第18話:それは誰が為に
リビングに移動した僕の後を、母さんは何故かピッタリと付いてくる。
話があるから都合はいいのだけれど、どうにも何かを期待しているような目で……あ。
「涼ちゃん、お母さんへのお土産は何かしら〜?」
「……わ、忘れちゃった」
ガーン、と声に出してもおかしくないような表情を浮かべ、シクシクと嘘泣きを始めた。
「ヒドイ。涼ちゃんはお母さんの事が嫌いになっちゃったのね?」
「そういう訳じゃないよ。ただ普通に忘れちゃっただけで……今度美味しいスイーツでも買ってくるから、それで許して?」
「スイーツ! いいよ、許してあげる〜」
なんだか飯島先輩と話している時と大差ないような気がするな。
若い、のとは少し違うけど、ただ単に明るい。
そんな母さんに今から重い話をするのもなんだか嫌だな……
「そう言えば涼ちゃん、お母さんに何か話す事なーい?」
さっきまでと変わらない陽気な口調で、唐突に問いかけてきた。
顔は笑っているけど、何処と無く寂しげな雰囲気。
母さんは知ってるのかな……でもどうやって。
「あるけど、なんで?」
と返事をすると、母さんは哀愁に満ちた表情を浮かべ、椅子に腰掛けた。
「今朝ね、香澄ちゃんが知らない男の人とバイクに乗って何処かに出かけていくのを偶然見ちゃったのよ。最近バイクの音がうるさいから、何かなーと思ってね。それに、長瀬さんも最近私を避けるようになってきてるし……やっぱりそういうことなのかしら?」
そう言った母さんの声は震えて、今にも泣き出しそうだった。
僕以上に、僕の事を考えてくれているから、その悲しみも一ヶ月前の僕と同じくらいあるのだろう。
「うん。一ヶ月前にね。浮気されちゃって、それでお終い。でも僕はもう大丈夫だからさ。母さんはそんなに心配しないで。でも、言うのが遅れてごめんね」
「ううん。いいのよ。ちょっと前まで涼ちゃんの元気がなかったのは心配だったけど、理由が分かってよかったわ。涼ちゃんが大丈夫なら、お母さんはもう何もしない。その方がいいんでしょ?」
「そうだね。ありがと、母さん」
母さんとしては何が一番ショックだったんだろうか。
僕と香澄が別れた事なのか、香澄が浮気した事なのか、それとも僕が傷心していた事なのか。
いや、全部、か。
母さんにとって、僕は多分一番に守るべき対象。
僕には子どもがいないから分からないけど、きっと自分の息子が嫌な思いをしていたら、どうにかしてあげたいと考えるだろう。
そしてその子が望むなら、なんでもする。でも、望まなければ何もしない。
母さんが落ち着くのを待ってから、お風呂に入った僕の頭の中は、何故か神崎先輩で埋め尽くされた。
神崎先輩は、いつだって僕が望んだ事を何も伝えなくともしてくれた。
まるで子を守る親の様に。
先輩は僕が真実を知ることを望んでいないのかもしれない。
直接聞き出そうとするのはやはり間違いかな……
それでも、真実から目を背けて自分だけ前進し続けるのはしてはいけない事だ。
それは九割以上自分のため。
他人を心配することなんて、言ってしまえば自己満足でしかない。
自分が知りたいから、守りたいから行動を起こす。
心の蟠りが邪魔だから、それを取り除きに行く。
毒じゃない、もう一つの障害が最後に乗り越えるべきものだから。
翌日。神崎先輩はまた学校に来なかった。
三年生の先輩に聞いても、誰もどこにいるか知らないらしい。
分かりきってはいたけど、先輩は一人で何かを解決しようとしている。
「おい涼太、昨日あの後どうだった? 何か進展あったか?」
教室で考え事をしていた僕に、健斗がにやけながら聞いてきた。
「キーホルダーあげたよ。でもそれくらいかな。健斗は何か進展あったの?」
「お、俺か? 進展も何も、アイツは見ての通りどんよりしてるしさ。何もねーっていうか、今は何もできねーっていうか……って、俺は何を」
自然な誘導でついに自白した。
ついでに僕もサラッと答えたけど、健斗は顔の紅潮具合を誤魔化すのに必死で、何も追求してこない。
それにしても野田さんは相変わらず、疲れた表情をしている。
香澄もどことなく疲れているような……まぁ遊び疲れているんだろう。
野田さんの体調は一体どうしたら回復するんだろうか?
僕が話しかけても逆効果だし、でも放っておいたら悪化し続けてしまう。
ここは健斗に賭けるしかないのかな……
「健斗、ケア、してあげなね?」
「お、なんだ珍しい。お前がそんな男前な事言うなんてな。俺もやれることはやっからよ。お前はお前のことしてろよな」
「野田さんと同じ事言ってるよ? やっぱり二人はお似合いだね」
「ちょ、からかうのも大概にしとけって。ったく、ヘタレがちょっと成長すると厄介なもんだ」
照れ隠ししながらも、健斗は嬉しさの笑みを抑えきれていない。
人をからかうのも久しぶりだな。やっぱり、ちゃんとした人とのやりとりは楽しい。
日常を取り戻した僕は、万全の態勢で放課後を迎えることができた。
部活の顧問の先生には今日行かない事を事前に伝えてある。
理由はかなり適当なモノだったけど、先生は随分とすんなり信じてくれた。
今までの努力が報われたんだろう。そして、人生で初めて何かをサボった。
それでも、罪悪感は極小だ。部活よりも大切な事が、これから向かう先で待っている。
校門を出たところにはあのバイクはおらず、珍しく一人で下校しようとしていた香澄とすれ違った。
それをもどうでもいい事柄だと思わせる程の原動力が、今僕の足を動かし続けている。
僕の家と学校との丁度中間の辺りにある神崎家。
車庫にはあるはずの高級車は停まっていなく、それだけで全く違った印象を持てる。
いや、自分の心構えの問題か。
もしかしたら不在なのかもしれないけど、とにかくインターホンを押した。
…………
しばらく経っても、返事はなかった。
それでも諦めずに待ち続けていると、香澄が僕の後ろを通り過ぎた。
一瞬僕の顔を見るだけで、勿論会話はない。
段々と離れて行く黒髪少女の後ろ姿を見届けている間に、ガチャリ、と神崎家の玄関が開いた。
「あれ〜? 涼太くん?」
「こんにちは、絢香さん」
絢香さんは僕の事情を聞きもせず、家に上がらせてくれた。
ここに来るのも一ヶ月ぶり。でも、神崎先輩は家にはいなかった。
「麦茶だけど、大丈夫だよね?」
「はい、ありがとうございます」
ソファに腰掛けていた僕に、絢香さんがお茶を出してくれた。
そのまま自然に僕の隣に腰掛け、テレビの電源を消した。
今まで感じたことのない不思議な沈黙に、少しだけ悪寒が走る。
「それで、今日は遂にお姉さんを襲いに来たのかな? 愛ちゃんの前に練習しとく?」
「い、いや、その……」
冗談だとは分かっていても、絢香さんの力強さに気圧されてしまう。
今見せている笑顔の下には、あの時感じた恐怖の根源が隠されていると思うと、つい逃げ出したくなってしまう。
「涼太くんは相変わらず可愛いね〜。篤は夜まで帰ってこないし、どうせなら遊んじゃおうよ?」
「……そのお誘いには乗れません」
精一杯の勇気と共に絞り出した言葉に、絢香さんが少し驚愕した。
「なーんだ。涼太くんはちょっと変わっちゃったみたいだね。でもお姉さんはヘタレっ子の成長が見れて嬉しいぞ!」
以前と同じ様に、無造作に頭を撫でてくる絢香さん。
その手つきは、千野先輩よりも荒く、怖かった。
「そ、そんなことより、聞きたいことが……」
と言いおうとした僕の口は、一本の細い指によって遮られた。
「はいはい、焦らないの。交渉のコツはがっつかない事だよ?」
離れて行く指と妖艶な口調に、僕は更なる恐怖を抱いた。
この人は、何のために行動しているんだろうか。
優しそうに見えて、いや、優しいのに、本性が全く分からない。
無知である事以上に怖いものはこの世にないんじゃないだろうか。
「すいません。いきなり押しかけて失礼なことを……」
「そんなに怖がらないでよ〜。お姉さん悲しいぞ〜」
青ざめているであろう僕の頬を、絢香さんはツンツンと突いた。
その度に、額から汗が滴り落ちてくるのが分かる。
怖がっているなんて、失礼に値するかもしれない。
なるべく平常心で……
「怖がってはいませんよ。ただちょっと生意気だったかなーと。絢香さんは最近どうですか?」
「私? うーん、色々と忙しかったかな。でも今日は涼太くんが来てくれたから嬉しいよ!」
「そう、ですか? 忙しかったのは、お仕事かなんかですか?」
「そうかなー。仕事は篤の面倒見る事だし、まぁ仕事ちゃ仕事か。手のかかる弟を持つと大変だね」
そんな絢香さんの表情は少しだけ幸せそうだった。
僕には弟や妹がいないから分からないけど、兄弟をここまで思いやれる絢香さんは普通に凄いと思う。
でも、同時に不自然でもある。
「神崎先輩は……」
と、無意識に先輩の所在を聞こうとしてしまった。
笑顔の絢香さんから、目に見えない圧がかかった気がする。
「神崎先輩は僕にとっては面倒を見てくれる人なんですけどね」
「それは涼太くんくらいしか思ってないよ〜。私にとっては、一人じゃ何もできないただの泣き虫な弟なんだから。後輩の前だから強がってるのよ」
呆れた表情を浮かべた絢香さんには、さっき一瞬だけ感じた圧がなかった。
「そうなんですかね? でも、絢香さんは先輩のこと大事にしてるんですね?」
「そりゃそうよ。大切な弟だもの。生意気だけど、ほっとけないのよね……」
感傷に浸り始めた絢香さんに、僕は返す言葉が見つからなかった。
再び訪れた嫌な静寂。窓から覗いている陽の光をも拒絶する未知の空間。
絢香さんは何でここまで先輩に固執するんだろうか?
やはり違和感しかない。自然な流れで聞き出したいけど……
「そういえば涼太くんは何で篤を慕ってるの? バスケ上手いから?」
「僕ですか? バスケ上手いのもそうですけど、それよりも昔先輩に助けてもらったことがあって、その時から憧れてます。だから僕は先輩みたいになりたくてやったこともないバスケ部に入ったんですよ」
僕の言葉に、絢香さんは少しだけ停止してしまった。
そして何やら頭を抱え始め、しばらくして再び口を開いた。
「それってもしかして、二年前の事?」
「二年とちょっと前、ですかね? 僕が高校受験終わってからの事だったので。絢香さんも知ってるんですか?」
「……え、ええ。まぁね。あの時篤にヒョロヒョロの中坊を助けたって聞いたし……」
絢香さんは、後ろめたそうな表情を浮かべた。
あれは僕が勝手に巻き込まれただけの事だ。
勉強を本格的に始めようと思って、本屋に参考書を買いに行った所で遭遇した不幸。
あの時は色々と浮かれていたから、単に不注意だっただけのこと。
でも僕にとっては、先輩に出会えた大切なきっかけ。
今もなお僕を支え続けてくれる。目標とできる人物に巡り合わせてくれた重要な機会。
そう言えば、あの時先輩が僕に告白する勇気をくれたんだっけか。
そして僕は……
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