outro
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ひらりひらりと、空より降るものがあった。
芝生の上に手をつき、座ったままの姿勢から伸び上がるようにして掴み取る。元の三角座りへと直りつつそれを見れば、
「――羽根?」
長さ三十センチは優にある、茶色い鳥の羽根であった。
網膜刺す陽光の眩しさに耐えつつ頭上を見上げれば、蒼天に輪を描いて悠然と舞う、一羽の鳥。ぴーひょろろ、などという独特な鳴き声が聞こえたので、なんの鳥だろうと少年は疑問を抱く。
だが、横から投げられた声により、直ぐに鳥の正体は判明した。
「ありゃ
少年は言葉を告げた者の方を見た。否、川原に座した彼とは違い、その人物は立っていたので、見上げたとする方が適切かもしれない。彼女は白魚の右手を日除け代わりに額に当て、空を見上げたまま更に「鳶が多いんだ、この辺」と続けた。
「あ、沙田さん」
「撃鉄でいいって」
少女――撃鉄は眼球だけを動かして、
その
「すみません。癖で……また、名字で呼んでしまいました」
「だー! もう! 敬語もやめろ! 何回目だよ、ったく」
腰を屈め、ずいと少年を指差す撃鉄。その声音こそ呆れているが、顔には微苦笑が湛えられていた。
「すみま、じゃなくて。ええと……ごめん」
「仕っ方ねーな。けど、僕ンとこ来てもう三日だろ、そろそろ慣れろよ?」
若干の照れを感じつつ、少年は「うん」と首肯。頭では解っているものの、未だむず痒さや遠慮は抜けきらない。
「どっこいせ、と」
十七の、それも(見て
五歳か六歳ほどの童女が、川原の石を水面に投げ入れた。それが小さく
そんな楽しげな隣の様子を見、三歳ほどの男児も真似て石を投げるが、飛距離がなく水際寸前で落下してしまった。乾いた音を奏ながら石は二度跳ね、転がり、
はしゃぐ二つの声を聞きつつ、撃鉄は溜息を吐く。
「チビ共の相手、可愛いし楽しいけど、全力でやんなきゃいけねーから疲れるな。今日はアンタがいるからちょっとマシだけど」
本日の依頼は、「学生時代の友人と久々に会うので、十二時から十四時まで子供の相手をして欲しい」という近所に住む女性からのもの。どうも、前回も撃鉄に子守を頼んだリピーターらしい。
自分は住み込みのお茶汲み要員としての採用だった
幼い姉弟は、当初は(全力の)部屋遊びで満足してくれたものの、一時間もすると飽きたようで「お外にいきたい!」「おそと!」などと口々に訴え出した。幸い母親からは「外に連れて行っても構わない」と言われていたので、依頼人の家から徒歩二分のこの川原を訪れたのであった。
「そうだね……小さい子って思ってた以上に元気いっぱいで、ちょっとびっくりしたかな」
あはは、と砦も思わず苦笑する。
体力が底を突く、という現象など知らぬと言わんばかりに、幼子たちは室内をよく走り回りよく跳ねた。手遊びで勝敗を決す際にも、一喜一憂に全力投球。成長と共に感情表現と体力を加減することを覚えてしまった現在、姉弟のエネルギッシュな様子にはついて行けない。
それともうひとつ、砦には驚いたことがあった。子供たちと戯れている
もしかすると、女性であっても相手が子供であれば、今まで通り穏やかに接することができるのかもしれない。などど、
「げきてつちゃん、とりでくん! 見てー!」
何かを見つけたらしく、童女がこちらに向かって駆けてきた。姉が駆け出したのを見て、小さな弟も「ねぇね、まってよ。ねぇね!」とその背を追い始める。だが十歩進んだその瞬間、
「っうあ!」
足を取られ、ぽて、と草の上に転倒する男児。倒れ伏せた体勢のまま、幼子は呆然と顔を上げる。時間差で
砦、撃鉄共に立ち上がり、男児のもとへ向かおうとするが――うう、と呻く小さな口が絶叫に近い泣き声を発しかけた直前、「ねえ」と誰よりも早く男児に手を差し伸べる影があった。
「だいじょうぶ?」
童女がしゃがみ込み、弟たる男児に手を差し出していたのだった。
「けが、してない?」
「ねぇね」
小さな掌を、更に小さなそれで
立ち上がったものの駆け出せずにいた砦の脳内で、幼き日の自分と姉・奏が彼等の姿に重なる。己は彼のように強くはなかった。けれども、
「――
気付けば、我知らず吐息が
目頭が熱い。鼻の奥がつんとする。小さな姉弟のもとに駆け寄った撃鉄に悟られぬよう、飛ぶ鳶を見上げ鼻を啜った。
この先も自分は、生きていく。
家族のいない世界を、姉が残した
***
雷光が夜を裂き、雷鳴が雨音満ちる大気を
「ひー。最悪ですねもう!」
と情けない悲鳴を上げながら、豪雨の中くるるは走る。これほど激しく降雨していれば最早傘など意味を成さないので、差すのははなから諦めている。
日付が変わるか変わらないかのところでやっと残業から解放されたというのに、天はこの疲弊した体に天然の鞭を振らせるときた。大粒のそれが打ち付ける感覚はほんのりと痛く悪くないが、それよりも濡れた衣服が肌に張り付く不快感の方が強い。
「やはり鞭打ってもらうなら、見目麗しい女王様に限りますよ……」
苦々しく吐き捨てたこの言葉が雷雨に掻き消されたのは、様々な意味で幸いであろう。
げんなりと視線を右から左に落とす途中で、
「おっと」
或る場所を見つけ、進行方向を斜め左へと切り替える。それは、一軒の民家だった。今はもう廃屋であるのか、壁のトタン板は錆びて所々大きく穴が開いており、屋根のそれも端の方が朽ちてぎざぎざとしている。しかし軒先が通路側に向かって大きく飛び出ているので、屋根に穴が開いていたとて、この
路面全てが水溜まりの様相を呈しており、小走りで一歩踏み出す度に水が跳ねた。
「やれやれ」
呟いたその声は、地面を打つ雨音と、トタンを打ち付けるそれに掻き消された。軒下に入ると、くるるは小脇に抱えていた鞄を足下に起き、
それから、背広を脱いで軽く絞る。ストレッチ素材な
「ねえ、どう思います? これ」
そして彼は
「ですよねー」
ははは、と力なく笑いながら、くるるは再び背広を羽織る。降雨による様々な音によって、直ぐ隣に立っているというのに、耳を澄まさねばお互いの声が聞こえない。故に、付近に第三者が存在したとて、彼等の会話は決して聞き取れぬだろう。
「周囲に人は?」
「いないようですね。君以外に誰かいれば私の《
「それは何より」
言って、男は左手に付けた腕時計――に偽装した探知機を操作する。特に変化は見られなかったようで、「盗聴の類もないな」と告げて顔を正面へと向けた。くるると目を合わせるつもりはないらしい。
同じく、くるるも雨垂れが地面を叩き付けるさまを眺める。激しく跳ねる飛沫が
人の気配もなく、この会話を拾う存在もない。また、本日は生憎の雷雨。街を
「市街地にもまだまだこんな“穴”があるとはな」
「私の上も、そちらの上も、こういう場所を見つけ出すのが得意なようですね」
「もしくは、
視線を交錯させぬまま、二人は会話を続ける。視界の悪さも手伝って、傍目には二人が各々雨宿りをしているだけに見えるだろう。
真夜中の空を照らす、瞬間の大閃光。それに数秒遅れて、空が
「もしも、だ。もし、俺たちが今日この場所にいたことが“事情を知らない人間”に知られたらどうする?」
「やだなあ、『雨宿りをしていただけ』とか言っておきましょうよ。仮に話していたことがバレても『偶然相手が中学時代の友人だったので、昔話に花を咲かせてしまった』とでも言っておけばいいじゃないですか。『お互いの素性を知らないまま』ね」
ふん、と男は鼻を鳴らす。
「お前が普段帰宅に使う経路じゃないだろ。そのことを突かれたらどうする」
「確かにそうですが、この道は私の家までのショートカットにならないこともない。『雨も激しく、一刻も早く家に帰りたかった』と言い訳しておきますよ。それに、そもそもここはお互いの上が用意してくれた待ち合わせ場所ですしね、万一のことがあっても上手く隠蔽してくれるでしょう」
告げて、くるるは小さく笑った。同じく男もくつくつと笑う。同じ中学校に通っていた友人が、まさか警察と暴力団などという相容れぬものになってしまうとは、数年前までお互い思いもよらなかった。
不倶戴天の敵。肩書きにだけ着目すれば、確かにそうなのだろう。
しかし、先の会話から解るように、二人は――そして各々が属す組織の一部は、
双方にとって望ましくない存在があれば、情報を渡し合い様々な方法で排除する。
例えば、最近では表に不安と恐怖の種を巻き、裏の調和を乱す魔女などがそれに該当した。
「確保しましたよ、魔女」
「本当か」
「ええ。魔女とその所有物について、一通り調べ終えたら残ったものは手に入れるなり消し去るなり、後は好きにしてくれて構わないとのことです」
「解った。何か有効活用できるものがあれば良いけどな。それにしても、どうやって捕まえたんだ?」
「魔女には賞金が掛かっていましたからね、換金屋でもある私の妹分がやってくれましたよ。あまり危険なことはしてほしくないのですが……まあ、終わりよければ全て良し、です」
苦笑しつつ、くるるは軽く肩を竦めた。人懐っこい、普段と何も変わらぬ表情で続ける。
「ラーメン屋で君が教えてくれた、『魔女は、美しい換金屋の少女を狙っているらしい』という情報が大変役に立ちました」
あのとき、男から受け取った雑誌には紙が挟み込まれていた。そして、そこに書かれていたのは、裏の者しか知らぬ魔女に関する様々な情報。
「当初、その情報は他の情報とは毛色が違ったのでおまけ程度にしか考えていなかったのですが、念のため、あの子の周りを張ることにしました。換金屋の綺麗な女の子、と言えば私が知る限りあの子が断トツなので。結果的に、そうしておいて正解でした」
「魔女が狙っていたのは、お前の妹分だったわけか」
「ええ。魔女を捕縛した日、あの子、
言って、くるるははにかむように笑う。
「あの子に見付かる前に、そして義兄が気付く前に諸々回収しておかないと」
撃鉄は、くるるが警察であることを利用して廃ビル街の巡回を頼んだが、くるるも結果的に撃鉄を餌にして魔女を捕らえた。「悪い兄貴分だな」と男は呆れたように苦く笑う。
「それは否定できないですね。しかし、君が教えてくれたから、私はあの子の周辺を警戒しておくことができた。あの子にヒントを与えることができた。市民の安全な生活のために、ご協力いただき感謝いたします」
敬礼こそしていないが、完全に仕事仕様の常套句と声音。
それが現在の状況には酷くミスマッチで奇妙に思え、裏に生きる男はおかしそうに言う。
「警官組織の裏切り者め」
「任侠世界の裏切り者め」
からかうようにくるるが返せば、顔も見合わせぬまま、二人は同時に噴き出した。
ただこの時、彼等は知る由もなかった。
同刻、とある賞金首の護送が極秘で行われていたことを。
彼女を乗せた護送車が、不幸にも衝突事故を起こしたことを。
そして、この雷雨が。事故の要因となり、それから――結果的に魔女と呼ばれた女を死に至らしめる原因となったことなど。想像だにしなかったのである。
***
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