第20話:過保護な少女の物語

 覚悟を決めた僕とは裏腹に、絢香さんは何かを誤魔化すかのように笑みを浮かべた。

 動揺した手つきで麦茶を飲み、僕が話し始めるのを待っているかのようだった。

 

「顔色悪いですけど、大丈夫ですか、絢香さん?」

「……うん。大丈夫だよ。ただ、篤が涼太くんを大切に想う理由が分かっちゃった気がしただけ」

「理由、ですか? でも、なんでそんな反応を……」


 すると絢香さんが自分の顔をパンパンと二回叩き、暗い表情を一新した。


「なんでもないよ。ごめんね、変な態度取っちゃって。これは私の問題だから、涼太くんは気にしないで」


 そう言った絢香さんの目は、何処と無く寂しそうだった。

 返す言葉が見つからない僕の代わりに返事をしたのは、家の前を通り過ぎたバイクの音。

 そして、しばらくしてから絢香さんが口を開いた。


「ねぇ、涼太くんはなんで篤の事がそんなに気になるの?」

「それは、何も知らない事を恐れているから、だと思います。いつも一緒にいてくれる先輩がいないと、なんだか不安で……」

「そっか。それじゃあ私とはちょと違う理由なんだね」


 自分勝手な理由だ、とか言われるかと思ったけど、絢香さんは何故か感慨深い声で受け入れてくれた。


「絢香さんはお姉ちゃんだから助けたいと思っているんですよね?」

「まぁそれもあるけどさ。他にも色々あるんだよ。罪悪感なのかもしれない、でも、とにかく守ってあげないとって思ったりさ」

「それってどういう……」


 すると絢香さんが優しい手つきで僕の頭を撫でた。

 恐怖の存在と対峙する覚悟を決めていた事が妙に馬鹿らしく感じられるほど、穏やかな雰囲気の表情。

 家に来た時とはまるで違った優しい顔に見えた。


「涼太くんは色々知りたがるんだね。まだまだお子様だ。昔の篤そっくりだよ」

「先輩が、僕みたいだったんですか? 今はあんなに強いのに?」

「っぷ。今もまだまだ弱いよ、篤は。一人じゃ何もできないくせに直ぐにカッコつけたがるんだから。いつも後始末が大変なんだよ」

「後始末って……まさか誰かを殺すって事ですか⁉︎」


 その言葉に、絢香さんがニヤッと不敵な笑みを浮かべた。


「あー、バレちゃったかー」

「え⁉︎ どういう事ですか? もしかして絢香さんはヒットマンとか……」

「っぷ。嘘だよ。涼太くんはいつから私を怖がるようになっちゃったんだい? まぁ、気弱な少年に色々と圧をかけてたのは否定できないけどね」

「なんだ、よかったです……」


 今のは冗談でも本当に怖かった。

 絢香さんの仕事がそっち方面なら、神崎先輩はきっと……


「でもなんかショックだなー。涼太くんはお姉さんがヒットマンだと嫌?」

「嫌といいますか、怖いと言いますか……もしそうだとしたら神崎先輩が心配です」

「……そっか。そうだよね」


 表情は変えずに、声音だけが暗くなったような気がした。

 唐突に押し寄せてくるのは嫌な予感。

 家業ヒットマンじゃなくても、神崎先輩はもしかしたらかなり大変な状況に……


「神崎先輩は大丈夫なんですよね? 家の事って言ってましたけど、ちゃんと帰ってきますよね?」

「ちょっとちょっと。そんなに慌てないでよ。篤はちゃんと帰ってくるからさ」


 思わず身を乗り出してしまった僕の肩を、絢香さんが優しく押し戻してくれた。


「すいません、つい心配になっちゃって……」

「別に大丈夫だよ。涼太くんが私を欲しくなっちゃったのなら大歓迎だし、それ以上に篤の事をそこまで心配してくれてるのは嬉しいからね」

「…………」

「そんな落ち込んだような顔しないで。篤から口止めされてるから色々と言えないけど、お姉さんが代わりに面白い話をしてあげよう」


 うつむいた顔を上げると、初めて絢香さんの顔を見た時のように、美しく感じた。

 でも、絢香さんには、ただ気分屋だから雰囲気がコロコロ変わる、というのでは説明がつかない事情があるのだろう。

 僕に対して威圧的になったり、優しくなったり。そしてそれら全てには神崎先輩が関わっていた。


「じゃあ始めるね……」


 と言って、軽く咳き込んだ絢香さんが、落ち着いた口調で、淡々と物語を語り始めた。


「これはとある二人の少年少女のお話です。とっても可愛くて元気一杯の少女は、小学五年生になったばかりの時に、その少年に出会いました。少年はその時まだ三歳。でも、二人の出会いは、汚れた人間関係が生んだ、とてもとても複雑なものだったのです」


***


 極道の家系に産まれた少女が十歳になった日に、顔は怖いけど優しい父親が誕生日プレゼントをくれました。

 驚くことに、それは可愛い可愛い三歳の男の子。

 金髪なのに目は真っ黒。そして何処と無くヨーロッパ系の血が混ざったような美少年でした。


 少女はとても喜びました。昔からお願いしていた、弟、がプレゼントとしてやってきた事に大はしゃぎ。

 でも、少年は三歳とは思えない程、元気が無く、話しかけてもあまり返事はしてくれませんでした。

 そんな少年は、いつも家の縁側で空を見上げていました。

 そして小さな声で力なく呟くのです。


「お母さん」


 心身ともに幼い少女には、少年の事情など理解もできませんでした。

 ただ弟ができたことに喜び、気分の乗らない少年を無理やり色々な場所に連れ回して、自己満足していたのです。


 少年は、少女の言うことに全て従っていました。

 公園に行こうと誘えば、必ずついてきて、トランプをやろうと言えばルールも分からないのに付き合ってくれました。

 でも、決して笑うことはありません。


 そして、少女が違和感に気が付いたのは、少年が家に来てから二ヶ月ほどの時でした。

 

 少年は、母親を見るとブルブルと震え出すのです。

 少女にとって、母親は父親と同じように優しい存在でした。

 だから少女は、無神経にも、母親の前でその理由を問いかけてしまったのです。


「どうしたの、お母さんは怖くないよ?」

「…………ッ‼︎」

「あ、ちょっと待って。どこ行くの……」


 少年は、何も言わずに何処かへ走って行ってしまいました。

 その日初めて、少年が自分の意思を表出させたのです。


 少女は母親を責めました。理由も分からずに、ただ理不尽に責めました。

 そして母親は少女にこう伝えたのです。


「あんな穢らわしい子には優しくしないでいいのよ」


 少女が見た母親の顔は、今まで見てきた優しい母ではありませんでした。

 妬み、嫉み、恨み、怒り。全てを秘めた、裏切られた女の顔。

 少女はそんな母親に恐怖しました。

 弟を探すという名目で、少女は靴を履くのも忘れて家から走って逃げました。


 コンクリートとは言えど、足裏に石飛礫が刺さり、苦しくなってきた少女は近くの公園に入りました。

 水道で足の裏を軽く洗い、乾いた喉を潤した後、ふと目についた大きな木の根元で、金髪の少年がシクシクと泣いているのを見つけました。


 弟を発見した少女は、足を乾かすことなど忘れ、その大きな木へと駆け寄りました。

 少年は近寄ってきた少女の顔を見ると、更に大粒の涙を流し始め、少女に抱きつきました。


「もう、嫌だよ」


 少女は、初めて甘えてきた弟を放っては置けませんでした。

 自分が母親の女の一面に怖気を抱いた事など後回しに考えるほどに、少年を心配しました。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんがついてるからね」

「うぅぅ……お姉ちゃん」


 初めてお姉ちゃんと呼ばれたことに対する喜びよりも、それほどまでに心の傷ついた少年を守ろうと思う気持ちが優っていました。

 少女は、弟が泣き止むまでずっと頭を撫で続けていました。


 そして、少年の悲哀が止まると同時に、少女は屈んで少年と目線を合わせ、細く白い手で少年の手を掴みました。


「これからはお姉ちゃんが守ってあげる。だから心配しないで」

「うん。ありがと、お姉ちゃん」


 その時から、少女は正式にお姉ちゃんになりました。

 二人で手を繋いで家に帰り、少年が寝静まるのを待ってから、父親の部屋へと向かいました。


 でも、少女は部屋に入ることができません。

 まだ明かりがついている父親の部屋の障子に、父親の前で泣いている母親の姿が映っていたからです。

 母親が去るまで息を殺し、そして父親の部屋へと入ると、頬に平手打ちの跡がある父の姿を見ました。


「お父さん、どうしたの?」

「いや、なんでもないよ。それよりどうしたんだ、こんな時間に?」

「あのさ、あの子って、何処の子なの? なんでお母さんは怖がられてるの?」

「……あの子はお前の弟だ。半分だけな。お母さんが悲しんでるのも、いつもと違うように見えるのも、全部お父さんのせいなんだ。だから心配しないでくれ」


 いつものように優しく少女の頭を撫でた父親の目には、薄っすらと涙が浮かんでいました。

 それは後悔の結晶。他人を不幸にした、自分への戒めの涙。


「心配するよ。特にあの子の事は……」

「お前はどうしたい?」

「……私、あの子を守りたいの。お母さんが虐めてるみたいだし、それにあの子、全然笑わないんだもん」

「なら、お父さんは全力でそれを手伝うぞ。あの子の事は、中々守ってやれないんだ。だから頼めるか?」


 父親の頼みは、少女にとって都合の良いものでした。


 そして、彼女が中学生になる直前に、少年が浮気相手との間に出来た子だと知らされ、少年の実の母親は病気で死亡した事も聞かされました。

 でも、唐突に話をしてくれた父親の心情はとても複雑なものでした。

 少女の母親は精神的に病んでしまい、ついに少年に暴力を振るうようになり、もう二人を同じ家に住まわせておくことが出来ない状況。


 そんな中、父親は過去の約束を果たし、少女が中学生になった時に、弟と二人暮らしするための家を買い与えました。

 家のセキュリティーは万全。父親の部下が警護し、二人を送迎する車と運転手も用意されたかなりの優遇。


 でも、少女は父親に守られてばかりな事に不満を持ち始めました。

 少年を守るのに、自分で動かせる力がないといけない。そう思った少女は、高校生になると、とある不良グループの頂点に辿り着きました。

 

 そんな少女に憧れを抱いた少年は、姉のようになるために、体を鍛え始め、その一環としてバスケットボールを始めたのです。

 バスケを始めた頃から少年は段々と元気を取り戻し、スポーツ万能なイケメンとして、学校の人気者となりました。


 そして、少女は、高校を卒業し、成人する前に、不良グループの総長を辞めました。

 それでも、少女の人柄に感銘を受けた元部下の数十名が、少女の父親の組に参加したのです。

 父親は少女の成長を喜ぶと共に、その数十名の女衆を少女の直属の部下として与えました。


 その後も、少女は少年を守ることだけを生き甲斐に生活を続けました。

 何かを頼まれればすぐに部下を動かし、望みを叶える。

 それが甘やかすことだと分かっていても、少女にとって、喜ぶ少年の顔を見ることが全てでした。


 少年が中学三年生になった時、初めての彼女が出来ました。

 少女は少年の成長と幸せを願い、一人の女性としてできる限りのアドバイスをしました。


 二人が付き合い始めて一年後、少年と彼女は別々の高校へと進学することが決まり、少年は少し落ち込む日々が続いていました。

 でも、その消沈具合は日に日に増すばかり。

 流石に変だと違和感を感じた少女は、部下に頼み、彼女の身辺調査を行いました。


 そこで見つけた浮気と言う名の現実。

 少年の彼女は、高校に入った途端に別の男と出来上がっていたのです。

 それを部下とのメールのやりとりで知らされた所に、少年がやってきてしまいました。


「姉貴、それ、本当か?」

「ち、違うわよ。これは他の人の身辺調査。ただのお仕事よ……」


 少女よりも大きな体に成長した少年は、少女を押しのけて、パソコンの画面を見てしまいました。

 そこに記されているのは、浮気相手の名前と学校。それに住所やその他の個人情報まで。

 

「俺、ちょっと行ってくる」

「ダメ、待って。暴力じゃ何も解決しないから……」

「うるせぇ!」


 少年は躊躇いもなく少女の体を突き飛ばし、怒りの形相を浮かべながら外へ走って行きました。

 追いかけようとした少女の足を止めたのは、少年の願いを叶えたいと言う取り憑かれたような願望。


 その晩、少年は血だらけになって帰宅しました。


「ちょっと、大丈夫?」

「あぁ。ケリはつけてきた。女って怖いもんなんだな、姉貴。それと、突き飛ばしてごめんな。俺のために色々やってくれてたのに、全部台無しだな」

「そんなことはいいわよ。何も心配しなくていいからね。無事でよかったわ」


 力無い少年を、少女は涙を流しながら抱擁しました。

 その後は少年が起こした事を全て揉み消す作業に追われ、少年の知らないところで彼を支え続けました。


 それでも、少年が喧嘩を売った相手は小規模な高校生不良グループのトップ。

 その日からずっと少年は襲われる日々が続き、毎日ボロボロになって帰ってくるようになりました。


 少女は圧力をかけてその小規模のグループを跡形もなく潰し、偽物の平和を少年に再び与えたのです。



 その全ては少年を守るため。

 それ以外の事にはなんの関心もない。

 ただの、過保護な少女の物語。

 


 お終い。

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