第24話:真実への報復

 千野先輩は二十メートルほど先にあった金魚すくいの屋台の前で立ち止まってくれた。

 

「涼太くん、これやろ」

「いいですけど、取っても飼えるんですか?」


 そんな僕の質問などは聞き流し、先輩は二百円を払い、ポイを一つ受け取った。

 先輩の活躍を是非とも目に収めたかったけど、人混みの中から僕を呼ぶ声がして、不意ながらもそちらに気を取られてしまった。


「おーい、涼太ぁー!」


 十数メートル前方から声をかけてきたのは健斗だった。

 満面の笑みで歩んできた彼の右手には、同行者の左手が握られている。


「健斗、こんな人混みの中でよく見つけたね?」

「お前のヘタレオーラなら百メートル先からでも分かるぜ」


 いつも通りに僕をからかってくるけど、それ以上に健斗の意識は繋がれてる手に集中しているようだった。

 野田さんは、健斗に告白されたのかな?


「上手くいった、みたいだね?」

「お、おう。まぁな」


 健斗は、空いている方の手で、照れ隠しのために頭を掻きながらそう答えた。

 野田さんも、心なしかいつもより表情が明るい。

 何故だか僕とは視線を合わせてくれないけど……


「お前も頑張れよ。でも、あの勝負は俺が勝つけどな」

「勝負? あぁ、あの。僕も一応頑張るよ。自分のペースでだけどね」

「まぁ、色々しくじるなよ? じゃあ俺たちは行くわ」


 どうやら健斗はただ交際の報告をしに来たみたいだ。

 どうしても知らせたかったんだろう。付き合い始めは、いや、付き合っている時は誰かに惚気たくなるもんだ。

 

「なんでやー! なんで一匹も取れんの!」


 そして僕の太陽は、またもや撃沈した。

 大きく両手を挙げて嘆くその姿を見て、可愛いと思ってしまうのはどうしようもない。

 

「先輩、そろそろ行きま……」


 ドンっ、と一つの大きな音が空に鳴り響いた。

 僕の呼びかけよりも数倍は魅力的なその知らせは、落胆していた先輩を一瞬で元気付けた。


「涼太くん、花火や! 行くで!」


 そう言って、僕の手を取り早足で歩き始めた先輩。

 もう片方の手には、僕との繋がりクマのぬいぐるみが握られている。

 こうやって、両手から僕の気持ちを受け取っているはずの先輩は、もう気づいているんだろうか。

 何も言わなくても伝わって欲しいとは思う。でも、あと一歩踏み出さなければそれは叶わない。

 伸ばしても届かないかもしれない恐怖心が、その一歩を断崖絶壁での綱渡りのようにさせる。

 反対側に到達するには、全てを懸けて歩まなければならない。

 全ての分岐を断ち切って、メインロードを通り続けなければ、目的にはたどり着けないのだから。



 花火会場は、露店以上の賑わいを見せていた。

 老若男女。様々な人がいる中、僕は人一倍背の高い幼女の姿を見つけた。

 どうやら花ちゃんは終始先輩に肩車されていたようだ。


「先輩、神崎先輩がいましたけど、行きますか?」

「んー、せやな。これ終わったら帰らなあかんから、合流できるうちにしといた方がええな。涼太くんは大丈夫か?」

「僕は……大丈夫ですよ。神崎先輩もそろそろ疲れてきたでしょうし、合流しましょうか?」


 本当は二人で見たかった。でも、それは次回でいい。

 ここでみんなと逸れる方が色々と大変だろう。


 先輩とは手を繋いだまま、人を掻き分けて神崎先輩達の元へと向かった。

 十数名程先にいた神崎先輩の両手には、食べ物やお面など、大量の獲物が握られていた。

 完全に、荷物持ちのお父さん状態だな。


「神崎先輩、やっと会えましたね」

「お前ら来たのか? 俺はてっきり花火の後に合流するもんだと思ってたんだけどな。まぁいっか。それだと色々大変そうだし」


 神崎先輩に見えない所で、千野先輩は僕と繋いだ手を静かに離した。

 代わりに服の裾を摘み、未だ動きを止めない人混みの中にしっかりとイカリを降ろした。


「お姉ちゃん、イケメンの兄ちゃんと楽しかったで! また連れてきてな」

「よかったな〜花。姉ちゃんも楽しかったで。ヘタレのお兄ちゃんは射的が得意なんよ?」

「んなアホな。どうせ腕ブルブルでまともに当たらんやろ」


 まるで見ていたかのように事実を突いてきた花ちゃんに、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 小学生なのに何処と無く大人びている。そんな不思議な少女は神崎先輩の頭に抱きつくので必死なようだった。

 

 そして、数十秒もしないうちに最初の花火が打ち上がった。

 街明かりに負けずと輝きを放つ夜空の花。それは僕にはなぜか太陽のように見えた。

 

 周囲の静かな歓声と同じく、千野先輩と花ちゃんは、寿命の短い貴重な夜の太陽に見惚れていた。

 でも僕は、側にいる太陽の方ばかりに目がいってしまう。

 花より団子。というよりは花より太陽。

 上を向いている先輩の横顔は、散りゆくことのない造花のように美しかった。


「涼太、ちゃんと花火見とけよ?」


 そして僕の間抜けな顔を見て楽しむ人もいる。

 

「そ、そうですね。神崎先輩も、しっかり見ときましょ?」

「ったく。色々口うるさくなってきたな。でも、もう少し頑張れよ?」


 ビニール袋を持った左手で、僕の右脇腹を小突いてきた先輩。

 ヘタレはまだまだヘタレ。そして憧憬には程遠い。


 その後も僕は、花火を見るフリをして千野先輩ばかり見ていた。

 神経が通っていないはずの僕の服の裾から、温かい何かが流れ込んでくる。

 先輩の手と繋がった無機物は、僕の心臓を高鳴らせる特殊効果を得たようだ。

 それ程までに、僕の中で千野愛先輩は特別な存在。


 敢えて意識すると、やはり僕は危険な綱渡りをしたくなる。

 

 ドンドンドンドン、と僕の気持ちと同じタイミングでクライマックスを迎えた夜空のショー。

 最後のたった数十秒の輝きだけで、何百何千の人々を虜にした。


 消えゆく太陽は、みんなの足をここまで運ばせるほどに、魅力的な物。

 そして消えない太陽は、僕を一直線に進ませようとする、魅力的な者

 

 今度二人で会った時に、告白したいな。


 その決意が固まったのと同時に、夜空の太陽は消え去った。


 そして次の瞬間に押し寄せてくるのはぞろぞろと帰宅し始める人の波。

 僕らは当然のように巻き込まれた。

 情けなくも、僕は神崎先輩の巨体に捕まり、千野先輩は未だ僕の服を掴んでいる。

 そのまま流されるように祭り会場の入り口付近まで移動し、人が散らばり始めた所でようやく立ち止まれた。


「人多かったですね。逸れなくてよかったです」

「ホンマやね。篤もたまには役に立つんやな」


「たまにってなんだよ。俺はいつでも頼りになる男だ。それに後輩に引っ張られてるお前には言われたくねーよ」


 神崎先輩の悪意のある一言で、千野先輩の手は僕から離れていった。


「そ、そんなことないよ? ウチはただ逸れないように……ってどうしたんや篤? 袋落としたで?」


 力が抜け落ちたように、先輩が両手いっぱいの袋を全て地に落とした。

 肩に乗っている花ちゃんも、支えが急に脆くなり、落ちないように頑張ってしがみついている。

 

「先輩、花ちゃんが」

「あ、ああ。そうだな」


 いつものような覇気を全く感じさせないような声と共に、花ちゃんを地面に降ろした。

 三人で先輩の不自然な挙動を見つめていると、目の前にある信号が青になった。


「梓……」


 先輩が何かをボソッと呟いた。しかし、その声は周囲にいる人々の雑談によってかき消された。


「どうしました? 何かありましたか?」

 

 信号が青になったとは言え、僕らの周りにはかなりの人がいて、先輩の視線の先を見ることができない。

 十センチ程度の身長差のせいで、僕と先輩の見ている光景は全く違うモノになっているんだろう。

 

 先輩はまた何かをボソッと呟き、何故か早歩きで進み始めた。

 点滅している信号の中、先輩は人を掻き分けて無情に進んでいく。

 僕らは、ただ逸れないように先輩と同じ速度で進むしかなかった。


 横断歩道を渡りきっても、先輩はまだ足を止めようとしない。

 向かっている先は駅とは逆方向。

 人は他と比べれば比較的少なく、ようやく視界がひらけてきた。


 神崎先輩が段々と歩幅を広げていく。

 ほんの十メートル先に見えるのは、黒髪短髪の少女と、見覚えのある茶髪の男が抱き寄せあいながら、歩いている後ろ姿。


「梓ちゃん、楽しんでくれたかい?」


 離れているのに、はっきりと耳に入ってきたその声。

 人が疎らになり、静寂に近いこの状況で、茶髪の声は吐き気を促進させるかのように汚らしかった。


「うん、忙しかったのに連れてきてくれてありがとね、和人くん」


 そして、その少女の声は過去の月明かりとは違かった。

 香澄じゃない。違う女と、アイツは歩いていた。


「あの野郎……」

 

 神崎先輩の静かな怒りが、バスケで鍛えられた強靭な脚を走らせた。

 憧憬に呼応するかのように、僕も同時に走り出し、和人へと向かった。


 でも、僕の目的はアイツじゃない。


 走り出した先輩を数メートル先で取り押さえ、非力ながらも懸命に先輩の馬力に抗った。

 

「ダメです、先輩。一体どうしちゃったんですか?」

「お前、何ふざけたこと言ってんだ? アイツはお前から奪っておいて、他の奴にも手出してんだぞ?」


 そう言いながら、先輩は段々と進んでいく。

 僕のかかとが地面に削られていくも、その力には敵わない。

 憧憬に勝てないことは分かりきっているのに、止めずにはいられない。


 正体不明の愉悦感が、和人を逃がしたいと思っているから。


「僕はもうなんとも思ってません。それにもう終わったって前に先輩が教えてくれたじゃいですか」

「……黙れ」

「え?」

「黙ってその手を離せって言ってんだよ!」

  

 僕の虚弱な両手は、先輩によって意図も簡単に突破されてしまった。

 そのまま突き進むかと思いきや、僕の横を神速の動きで通り過ぎて行った太陽が、憧憬の前に立ちはだかった。


 そして次の瞬間、パンっ、と何かが弾けたかのような音が鳴り響いた。

 千野先輩の華奢な手から繰り出された平手打ちは、神崎先輩の顔の向きを少し変える威力しかない。

 それでも、神崎先輩は放心したかのような表情を浮かべ、立ち尽くした。


「アンタ、自己中にも程が有るで。涼太くんのせいにすんのはもうやめ。未練タラタラで、今までよくそんな口をきいとったな」


 二人にしかわからない会話。

 でも、なんとなくわかるかもしれない。

 

 そんな中、前を歩いていた二人は、殴られた体勢のまま停止した神崎先輩を見て、慌てるように場から去っていった。

 和人は僕の知らない女に手を回し、そして女は心底恐怖した顔を浮かべながら。

 

 場の雰囲気に驚いてしまった花ちゃんは、僕の足にしがみつき、千野先輩は真剣な表情で神崎先輩を睨み続けた。

 先輩は、片頬を赤く腫れ上がらせたまま、動こうとも喋ろうともしない。

 

「ヘタレのにいちゃん……」


 非力な僕は、花ちゃんが泣きそうになるのを宥めるしかできることしかできない。

 

 そして数時間、いや、数秒が経過した。

 それほど時間が凝縮された濃密な空気の中、神崎先輩がようやく口を開いた。


「ごめん。俺が悪かった」


 先輩は今まで聞いたこともないような気弱な声で謝罪すると、俯いたまま、駅へと続く道を進み始めた。


 そんな神崎先輩の小さな背中が遠ざかると共に、千野先輩が作り笑いをしながら僕の元へと歩み寄ってくる。


「ごめんな涼太くん。なんか嫌な空気にしてもうた」

「い、いや。千野先輩が謝ることじゃ……」


 千野先輩のせいじゃない。だったら今のは神崎先輩のせい、なのか?

 そう信じたくない自分の心が、僕の言葉を遮った。


「全く、涼太くんは優しいんやね。篤に気使うことなんてあらへんよ。今のは完全に篤が悪かった。やけん気にせんといて。ほら花も、泣いとらんで行くで」


 いつもの笑顔で千野先輩は花ちゃんの手を取った。

 その後は、また四人で電車に揺られて帰宅。

 でも、その間誰も言葉を発することはなかった。



 そして、千野先輩たちと別れ、神崎先輩と二人っきりになった。

 暗い夜道を、ただ淡々と歩き続ける。

 先輩の顔を見ても、どこか上の空な表情を浮かべているだけ。


 やっぱり、あの女の人が先輩の元カノなのかな?

 僕のために和人に向かったふりをして、実は自分のために刑を執行しようとしていた。

 それなら、千野先輩の言葉にも辻褄が合う。

 それにしても、僕はなんでこんなにも平常心でいられるのだろうか。

 なんで、少しだけ嬉しいと感じているのだろうか。


 神崎先輩の家の前に着くと、先輩がやっと口を開いた。


「色々悪かったな。止めてくれたのは助かったよ。ありがとな」

「いいえ、大丈夫ですよ。でも、事情は聞いてもいいですか?」

「ああ。別に構わないけどさ。もしかしたら失望するかもしれないぜ?」

「そんなことは……」


 そう言いかけた僕より先に、先輩が話し始めた。


「あの女。和人と一緒にいたやつ、俺の元カノだったんだよ。浮気されたって言ったろ? でも、そん時の相手は違う男だったんだけどさ、久々あんな光景見たらカッとなっちまって。まぁ、未練タラタラの称号がお似合いな理由だな。今、新しい道見つけてしっかりしてるお前に、もう胸張って先輩面できないな」


 冗談を言うかのように、先輩は笑っていた。

 でも、暗がりでも見える大きな瞳は、悲しみに満ち溢れている。 

 面白い話をしてくれた後の絢香さんにそっくりな表情。

 そう、それは後悔した人が見せるお面。

 誤った一本道に進んで、間違えたゴールに辿り着いてしまった人が得る景品。

 

 先輩は新たな道を見つけられていなかった。

 だから、高一から彼女を作ってこなかったんだろう。

 女の裏の顔が怖いからなんて理由じゃなく、ただ過去を忘れきれていなかったから。


 そして、あの日、僕が和人と香澄がホテルに入るところを見て、飛び出そうとしたのを止めたのは、多分その理由から。

 でもそれは、自分と同じ道を歩んで欲しくないと言う、切実な想いの表れ。

 

 先輩はさっき僕を利用したかも知れない。

 でも僕は、身を以て経験を教えてくれた先輩を蔑んだりできない。


「僕は、先輩の事をずっと尊敬してますよ。これは嘘じゃないです」

「……ったく、趣味の悪いやつだ。でもお前は後悔するんじゃねーぞ。折角新しい道を見つけたんだからな」


 そう言い残して、先輩は家に入っていった。


 一人になり、訪れた静寂。

 神崎先輩の家の中から聞こえてくる絢香さんの明るい声。

 その声を背に、僕は足を進めた。


 神崎先輩の事を考えなくなると、不思議とさっきの和人と先輩の元カノが歩いていた光景が脳裏に浮かんでくる。

 先輩の本心は意外なモノだった。でも、それは誰にでも起こりうる事。

 僕も、先輩やみんなの助けがなかったら、同じ道を行っていたかも知れない、当たり前な順路。


 でも僕は、自分が違う道を歩けてることを知っている。

 

 和人は香澄以外の女にも手を出している。

 きっとそれは、僕にとって香澄を取り戻せる大きなチャンスなのかも知れない。

 母さんが好きな昼ドラマによく出てくるような状況。

 香澄の悲しみにつけ込んで、復縁できる可能性は十二分にある。


 でも、僕は違う綱を渡っていることを知っている。


 その綱のおかげで、僕はさっき先輩を止めるために動けた。

 あの愉悦感を得られたのは、先輩にも弱さがあった事を知れたからじゃない。

 僕が先輩のために行動できたからでもない。

 勿論それも嬉しい。そして今、憧憬に近づけたかのような錯覚に襲われているのも事実だ。

 

 でも、僕は違う理由で喜んでいる。


 太陽に出会えて。

 月が沈みかけて。

 

 何より、真実香澄報いを受けて浮気されて

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