第3話:対面
翌日水曜日、普段通りに徒歩で登校している僕の隣には誰もいない。
多分、高校入学以来初めての事だろう。
僕はそこそこ裕福な家庭の生まれ。隣に住む香澄はもっとお金持ちの家のお嬢様だ。
隣人だからだけではなく、親の仕事の繋がりでも長瀬家とは関わりが深く、僕の両親も、香澄の両親も僕たちの関係を知っている。
いや、今はどうなのか分からないな。
浮気をしている事なんて親には言わないだろうし、きっと僕が長瀬家のインターホンを押さなかったことを不思議に思っているに違いない。
理由は自分の娘に聞いて欲しいところだ。
先輩の家で一時間ほど泣いた後、気分転換に三人でゲームをし、そのお陰か昨晩は思いの外ぐっすりと眠れた。
気分的には、どこか吹っ切れたような感覚……
そんな訳はない。
自分の憂患に無理やり蓋をして、仮初の感情とともに強引に体を動かしている。
今日の放課後まではこの蓋を外すわけにはいかない。
勇気が出せない僕は、こうする事でしか
予想はしていたが、授業の内容は全く頭に入ってこなかった。
授業中は常に、いつも通り平然としている香澄へ視線を向けない事に尽力していた。
見たら、蓋が外れてしまう。
現在は昼休み。体感では三十秒ほどで午前の授業が終了した。
まさに十年一日の想い。
来て欲しくない放課後を心待ちにする、矛盾した僕の想い。
友人達と食堂に向かった香澄の席の前で、僕が握りしめているこの手紙は
この白い便箋を机に忍ばせればいいだけの、至極単純な事。
それでも、いざ行動に移そうとすると、つい心の蓋が外れそうになってしまう。
今すぐこの手紙をぐしゃぐしゃにして持ち帰りたい。
でも、気弱でヘタレな僕は、こうする事でしか決断できない。
話せば分かる、なんて都合の良い事は考えられない。
僕はまだ香澄の想いを知らない。知りたくないけど、知らなければならない。
絢香さんが言っていたように、
やっとの思いで、重い便箋を机の中に配置した。
そんな僕の怪しい行動を、三人の親友たちは不思議そうに眺めている。
「りょーたー、何やってんの? 今更ラブレターか?」
何処と無く先輩に似た雰囲気をもつ、茶髪マッシュのややイケメン、
僕と同じバスケ部で、二年生の中では一番上手い。何より明るくて、クラスの人気者。
健斗の隣に座っている、科学部でオタクの黒髪眼鏡の
「いや、ちょっとね……」
三人は僕の親友だ。だったら、放課後の事を言った方がいいのかもしれない。
でも、香澄の浮気の事は言わないでおこう。別に、香澄が嫌われ者になって欲しいわけじゃないし、事実を話したら、再度嘔吐感に見舞われてしまう。
「どうした? 顔色悪いぞ。まさか、別れ話とかか? って、な訳ないよな。月曜も、部活中に体育館裏で熱いキスを交わしてたし」
「健斗氏の言う通りであります。涼太氏は長瀬氏とラブツーでありますからな」
「そうだよな。いつも羨ましい限りだ」
はははは、と三人は僕をからかうようにして笑った。
なんだか言い出し辛くなったけど、ここは言うしかないよな。
香澄の話をされると胸が痛む。だからこそ、親友の三人には僕の気持ちを理解して欲しい。
「じ、実は、そうなんだ。僕、放課後に香澄と別れるかもしれない」
「「「…………⁉︎」」」
まだ分からないけどね……とは言えなかった。
最悪の結果を、いや、現実的な未来を真っ直ぐ捉えていないと、そうなった時に僕は崩壊してしまう。
淡い期待はするだけ損だ。
「な、なんかゴメンな。でも、なんでなんだ? 悩みがあるなら相談乗るぞ?」
健斗は先輩みたいに優しい。だけど、先輩とは違う無作為な優しさが、時に僕の心を傷つける。
「いや、僕は大丈夫だよ。でも、できればこの話はもうしたくないんだけど、いいかな?」
「お、おう。本当にごめんな。だけど、俺たちはいつでもお前の味方だからな。なんかヤバかったらいつでも言えよ?」
「うん。ありがと、みんな」
その後は何処と無く気まずい雰囲気で昼休みを終えた。
午後の授業中に、少しだけ香澄からの視線を感じたが、僕に応じる気はなかった。
香澄はどうせ僕を哀れんでいるんだろう。
僕は特に取り柄もない、イケメンでもない気弱な男だ。
学年でもトップクラスの美少女は、僕をゴミのように捨てた。
こんな僕は、捨てられて、浮気されて当然なのかもしれない。
なんだか放課後が近づくにつれて卑屈になっている気がする。
きっと、無意識に自分を防衛しようとしているのだろう。
これ以上心が痛まないように、浮気をされた自分を無理やり納得させるような理由を探して安堵しようとしている。
本当はそんな事考えたくないのに……
放課後になって欲しくない。現実と直面したくない。
また先輩と絢香さんと遊んで気を紛らわしたい。
でも、次に進むためには今を乗り越える覚悟が必要なんだと、先輩は言っていた。
僕も、先輩のように堂々と胸を張って生きられる男になりたい。
香澄が浮気したことを後悔するような、いい男になる。
そのための第一歩が、辛い現実と対面し、それを乗り越えること。
キーンコーンカーンコーン
終わりの始まりを知らせる鐘が、学校中に鳴り響いた。
部活に行く前に、香澄を呼び出した屋上へと向かう。
屋上は立ち入り禁止だから誰も来ないはずだ。
そして何より、僕が香澄に告白した場所でもある。
始まりと同じ場所で、全てを終わらせたいと思った。
季節は夏前。春の暖かさが段々と薄れていき、強い風も吹いていない、落ち着いた季節。
雲ひとつない快晴が僕の悲しい門出を祝福してくれているかのようだった。
数分待っていると、古びた扉が開く音がした。
俯きながらカバンを両手で力なく持っている黒髪の美少女が、恐る恐る僕へと歩んでくる。
不安と緊張、そして恐怖に飲み込まれそうだった。
皮肉にも、愛を告白した時と同じ感情。
だが、覚悟はもう決まっている。絢香さんに言われた通り、まずは聞くところから始めなければならない。
辛い現実をより現実味溢れるものにする、自殺行為と言っても過言ではない質問。
「香澄、来てくれてありがとう。単刀直入に聞くけど、浮気、してるよね?」
「…………」
香澄は俯いたまま何も答えようとしなかった。
華奢な体が小刻みに震えている。そこまで罪悪感に苛まされているのなら、なんで浮気なんて……
「答えてくれよ。僕だってこんなことは聞きたくない……」
「涼太は、涼太は私の事何にも知らない。いつも自分の事ばっかり」
僕の言葉を遮ったのは、すべての責任を僕に押し付けようとする、悪女の怒声。
「自分のことばかりってどう言うこと? 僕はいつだって香澄のことを考えて……」
「そんなのは涼太が私に理想を押し付けてきただけじゃない! 涼太は、私の本当の気持ちなんて一度も考えたことない。それに応えようとする私の気持ちなんて考えたこともないくせに。だから私は、私は……」
「気持ちを考えてないのはどっちだよ。昨日の光景をみて、香澄が、お前が浮気してるところを見て、僕がどれだけ悲しんだのか分かってないのかよ?」
生まれて初めて荒々しい口調になった。
そして、それを機に僕の鬱憤は限界に達した。
「二歳の頃からずっと一緒にいて、去年やっと恋人になって、手を繋いで、ハグして、キスして……今まで僕が見てきた純情で純粋な香澄は全部偽物だったのか⁉︎ どうして不満があったなら言ってくれなかったんだ? どうして、浮気なんてしたんだよ!」
「……だから言ったじゃん。涼太は何も分かってない。私は……涼太が思ってるほどいい子じゃない。浮気する、汚い女。涼太のことなんて今は一ミリも好きじゃない、純情な少年を騙し続けていた、ただの悪女」
香澄の冷徹な言葉に、僕は言葉を失ってしまった。
自分のことを蔑む少女。僕は、こんなに悲しそうな香澄の顔を見たことがないかもしれない。でも、嘘をついている口調じゃない。
「私は
「か、香澄?」
「もういい? 私、これから和人くんとデートだから行くね。じゃあバイバイ、山田涼太くん」
悲しそうな顔を押し殺して、強気な悪女の顔で香澄は去っていった。
僕は分からなくなってしまった。
香澄が嘘をついてるのか、本心で言っているのか。
あんな喋り方をした香澄は、十四年間で一度も見た事がない。
それに、僕を自分から遠ざけようと、無理やり突き放している感じだった。
いや、それは僕の未練がましい想いが生んだ虚像だ。
本人以外には本当の感情なんて分かるわけがないじゃないか……
こうやって、ヘタレな僕は覚悟を決めたくせに都合のいい解釈をして自分を守る事に必死になっている。
もう自覚しよう。逃げても逃げても残酷な現実は必ず僕に追いついてくる。
なら、僕は今静かに流れている涙と共に別れを告げたい。
「さようなら、長瀬香澄さん」
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