03

「あらやだ……すき。えっちしたい」


「はいはい、そうかよ」


 或る意味では予想通りの反応に、撃鉄は盛大に溜息を吐く。

 世の乙女の憧れを具現化した可愛らしい空間に相応しくない、色欲にまみれた破廉恥な言の葉だが、発言主はこの部屋のあるじたる結城くろろなので諫める気にもならない。


「なんていうのかしら、この『少女』のヴェールを脱いで『女性』として羽化する直前の、こう、ほんの少し幼さが残っているところとか、ちょっとアンニュイな表情が堪らないわよねぇ」


 この侭だと話が進まないので、くろろに向けて差し出していた己の携帯端末を引っ込める。

 端末に表示されていたのは、控えめな微笑みを浮かべた一人の少女。この少女こそが、露口の姉だ。画像の拡大化を解除、等倍にして今一度画像を眺める。少女のほかに写っているのは、知的な雰囲気の父親、柔和そうな母親、それから若干恥ずかしそうな笑顔を浮かべた少年。

 それは至って普通の家族写真、ありふれた“幸福”の記録だ。

 彼ら四人の内、二人が既に死に、一人が行方知れずになっていることを除けば。


 この家族写真は、先日露口の依頼を受けたときに見せて貰ったものである。

 彼の許可を取った上で、携帯端末で撮影したのだ。


 人捜しの基本は聞き込み。探している人物の特徴だけを口で伝えたり、似顔絵を描いて探すよりは、実際にその人物を写した画像を使う方が効率が良い。

 家族写真は一年半ほど前に撮影したとのことなので、顔立ちや雰囲気も現在とそれ程乖離してはいないだろう。非常に有効な手掛かりだ。


「大人びてるタイプだからこそ、気持ちよさに身を委ねたときの反応が楽しみで仕方ないし、根は素直そうだから普段とのギャップが」


 うんうん頷きながら、くろろは轆轤ろくろを回している。最早撃鉄も彼女のコメントを全く真剣に聞いていなかったが、そろそろ制止すべき頃合いだろう。


い加減に、依頼人の姉貴で妄想を繰り広げるのをやめようぜ」


「――そうよね。アタシったら、いけないいけない……ごめんなさい撃ちゃん。好みのタイプだったからつい」


 一仕事やり終えた職人のように、くろろは溜息と共に額を拭う。

 好みの美形なら性別問わず食い付く上に実際に食らうこともあるくろろ、相手のどういったところが堪らないのか語り始めると止まらない。依頼者である露口少年自身も可愛らしい整った顔立ちをしているので、画像を原寸で見せたのなら、くろろは彼にも興味を示していただろう。

 彼の姉のみを拡大表示して見せるという英断を下した自分を、撃鉄は心の中でひっそりと褒めた。


 水色の乙女の語りを適当に打ち切ることができたのを確信したのち、撃鉄はティーカップを持ち上げて口を付ける。癖のない優しいニルギリの味が、口の中に穏やかに広がった。自分が同じ茶葉で淹れたとて、こうは行かないだろう。

 相変わらず、くろろが淹れる紅茶は特別美味しい。それを伝えると、くろろは大きな水色の目を細め、あどけない面持ちに満面の笑みを浮かべる。


「そう言って貰えるととても嬉しいわ、撃ちゃん。アタシが“仕事”するとき、ずっとここに座りっぱなしでしょ? 動かないから変化もないし、神経を使うから疲れちゃうの。だから、うんと美味しい紅茶とお菓子とで、少しでも癒やされたい――と思って、ね。実は、ちょくちょく紅茶教室とかも通ってるのよ。少しずつかもしれないけど、もっと美味しく淹れられるよう頑張るから、これからも一緒にお茶してくれる?」


「勿論。くろろの紅茶、好きだしな。そもそも僕が紅茶を好きになったの、アンタのお陰なんだぜ?」


「ふふ、そうだったのね。なんだか嬉しい」


 愛らしい笑みにつられて、自然と撃鉄の表情も綻んでしまう。

 撃鉄の唯一の肉親であった父親が失踪したのは、七歳の頃。頼るべきよすがは失われたように思えたが、自分はこうして温かな人々に囲まれて十年間を過ごすことができた。各々の癖と個性が少々強いのは兎も角、ではあるが。


「くろろ。それで、本題なんだけどさ」


 口火を切りつつ、考える。もしも、露口少年のように――家族の如く己を見守ってくれた人々を失い、今度こそ“本当の一人”になってしまったとしたら。

 考えたくもないが、同い年の少年はまさにその渦中にいる。故に、どれほど小さくとも彼に何らかの希望を示したい。

 仮令たとえ、彼が何かを目論んでいるとしても。


「さっきの画像の人――露口くんのお姉さん、見たことあるか? 歳は今、十九らしい」


「うーん……。記憶にはないわね。もし見かけてたら、アタシ絶対アタックなりリアクションなりするもの。だったら、覚えてないはずがないわ」


 くろろが自身の性質を正しく認識しているという事実故に、この記憶は信用できる。


「なら、『露口つゆぐちかなで』っつー名前を聞いたことは?」


「うーん、やっぱりないわねえ」


 肩を落として「力になれなくてごめんなさいね」と、くろろは呟いた。


「いいよいいよ。そもそも、露口くんとお姉さんは逃亡生活してたんだぜ。魔女から追われて、さ。今も人目に付かないように動いてる可能性は高い。だから、くろろも知らないかもしれない、むしろ知ってたらラッキー、くらいで考えてたしな」


「そう。今後、奏ちゃんについて何か情報がないか注意してみるわね」


「ん。ありがと、くろろ。助かる」


 にっと悪戯っぽく笑ってから、撃鉄は紅茶を飲み干す。それから「ごちそうさま」と両手を合わせ、


「それじゃ、今日はもう行くよ。露口くんのお姉さんについて何か解ったら、また知らせてくれ」


「解ったわ撃ちゃん。気をつけてね」


おうよ」


 本日のお茶会が始まって早々、撃鉄はくろろに対して「主たる依頼内容である『クラスBの賞金首、魔女への接触』は無理に行わない」と再度の念押しをしたり、「恐らく『露口奏の捜索』がメインとなりうる。人捜しなら危険性は低い」と告げていた。その所為せいか、顔を合わせている間、くろろは前回のような忠告の言葉は口にしなかった。今も、ごくありふれた別れの挨拶を告げただけ。

 少しは安心して貰えたのだろうか。危険が全くないと言えば嘘になるため、撃鉄は密やかに胸を撫で下ろす。


 立ち上がり、この部屋と外を隔てるドアのノブに手を掛けた刹那、


「そう言えば、撃ちゃん」


 酷く真剣なくろろの声が、背に投げかけられる。振り返ろうとしたが、躊躇してしまう。


 しかし、何の用だと問うまでもなく、言葉の続きは紡がれた。


「お義兄にいちゃんに、今度デートしましょって伝えておいて……!」


 ただならぬ雰囲気に一瞬緊張したが、いつもの譫言うわごとだったので拍子抜けする撃鉄。脱力して口を開く気にもならなかったが、どうにか「伝えねえよ」とだけ告げた。


「だったらせめて『お義兄にいちゃん大好き』だけでも」


「自分でたっくんに言ってくれ」


 結局、安心させられてしまったのは自分の方なのかもしれない。くろろの「でも撃ちゃんも大好き」という言葉に苦笑しつつ、少女は部屋の外へと去るのであった。



   ***



 くろろと対面した翌日、早速撃鉄は露口少年の姉こと露口かなでの捜索へと乗り出した。


 まずは、この街の表を知り、裏側や《要塞》についても知る者――換金屋の知人達をあたることにする。「換金屋の仕事で負傷した際、偶然居合わせた名も知らぬ少女が親切にしてくれた。

 その際、少女が落としていった写真を返したい」という設定をたずさえて。


 正直に「彼女の弟からの依頼で探している」などと宣おうものなら、撃鉄が奏を探していることが魔女の耳に入った際のリスクが増してしまう。

 逆に、何も告げず聞き込みを行ったとしても、かえって深く怪しまれてしまうだろう。

 最悪、「露口姉弟について知っていること」や「露口少年の居場所」を様々な手で吐かされた挙げ句、この街の美しい海に住まう魚の餌にされる可能性もある。であれば、「偶然出会っただけの人間」という情報を与えておくことに越したことはない。

 万が一に備えての“保険”だ。気休め程度にもならないかもしれないが。


 知人の換金屋を片っ端から捕まえ、その度にでっち上げた設定を感動物語よろしく語って聞かせる。

 しかし、かんばしい成果は得られなかった。


「その子、早く見付かるといいね。私も協力するよ。もし、見かけたりしたら撃に教えるね」


「ありがとな。それじゃ、また」


 やはり、奏は魔女から逃れるために、現在も身を潜めている状態なのかもしれない。半ば諦めつつ、撃鉄は十二人目の換金屋仲間(先日、《要塞》に駆けつけてくれたあの女性である)の根城を後にした。

 とはいえ、先程のように、撃鉄の与太話よたばなしに感銘を受けた数人が協力を申し出てくれたのは僥倖ぎょうこうか。


 ――今日は、あと一人訊いたらもう終わろう。


 少し開けた路地裏に出たところで、撃鉄は己のIDを宣言。


「ウニヴェルサリス、《開錠ログイン》」


『ウニヴェルサリスのログインを承認しました』


 やや気怠げな撃鉄の声に応えたのは、無機的な“天啓メッセージ”の声。続いて、彼女の右斜め前方に、赤い半透明のモニタが現れた。そこに描かれた三本の横棒グラフ――身体負荷、精神負荷、所有領域メモリ負荷の状況を一瞥してから、撃鉄は空間移動のために命令コマンドを吐き出す。

 本日最後の訪問先は、この場所からはやや遠い上に、公共交通機関のルートからも微妙に外れている。故に、転移テレポートで向かうこととする。


「《転移テレポート》、実行ラン


『目標座標アドレスを宣言して下さい』


「15675、65897、5。だった気がする」


『座標の検出に成功しました。これより転移テレポートを実行します』


 曖昧に告げた彼女に再確認を行うこともなく、円環アニュラスが足下と頭上に出現。それに呑み込まれ、次に目を開けたときに彼女の瞳に映り込んだのは、ビルや家屋の群れではなく、屋内の風景であった。


 壁にはモダンレトロな映画ポスターが貼られ、木製のカウンターの後ろには酒瓶とグラスが規則正しく並んでいる。そして、カウンターの奥には、誰かが手元を動かしながら佇んでいた。


「ち、Y座標4過剰か」


 床に舞い降りるや否や舌打ちをした撃鉄とは対照的に、「うわあ!?」と拭いていたグラスを驚いて落としそうになる青年。寸毫の間だけ彼は目を瞠っていたが、やが闖入者ちんにゅうしゃの正体が知人たる撃鉄だと解ったらしく、


「って、なんだ撃鉄か。驚かせないでよ」


「僕だってンなつもりなかったっつの。ちゃんと店のドアから入ってくる予定だったんだよ、ドアから」


「どうせ、座標検索だっけ? とかいうのしないで、またでポート先入力したんじゃないの。俺は中立子じゃないから解んないけどさ」


 呆れながらグラスを棚に戻す青年に、「うるせ」と小さく噛み付いておく。


「ポート先が俺の店だったからいいけどね。でも、侵入者を即潰すタイプの人のところとか、制圧対象に近寄るときに失敗したら危ないよ」


「そういうときはちゃんと検索するっての。そういうアンタの店も危ないんじゃねえか?」


「危ない?」


「確か今の時間ってさ……お得な飲み物割引タイムハッピーアワーじゃねえの?」


 二人以外に誰も居ない店内をぐるりと見回して、わざと獣じみた微笑を浮かべてやる。にやにや青年を見つめていると、彼は「ふ」と余裕の笑みを零して胸を張った。


「そもそもハッピーアワーなんてのは、客がまだ飲み歩かない時間帯に来てもらうための工夫でしかないんだし。夜こそが本番だからね。俺の店も、日付が変わる一時間前からが正念場」


「ふうん?」


 彼の虚勢を見透かした上での、興味なさげな相槌。


 それが相当こたえたのか、青年は一瞬「ぐぬ」と唸ったものの「仕方ないでしょ」と肩を落とした。


「俺みたいなしがない換金屋が店開こうと思ったら、街外れの建物しか借りられないんだからさ。みんな『家に帰るついで』、『ハシゴ』って感じだから、飲み食いする量も少ないし……」


 段々と弱気に「どれだけお客さんに来て貰えるか、って意味じゃあ『日付が変わる一時間前からが正念場』も嘘じゃないんだよ? 嘘なんかじゃ……」などと蚊の鳴く声でどんより呟き始めた青年。流石に可哀想になってきたので、撃鉄は彼にこの店に対する素直な思いを伝えておくことにした。


「僕ァまだ酒飲めないから、ここに来ても今までジュースとかノンアルカクテル飲んだり、料理食ったりしかしてないけどさ。アンタの作るもの、好きだぜ。他の換金屋やつらも、楽しそうに、美味そうに飲んだり食べたりしてるし」


 佑の作る料理の次の次の次くらいに好きだ――などという詳細な情報は伏せたが、青年がにへら、とはにかんだので彼女の言葉は届いたのだろう。


「そう言って貰えると、ちょっと嬉しいかな。で、今日はどうしたの? 遅い昼飯か、早めの晩飯食べに来た? 換金業ビズの話? それとも何か情報共有?」


「いや、個人的な人捜しだ」


 歳不相応に「どっこらせ」と掛け声を発しつつ、撃鉄はカウンターチェアに腰掛ける。それから、“とある少女との出会い”という虚構を真が如く彼に語った。この嘘をのは、本日これで十三回目。もう慣れたもので、呼吸さながらに自然かつスムーズに話を紡ぎ出すことができた。


「……で、その子が落としていった写真を撮ったのが、これがなんだけどよ」


 携帯端末を取り出して、くだんの画像を表示。彼の方に向けるようにして、端末をカウンターの上に置く。それから、露口奏の顔を拡大表示し、おもてを上げて――「これが僕を助けてくれた女の子」と告げるまでもなかった。


 何故ならば。見上げた先にある青年の顔、その眉尻が僅かに上がり、小さく開かれた彼の口から「え」と声が零れ出でたのだ。


「知ってんのか?」


「あー……なんか女の子おまえに言うのも変な話なんだけど」


 腕を組み一頻ひとしきり唸ってから、青年は意を決した目で撃鉄を見る。それから、気まずそうに頬を掻き、


「ええと、ううーん……当たった」


「当たった、つーと?」


「その、なに、娼館街の店……で。担当してもらった」


 娼館に行ったことを白状する気まずさと、それを暴露する対象が十代の(黙っていれば)美しい少女とあって、青年の言葉は歯切れが悪い。普段の快活さも何処へやら、ばつが悪そうに少女から視線を逸らす。


 撃鉄は「まー、色んなものの発散方法は人それぞれだからな。とやかく言わねえよ」などと適当なフォローを入れつつ、彼の話から情報余さず聞き取り、思考を巡らせる準備を密かに整えた。

 露口少年の姉がを想定していないわけではなかったので、特に驚きはしなかった。


 己の性を金に換えるということは、想像することしかできないが、心身共に酷く摩耗するに違いない。望む・望まないに関わらず、苦界に身を落とした末に精神を病む者や、自殺する者も少なくないと聞いている。

 だが、しがらみを断ち、己の身の上など様々なものを割り切った上で生きている女曰く、「衣食住は保証されるし、金だって貰える」。その女性とは換金屋稼業を通じて成り行きで巡り合ったが、学も金もよすがもなく、持っているものは美貌と“女”という体だけだった彼女が手っ取り早く生きて行くには、そうするしかなかったのだという。


 露口少年の姉は、自分の意思でその場所に居たのだろうか。

 だが、魔女は新参とはいえど裏社会の住人である。魔女が色町にコネクションを持っている可能性は十分。その場合、奏の居場所など容易たやすく知られてしまうのではないだろうか。

 それとも、彼女はうに追っ手に見付かってしまい、娼婦として捕らわれているのだろうか。


「なんていうか、まあ、覚えてるよその子のこと。薄倖そうっていうか、アンニュイっていうか……時々ああいうところで見る、つらしてたからさ。なんだか顔見てたら気の毒になってきちゃって、結局何もしなかった。ただ話聞いて帰ってきただけだよ」


「話? どんな?」


 青年は一瞬“なぜそこまで知りたがるのか”とでも言いたげな顔をしたが、「身の上話だよ」と肩を竦めた。


「親の借金の所為で、今まで逃亡生活をしてたこと。あと、借金取りから逃げている途中に、弟とはぐれた。そしてここに来たこと。そんな感じかな」


 果たして初対面の人間にそこまで己の事情を明け透けに話すものだろうか。


「気の毒だとは思う。でも、『ありふれた理由』だと思うよ。だからって、『これからきっと良いことあるよ』、『頑張れ』、『つらかったね』だなんて安易に言えないし、俺は気の利いた言葉も掛けられないたちだから、その子がぽつぽつ話すのを頷きながら聞いただけ。でも、帰る頃にはちょっとだけすっきりした顔してたかな、あの子」


 露口奏が、青年に娼館に着た経緯を話した理由。それは、彼が彼女と初対面の人間であり、同情心をいだいたからこそ、自分の現状を吐き出してしまいたかったのかもしれない。


「そっか。その子、まだ店にいそうか?」


「うーん、どうだろ。一ヶ月弱前の話だからなあ」


 その後、シンデレラを一杯だけ頼んで撃鉄は青年の店を後にした。


 露口少年の姉が、生き延びて弟と再会するために自らその世界に飛び込んだのか、はたまた魔女の手に堕ちてしまった結果なのか、現状では断定できない。

 であれば、行うことはただに一つ。現地調査しかあるまい。


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