんと、私の願いを叶えてくれた。そして、理屈は解らないけれど……お姉さんが置いて行ったものを、貴方がしっかり持っていてくれた」


 微動だにできぬ露口少年。その頬にそれぞれ手を添えて、覗き込むようにして魔女は二つの翠玉を笑みに歪める。


「私は、貴方がいればそれで良いわ」


 それは決して、愛の囁きなどではない。あくまでも、便利な道具を手に入れた人間が、己の所有欲が満たされていることを確かめるだけの言葉。


 女は右手親指の爪を立てた。力を込めてそれを横に引けば、少年の頬の皮膚が、薄く浅く抉られる。一瞬軌跡に血が滲むが、即座に――。


 と、その時だった。


「話は聞かせてもらったぜ」


 気絶させた筈の、少女の声。


 信じられないという面持ちで魔女と少年が声の方向を見れば、撃鉄が体を地に伏せた侭、顔だけを上げて二人を見据えている。匍匐ほふく前進じみたポーズと、無駄に得意げで真剣な面持ちの取り合わせ。最早珍妙でしかない。


 少女の体勢、それから高電圧銃スタンガンのダメージが見受けられないさまに唖然とする二人を余所よそに、撃鉄は「よっこらせ」などと掛け声発し、立ち上がった。


「いやあ、一回言ってみたかったんだよなあコレ」


 何処か満足げに宣いつつ、衣類に付いた土埃や汚れを払ってゆく少女。その動作には少しのぎこちなさもなく、やはり感電や痛みの影響は全く見られない。


「世の中には、まさしく物理的な危険を防ぐための服があってだな?」


 言って、彼女は己の胴回りを拳で軽く叩いてみせた。

 すると聞こえてきたのは、ごつごつとした鈍く硬質な音。少女の柔らかな肉と骨が奏でているそれでは、決してない。


 チンチラ捕獲作戦から帰ってきた後、少年を待たせてまで行った着替え。

 それは、見た目の見苦しさや汗臭さで依頼人に迷惑をかけぬよう、汗を吸った不快な下着やセーラー服を脱ぐためだけではない。制服の下に、この“仕込み”を行うためでもあった。


「相手を確実に動けなくしたいなら、服の生地が薄い部分か、肌が露出した場所を狙え。但し、急所は避けろよ? 高電圧銃スタンガンの威力やらショックやらで、万が一の事態を起こしかねないからな」


「アドバイス恩に着るわ。それにしても……まるで、全部知っていたみたいな見事な対策ね?」


「そりゃあからな、当然だ。優秀な予言者プレディクタのツテがあるんでね」


 少女の言葉に、女は片眉を上げた。


 この世界の総てから、或る時間に於ける特定の事象をイメージとして掬い上げ、それを言語化する行為こそが予言。予言者プレディクタは各個体に序列が存在し、数字が小さい者ほどより正確な予言が可能となる。本日何が起こるのか、事前に予言にて把握するのであれば、極めて精度の高い予測を実行できる予言者プレディクタの存在が欠かせない。


 時間や人物等の条件設定は、詳細で正確な予測を行うための足がかりだ。

 しかし、事象条件を設定した上で、ピンポイントな未来を視る予測実行が可能なのは、序列一桁及び二桁代の予言者プレディクタのみ。


 魔女は思わずまなじり決す。

 果たして、少女の周囲にそのたぐいの者などいただろうか。女が行った事前調査では、一切報告になかった筈である。


 少女は、焦燥が伺える魔女の面を見遣りながら、いつにも増して獰猛な笑みを浮かべた。同時に、頭の片隅で思う。


 星灯館から帰宅した後の浴室で、一つの仮説に辿り着いたあの日。

 佑へと繋げた通信で、撃鉄が伝えた「三日後の十六時以降」。これこそが、少女が提示した予測事象条件であった。

 とはいえども、示したのは、日にちと時間。たったそれだけの、極めて曖昧で漠然としたものだ。


 しかし、日にちと時間さえ解っているのであれば、「三日後の十六時以降」の撃鉄に纏わる未来は、十分に予測するにあたう。

 何故ならば、上位の予言者プレディクタ――序列一桁の予言者プレディクタも、その個体が予測プレディクション構築式プログラム実行精度・予言解釈精度を高く保つための環境も、佑の職場であれば両方揃うのだ。つくづく自分は幸運と人間関係に恵まれた、と少女は密やかに自嘲。


 そんなこんなで超高精度の未来予測でもって、高電圧銃スタンガンで狙われることを、撃鉄は予め知っていた。出発前に佑がくれたウィンドブレーカーに上着と、それから、着替えた際の仕込み――偶然昔手に入れたきりクローゼットにしまっていた、特殊高強度FRP板を前後に内蔵した防刃ベストの着用。素材の性質、それから電極部分から肌まで衣類で厚みを持たせる二重の対策によって、電撃は結果「ちくちくとした軽い痛み」程度のものに軽減された。


 故に、倒れて気絶したのは、完全な芝居だ。彼らの関係を見極め、確信を持つための演技だったのだ。

 更に、彼らの話を盗み聞きつつ――戦闘で疲労した体を休ませ、上がった息を密かに落ち着かせてコンディションを調整。それから、魔女と露口少年にどう話を切り出すか、思案していた。


 けれども、結局すっきりと纏まらなかったので、思うままにこれから話すとする。

 今から口にするのはただの種明かしであり、答合わせにしか過ぎない。

 小さく息を吸って、沙田撃鉄は口火を切った。


「魔女さんよ、アンタ本当なら半世紀は生きてんだってな。しかも、怪我も即治る……噂じゃあ不死ときた。美しく悪い魔女は、決して老いず決して死なない。お伽噺かよ。んで、だ。『魔女は怪我を瞬時に回復させ、老化しなくなるような、都合の良い再生能力を持っているんじゃないか?』とぼかァ考えたわけよ」


 芝居がかった身振り手振りをしつつ、女と少年の様子を伺う。魔女の顔には余裕が戻っており、撃鉄の推論がどんなものか興味を持ったようだった。露口の表情は困惑の色が強いが、撃鉄が無事だったことに対する安堵も見ゆる。


「『都合の良い再生能力』をどう実現しているのか? 立てた仮説は二つ」


 二人に見えるよう、少女は緩慢と右手の人差し指を立てた。


「一つ目は、補助装置サポートデバイスと契約している……他者の能力に依存している可能性。ただ、現在報告されている補助装置サポートデバイスが《読心スキミング》と《念動トランスポート》の二つしかないから、これは除外した」


 更に中指を立てて、


「二つ目は、体内作用型構築式プログラムを使っているか、《本物の異能》使いか……つまり、アンタ自身で不老不死を実現している可能性。けど、体内作用型構築式プログラムはちょっとしたものでも馬鹿みたいに難しいし、糞みたいに重いから、不老不死を目的にしたものなんざ作成不可能だ。だから、『使用している体内作用型構築式プログラムが誇張されている』か、『本物の異能持ち』だろうと考えてた。ばっきり折ってやった腕が即治ったのを見て、前者は捨てたけどな」


 立てた指を二本ともゆるゆるしまいつつ、撃鉄は腕を組んだ。


「ただ、物事には特例イレギュラーが付きもので、例外のない規則はない。僕は、一つ目の仮説をもう一度考え直した」


 告げて、その赤き双眸にて露口を見る。


「切っ掛けはあったんだ。露口君、アンタ中立子についてろくに知らなかっただろ? もし自分が中立子ならIDやら何やらは当然知っている筈だし、出身が箱根――中立子が殆どいない正常地帯だって言ってたから、僕はアンタを普通のヒトだと思ってた。でも、犬にプリンを引ったくられた日、中立子について話してたとき、ヒトなら見えない円環アニュラスの色がどうして解った? 《要塞》の奴にナイフで切り付けられたはずの手の傷が、どうして綺麗に治ってたんだ?」


 星灯館を訪れたあの日。猛スピードで突っ込んできた車を避けようとしてもつれ合い、キアの付け爪が撃鉄の手を引っ掻いた。そして、その傷を塞ぐように瘡蓋かさぶたが形成された。今でも少女の手の甲には、うっすらと傷跡が残っている。


 そして、奇しくも似た部位を負傷したことが、彼女に天啓をもたらした。


 犬を追って《要塞》に迷い込んだあの日、事務所で紅茶を飲んでいる少年の手元を見て「美しい手」だと思いつつも感じた漠然たる違和感。その正体は、彼の手に一切の瘡蓋や傷跡が見当たらなかったがため。

 思えば、《要塞》から事務所に帰還した際も、少年の手には掠れた血の跡こそあったが、傷と思しきものはなかった。

 そして更に時を巻き戻せば、露口は確かに「あの青色、の……?」と円環アニュラスの色を口にしていたのだ。


 少年のこれまでの様子から察するに「家族を離散させた魔女に復讐をしたい」というのは本心であり真実なのだろう。

 しかし、「魔女に復讐をしたい」という依頼は偽りで、撃鉄を魔女の供物とするための方便に過ぎなかった。くるるの《読心スキミング》によって示唆された「露口が撃鉄にいている何らかの嘘」が依頼内容そのものだというなら辻褄つじつまが合う。


 更にあの日、露口を見て感じたことがある。健康的で、清潔感のある外見。仮に生活が落ち着いていたとしても、未だ魔女から逃げているにしては身綺麗すぎる。彼が現在魔女と協力関係にあり、その庇護下にあるというなら、全て説明が付くのだ。


「露口君。アンタが実は中立子で、『都合の良い再生能力』を実現するための特殊構築式プログラムを持ってるイレギュラーな補助装置サポートデバイスだった。そして魔女と契約していて、魔女はアンタの特殊構築式プログラムの恩恵を受けている。そうだろ?」


 これにて解答終了。正誤の程は目に見えているが、撃鉄は魔女、それから露口に目を遣った。


 びくりとして、撃鉄からさっと視線を外した少年。だが、おずおずともう一度、栗色の瞳を少女へと向ける。それから、肩を震わせ、唇を戦慄わななかせながらぽつぽつと話し始めた。


「姉とあの日はぐれて、気がついたら怪我が一瞬で治るこんな体になってて。沙田さんから聞いた『中立子なら生まれながらに知っている自身のID』なんて知らない。でも、変な声、構築式プログラムの光、円環アニュラスは見える。ぼくは、自分でも……自分が一体何なのか、解りません」


 撃鉄と相対するときやメッセージを送るとき、常に罪悪感を感じていたのは、撃鉄をめるために虚偽の依頼を持ちかけていたから。

 あの日、《要塞》で撃鉄の盾になったのは、どんな傷も決して致命傷となり得ないから。

 そして、切り付けられた露口を心配する撃鉄の接近を制したのは、負傷箇所に傷も瘡蓋もないこと――即時修復が行われていることを悟られたくなかったから。


「ぼくは結局捕まって、このひとがぼくの力を使うための“契約”とかいうものが成立してしまって。ある日、貴方を差し出せば姉と会わせて貰えると言われたんです。初めて貴方に会ったとき『少し怖そうな人だな』と思ったんですが、貴方はぼくに色々教えてくれて、気遣ってくれて、同い年で……」


 憐れむようでいて、陳腐な悲劇でも見るような視線を魔女が少年に寄越していた。女の表面上の同情に対する嫌悪感と恐怖も、己がこれから都合の良いことを述べる不甲斐なさも、少女に対する申し訳なさも、全てぜになった侭。泣き出す前のような震え声で、彼は続ける。


「でも、姉はぼくのたった一人の家族なんです。それに、契約がある限り、ぼくはこのひとから逃げられない。だから、貴方と引き替えに姉を選びました。姉は……姉さんは、もう何処にもいなかったのに」


「つまり、アンタは不本意に魔女と契約を結んでいた。それから、全てはお姉さんにもう一度会うためだった。そうだな?」


 少女は問う。腕を組み、口を一文字に引き結んで。


 少年は答えない。魔女本人を前にここまで明け透けに話してしまった恐ろしさが時間差でやってきた所為で、脂汗が噴き出し、歯の根が大きく鳴り始めた。彼は俯き、全身の震えを止めるように、己を守るように体を両の腕で抱きすくめる。


 だが、その態度こそが先の質問に対する肯定以外の何ものでもないと、沙田撃鉄は受け止めた。

 露口一家の日常を奪い、少年を除く三人の死の要因となり、既に死した姉の安否をちらつかせて少年を追い詰めた魔女。女の形をした魔性に鉄槌を下すため、侵食者ハッカーたる少女は己のIDを宣言する。


「だったら、僕が壊してやるよ。露口君を縛る契約を」

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