第19話:人生の憧憬
高校入学前の最後の冬。
丁度バレンタインデーが過ぎた頃だっただろうか。
香澄から例年通りに義理チョコを受け取った僕は、それが本命になる日を心待ちにしていた。
でも僕には、特出した才能はなく、カッコ良くもないただのヘタレ。
香澄のように、誰からも愛されるような美人に好かれようとするのは、はっきり言って無謀だった。
それでも僕は、何かを頑張ろうと思い立ち、不純な動機で勉強を始める事を決意した。
「涼ちゃん、どこ行くの? お出かけするならちゃんと上着着てね」
「分かってるよ母さん。ちょっと本屋に行ってくるね」
「寄り道しないで帰ってくるのよ〜」
反抗期という時期がなかった僕だったけど、あの時は母さんの言葉を聞き流していた。
寄り道なんていつもの事。父さんと通っていたゲームセンターに一人で行ったり、喫茶店で飲み物を買ったりしていた。
高校の合格通知が来て、香澄と同じ高校に通える事が嬉しくて、あの時の僕は信じられない程浮かれていた。
本屋までの足取りも、まるで誰かに後ろから押してもらっているかのように軽く、全てが希望に満ち溢れていた。
参考書が売っているコーナーで、真面目に何を買うかを選んでいる自分を何故だか凄くかっこよく感じた。
高校受験という難所を乗り越え、未来へと進んでいる自分に酔いしれていたのだろう。
そして、選んだ参考書は全くもって理解できない大学受験レベル。
見栄を張ろうとしていたのか、それともそれを目標に掲げて努力を始めようとしたのかはよく覚えていない。
最終的に四冊ほど購入し、そのままゲームセンターに向かった。
勉強しようとしているのに、遊びに行こうとしているのは、今思うととても矛盾している。
そんな事なんて考える暇もない程に有頂天だった僕は、ゲームセンターで適当な景品を獲得し、それを近くにいた少年にあげてから帰宅路に着いた。
でも、その日の僕は、何故だか近道をしたくなった。
普段通らない路地裏を抜け、繁華街の大通りに出ようと思った矢先、僕は非日常を目撃した。
「オルァッ」
金髪のイケメン高校生が、他の男子高校生八人相手に喧嘩をしていた。
そのイケメンは、僕がこの春から行くはずの高校の制服を着ていて、八人相手でも、圧倒的な強さを誇っていた。
「おい立てよ。俺を襲っておいてこんな程度で許されると思ってんのか?」
「黙れ……グハッァ」
地に倒れていた黒髪メガネの男に、金髪の男が追加の蹴りを食らわせた。
現状を上手く理解できなかったけど、金髪の高校生が一方的に危害を加えているようにしか見えなかった。
これから行く高校の評判の為にも僕はその金髪を止めなきゃいけない、という謎の正義感に駆られたけど、ヘタレの足は物の見事に動こうとはしなかった。
ただじーっとその現場を見ていた僕に、八人組のうちの一人がとても恐ろしい形相を浮かべながら駆け寄ってきた。
逃げなきゃ、と脳が指令を体に伝達し終えるよりも先に、僕はその男によって捕らえられてしまった。
男は右手で僕の関節を固め、左腕でいつでも僕の首を締められるような体勢をとり、金髪の高校生に向け一喝した。
「お、お前。大人しくボコられるならコイツは助けてやるよ」
何を言っているんだ、この人は。それが僕の印象だった。
見ず知らずの人を人質にとったって何も状況が変わる筈はない。
でも僕は、完全に巻き込まれてしまったことを悟った。
助けを求めようにも、路地裏で人通りはほとんどない。
昼間なのに夜の様な暗さのこの狭い道には、誰も来ようとはしない。
繁華街は他と比べれば圧倒的に治安が悪い。なら、
浮かれてなければ、こんなに安直なミスを犯さずに済んだのに、と思っていた僕に、その金髪の男はゆっくりと近づいてきた。
「と、止まれと言っただろ。本当に、このガキ締めるぞ?」
と言った男の力は、逆に弱まっていた。
体が震えているのが背中越しに伝わってくる。
そして、金髪の男が走り出すのと同時に、僕を捕らえていた男が僕を巻き添いにして尻餅を着いた。
「ったく。そんなんでよく俺に喧嘩売る気になったな」
その声がしたと同時に、僕の耳スレスレのところに鋭い蹴りが放たれた。
後ろにいた男は鼻から血を流しながら倒れ、他の七人もその状況を見た瞬間に逃げ出した。
その威圧と力に、僕は恐怖心よりも先に憧憬を抱いた。
その瞬間の僕にとっては、正義のヒーローにでも見えていたのかもしれない。
「巻き込んで悪かったな。立てるか?」
と言いながら、手を差し伸べてくれた。
その手は力強く僕の貧弱な手を包み込むと、優しく引き上げてくれた。
「あ、ありがとう、ございました」
「おう。巻き込んで悪かったな……」
と言った金髪の男の視線は僕の後ろの釘付けになっていた。
気になって振り返ると、騒ぎを聞きつけてやってきた警官が数名走ってこちらに向かっているのが見えた。
「おい、逃げるぞ」
「え、ええ、ちょ……」
半分引きずられるようにして、僕は今まで体感した事のないスピードで、入り組んだ路地裏を駆け巡った。
後ろを追ってくる警官の足音も次第に消え失せ、僕らは何食わぬ顔で大通りへと出た。
「本当に悪かったな。ってお前大丈夫か?」
ぜぇぜぇ、と息を切らしている僕に、金髪の男が呆れたような視線を送ってきた。
「だ、大丈夫、ですよ。助けてくれてありがとうございました」
「……なんだか懐かしい光景を見ているみてーだな。まぁ感謝される事はねぇよ。あんな所で間抜けに突っ立てんのもどうかと思うけどな」
初対面にも関わらず、気さくに話しかけてくる金髪の男に、僕は今までに感じた事のない親近感を抱いた。
「すいません。ちょっと浮かれていました」
「ん? なんかいい事でもあったのか?」
「実は、僕あなたと同じ高校に入るんですよ。ついでに……」
好きな子も一緒、と言おうとした僕の首に、金髪の男の逞しい腕が巻きついた。
「なんだよなんだよ。後輩だったのか。こりゃ運命的だな」
「は、はぁ」
少し戸惑うのも束の間、先輩は腕をほどき、僕の目の前に立って自己紹介をしてくれた。
「俺は神崎篤ってんだ。今は一年だけど、来年は二年だぜ。よろしくな」
「神崎先輩、ですか。僕は山田涼太です。よろしくお願いします」
その後、僕たちは近くのファストフード店に入った。
先輩がバスケ推薦で入学した事と、勉強が得意ではないことを聞き、その他の事もちらほらと。
僕は取り柄がないことと、香澄に対する気持ちについてを話した。
そうやって会話を重ねていくうちに、先輩はすぐさま僕の本性を見抜いた。
「お前、ヘタレだろ?」
「え、なんかひどい……」
「そりゃそうだろ。十三年も一緒にいる女に告白できねーなんて。ヘタレ以外の何者でもねーって」
「でも、僕なんかじゃ無理ですよ」
「いや、案外いけると思うぞ? ってか、そんなに可愛いんじゃ、始まる前から誰かに取られちまうんじゃねーか?」
告白することなく全てが終わってしまう。
浮かれていた僕はその可能性を全く考慮していなかった。
告白するのは恐い。今までの関係が全て壊れてしまうかもしれない。
でも、それ以上に、何もなく終わってしまう事が恐ろしい。
どちらを選んでもリスクは同じ。なら、未来がある方を選んだ方がいいのかもしれない。
そう思った僕は、ようやく決意を固めた。
「そうですね。じゃあ僕、頑張ってみます」
「お? 頑張れよ。応援してるぜ」
神崎先輩との出会いは僕を前に進ませてくれた。
そして、高校の入学式前日に、思い切って香澄をデートに誘い、港の見える丘公園で告白した。
結果がひと時の幸せだったとしても、そのキッカケを作ってくれたのは神崎先輩。
出会った頃は、今と同じような感謝の気持ちは抱いていなかったかもしれない。
いや、浮気がなければ、神崎先輩がどれほど僕のために行動してくれていたかは理解できていなかっただろう。
先輩がいるのが当たり前だった。助けてもらえるのが当たり前だった。
その日常から距離を置かれている今、僕は感じたことのない不安に駆られている。
先輩の存在は、これ程までに大きく、そして大切なものなんだ。
だから僕は、今、目の前で真実を曖昧にしようとしている
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます