第23話:楽しさの仕組み
夏祭りまでの一週間半、一日千秋の想いで待つことになるかと思いきや、そんな事もなかった。
部活に夏期講習。のんびりできる夏休みを期待していた僕は、少しだけ落胆していた。
でも、今日の夜はそんな暗い気分も一蹴してくれるだろう。
神崎先輩もいるけど、千野先輩と一緒のお祭り。
最後には花火も打ち上がるらしく、結構賑わうらしい。
祭りは二つ先の駅で開催される。現地集合は大変なので、近場の駅に集合してから向かうことにした。
時刻は夕方で、空はまだ黄金色の明るさを放っている。
高揚のあまり予定より十分ほど前に集合場所に到着すると、当然まだ誰も着いていなかった。
今思えば、浴衣なんかを着て来た方が良かったのかもしれない。
母さんに勧められたけど、気恥ずかしくて断ってしまった。
先輩達は着てくるのかな……
「よっ、涼太。随分早いな?」
五分ほどして、まず神崎先輩がやって来た。
浴衣は着ておらず、普通の私服。なんだか少しだけホッとした。
「今晩は、神崎先輩。楽しみで少し早く出て来ました。先輩もちょっと早いですね?」
「どうせお前が早く来ると思ったからな。愛はまだ来てないのか?」
「多分、もうそろそろ来ると思いますよ? もうあと五分くらいで約束の時間ですし」
そう言ってから、約十分後に千野先輩がやって来た。
その後ろには、小さな千野先輩がくっついて来ている。
「ごめんごめん、遅れてもうた。花が突然行きたい言いだしてな、なんか増えちゃったけどええか?」
「いえいえ、全然……」
だんだんと近づいてくる千野先輩に、僕の言葉は奪われてしまった。
いつもとは違う、おしゃれなお団子のような髪型。
普段通りの薄化粧だけど、華やかな浴衣が先輩の美貌をより一層引き立てている。
「なんや涼太くん? ボケーっとしとるで?」
「い、いや。すいません。つい見惚れてしまいました」
「……なんや、それ」
つい、千野先輩から視線を外してしまった。
顔が熱い。自分の発言に自分で反応してどうするんだろう。情けない。
そんな僕たちをからかったのは、神崎先輩ではなく、花ちゃんだった。
「お姉ちゃん顔赤いで? ヘタレの兄ちゃんも。なんや、二人はそう言うやつなん……きゃっ」
花ちゃんの小さな悲鳴に慌てて顔を上げると、神崎先輩が花ちゃんを抱きかかえていた。
「おいちびっ子。そう言う時は何も言わずに反応を楽しむもんなんだよ。よく覚えとけ」
「……かっこええ」
脇を抱えて持ち上げられた花ちゃんは、抵抗もせずにただただ神崎先輩の顔を見つめていた。
そういえば、花ちゃんは神崎先輩に一目惚れしていたんだっけ。
「何言ってんだ、お前?」
「イケメンや。外人みたいや。ウチと付きおうてくれるか?」
「おいおい、落ち着けって」
神崎先輩は少したじろぎながら花ちゃんを地面に下ろした。
それでも、花ちゃんは神崎先輩の手を強引に握り、とても嬉しそうな表情を浮かべている。
「篤はロリコンなんやね。シスコンかと思ってたウチがバカやったわ」
「愛、テメー……」
「イケメンの兄ちゃんはウチが嫌いなんか?」
「嫌いなわけじゃないけどよ、俺にも立場ってもんが……」
「ならええんやね!」
ここまで戸惑う神崎先輩は初めて見たな。
僕をからかい続けた天罰が下ったんだろう。たまには先輩の困った顔も面白い。
「笑ってんじゃねーよ涼太。後で覚えとけよ?」
「あ、あははは……とにかく行きましょうか。人が多そうですからね」
電車の中はかなり混雑していた。
特に浴衣を着た女性達で溢れかえり、スーツを着たサラリーマンの方々は痴漢と間違われないように決死の思いで両手を上げていた。
僕は千野先輩と話していたからそんな心配はいらなかったけど、神崎先輩は色んな意味で危ない人だと思われていたみたいだ。
足には花ちゃんが抱きついており、大好き、だのカッコええ、だのと連呼されていて、周囲の女性客が「イケメンなのにロリコン」などと噂していたのがはっきりと聞こえてきた。
その度に、先輩が僕に殺意のこもった視線を向けてくるのがちょっと怖かったけど、無事に目的地にたどり着いた。
「お疲れ様でした、神崎先輩」
「ったく、たまったもんじゃねーな。なんで俺がロリコンに……」
「イケメンの兄ちゃん! 抱っこして!」
「おんぶで我慢しろ」
と言って、なんだかんだ花ちゃんの要望に応えて上げている辺り、神崎先輩はやはり優しい。
神崎先輩の背中によじ登った花ちゃんは、最終的に肩車の体勢で落ち着いた。
幼女の笑顔に反して、ロリコン紛いの優男はまだ来たばかりだというのに、疲れ切ったため息をこぼした。
祭りの会場に到着すると、駅の数倍は混雑した状況に、少し蹴落とされそうになった。
こんな所で逸れでもしたら再会するのはかなり難しいんじゃ……
「イケメンの兄ちゃん、あれ、あれに連れてって!」
「ん? 綿菓子か? 分かった分かった」
「あ、ちょ、先輩……」
「後で連絡すっから。お前らは二人で楽しんどけ。俺はこのガキのおもりだ」
花ちゃんを肩車しながら、神崎先輩が人混みの中を堂々と歩いて行った。
もしかしたら気を使ってくれたのかな?
でも、それはそれで異様に緊張してしまう。
「どうしましょうか、千野先輩……」
と言いかけた僕の左手に、生温かい感触がした。
以前感じたことのあるような、華奢な右手が僕の左手に優しく重なった。
「先輩?」
「逸れたらアカンやろ? 涼太くんが迷子になってしもうたらいかんからな。ほな、行くで」
「え、あ、はい。行きましょうか」
千野先輩は初めて会った日から構わず手を引いてくるような人だ。
だけど、僕は違う理由で手を繋いでくれたのだと期待したい。
以前と違い、何処と無く汗ばんだ先輩の手は、緊張の現れだと信じたい。
そんな願いが叶ったかのように、僕は初めて先輩と同じ速度で同じ距離で歩いている。
ぐんぐんと僕の事を引っ張って歩いていくのかと思いきや、今日に限ってはゆっくりと、歩調を合わせてくれている。
もしかしたら下駄で歩きにくいだけかもしれないけど、きっとそうじゃないんだろう。
「涼太くん! あれ行こ! ウチ得意なんよ!」
と思っていた矢先、千野先輩はいつもの調子で早足になり始めた。
向かう先は射的屋。そういえば、もう何年もやってないな。
「おっちゃん、一回ね!」
「はいよ。五発で五百円ね」
値切る事もなく、素直に五百円をおじさんに手渡した千野先輩。
僕から手を離し、かなり本気の姿勢でコルク銃を構えた。
ポンっ、と躊躇いなく放たれた初弾は、見事にクマのぬいぐるみの景品に命中した。
それでも、倒れることはない。
「おっちゃん、今当たったで?」
「ダメダメ、倒れなきゃダメだよ」
ムッとした表情を浮かべた先輩は、特に追加の文句を言う事なく再び照準を定めた。
狙うのは同じぬいぐるみ。しかし、どっしりと台に腰掛けたクマは、微動だにしない。
続けて三発目、四発目と的確にぬいぐるみに着弾するも、獲物は台から落ちてこなかった。
プーッと頬を膨らませ、かなり憤っている千野先輩。
そしてやけくそに放たれた最後の一発も、無残に冷たい地面に転がることとなった。
「う、ウチの五百円が……」
本気で落ち込んでいる千野先輩に、射的屋のおじさんは少し苦笑いしていた。
ここは僕も失敗して、先輩を励ましてあげようかな。
「じゃあ僕も一回いいですか?」
「はいよ、五百円ね」
五発のコルクと銃を受け取り、先輩と同じクマのぬいぐるみを狙うことにした。
でもよく見ると、ぬいぐるみの隣で傾いている、大きめの箱に入ったおもちゃの方が取りやすそうなんだよな……
まぁ、今はそれが目的じゃないし、いっか。
千野先輩のような綺麗な照準はできないけれど、素人なりに頑張って狙いを定めた。
異様に震える手を抑えながら、放たれた一発は狙った方向とは全く違う、隣の箱の角を捉えた。
「外れちゃいました、難しいですn……」
落胆の言葉を言おうとした僕は、異様な光景を目撃した。
箱の角を掠め取った銃弾は、その勢いで箱を回転させ、そしてぬいぐるみにぶつかった。
ぬいぐるみはそのまま後ろに向けて倒れ、台の後方へと落下した。
今のはどう見てもおかしい。おもちゃの銃に、あそこまで箱を綺麗に回転させる威力があるとは考えにくい。それに、箱が軸に沿って回転したような……
「お、にいちゃんやるねぇ。仕組みを見破られちゃったのは初めてだよ」
そう言いながら、屋台のおじさんはぬいぐるみを拾って、僕に渡してくれた。
「今のはどう言うことですか?」
「本当はこんな小細工したくないんだけどさ、最近は監視の目がうるさいんだよ。だから落ちない景品なんて置いたらダメだから、ギミックを加えて逃げ道を探した結果がこれって訳だ。今年はもう三ヶ所で屋台開いてるんだけど、見破ったのはにいちゃんが初めてだよ」
ちゃんとした仕組みがあったのか。一瞬怖かったな。
恐らく間抜けな表情をしているであろう僕に、千野先輩が歓声をあげた。
「すごいやないか! 涼太くんはやっぱり頭ええんやね!」
「ち、違いますよ。僕は狙った訳じゃないです……」
「でも取れたんやから、運も実力のうちって言うやろ? それに、クマさんもゲットしたんやし」
少し物欲しそうな目をしていた先輩に、クマのぬいぐるみを譲渡するのは、僕の中では必然的だった。
「これ、先輩にあげますよ」
「ホンマか? でも涼太くんも欲しかったんやろ?」
と言いながらも、先輩はしっかりとクマを受け取ってくれた。
「ただ射的を試してみたかっただけですよ。懐かしかったですからね」
「……ありがとな」
両手に収まるサイズのクマのぬいぐるみ。
でも、先輩はそれを大切そうに抱いてくれた。
「あー、えー、なんだ。水をさすようで悪いんだが、邪魔だからどいてくんねーか?」
そう屋台のおじさんに言われた僕たちは、陽が沈みゆく中、顔を夕日のように赤らめて射的屋を後にした。
その後は先輩が食べたいと言ったたこ焼きやお好み焼き、それに焼きそばなんかを買い食いして回った。
関西名物のたこ焼きの味には、「こんなのニセモンや!」と屋台の前で文句を言い始めた時には少々焦ったけど、屋台にいるおじさんが優しい人で助かった。
買い食いの間も、先輩は片手に僕がとったぬいぐるみを大切そうに持っていた。
でも、何がそんなに気に入っているんだろうか?
年齢的には、と言うより先輩の性格的にぬいぐるみなんて好きじゃないだろうし、やはり違和感だ。
「先輩、嫌だったら答えなくてもいいんですけど、なんでそのぬいぐるみが欲しかったんですか?」
歩きながら焼き鳥を豪快に食べている千野先輩が、不思議そうな顔をして僕を見た。
「ん? そうやなぁ……なんか優しそうな顔しとるからやね。落ち着く感じで、ウチは好きやな」
落ち着きを求めるってことは、何かに追われてるのか……って、大会か。
先輩はだいぶ足が速いって聞くし、てっきり大丈夫かと思ってたけど。
「そう言えば、大会は大丈夫そうですか?」
「うーん、なんかあんまいい感じやないんよ。もうあと一ヶ月くらいやのに、なかなかタイム伸びんくてな。このままやと三位も危ういんよ」
三位でダメ。僕には到底理解できない強者の悩みなんだろう。
弱者の僕には下手にアドバイスもできないし、なんて声をかければ……
「でもな、こうやって気分転換すると、また成長できる気がするんよね。それにクマさんもおるし、涼太くんに貰ったお守りもあるし。アホな先輩に付きおうてくれてありがとな」
「僕なんか、何も助けになれてませんよ……」
千野先輩から感謝されて、存在を認めてもらえて嬉しいはずなのに、それ以上に無力さが僕の感情を邪魔する。
そして先輩は焼き鳥の串を片付けると、また僕の手を優しく握って歩き始めた。
「なっとるよ。ヘタレな涼太くんは色々大活躍や。やけん迷子になったらあかんよ?」
迷子、なのかな? 僕はしっかりと前を向いている筈だ。
でも、違和感が僕を惑わせるかもしれない。
正体がわからないソレに怯えるなんて、僕はダメだな。
「そうですか。ならそう言う事にしときますね」
「うんうん。素直でええ子や。でも、嘘ついたら舌チョンパやけどね?」
「舌チョンパって……じゃあ先輩も嘘ついたら舌チョンパですよ?」
僕がそう言うと、先輩は握ったばかりの僕の手を離して、小走りを始めた。
「ええでー! でも、迷子にならへんようにな」
「ちょ、待ってくださいよ、先輩。それだと逆に先輩が迷子になりますよ」
「っぷ。そうかもな〜。でもやっぱ涼太くんといると楽しいな。また大会終わったら遊ぼな?」
早歩きで追いかけている僕に、数メートル前方から千野先輩が問いかけてきた。
「はい! もちろんです」
今度は、二人で。とは言えなかった。
先輩の気持ちは色々と曖昧だけど、僕はその曖昧さに期待している。
今も先輩の左手に握られているクマのぬいぐるみが、僕たちを繋いでくれる事を祈りながら。
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