第8話:現実への懐疑

 昼休みの終わりに教室に戻ると、教室内では未だに僕たちの別かれ話が花を咲かせていた。

 長瀬に群がる女子たち。全員の質問に冷静に答えている長瀬本人。

 僕たちが昨日まで付き合っていた事なんて、もはや誰も気にしていないんだろう。

 僕も気にしない……ようにしないと。もう終わったんだ。今は長瀬とは別の道を歩んでいるんだから。


 正義が男子によく言付けておいてくれたから、まだ少し傷心している僕に群がってくる無神経な男子はいなかった。

 でも、女子はそうじゃない。特に、長瀬の親友でこのクラスのリーダー的存在の女子、茶髪ポニーテールで貧乳の女子バスケ部員、野田真帆のだまほさんはかなりしつこい。

 

 放課後の現在、先輩との待ち合わせ先に向かおうと教室を出ようとした所で野田さんに捕まった。

 さっきから無言を貫いている僕が、どうにも気にくわないらしい。


「山田、あんたまだ香澄のこと好きよね? 先月デートしたなんて嘘ほざいてるくらいだから、どうせ未練タラタラなんでしょ? でも、香澄が嘘つき呼ばわりされるからやめてくれない?」


 野田さんを始め、女子は長瀬の裏の顔など全く知らないようだ。

 長瀬の肩を持つからって、僕は野田さんと他の女子を嫌いになろうとは思わない。

 と言うより、こんな理由で嫌悪感を抱いたら、僕は長瀬の嘘が真実であると無意識に肯定していることになる。

 だから僕は何も言わないし、故意的に長瀬を悪者にしようとも思わない。

 長瀬は僕にとっての悪女であって、他の誰の悪役でもないから。


 「……野田さん、そこ、通してくれる?」


 「––––––っ⁉︎」


 野田さんが忿怒ふんぬの表情を浮かべた。

 なんで関係のない人たちがこんなにも僕の事情に口を出そうとしてくるんだろうか。

 野田さんは長瀬を守ろうとしているのだろう。だけど、他の女子はただゴシップに騒いでいるだけ。

 そして僕は今みたいに完全に邪魔者扱い。

 黒髪美少女には、茶髪のイケメンの方がお似合いだと言う事だ。

 

 「あんたは何が言いたいわけ? ハッキリしなさいよ。そんなんだから香澄に振られるんでしょ? 優しさと気弱さは違うって事分かってないわけ? 黙ってないで、なんとか言いなさいよ」


 野田さんは僕から何かを聞こうと必死過ぎる。

 まるで不安に駆られていた時の僕のように。何かを知りたくて堪らない、そんな表情。

 真実を追い求めようとしていた、少し前までの僕と同じ面持ち。

 もしかして、野田さんは……

 

 「……野田さん、もしかして、長瀬を疑ってるの?」

 「っ⁉︎ そんな訳、ない、わよ……」


 僕の単純な質問に、野田さんは衰勢した。

 やはり、彼女はただ親友である長瀬を信用したいだけ。

 女バスの野田さんは、僕が部活の合間に体育館裏で長瀬とキスしていたのを度々目撃している。

 毎回毎回、男バスと女バスの人にからかわれていた。その中にはもちろん野田さんもいた。


 の時も、野田さんは健斗と真っ先にからかいに来たのを覚えてる。


 だからこそ、野田さんは長瀬の主張に疑心を抱いている。

 親友が嘘をついているんじゃないかと言う最悪の疑念。

 もし健斗が浮気を隠していたら、僕はどう思うだろうか?

 誰よりも、何よりも親友を信じたい。きっとそう考えるだろう。


 野田さんは何も悪くない。

 けれど、僕と長瀬の関係が破綻したことで、野田さんは被害を被ってしまうかもしれない。

 それは九割以上長瀬のせいだろう。でも、残りの一割は僕の責任だ。

 最愛の人の本性を見抜けなかった、間抜けな僕の責務。それは、野田さんを安心させてやる事。

 こんな事して何になる。神崎先輩と健斗はそう言うかも知れない。

 でも、敵が一人増えるくらいで野田さんが救われるならそれでも良いかな。


「野田さん。僕たちは二ヶ月前に別れた。僕が見栄を張って嘘ついてた。ごめん」


 すると野田さんの目元に涙が浮かび始めた。


「そんな悲しそうな顔して言われても信じられるわけないでしょ⁉︎ 私は認めたくない。香澄が嘘をついてるなんて認めたくない。だけど、本当はもう分かってるの。親友が嘘を言ってるって。それにあんたは優しすぎるんだよ。こんな私のために、あんたは傷つくことなんてない。だから……」


 僕は傷ついているのだろうか。

 敵が増える事で、周囲から誤解される事で傷心しているのだろうか。

 そんな事も分からないなんて、僕はやはり心を閉ざしているのかもしれない。

 いや、心に蓋をするのはつまりそう言うことだ。

 僕は自分でこの凍結した心情を望んでいる。

 

「ううん。僕は嘘を言ってないよ。だから野田さんは今まで通りにしてくれよ。長瀬は僕の悪役であって、みんなの悪役じゃない。野田さんが、こんなつまらない事で親友を失って良い訳ない。それに、野田さんがそんな風に思っていたら、クラスの女子はみんな長瀬を敵視しちゃうでしょ? 僕には健斗と、智樹と正義、それに神崎先輩だっている。これ以上、味方を増やしたいだなんて思ってないから、長瀬を支えてあげて。僕は裏切られたけど、長瀬がくれた幸せは偽物じゃない。十四年間も、僕は幸せであり続けたんだから」


 口をひらけば自然と言葉が出てくる。

 冷淡に言葉を紡いだ。でも、そこには本音も混在している。

 裏切りに対する憤りの中に、過去の長瀬に対しての感謝の念があったのは嘘じゃない。

 だからもうどうでも良い。長瀬を敵視しても、いくら嫌いになっても僕にはなんのメリットもない。でも……

 

 矛盾……してるな………………


 蓋を閉じているせいなのか、ただ混乱しているだけなのか。

 どちらにしても、僕は何が正しくて、何が間違っているのかが分からない。

 どんな感情を抱けばいいのかが、分からない。

 やっぱり、蓋をして全てを封じる事が過ちなのかな……


「……あんたの気持ちは分かった。それに、そう思ってるのは私だけじゃないから。みんな香澄を疑ってる……でも、せめてもの感謝として私がこの状況を収めてあげる。だけど、女子全員が私の言う事を聞かないのは分かってよね? 出来る限りのことだから」


 みんなが長瀬を疑っている……

 あんなに仲よさそうに見える女子達は、みんな長瀬の浮気を見抜いているのか。

 長瀬が平然と嘘をつく姿を見て楽しんでいるのだろう。

 その状況は、僕にとっては好都合なのかもしれない。


 でも、僕はそれを望んでいない。


 ゴシップによる被害は僕にも及んでいる。

 けど、そんな事は微々たる理由に過ぎない。


 この矛盾した難解な感情こそが僕にそう思わせる原因。


 それは分かっている。なのに分からない。

 何が分からないのかも僕には分からない。


「ありがとね、野田さん。じゃあもう行っていいかな?」

「うん。悪かったわね」


 野田さんが悪かった……訳はない。

 こんな状況で、まして自分の親友が関わっているとなれば不安に駆られるのは普通。

 周囲の女子が悪ふざけで親友を傷つけているのなら尚更の事。

 異常なのは自分の感情も理解していない僕の方だ。


 「いいや、それが普通だよ。きっと異常なのは僕だ。自分でも驚く程に冷静でいられる。こんな自分が怖くて堪らないよ……」

 「……あんたは普通よ。異常なのは私たち。他人の事で騒いで、勝手に盛り上がってる輩こそが異常よ。だから安心しなさい。あんたはただ優しいだけだから」


 野田さんの言葉に、目頭が少しだけ熱くなった。

 蓋に乗せておいた重石を、野田さんの言葉が少しずらしたのかもしれない。

 再び戻りかけてきたのは、悲哀と憎悪が入り混じった感情。

 

 でも、それを自由にしちゃいけない。 

 心を閉ざす方が、何倍も楽で、ちゃんと前を向いて歩み続けられる。


 僕はまた強引に蓋をして、歩み始めなければならない。


 「ありがとね、野田さん」



 野田さんと別れ、下駄箱を出た僕は、予測していた最悪の光景を目にしてしまった。


 親友たちが校門を出た所で長瀬を取り囲んでいる。

 

 健斗達の気持ちも十分に分かる。それは野田さんが長瀬を思う気持ちと似たようなものだろう。

 でも、それは僕が望んでいる事じゃない。

 もしかしたらこうなるかも、とは予測していた。

 それなのに、三人にそれを伝えなかったのは、蓋に開いている小さな穴から漏れ出た憎悪のせいだろう。

 心のどこかで、無意識に長瀬の不幸を懇願している自分がいる。


 それは分かっていた。


 だけど、復讐しても何も生まれない。先輩の家で寝る前に、絢香さんがそう教えてくれた。

 だから僕は三人を止めなきゃいけない。


 少し重い足を動かして走って向かった。


 親友達を巻き込まないように元彼女を守るために

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