第15話:他人から奪った幸運

 千野先輩のテスト前日の木曜日。

 あの日から丁度二週間が経ち、教室内で香澄の新彼氏について話す女子はいなくなった。

 香澄を虐めるのにも飽きたんだろう。他人に関する興味なんてそんなもんだと思う。


 それでも、野田さんの目は未だ濁りきっている。 

 苦悩を抱え込んでいるような、そんな表情。

 香澄の事情を知らないふりをしているから、だけだと説明が付かない程に疲れ切った顔をしていた。

 少し心配になって話しかけてみても、「大丈夫だから、あんたは自分の事を心配してなさい」とだけ言われ、僕を避けるかのように去っていった。


 確かに僕はまだ傷心している。それでも他人を心配できる程には回復している。

 あの黒バイクを見ても、以前と比べれば微々たる程にしか嫉妬心にかられない。

 慣れ、と言ってしまえば簡単に説明できる。でも、それとは少し違うような気もしなくない。

 多分、いや確実に僕はそう思える理由を知っている。


「涼太くん、大丈夫か? 夢花にいじられるの嫌で気絶したんか?」

「もー。愛ちゃんなんかヒドい! 涼太くんは私のツインテパンチで心地よくなってるのよ!……多分だけど」


 現在、校舎裏の階段で昼食を取っている。

 さっきから僕の背中をペシペシと叩き続けている飯島先輩。

 それを止めもせずにただ面白がって僕の隣で見ている千野先輩。

 そして一段下に腰掛けている神崎先輩と山内先輩、それに親友三人組。

 今日は初めてこのメンバーでお昼を一緒に食べる事になった。


 校舎裏には程よく陽の光が差し、なんとも言えない心地良さが僕の全身を包み込んでいる。

 決して飯島先輩のツインテパンチが気持ちいわけじゃない。だけど、心に余裕ができたおかげで、僕は周囲の状況についても考えられるようになってきた。

 考えに耽ってボーっとしてしまうのは少し難点ではあるけど……


「涼太はやっと本調子に戻ってきたみたいだな。いつも通りの間抜けな後輩に見えるぞ」


 そう笑いながら、からかってくる神崎先輩。

 いつも通りの笑顔の筈なのに、優しい仮面の下には不穏な秘密が隠されている。

 好奇心、ではなく心配だから知りたい。

 でも、今はその想いを表情に出しちゃいけない時だ。

 

「お陰様で少しマシになってきました。それより先輩、明日のテストは大丈夫ですか?」

「ま、まぁ……落ちはしないと思うぞ? 愛よりはいい点取れると思うぜ」


 神崎先輩から嘲笑の視線を受けた千野先輩は、なぜか胸を張って立ち上がった。


「篤、あんたウチをなめとるな? ウチは二週間みっちり秘密の特訓してたんやで? あんたみたいなアホにまけるかっちゅうねん」

「愛、お前、関西弁隠さなくなったのか?」


 神崎先輩の指摘に、千野先輩は少し固まった。

 二人でいるときはいつも関西弁だから、僕にとっては違和感なかったけど、そういえば他の人には隠してたんだっけ。


「せ、せやせや。関西弁の方がやり易いのやっと分かったんや。明るい感じでええやろ?」


 それって、僕が前に言った……


「まぁ確かにそうかもな。いい先生を見つけたみたいで何よりだよ」


 そう言いながら、神崎先輩は怪しげな視線を僕に向けてきた。

 何故か顔が赤くなってしまう。からかわれる感覚は久しぶりでなんとも言えない恥じらいに襲われた。


「なんや篤、知っとったんか? そういや、なんであんたは勉強会こうへんかったの? 涼太くんは毎日誘っとったんやろ?」

「……俺は一人で勉強した方が集中できんだよ。それに色々やる事あってな。まぁもうちょいで終わりそうだから、その後にまたみんなで遊ぼうや」

「んー? まぁええけど。一人で勉強してた事、後悔することになるでー!」

「お前に負けたら俺がみんなに焼肉奢ってやるよ。お前が負けたら、そうだな……教卓の上で一発ギャグやれ」

「ええで! その賭け乗った!」


 千野先輩は確かに勉強できるようにはなった。

 でもそれは、前と比べて、に過ぎない。

 高校範囲に入った途端に進行スピードが落ちて、理英が完璧とは言えない出来のままだ。

 もし千野先輩が負けたら、僕も先輩の教室に行って一発ギャグを見せてもらおう。


 そう思っている僕を他所に、親友三人は千野先輩の一発ギャグよりも焼肉の方に期待しているようだった。


「千野先輩、マジ頑張ってください」「焼肉いいでありますなー」「応援してます」


 でも飯島先輩達はもうすでに諦めムード。 


「焼肉食べたかったなー。まぁしょうがないか。一真はどんな一発ギャグが見たい〜?」

「んー、面白くないやつをみたいな。滑ってる千野は興味深い」


「ちょ、二人も応援してやー」


 それぞれ違う反応。だけど、千野先輩の慌てた様子を見て、みんな笑っている。

 二週間前に初めて集まった仲なのに、これ程互いに対して無防備になれるのは、人間の順応性の高さ故だろう。

 短い期間だから上部っつらだけ繕っている、とはとても思えない雰囲気。

 もしそうだとしても、僕はこの幸福感に溢れた空気が好きだ。

 一生続いてもいいと思える程に、僕は満足している。


 翌日、放課後。

 神崎先輩はテスト終わりにそのまま帰宅したらしく、部活には顔を出さなかった。

 三年生は今日は自由参加だから誰も気に留めていなかったけど、神崎先輩なら来ると僕は思っていた。

 きっとまた例の用事、なんだろう。


 部活を終え、体育館を出たところで、千野先輩に捕まった。

 健斗に何やらからかわれたけど、それ以上に千野先輩の満悦気な表情に意識を奪われた。


「涼太くん! ウチやったで! メチャメチャいい出来やと思うよ!」

「よかったですね。二週間教え続けた甲斐がありましたよ」


 まるで自分の努力が報われたかのような幸福感に胸が踊る。

 でも、直後に襲ってきたのは言葉にならない虚無感。

 勉強会と言う名の建前を僕は失ってしまった。

 これからは千野先輩と接する機会も減っていくのか……

 

「ホンマ、涼太くんのおかげやで! じゃあ帰ろか」

「え、でも家の方向は逆だし……」

「そんなん気にせんと、とにかく着いてきてや。涼太くんにお礼したいねん」

「お礼、ですか……?」


 そんな僕の疑問は、すでに前を歩き出していた千野先輩には届いていなかった。

 機嫌良さそうに鼻歌を歌い、軽やかな足取りで進んでいく先輩。

 お礼がなにかは気になるけど、僕は不思議と満たされていた。

 また、太陽の側にいられる。それが嬉しくてたまらなかった。



 繁華街で現在開催されている福引き大会。

 その会場の前で、千野先輩は立ち止まった。


「涼太くん……」


 僕の名前を呼びながら、カバンの中をガサガサと探り始めた千野先輩。

 まさかお礼って……


「あったあった。これや!」


 勢いよく取り出されたのは二十枚ほどの福引券。

 よくこんな数を集めたなぁ。僕はもらっても無くしちゃうよ。


「それが、お礼ですか?」

「せやせや。二十三回ガラガラできんやで! 当たったやつ涼太くんにやるわ」

「あ、ありがとうございます」


 今までもらった事ない形のお礼に少し戸惑いながらも、先輩から福引券を受け取った。

 満面の笑顔を浮かべている先輩の前を歩き、会場を仕切っているおじさんの元へと向かった。

 

 特賞はペアの温泉旅行券。

 一等賞はニャンターランドのペアチケット。

 それより下はお米とか生活用品などが名前を連ねている。


「え、えーと。これ、全部お願いします」

「にいちゃん、結構持ってんねー。じゃあ二十三回どんどん回しちゃって」


 福引券を渡し、ガラガラ回るやつの小さな取手に手をかける。

 温泉旅行とかはいらないよな……それにお米もいらないし、何が当たりなのかがよく分からない。

 当たったら全部先輩にあげようかな。


 ガラガラガラガラ


 カランカラン、と二つの白い玉が出てきた。

 これはハズレだよな。おじさんも何も言ってないし。


 その後も回し続け、十三回目で赤色の玉がでた。

 これは……


 「一等のニャンターランドのペアチケットの大当たり!」

 

 ハンドベルを鳴らしながら、おじさんが大声でアナウンスした。

 ペアチケットか。花ちゃんにでもあげようかな。

 と思っていると、千野先輩が嬉しそうに僕の背中を叩いてきた。


「すごいやないか! これで今度遊びに行くとこ決まったな! どうせならあと二回当ててや。みんなで行こ」


 あ、そうか。ニャンターランドに遊びに行けばいいのか。


「いい案ですね。じゃあ頑張ってみます」


 とは言ったものの、完全に運次第なこの福引大会では、一等をあと二回引くことはできなかった。

 それから二十回目までの当たりは米が二俵分とポケットティッシュ六個。

 そして残り三回は全て四等の食器セットだった。それはそれで逆に凄い。


「すいません、チケット当てられませんでした」

「ええってええって。他のみんなには自腹してもらえばええんやもん。涼太くんにいっぱいお礼渡せてよかったわ」


 周囲にはかなりの景品が並んでいる。

 とてもじゃないけど、家に持ち帰る気にはなれない。

 チケットだけ貰って、後は先輩にあげようかな。


「先輩、僕はチケットだけでいいので、他はどうぞ」

「え、ホンマか? もしかして嬉しくなかったんか?」

「いえいえ、そんなことはないですよ。ただ、家に持ち帰っても置く場所も消費する人もいないと思うので、できれば貰っていただきたいのですが……」

「ええよ! ウチが貰う! やっぱ涼太くんはええ子やな」


 と言いながら、先輩は嬉しそうに米俵を担ぎ始めた。

 当たった時から物欲しそうな目をしていたのには気づかないふりをしておこう。

 福引券は元々僕のためなんかに使うはずじゃなかった筈だ。

 お米とかを当てて食費を抑えようとしてたんだろう。

 先輩はお母さんを支えるために尽力しているからそれが分かる。


 その後は思い米俵とその他の景品を担いで千野先輩の家まで行き、玄関前に荷物を全てを下ろして、僕はそのまま帰宅した。

 

 繁華街を通って帰っていると、この前見た絢香さんの部下の直美さんと、神崎先輩が二人が路地裏の入り口辺りでただただ立っていた。

 用事っていうのは繁華街にあるのか?


「神崎先輩、こんな所で何してるんですか?」


 と唐突に問いかけると、神崎先輩は幽霊でも見たかのように驚いた。


「お、おお。涼太か。今ちょっと姉貴を待っててな。お前こそ、制服のままだけど、一人で寄り道か?」

「僕は千野先輩と福引大会に行ってただけですよ。あ、そういえば神崎先輩、来週の日曜日は暇ですか? ニャンターランドに行こうって話してるんですけど……」


「おー、それは楽しそうだね〜、涼太くん」


 その声の持ち主は僕の背後から肩に手をかけてきた。

 振り向いた先に見えたのは、久しぶりの顔。絢香さんだった。


「絢香さん。お久しぶりです」

「うんうん、いい感じに元気になってるみたいでお姉さん嬉しいよ。これも愛ちゃんのおかげ、かな?」

「え⁉︎ なんでそれを……」


 神崎先輩に視線を移して確認しようとしても、「俺じゃない」と首を横に振っていた。

 じゃあ一体どうやって知ったんだ……


「いいからいいから。そんな事より、遊園地楽しそうで何よりだよ。でもごめんね涼太くん、篤は今家の手伝いしてくれてるから行けないんだよ。今度お詫びに私と二人っきりで行こうね!」

「姉貴、それだとお詫びって言うより罰……」

「ん? どうしたの、篤?」

「よ、よかったな、涼太。てことで俺は行けねーんだ。ごめんな」


「わかりました……、じゃあまた忙しくなくなったらお願いします。家のこと頑張って下さい」

「おう。ホントごめんな。今度なんか奢ってやるからさ。じゃあまたな」


 神崎先輩たちは路地裏へと消えていった。

 用事ってやっぱり絢香さんが絡んでいたんだな……

 それだと大したことない用でも先輩は断れないだろうし、でも絢香さんが僕に直接断るってことは相当……


 考えると不安になってしまう。

 もし先輩が何か問題に巻き込まれていたらどうしよう。

 もし先輩の未来が危うくなっていたらどうしよう。

 それになんで厄介ごとに関与しているんだ?

 心当たりがあるとすれば和人を殴った事だけだけど、先輩は何か対策していたみたいだし……


 もしそうだとしたら、先輩は僕のせいで……


 そう思った僕は、今すぐ先輩を追いかけるべきだった。

 でも、何故か足がすくんで動かない。

 路地裏全体に立っている柄の悪そうなお姉さん達が、鋭い視線のみで僕の進行を阻んだ。

 

 そして遠くを歩いている絢香さんの声が聞こえてきた。


「涼太くんは早く帰りなね〜! そうじゃないと、お姉さんが食べちゃうよ?」


 初めて絢香さんに恐怖した。

 先輩が姉を恐れている理由。それは僕に見えていなかった事実が原因。

 そして僕はその一部を今垣間見てしまった。


  ––––何もできなくてごめんなさい、神崎先輩。

 



 

 

 

 


 

 

 

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