第16話:虚像

 あの日から、神崎先輩は一週間学校に来なかった。

 千野先輩曰くただのサボり。でも、僕はサボリではないと確信できる理由を知っている。


 そんな複雑な心境とは矛盾した、華やかな雰囲気が僕の目に前に広がっている。

 

 大規模な遊園地、ニャンターランド。


 小さい頃は猫のお化けにしか見えなかった、ブサイクな人型のネコが主題のテーマパーク。

 ジェットコースターにバイキング、それに観覧車など、様々アトラクションが混在した夢の遊び場。

 最後にここに来たのは殆ど一年前。人生で初めてキスをした、思い出の日。

 そんな感傷に浸るのも束の間、僕は笑顔を作り続けなければならない。

 周りにいる七人の楽しみを、僕の憂鬱でぶち壊すわけにはいかないから。


 今日は何故か野田さんも参加している。

 僕と同じような、苦悩の念を瞳の奥に宿しながらも、ニコニコとしながら親友三人組と会話をしている。

 でも、僕の事はあからさまに避けている。近づけば離れ、声をかけようとすれば智樹たちに話しかけに行っている。

 野田さんの事情はわかっているつもりだけど、それ以上の何かを隠しているんだろう。

 

「おーい、涼太。ぼーっとしてっけど大丈夫か?」


 ただただ無言でみんなについて行っている僕に、健斗が声をかけてきた。

 

「うん、大丈夫だよ。少し寝不足かもしれないけどね」

「そうか? てかさ、お前ペアチケット当たったからここ来たんだろ? なんで千野先輩と二人で来ようとは思わなかったんだ?」


 からかいの眼差し。健斗は僕と千野先輩の仲を色々と疑っているようだ。

 でも、先輩がみんなで行こうって言わなければ、僕は先輩と二人で来ていたかもしれないな。


「それは先輩がみんなで行こうって提案したからだよ。それに健斗こそ、なんで急に野田さんを誘う気になったの?」

「そ、それはよ……なんだ、その、最近アイツ元気無かったみたいだし、クラスの女子のリーダーが黙りこけてんのもなんか変だろ?」


 そう言い訳した健斗の頬は、僅かながらに紅潮していた。

 健斗は一年の時から野田さんの事が好きだ。本人から直接聞いた事があるわけじゃないけど、言動を見ていれば分かる。


「まぁ、そうだね。でもいいアピールにはなってると思うよ?」

「ぅ、うるせーな。ったく、お前の方もいい感じなんだろ?」

「僕? 僕は特に何もないけど……」


 言葉を濁しかけた僕の首回りを健斗が腕で固めた。

 

「お前も正直じゃねーなー。好きなんだろ? それならいいじゃねーか。俺も協力すっからさ」

「うーん、好きなのかな? 多分恋愛的に好きって訳じゃないのかもしれないかな……」


 ハッキリと断言はできなかった。 

 気持ちに整理がつききったわけじゃない。千野先輩の事は尊敬しているし、一緒にいて楽しい。

 でも、二つの大きな蟠りが、その想いを恋愛感情へと進化させてはくれない。

 まとまりのない混沌とした心情のまま、先輩を好きになってはいけない気がする。


「みんな! 次あれ行くで! ローラーコースター言うんか、ジェットコースター言うんか分からへんけど、あれ乗るで!」

 

 園内の轟音にも負けない千野先輩の声。

 今日一番はしゃいでいるのは間違いなく先輩だろう。

 走って直ぐに何処かへ行ってしまう千野先輩を追うのに、僕たちは毎回必死になっていた。

 二人で来てたら先輩はこんなに楽しそうにしてくれたんだろうか?

 そう考えると、やはりみんなで来て正解だったと思う。



 今日は比較的空いていて、人気のジェットコースターでも待ち時間は十分ほど。

 自然な流れで僕は千野先輩と相席することになった。


「楽しみやね、涼太くん! ウチここ来るん今日が初めてなんよ」

「ホントですか? なのによくジェットコースターに乗る気になりますね」

「そりゃそうや、何事も挑戦が大切なんよ。お母ちゃんがそう言っとったよ。それにみんなキャーキャー叫んどるし、楽しいんやろ?」

「楽しいですけど、個人差があるかもしれませ……」


 ジリジリジリジリ


 僕の言葉は、出発を知らせるベルの音にかき消された。

 大興奮の千野先輩は、安全バーをしっかりと掴み、注意書きに記されているお手本のような姿勢で目を輝かせていた。

 その横顔はきっと脳裏に一生焼きつくのだろう、と思わせるほどに美しく、今まで緊張もせずに普通に接していられたことが不思議に感じられた。


 その美しさはきっと憧れ。

 様々なことに挑戦する前に理由をつけて辞めてしまうヘタレが抱いた憧憬。

 先週の金曜に、僕は神崎先輩を追いかけるべきだった。

 それが迷惑だとしても、何も知らないままでいい筈がない。

 自信過剰と捉えられてしまうかも知らないけど、神崎先輩が問題に巻き込まれたとしたら、それは確実に僕のせいだ。

 和人が何者なのかは分からない。でも、有名私立校の生徒みたいだし、そんな相手に手を出した先輩はきっと……


「キャーーーーーーー」


 落下によるGと先輩の叫び声が僕を現実に引き戻した。

 そういえば、僕はあんまりジェットコースターが得意じゃないんだった……

 気持ち悪い。


 

 「大丈夫か、涼太くん?」


 ジェットコースターを降り、ふらふらと歩いている僕に千野先輩が声をかけてくれた。

 近くのベンチに腰掛け、健斗が買ってきてくれた二本の水を……ん、二本?


「お前らジェットコースターダメならダメって言えよ。ヘタレはまだしも、野田までダメだとは思わなかったぞ」


 隣に視線を移すと、僕と同じ状態の野田さんが弱々しくペットボトルの蓋を開けていた。


「別に苦手なわけじゃないわよ。ただちょっと寝不足で……」

「ったく。お前らちょっと休んでろ。千野先輩が他のジェットコースター行きたそうだからさ。後で迎えにきてやるからちょっと待っとけ」

 

 全員に視線を向けられ、千野先輩が誤魔化すかのようにそっぽを向いた。


「先輩、僕たちは休んでますから、行って来てください」


「りょ、涼太くんがそう言うならええか。じゃあみんな、レッツゴーや!」


 と言って元気よく歩き始めた。

 自分の後ろで全員が呆れた表情を浮かべていることなんて気づいていないんだろう。

 でも、僕なんかのせいで先輩の楽しみを奪いたくはない。

 

「じゃあ行くけどよ、本当に大丈夫か?」

「ありがと健斗。もう少し休んだら合流するよ。何かあったら連絡するから」

「おう、じゃあ後でな」


 最後に健斗が去り、僕は野田さんと二人っきりになってしまった。

 別に嫌なわけじゃない。でも、野田さんはそうは思っていないかもしれない。

 なんとなく気だるそうな表情で、ゆっくりと水を飲んでいるだけ。

 

 かなり気まずい雰囲気だ……


 さっき乗ったジェットコースターから聞こえてくる絶叫と背後のアトラクションのBGMがこの偽物の静寂の中で一際目立っている。

 みんなと話していた時は気がつかなかった、音楽のベース音が鮮明に耳に入ってくる。

 そっと横を見ても、野田さんはおでこにペットボトルを当てて体調の回復に努めているだけで、視線は青空に向けられている。

 話しかけるべきなのか、そうじゃないのか……


「ねぇ、アンタ今楽しい?」


 視線を変えずに、野田さんが唐突な質問を投げかけて来た。


「楽しい、かな」

「かな、って。相変わらずヘタレらしい曖昧な答えね」


 とても優しい口調。でも表情は堅いままで、口が動いていることが辛うじて視認できるほどだった。


「野田さんは楽しい?」

「私は……まぁ、家にいるよりはマシかな。楽しい雰囲気だと嫌なこと忘れられるからね」


 嫌なこと……きっと触れてはいけない事柄なんだろう。

 今までそれとなく聞いてみても、何も答えてくれなかったのが何よりの証拠だ。


「僕もその気持ちなんとなく分かるよ。と言うより、きっとみんな分かるだろうね」

「そうね。ヘタレでもそのくらいは知ってるみたいで安心したわ」


 そう言いながら、野田さんがベンチから立ち上がった。


「ちょっとお腹すいたから、どこかレストラン行きましょ。軽食が食べられそうな場所とか知ってる?」

「それなら観覧車の近くにあるはずだけど、体調大丈夫なの?」

「平気よ平気。もうだいぶマシになってきたわ。でも、アンタいいの? 私とどっか行くと、千野先輩に誤解されちゃうんじゃないの?」


 健斗にそっくりな口調で、僕をからかってきた。

 野田さんは僕みたいな気弱な男子からしたら天敵にもなりうる存在なのに、不思議と親近感を抱ける存在だ。

 友達想いで実はすごく優しくて、本当に健斗と似ている。


「僕は大丈夫だよ。じゃあ行こうか」


 

 健斗に連絡してから、レストランへと向かった。

 なかなか返事がこないあたり、千野先輩がみんなを連れ回しているんだろう。

 先輩への恩返しになっているのかどうかわからないけど、できる限り楽しんで欲しい。


 レストランと言っても喫茶店風な店で、僕はメロンソーダを頼み、野田さんはサンドウィッチとお茶を頼んだ。

 着席するまでは先程のような会話は特になく、また少しだけ野田さんの表情が落ち込んできた。

 沈黙が訪れた時、現実に対する不安が押し寄せてくる感覚は僕も痛いほど分かる。

 だから、一瞬でもいいから力になりたい。


「の、野田さん。サンドウィッチに何が入ってるの?」

「ん? ハムとチーズだけど……どしたの、急に?」

「いや、ね。美味しそうだなーと思ってさ」


 会話がこんなにも難しいと感じたのはいつ以来だろうか。

 冷や汗が流れ落ちて来そうな僕に、野田さんがサンドウィッチを一つ差し出してきた。


「食べたいなら言えば良かったのに。一個あげるから、ヘタレ卒業しなさい」

「ありがとう、でもサンドウィッチじゃヘタレ加減は治らないよ……」


 冗談を真に受けた僕を見て、野田さんの表情が少しだけ和らいだように見えた。

 気のせい、じゃないといいな。


「ほんと、アンタはヘタレのまま変わらないわね。でも、少し元気出てきたみたいね?」

「うん、みんなのお陰でね。でも、たまに空元気なんじゃないかって思うんだよ」

「空元気でもいいじゃない。人間なんて感情を誤魔化し続けて生きているんだから。きっと空元気がちゃんとした元気になる日がくるわよ」


 何かを悟った表情でお茶を啜り始めた野田さん。

 野田さんも何か辛い目にあったことがあるんだろうか?

 自分の希望を淡々と話しているような口調だった。

 誤魔化しに誤魔化し続けて、今の不安を無い物にしたいと願う、少女の姿。

 

 でも、いくら誤魔化しても本心は完全に消すことなんてできない。

 きっとその内後悔として自身に降りかかるんだろう。

 今僕はそれを恐怖しているのだから。


「そうなるといいけどね……それよりも、野田さんも元気出してね」

「アンタに心配されるようじゃ私もお終いね。でもそうね、頑張らないといけない、か。みんなあんなに楽しそうなんだから、雰囲気壊すわけにはいかないわよね」


 野田さんは僕に笑顔という名の虚像を見せてくれた。

 きっと鏡があれば、瞳から血が流れている顔が映るんだろう。

 これこそまさに空元気。自分のためではなく、他人のために作る偽りの姿。

 そして他人である僕は、それを素直に受け入れなければならない。

 神崎先輩が僕を受け入れてくれたように、野田さんの懸命な努力を無下にするわけにはいかない。


 言葉が頭に浮かばなくなった僕は、時間を殺すためにゆっくりとメロンソーダを啜った。

 そして、店の自動ドアが開き、六人の仲間がぞろぞろと入ってきた。


「お、いたで!」


 太陽のような明るい声が、先頭をきって近づいてくる。


「もう大丈夫か、涼太くん?」

「はい、もう大分楽になりました。食べ終わったら行けますよ」


 野田さんに視線を移すと、同意を示すために軽く頷いてくれた。


「ほんだらウチらもなんか食べてくわ。したら後半戦行こな。もうジェットコースターは乗りつくしたから、今度は軽いやつ乗りに行こか?」

「それなら僕も大丈夫そうです。でも、ジェットコースターでも大丈夫ですよ?」


 と言うと、先輩が軽くチョップを食らわせてきた。


「アホか。ちゃんとみんなで楽しめるんがええんやろ。やけん心配せんでも大丈夫だよ。なんならキッズコーナーっちゅうとこ行ってもええくらいや!」

「それはちょっと……」


 思わず浮かんだ苦笑い。

 でも、自然と溢れた笑みだとも言える。

 僕も、今は誤魔化す時なのかも知れない。

 自分のためではなく、他人のため、千野先輩のために自分を偽る時なのかも知れない。


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