第17話:月と太陽

「どうや〜、涼太く〜ん? 回るのは大丈夫か〜?」


 ぐるぐるぐる、とまるで自分を中心に世界が回っているんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。

 コーヒーカップと呼ばれるこのアトラクションがこんなに早く回転できるものだとは知らなかった。

 千野先輩が全力で回さなければ、きっと周りの機体のように、ゆっくりと楽しそうなアトラクションになるんだろう。

 でも、僕の隣に座っている正義と智樹も先輩に負けずと全力でハンドルを回しているし……

 これが本来の楽しみ方なのか。


「だ、大丈夫ですよ、まだまだいけます」

「お、みんな許可が下りたで! 回せ、もっと回せ!」

「了解であります!」「分かりました」


 言わなければよかった。強がらなければよかった。

 そんな後悔も、僕の頭にかかる遠心力によって吹き飛んでいく。

 

 ジリジリジリジリ……


 終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。

 機体から降りようとしても、目が回って上手く歩くことができない。

 身体的に迷走したのは久しぶりかもしれないな。


「涼太氏、わたーくしがショルダーを献上いたすであります」

「ありがと、智樹」


 智樹に支えられながら、やっとの思いで柵の外に出ることができた。

 視線を上げると、健斗と野田さんが談笑しているのが見えた。

 野田さんも、頑張っているんだな。


 水を飲んで、少し落ち着いた所で千野先輩がいつも通りにバンバンと背中を叩いてきた。


「涼太くんは情けないなぁ。しゃーないから次はニャンターアドベンチャーっちゅうやつ行くで」


 ニャンターアドベンチャー。つい二ヶ月ほど前に完成した、僕も乗ったことのないアトラクション。

 噂によると、3Dの映像に合わせて揺れる機体に乗るアトラクションだったような……


「分かりました。じゃあそれにしましょう」


 新アトラクションなのに、待ち時間は三十分ほど。

 そこまで待つ事もなく、すんなりと搭乗できた。

 

「なんか楽しそうやな。小休憩にはちょうど良さそうや」

「…………」


 着席するなりそう言った千野先輩の声は、何故か上手く聞こえなかった。

 引力でも働いているのかと思うほど、僕の視線は一点に釘付けになっている。


 斜め前の席に座っている黒髪長髪の女性の後ろ姿。


 香澄? いや、違うか。香澄の身長はあんなに高くない。

 それに隣に座っているのは黒髪短髪の男だし、ただの人違いか。

 

 はぁ、また無意識に香澄の事を考えてしまっている。

 遊園地という思い出の場所に来たのが、少しだけ堪えているのかもしれないな。

 それに、やはり僕はまだ香澄の事は忘れきれていないようだ。

 蟠り、ではなく、心の隅に眠る別の毒々しい感情。

 太陽によって徐々に浄化されていっている、ただの未練。


 意識を戻した時には、すでにアトラクションは終了していた。

 勿体無い時間の使い方をしたな。今は楽しむべき時なのに。


「どうやった、涼太くん? これなら平気やった?」

「はい、大丈夫でした」


 と話しながらアトラクションの建物を後にした時にはもう、夕焼け空が広がっていた。

 夏に近づいてきて、日が伸びていると思っていたけど、どうやら僕の思っていた以上に時は残酷に進み続けるようだ。

 芯から楽しむことのないまま、誤魔化すことを許された今日を終えたくはない。

 そんな僕の想いも、無慈悲な現実は拒絶しようとする。


「日暮れてきてしもうたな。でもまだ乗ってないのがあるやん。みんなであれ乗ろか」


 心の太陽が指し示したのは、この遊園地のシンボル、観覧車。

 地べたで這いつくばっている僕を、一瞬だけ天へと至らせる乗り物。

 遊園地の締めって感じだな。前に来た時も最後は観覧車だった。


 千野先輩の意見に異を唱える者はおらず、みんなで観覧車へと向かった。

 みんなと談笑して、最後くらいは楽しく終わりたいな。

 そう思っていた僕の肩を、健斗がニヤつきながら叩いてきた。


「俺に任せとけ」


 とだけ言って、何やら正義と智樹と話し始め、三人は怪しげな表情を浮かべて僕をチラ見した。

 

「この観覧車って確か六人乗りだったよな? じゃあ野田、俺たちと来い」


 健斗が野田さんの腕を引き、半ば強引に四人組を結成した。

 残りは僕と先輩三人。

 てっきり四人グループで別れるのかと思ったら、飯島先輩と山内先輩が搭乗直前に健斗たちのグループに参加した。


「じゃあ後でね〜涼太くん! 愛ちゃんもごゆっくり〜」


 と去り際に告げた飯島先輩。

 健斗たちに何かを吹き込まれたのかは分からないけど、とにかく僕と千野先輩は二人っきりになってしまった。


「なんや、みんなして。まぁええか。余り者には福があるっちゅうて言うし、ウチらはある意味ラッキーやで、涼太くん」

「は、はぁ。そうですね」


 少し戸惑いながらも、ゆっくりと回転し続ける天の箱に搭乗した。

 

 ガチャン、とスタッフさんが外から施錠し、完全に二人だけの空間になった。

 この観覧車は確か一周約十五分。短いようで、かなり長い。


 そう言えば、ジャージ以外の私服姿の先輩を見るのは今日が初めてだな。

 ショートパンツにベージュのシャツ。スタイルが良くないと似合わない組み合わせだろう。

 今の今まで先輩の服装には気を留めていなかったけど、こうして二人っきりになると自然に意識が集中する。


 機体がが乗り場から離れたところで、先輩が大きく体を伸ばした。


「んー、遊んだ遊んだ。でも、できればもうちょっと遊びたかったな。涼太くんは楽しかったか?」

「楽しかったですよ。たまにはこういうのも必要ですよね」

「せやな〜。ウチは今日が終わったら部活に集中せなあかんもんな。最初で最期の息抜きみたいやったな。でも満足や」


 もうそろそろ夏休み。そして、陸上の大会も夏休み中にある。

 先輩とはあまり会えなくなるかもな……でもしょうがないか。

 

「先輩が楽しんでくれてよかったですよ。僕も福引で運を使った甲斐がありました」

「ほんま、ありがとうな。でも、これは涼太くんのお礼のつもりやったんよ? なのにウチの方が楽しんどるし……これじゃダメやないかい!」

「そんな事はないですよ。僕も十分楽しみましたし。先輩も楽しめて、一石二鳥だったじゃないですか?」


 僕がそう言うと、千野先輩が沈みゆく夕日を見ながら、小声で呟いた。


「そう思える涼太くんはやっぱりええ子やね」


 少し違った雰囲気の声音に、深淵の毒が少しだけ浄化されたような気がした。

 

「いい子、なんでしょうかね……」


 いい子なら、なんで現実は僕に冷たくするんだろうか。

 僕は自分の知らない所で何か悪い事をしているんじゃないだろうか。

 神崎先輩のことみたいに、僕には知らない事柄が多い。

 真実を見つけ出す力がない僕には、現実は無情であり続けるんだろう。


「ええ子や思うよ。他のみんながなんちゅうかは分からんけど、ウチにとってはええ子や。勉強もよう教えてくれるし、他の人の事を自分よりも優先できる人なんてなかなかおらんと思うし」


 赤裸々に自分の感情を伝えられる先輩はすごいと思う。

 僕にはその方法が分からない。自分の思っていることを口に出すのは相当難しい。

 激情している時にしか、言葉はスラスラと出てきてはくれない。

 

 そして、観覧車が四分の一周した。


 この高さからでは、高層ビルの後ろに構えているオレンジ色の太陽は見えない。

 陽が沈みきっていないのに、夜になったような気分だ。

 でも、頂上に着く頃にはまた夕方になる。


 なんだか時間が逆流しているみたいだな。


 現実では決して起こる事のない現象。

 できる事なら過去に戻りたいと、今でも少なからず思っている。

 でも、今目の前で綺麗な足を組んでいる現実先輩でも良いと感じる。


「なぁ、涼太くん……」


 沈黙を続けていた僕に、千野先輩が優しく問いかけた。


「お願いが一個だけ叶うとしたら、何が欲しい?」


 僕の目を真っ直ぐに見つめている千野先輩。

 何かを試されているのか、それともただの話題なのか。

 どちらにせよ、僕は自分で何が欲しいのかはよく分からない。

 

 新しい彼女でもない。嫌な記憶を無くす事でもない。

 お金も欲しくはない。友達はもう十分すぎる程にいる。

 でも、一つだけ欠落しているものがあった。


「僕は……真実を知りたい、ですかね」

「っぷ。なんやそれ、おもろいな。涼太くんは哲学者になったんか?」

「ち、違いますよ。ただ色々と知らない事だらけなので、それを知れたら良いなーと」

「例えばなんや?」

「例えばって言われても……」


 言葉に詰まった僕の頭に、いつも通りの優しいチョップが繰り出された。


「冗談や冗談。そんな毎回真面目に考えんといて。ええ事なんやけど、そんな生き方じゃ大変やろ?」

「まぁ、そうかもしれませんね。先輩は何かを知りたいって思う事は無いんですか?」


 僕の問いに先輩は珍しく、苦悩の表情を浮かべた。

 その間にも、時間は無情に過ぎて行き、夕日は昇り続ける。

 

 昇っているのに沈んで行く夕陽。

 そして、観覧車が頂上に達したのと同時に、夕日が沈み、新たな太陽が昇った。


「やっぱないわ。いくら考えても今知りたい事はあらへんよ。強いて言うなら陸上で優勝できる必勝法、とかやね。そんなもんがあったら楽でええのにな」


 無欲、と言ってしまえばそれで済む。

 でも、無欲になれるのは全てを掴み取る力のある強者だけ。

 真実さえも、千野先輩ならきっと容易に手に入れることができるんだろう。

 夜空の頂上に至った僕の太陽は、まさに雲の上の存在。

 ただ憧憬を抱くことしか許されない、次元の違う存在。


 そして、その太陽は僕の心を浄化し続けている。

 香澄と言う名の月以上の輝きを放ち始めている。


「先輩は、やっぱりすごいですね」

「そうか? ウチは涼太くんの方が凄いと思うねんけどなぁ。でも、ありがとな。そう言ってもらえると俄然やる気出てくるわ!」


 憧れの眼差しへの返事は、自信に満ちた、満面の笑みだった。

 段々と下がりゆく箱の中にいるはずなのに、僕は上へ上へと引き上げられている。

 溢れ出す感謝の意を抑えきれなくなった僕は、無意識に口を開いていた。


「ありがとうございます」


 そんな唐突で間の抜けた感謝の言葉を、先輩は何故か受け入れてくれた。


「どういたしまして」



 その後、千野先輩は僕の意味不明な言葉を散々からかい続け、地上へと降り立った。

 降り場には健斗たちは居らず、ふとスマホを見てみると、《先に帰るわ》と一言だけメッセージが届いていた。

 先に帰ると言っても、二分くらい先に降りただけだから追いかけようと思えば追いつく。

 でも、僕は何も知らないフリをして、先輩と二人で健斗たちを探した。


 ずるい、のかも知れない。だけど、これは僕のワガママだ。

 最初で最後。現実と真実を追い求める前の最後の嘘。

 

「やっぱおらんなー。夢花たちは帰ったんとちゃうか? KINEで連絡しても返事こーへんし」

「そうかも知れませんね。僕たちも帰りますか?」

「んー、そうやな。でも帰る前に、お土産屋さん寄ってこ」

「分かりました。じゃあ行きましょうか」


 夜の遊園地は何処と無く幻想的だ。

 昼間は鬱陶しくも感じられた園内BGMが不思議と心地よい。

 アトラクションから零れる光が、千野先輩の幻影のような容姿を、より一層引き立てている。

 みんながどこかへ行ってしまった事にブツブツと文句を言いながら歩く姿も、僕に安心感を与えてくれる。

 千野先輩らしいから、かも知れないな。


 園の入り口付近にあるお土産ショップは他と同様に比較的空いていた。

 今日はどこも空いているな。最初から今のような心構えが出来ていたら、もっと楽しめたんだろう。


「涼太くん、これはどうや?」


 と、千野先輩が店に入った所で見つけたニャンタのぬいぐるみを掲げた。

 花ちゃんへのお土産を買いたいらしいんだけど、僕は残念ながら小学生の好みが分からない。


「んー、花ちゃんは何か欲しいって言ってなかったんですか?」

「花はいらん言うてたよ。お金がもったいないって。でもお母ちゃんは買ってこい言うてたからな、なんかええもん買うてやらんと」

「なら、女の子のニャンコのぬいぐるみはどうですか? ニャンタよりは良いと思いますよ?」


 正直言って、ニャンタとニャンコには、耳にリボンが付いている事くらいしか変わりはない。

 どちらも小学生から見たらお化けのようにブサイクだし、ちょっと怖い。

 でも、ここにはそれくらいしか売ってないんだよな……


「そうやね。じゃあこれにするわ。涼太くんはなんか買うもんあるん?」

「一応ありますよ……」


 僕の目当ての物はニャンコと四つ葉のクローバーの柄のキーホルダー。

 この前来た時には、ニャンコとハートの柄のやつを香澄にあげたっけか。

 

「そんなんが欲しいのか? 誰かにあげるん?」

「はい、先輩にと思って」

「ウチ? なんで?」


「……うーん、お守り、ですかね?」

「なんやそれ。でも嬉しいよ。ありがとな」


 会計を済ませ、様々な気持ちを込めた贈り物を先輩に手渡した。

 

「このネコはやっぱブッサイクやなー。でもお守りやもんね。大事にするわ」

「それで大会頑張って下さい。明日からは部活で忙しくなるんですよね?」

「せやな。大会まではあんま会えんくなってしまうかもな。もう学校もあんまないし。大会終わったらまた遊ぼな」

「はい。楽しみにしてますね」


 

 新たに約束をした後、そのまま談笑しながら帰宅した。

 先輩を家まで送り届け、繁華街を歩いている現在の時刻は夜の十時前。

 街明かりで掻き消されそうな月が、段々と顔を出し始めていた。

 そんな中、神崎先輩と最後に会った路地裏前の道を通り過ぎ、今後の決意を固める。

 

 千野先輩は大会という現実を乗り越えようとしている。

 なら僕は、その期間を使って心の蟠りを少しでも、いや、可能な限り全て無くしたい。

 

 そして、何事も無く家の前まで到着……はできなかった。


 大きなバイクの轟音が遠ざかるのと共に、一人の黒髪の少女が僕の隣の家の門を開いていた。

 気配を感じ取ったのか、暗がりの中で僕の存在に気づいた香澄は、只々じっとこっちを見つめてきた。

 お互い何も言葉を発する事も無く、三秒ほど経過しただろうか?

 でも、不思議と冷静でいられる。だってもう月は沈みかけているから。

 

 そんな僕たちの沈黙を破ったのは、長瀬家から出てきたおばさん。

 慌ただしく玄関の扉を開き、道路の真ん中で立ち尽くしている僕に哀れみの視線を向けてきた。

 それは一瞬の出来事。

 緊迫した空気に耐えかねたのか、単に意識を戻したのか、香澄は現実から逃げるように家の中へと消えていった。

 一体なんだったんだろうか。そう考えていたのも束の間、僕は真実へ近づくために自宅へと入った。


 そういえば、母さんにはちゃんと話した方がいいかもな。

 もしかしたらもう知っているかもしれないけど、直接伝える事が重要だ。

 言葉にしないと現実も真実も伝わらない。

 それが本当かどうかは、本人以外には分からないのだけど。


「ただいま母さん」

「おかえりなさ〜い」

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