第22話:違和感

 神崎先輩は、次の日から学校に来るようになった。


 千野先輩が長期間休んでいた神崎先輩を馬鹿にしたり、みんなでお昼ご飯を食べたりと、ごくごく平穏な学校生活が続いた。

 その週の終わりに返却されたテストで、千野先輩が神崎先輩よりも高い点数を取り、週末に焼肉を奢ってもらえた。

 普段は食べられなから、と陸上の大会に向けて体を調整中の身にも関わらず、千野先輩は人一倍それを頬張っていた。


 部活が忙しくて千野先輩に放課後や週末は今までと同じようには会えなかったけど、毎日お昼は一緒に食べ、時間が合うときはたまに一緒に帰宅したりもした。

 そんな日常を続けているうちにも、僕の中の太陽はどんどん南中し、全てを照らす灯になる日も近いのでは、と感じるようになった。


 千野先輩も、時折以前は見せなかった女の子らしい反応を僕に対して見せるようになってくれた。

 例えば、お弁当の中身を、「それ、美味しそうですね。僕のと交換しませんか?」と聞くと、少しだけ顔を紅潮させたり、以前とは全く違う反応をするようになった。

 これはもしや、と期待してしまう自分がいるのは否定できない。


 そんな俗念で頭を埋め尽くしている僕は、いつも以上に浮かれている。

 なんたって、今日は夏休み前日だ。

 明日から学校は休み。そして、現在は終業式のために体育館へと移動中。

 トイレに行っていたから、健斗たちとは別行動。一人で学校の廊下を歩くのは案外珍しいかもしれないな。


 階段を降りようと、踊り場に足を踏み入れた瞬間に、誰かが僕の名前を呼んだ。


「山田、ちょっと来て」


 背後から声に振り向くと、そこにいたのは野田さんと香澄だった。

 香澄の手にはピンク色のノートが握られており、服の裾を野田さんにしっかりと掴まれている。

 僕が歩み寄っても俯いた視線を上げようとしない辺り、野田さんが無理やり連れて来たんだろう。


「何? もう終業式が……」


「涼太くん! やっと見つけたで。こんなとこで何やっとるん?」


 僕の背後から駆け寄ってくる千野先輩に気づくと、今度は香澄が野田さんを引っ張りながら立ち去った。


「ありがとう、真帆ちゃん」


 去り際に聞こえた香澄のか細い声は、なぜだか僕の耳によく残った。

 でも、過ぎ去る月よりも、僕の視線は太陽によって奪われた。


「どうしたんですか、そんなに慌てて?」

「なんか取り込み中やったんか? そんだったらごめんな。でも今会っとかないともう機会ない思うてな」

「ん? 言伝なら別にKINEでも大丈夫なんじゃ……」

「もー、涼太くんは相変わらず情緒ってもんがたりとらんね。こう言うのは直接言うのがええんやろ?」


 こう言うのって、まさか……


「えーと、なんですか?」

「ウチと……」


 なんでこんなに間をあけるんだろうか。

 それに何処と無く顔も赤いし……これってやっぱり。


「ウチと、お祭り行かへんか?」

「へ?」

「へ、ってなんやへって。お祭りや、夏祭り。夏休み始まってから次の週の水曜日にあるんやって。行ってみんか?」

「あ、ああ。お祭りですか。いいですね。じゃあ行きましょうか」


 ん? もしかして誘われたのは僕だけ……?


「お。お前ら何やってんの? まさか告白か?」


 自分の願望が強く現れた分析をしていると、神崎先輩が躊躇いもなくからかってきた。

 そして、照れ隠しの衝動に駆られた僕の口は、勝手に言葉を発し始めた。


「ち、違いますよ。ただお祭りに行くだけです。よかったら先輩も一緒にどうですか?」

 

 あ、と思った時にはもう遅い。 

 もしかしたら、千野先輩が二人だけで行こうと誘ってくれてたのかもしれないのに、僕はそのチャンスを自分から手放してしまった。情けない。

 神崎先輩が空気を読んで、「行けない」とか言ってくれれば助かるけど、何故だか悪巧みをしている少年のような顔をしているし、多分無理だな。


「祭りか〜。いいね〜。じゃあ俺も行くわ。時間と場所はKINEで送っといてくれ」


 神崎先輩の嫌味のこもった発言に固まっている僕とは違い、千野先輩はいつもと変わらぬ反応を見せた。


「なんやー、篤も来るんか。まぁ、それはそれで楽しそうやな」

「そうか? じゃあ楽しみにしてるぜ、お二人さん」


 神崎先輩は決して僕を邪魔したいわけじゃない。

 ただ、今の僕の反応を見て楽しんでいるだけ。

 でも僕は、こう言う感じの雰囲気の方が好きだな。

 ちょっと前までは、なんだか緊迫した雰囲気だったけど、やっと穏やかになりつつある。

 気がかりな事といえば、自分の心の中に留まり続けている、正体不明の蟠りだけ。

 あの日、神崎家に行ってから、何か違和感を感じている。

 絢香さんが僕を助ける理由でもなく、神崎先輩が実家に行ってどのような苦労をしたのかでもない。

 説明のできない、自分では分からないであろう謎の物体。

 

「全く、涼太くんはヘタレやな。ええ子やのに、底なしのヘタレや」

「それってどう言う……」


 僕の淡い期待を込めた問いは、千野先輩のいつもの笑顔に掻き消された。


「ほな、もう行くで。あのハゲ校長は口うるさいからな。遅れたら大変や」

「……そうですね。じゃあ行きましょうか」


 もしかしたら、と思ってしまう自分が情けない。

 でも、本当にそうなのかもしれない。

 今まではずっと片思いだったし、逆にこれは現実じゃないんじゃないかとも思えてくる。

 でも、頬をつねっても痛いし、そんな間抜けな行動をする僕を笑ってくれる優しい先輩もちゃんといる。

 

 そして、着実にその距離は近づいている。

 それでも、僕と千野先輩が隣を歩く事は滅多にない。

 今もこうして、少し前を歩いている先輩を、ヘタレな僕が同じスピードで追っているだけ。

 隣を歩くと触れてしまいそうになる手に、僕は少し臆ついているのかもしれない。

 もしかしたら僕は……いや。そんな訳があるはずがない。

 僕は確かに千野先輩に好意を抱いている。尊敬の対象だけでなく、一人の女性として。

 それは偽物の真実じゃない。自分にしか分からない、たった一つの真実。

 考えすぎるのも良くないな。



 終業式を終え、部活に向かう途中で、健斗が満面の笑みで近づいてきた。


「おい涼太〜。来週の水曜に夏祭りあるの知ってっか?」

「うん。知ってるよ。それがどうかしたの?」

「聞いて驚くなよ。なんと、野田と二人っきりで行く事になったんだぜ! ヤバくね? もうこれはワンチャンじゃなく、三チャンくらいあるよな? そう思うよな?」

「う、うん。きっと四チャンくらいあるよ。多分だけど……」


 そんな僕の呟きは、高揚した健斗には聞こえていなかったようだった。

 斜め前方にバットとボールを運んでいる正義を見つけると、走って全く同じことを報告しに行った。

 健斗がまたこっちに戻ってくる直前に、正義から、「頑張れよ」と視線でメッセージを送られたような気がした。

 テンションが上がっている健斗は扱いが大変なんだよな……


「やっぱ正義も五チャンくらいあるってさ。俺にもやっと春が来たぜ。ってそう言えば、お前の方はどうなんだ? 祭り行くのか?」

「僕? 僕は神崎先輩と千野先輩と行くことになってるよ?」

「は? なんで神崎先輩? あの人ならそこはちゃんと断る……訳ないか。どうせまたお前のヘタレが発動したんだろ?」

「よく分かったね。その通りだよ。せっかく千野先輩が誘ってくれたんだけど、僕が台無しにしちゃったんだ……」


 すると健斗が、いつものごとく、肩に手を回してきた。


「やっぱダメだなーお前は。でもさ、それもういけんじゃん。なに躊躇ってんの? 告れよ」

「うーん、なんでだろうね? 自分でもよく分からないんだけど、一歩踏み出せないっていうか、なんというか……」

「もしかして、恐いのか?」


 少し違った声音でそう問いかけてきた健斗は、とても真剣な眼差しを向けてきた。


「恐くは……ないんじゃないかな? 先輩と一緒にいても全然大丈夫だし、寧ろ楽しいし」

「いやいや、そういう事じゃなくてさ。女と付き合うのが恐い、とか、あるじゃん、そう言うの。EDとかもその類って聞くし」

「ちょっと、脅かさないでよ。流石にそこまでは無いって。多分、別の理由だと思うんだけどさ」


 健斗の主張もあり得る可能性の一つだ。

 でも、僕はそうであって欲しく無い。もしトラウマによる恐怖だったら、僕は一生悲しい思いを……


「そうだよな。悪かった。でも、ちゃんとそう言う雰囲気になったら男見せろよ? 俺とどっちが早くキスするか勝負な」

「それってよく失敗する人が言うやつじゃない?」

「ったく、お前もなかなか酷いこと言うな。まぁ、見てろって。モテ男の俺がお手本を見せてやっからよ」


 健斗は確かにモテる。でも、野田さんに一途すぎて全てを断ってきたくらいだ。

 とても誠実な反面、恋愛経験だけで言えば多分僕よりも少ない。

 だけど、健斗ならきっと野田さんを幸せにできるだろう。

 今はまだ、暗く、どんよりとした顔をしている野田さんだけど、夏休みが明ける頃にはきっと……


「応援するよ。頑張ってね」

「おう、お前もな」

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